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15.山と雪の日記 板倉勝宣(いたくらかつのぶ)/1930/梓書房/172頁


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表紙
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挿入写真 冬の中山峠付近
挿入写真 冬の中山峠付近


板倉勝宣(1897-1923)
 子爵板倉勝弼(最後の備中松山藩主)の九男として東京に生れる。学習院初等科、中等科を経て高等科を卒業、高等科では松方三郎、伊集院虎一などと同級であった。中等科の頃から秩父、日光などの山登りを始め、毎年上高地を中心に山登りを楽しんだ。1919(大正8)年、北大農学部に入学、スキー部に在籍、北海道スキー登山の黄金時代の中心となって活躍、1922(大正11)年1月の旭岳を始め、道内で多くの冬季初登頂を記録した。同年7月、松方三郎と共に挑んだ槍ヶ岳北鎌尾根の登攀の成功は、日本の登山界に新しい方向を示すものとして評価された。北大在学中の1921(大正10)年、加納一郎らとわが国最初の山岳雑誌「山とスキー」を発刊、その中で自らの登山思想を披瀝し、若い登山家の啓蒙に務めた。
 1922(大正11)年、北大を卒業、その翌年には京大理学部植物学教室の大学院生となることが予定されていたが、1923(大正12)年1月、槙有恒、三田幸夫と行を共にした立山で、松尾峠の暴風雪の中で遭難死した。若干25歳、心身ともに円熟の境地に入ろうとしていた時期であった。死後友人達により出版された遺稿集「山と雪の日記」は、日本でのアルプス的登山の幕開けを告げる名著と位置付けられている。「山とスキー26号」は、彼の追悼号となっている。

内容
 本書の「此の本の由来について」(松方三郎)によると、板倉遭難後の1924(大正13)年、槙有恒、松方三郎、加納一郎ら友人たちによって「板倉勝宣遺稿」が編まれ、三周忌に150部が山仲間たちに配られた。しかし、この遺稿集を手に入れられなかった多くの人からの希望に応えて、遺稿にあった書簡や卒業論文などを外し、洩れていた山岳紀行を加えて再編集し、梓書房から「山と雪の日記」と題して出版された。山岳館所有の本書は、梓書房から寄贈されたもので、「初刷500部の内第95冊」の印字がある。
 「遺稿」と同じ編者で、1914(大正3)年から同12年に亘る紀行、随想、日記、詩33編で構成されている。松尾峠の同行者であった槙有恒は、序文{追憶}で板倉について次のように語っている。

「痩せ型の引き締まった体が直ぐ眼に止まったやうに一度話し合ふと独自な性格が何の装飾もなく露はれた。もの言いの穏やかな何んな時にも興奮しない様子が年齢よりは遥かに老成されているやうであった。」


 「手稲山に寝るの記」では、4人(註:板橋敬一、網野兼一、松川五郎、板倉勝宣)でテントを担いで手稲山に行った時の話である。美しい文章の中に、板倉の率直で素朴な人柄を見ることが出来る。

「十月の三十日に、人間が四人、天幕を背負って手稲に寝に行った。軽川で大根、みそ、空瓶を買って雲行きの割に早い秋の空を眺めながら、スキー道を登ってゆく。ゆたかな石狩平野に石狩川が、かすかにうねって、遠く光る海に注ぐ所に河口が白く見える。平野のつきる所に夕張の連山が早、谷に雪を白く残していた。草の中から眺めると、見る見る全身の細胞が活気ついて来るのが解る。胸の鼓動がしっかりと打って来る。」


 板倉は、積雪期登山、ロック・クライミングの導入に積極的であり実践的であったが、山の味わい方について「登山法に就ての希望」の中で次のように述べている。

「・・・大抵はピークハンターとしてはじまり、やがて谷に下り、遂には里近くの山に迄、深い味を感じて、山を人生に取り入れ、あるいは、人生を山にとけ合して、山無しには生きられない人間になってゆく。・・・ここに於いて、動的な山の味わい方。即ちロック・クライミングとスノウクラフトとが現れてくるべきではなかろうか。・・・あらゆる注意を尽して、岩を攀じる時、或はアックスとクリーパーによって一歩一歩と山頂に近づく時、そこのいひがたいものをお互いに感ずる。」


山岳館所有の関連蔵書
山行 槙有恒/1922/改造社
記念−北大スキー部十五周年 著者代表大野精七/1926/北大スキー部
北海道のスキーと山岳 加納一郎/1927/北海道山岳会
山−随想/山と雪の日記/北の山 大島亮吉・板倉勝宣・伊藤秀五郎/1962/あかね書房
私の山旅 槙有恒/1970/岩波書店
登高行第4年/慶応義塾大学山岳部
山とスキー第1,3,4,10,26号/山とスキーの会
日本山岳会会報「山」327号/日本山岳会
山岳第14,67年/日本山岳会
 
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山 研究と随想/大島亮吉/1930

 
 
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