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37 アルプス記 松方三郎(まつかたさぶろう)/1937/龍星閣/326頁


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箱と表紙
(グラン・サン・ベルナールの僧院、
銅版1834年)
箱と表紙
(グラン・サン・ベルナールの僧院、
銅版1834年)
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見返(モン・ブラン連峰パノラマ、
銅版1834年)
見返(モン・ブラン連峰パノラマ、
銅版1834年)
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セーニョ峠から見たモン・ブラン
(古石版画)
セーニョ峠から見たモン・ブラン
(古石版画)


松方三郎(1899-1973) 登山家、ジャーナリスト、実業家
 東京生れ。父は明治の元勲松方正義、松方コレクションで有名な松方幸次郎は兄。1919(大正8)年、学習院高等科卒業。高等科時代、板倉勝宣と同級。1922(大正11)年、京都帝大経済学部卒業。1913(大正2)年、14歳で富士山に登ったのを初めとして北アに入り、多くの山々を歩く。京大時代の1922(大正11)年3月、燕、槍といずれも積雪期初登攀、同年7月、槍ヶ岳北鎌尾根の初登攀に成功した。
 1924(大正13)年〜1928(昭和3)年、ヨーロッパに留学、鹿子木員信、槙有恒、浦松佐美太郎といったパートナーを得て、スイス・アルプスの山々に親しみ、アイガーのヘルンリ稜完登など30数座に登攀した。この間1926年には槙有恒らと秩父宮に随伴し、マッターホルンなどに登る。帰国後は盛んに富士山に登った。社会人としては、満鉄に5年間勤務の後、新聞連盟社(のち同盟通信社)に勤務、1937(昭和12)年から終戦まで中国各地の支局長として激務に明け暮れた。
 戦後は新たに創立された共同通信社の専務理事などジャーナリストとして活躍。60歳で勇退後は、国際ロータリークラブ、ボーイスカウト日本連盟会長など内外の世話役を務めた。絵画、書物、焼物など、趣味人でもあった。1946(昭和21)年〜1948(昭和23)年第5代、1962(昭和37)年〜1968(昭和43)年第10代日本山岳会会長。1969(昭和44)年日本山岳協会会長。1970(昭和45)年日本山岳会エヴェレスト登山隊隊長、同隊の松浦輝夫、植村直己が日本人初のエヴェレスト登頂に成功。英国山岳会名誉会員。日本山岳会名誉会員。従三位勲一等瑞宝章授章。

内容
 アルプスを中心とした38編の随筆からなる。いずれもけれん味のない、平易な、リズム感のある文章で、大変に読みやすい。挿入の古石版画、銅板画、著者自身の写真が素晴らしい。
  「雪の世界の好さはその静けさにある。山では殊にさうだ。ふと小屋の戸を開けて真夜中の月の光に氷河やそれを取圍く山々を見廻したときなど氷河時代にかへった地球の上にたった一人取り残された人間のように感じることさへある。 熱とか火とかを連想する何物もないやうな、氷と雪との支配するその世界に一度足を入れて、飽く迄に冷酷な、しかし、飽く迄に静かなその美しさを知ったあとで、この世界の引力を忘れ去ることは出来ない。 餘りの美しさに胸を躍らせ乍ら、しかも、飛んでもないものを見てしまったと後悔したりするのである。おしなべて、山男などといふのは、かうした頓馬なのである。」(冬山断片)
 学習院の同級生で、多くの山行を共にした友人板倉勝宣(B-15「山と雪の日記」参照)について、次のように回顧している。
 「彼は黙っていても、一つの歴然たる存在であった。どんな意味でも社交的ではなかったが、彼の失われたことから衝撃を受けた者は實に多かった。すれ違い様に彼に接した人ですらも、彼の風格を忘れることが出来なかったのである。勿論それは決してただの奇抜さから来たものではなかった。彼自身を例外とすれば、総ての知人は彼を一つの特異な風貌の持ち主だと思っていた。見た目に確かにさう見えたのであるから致し方ない。しかし彼の特異性は、そして人の心に深く印象づける彼の性格は、彼なる存在の本質そのものであり、したがって彼と共に永久に失われてしまって今更なんとも仕様がない。私は自分自身の必要からこの失われた傑作のファクシミリを造って置く方法はないものかと折に触れて考えたこともあった。しかしそれは何れも失敗であった。」(机上彷徨)


山岳館所有の関連蔵書
遠き近き 松方三郎/1951/隆盛閣
アルプスと人 松方三郎/1958/岡書院
松方三郎 松本重治/1974/共同通信社
松方三郎エッセイ集 松方三郎/1975、76/築地書館
(手紙の遠足、民芸・絵・読書、山で会った人、山を楽しもう、アルプスと人)
訳書
エヴェレストをめざして/1954/ハント,J /岩波書店
わがエヴェレスト/1956/ヒラリー,E/朝日新聞
 
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