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11.山へ入る日 石川欣一(いしかわきんいち)/1929/中央公論社/319頁


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表紙
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石川欣一(1895-1959) ジャーナリスト,著作家、翻訳家
 東京に生れる、父は動物学者石川千代松。東京高師付属小中学校を経て、旧制二高入学、1914(大正2)年、二高山岳部創設に参加。東大英文科を中退し、プリンストン大学卒業。留学中に大阪毎日新聞入社、特派員としてワシントン軍縮会議を取材。1928(昭和3)年東京日日新聞に転じ、ロンドン支局長。1936(昭和元)年の立教大学ナンダコット遠征や関西山岳会の発展に尽力する。第二次大戦中は、フィリッピン「マニラ新聞」へ出向。終戦で1捕虜として帰国した。戦後、東京毎日新聞出版局長、サン写真新聞社長、アジア財団顧問、日本パイプクラブ会長。「比島投降記」「チャーチル」「可愛い山」などの著書とモース「日本その日その日」、パールバック「郷土」などの訳書50冊残した。

内容
 国際的なジャーナリストとして著名な筆者の若き日の山への賛歌である。「山の秋」「山へ入る日・山を出る日」などの登山随想をはじめ、やわらかな筆致の作品40編が納められている。「可愛い山」「平の二夜」をはじめ随所に、大町の旅館「對山館」主人百瀬慎太郎(註)との交友が語られる。
「針の木のいけにえ」は、1927(昭和2)年12月31日針の木谷で雪崩により4人を亡くした早大山岳部の遭難の話である。信濃大町駅に彼らが到着するところから、雪崩で遭難し、ついに4名を発見できずむなしく引き上げるまでを、悼みをこめて分りやすく述べる。最後に、早大山岳部が毎年末に来るのを楽しみに待つ大町の人々を次のように描く。

「大町はもとの静けさにかへった。人々は炬燵にもぐりこんで、あれやこれやと早稲田の人々を惜んだ。八日、九日、見事に晴れ渡った山々を仰いでは、あの美しい、あの気高い山が、何故こんなむごいことをしたのだろう、といぶかり合うのであった。」

 そのほか、「山とパイプ」「山と酒」「女性登山者について」等々、やわらかな筆致に筆者の幅広い教養を見ることが出来る。B6版ソフトカバーで旅の鞄に忍ばせるのに相応しい作りである。

山岳館所有の関連蔵書
可愛い山 石川欣一/1987/白水社
山・都会・スキー 石川欣一/1931/四六書院
山を想えば 百瀬慎太郎/1962/百瀬慎太郎遺稿集刊行会

(註)百瀬慎太郎
北アルプスの登山基地大町の對山館主人として登山者に親しまれ、明治から大正にかけて登山の発展に尽くした。ウェストン、辻村伊助、石川欣一、槙有恒ら多くの登山者と親交があった。
 
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