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41 山の憶い出(上)(下) 木暮理太郎(こぐれりたろう)/1938/龍星閣/上556頁,下608頁


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箱と表紙
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見返し
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至仏山にて筆者
至仏山にて筆者


木暮理太郎(1873-1944) 登山家
 群馬県新田郡強戸村(現太田市)の農家に生れる。1899(明治22)年、東京府尋常中学校へ入学、郁文館中学へ転校し卒業、旧制第2高等学校を経て、東大哲学科へ入学。東大には10年在学し、哲学、史学を修めるも、中途退学。その後雑誌「ハガキ文学」編集など文学、美術雑誌に関係していた。1907(明治40)年、東京市史料編纂所(現東京都公文書館)に就職し、1944(昭和19)年に永眠するまで東京市史編纂に従事した。
 木暮の登山歴は、6歳の時祖母に連れられて赤城山に登ったのが最初であるが、本格的な登山は、1893(明治26)年の木曽御岳で、これは木暮家が御岳講に加入していたための信仰登山であった。翌1894(明治27)年、利根川水源探検行(B-16「上越国境」参照)に参加し、尾瀬ヶ原に達した。その後、針の木越え、立山、槍ヶ岳、乗鞍、木曽駒、甲斐駒、また明治の末から大正初期にかけては奥秩父の山々を歩き、その開拓に熱を入れた。明治39年頃、木暮は田部重治を知るようになり(B-20「山と渓谷」参照)、2人での多くの探検的登山を行なった。1913(大正2)年夏、田部とガイドなしの槍ヶ岳から剣岳、1915(大正4)年夏の魚津−片貝谷−赤牛−烏帽子岳の大縦走、1917(大正6)年7月、朝日―白馬―鹿島槍―針の木縦走などは登山史を飾る。晩年は、ヒマラヤの数少ない正確な研究者として知られ、多くの文献を集め、「中央亜細亜の山と人」をまとめた。1913(大正2)年、日本山岳会に入会、ここで優れた多くの岳友に恵まれ、また日本山岳会機関誌「山岳」の編集で活躍した。第3代日本山岳会会長。秩父金峰山麓金山にレリーフが建立され(佐藤久一朗作)、毎年5月碑前祭が行われている。


内容
 日本の登山の黎明期に、登山を実践し、研究し、山への熱情を燃やし続けた偉大な先達の数少ない著書の1つである。内容は、著者が多年に亙って「山岳」、その他の雑誌に発表したものの中から選んでいる。著者は、単行本を出すことについては出版社の強いすすめににも拘らず拒み続けていたが、とうとう根負けして出版を承諾した。その心境について「序」で次のように語っている。
「正直いふと、本を出すことは、私には一の不安である。成程雑誌に書いた当時に在りては、自分の文とても山と言う偉大な存在から、小さいながらも張り切った自分の魂に、じりじりと烙き付けられた数限りもない新しい感激の思い出、その幾つかが織り込まれている筈であると思ふと、抑えがたい心の昂揚から、少なからず自信もてたのであった。----------所詮は、本を出す、否、世に生き残る本を出すといふとは、或選ばれた人にのみ与えられた特権であるように思われる。その選に漏れたものが真似ても真似られるものではないし、また真似すべきものでもあるまい。私は草信じている。」

 「上巻」の巻頭には、150ページに亙って著者の心のふるさと秩父が語られている。古文書を引き、自らの紀行を交え、山の歴史、地質、森林、渓谷、動植物、山容、登山ルート等々、雲取山から金峰山までの23峰について詳しい解説がある。他に、1919(大正8)年、武田久吉、藤島敏男の3人で、利根水源地の山々を探った時の紀行、苗場、日光、鬼怒、皇海、美ヶ原などの随想紀行がある。「黒部川奥の山旅」は、田部重治らと日本海から剣岳、烏帽子岳の大縦走の記録を150頁余の長文で綴っている。「黒部川を遡る」は、黒部川下の廊下の遡行に成功した時の迫力に満ちた紀行文である。

 「下巻」の冒頭は「望岳都東京」の章で、東京からどんな山が見えるか、大正初期から市内各所の高所から観測し、昭和8年に3000m以上の山が9座、2000m以上が63座が見えると発表している。大変な根気で、彼の几帳面な性格を知る。その他、白馬の研究と紹介、後立山諸峰、尾瀬ヶ原などの紀行、森林美、渓谷美、故郷の村の随想など、実にバラエティに富んでいる。山名、地名の考証では、アイヌ語、朝鮮語、ポリネシア語などに語源を求め、研究を行っている。

 時に硬い文章で読みにくいなどと感じる所もあるが、1編1編実に綿密に、正確に練り上げられており、いずれも山へのひたむきさに溢れた文章である。

山岳館所有の関連蔵書
登山の今昔/木暮理太郎/1955/山と渓谷社
わが山旅五十年/田部重治/1978/二見書房
 
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