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1. 山! ハンス・モルゲンターレル 荒井道太郎訳 1934年 朋文堂
原題:Ihr Berge/ Hans Morgentharel/1920


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表紙
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原書表紙
原書表紙

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グリューンエクホルン(3869m)
グリューンエクホルン(3869m)
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シュールホルン(3296m)
シュールホルン(3296m)
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冬期、テディ・ピッツ(3623m)ト
冬期、テディ・ピッツ(3623m)


ハンス・モルゲンターレル(1890-1928) 地質学者、作家、登山家
 スイスのブルグドルフの弁護士、オットー・モルゲンターレルの長男として生まれる。11歳で母を亡くし、1909年、ETH(Swiss Federal Institute of Technology Zurich)に入学、動物学、植物学を学び、1914年にシダレカンバ(Betula alba)の研究論文で博士号を取得した。学生時代の1911年3月、グラルン・アルプスのテディ峰(Tödi 3641m)登攀で手に凍傷を負い、1本を残して他の指をことごとく失った。指の無い手でグルラン・アルプス、ベルナール・アルプスで新しい登攀ルートの開拓や冬期初登攀などの記録を残した。また優れたスキーヤーでもあった。
 1916年、登山日記とペン画の画文集「Ihr Berge」(“山!”荒川道太郎訳)を出版。同年、ベルン大学の第2学年に入学、地質学を学ぶ。1917年、Aar Massif(アール・マッシフ、スイスアルプスの地塊の一種)に関する論文を提出して卒業すると、スイス鉱山会社に就職し、タイ及びマレーシャのジャングルの金・銀鉱探査に赴いた。1920年、病をえて帰国、現地での経験をもとに文筆活動を始めた。1921年、ルポルタージュ「MATAHARI –Moods of the Malay-Thai topics」 を出版、ヘルマン・ヘッセによって賞賛されたこの著作は、マレイ半島に関する豊富な情報と写真を含む内容が好評で多くの読者を得た。
 結核の治療のため1922年からスイス・グラウビュンデン州の温泉に滞在し、画家を目指して筆筆をとったが、病状が急速に進行、1928年3月、ベルンで死去、38歳であった。

内容
 本書はモルゲンターレルという地質家が、彼の6年間の登山日記とペン画を合わせて編集・出版した画文集である。原書はドイツ語、B6版144頁の小さな本で、63節の紀行・随筆と32枚の挿画からなる。
 戦前、若者たちがこの本を愛読したという話を先輩から聞いているが、出版から80年たった今でも著者の山に対する熱い、素直な思いが、読む者の気持ちに同調してしっとりと心に滲みる。

 訳者の荒井道太郎はモルゲンターレルについて次のように述べている。
「モルゲンターレルが私たちにとって忘れられないのは、その文脈や筆致が私たちを搏つようなものではなく、山への愛にいたましいほども灼熱した、そんな自己を、私たちに、露わに、正直に見せてくれたという、そのことに因るのだろう、と思われる。」

 北大山岳部の先輩で詩人でもあった井田清(1930年農畜産卒、1931年詩集「山」出版)は、モルゲンターレルとその著書について次のように述べている。
「山が彼にとって何であったか私は知らない。だが山が彼にとって少なくとも『生きる事』を願う人々に見られる内在性を表象した『生命』であった事は、私は口幅を広くしながら敢えて言うことを辞さない。  一生涯を客人の様に地上に招待されて過ごす人々と反対に、彼は凡てを招くが如く山を招いた。山に招かれまた山を招き、それ故にこそ彼のあの悲惨と暗い運命と深い高い明るい喜びとが、山を通し彼の心を貫いて私達の眼前に表されたのである。」(「山岳」第26年第2号」

 最終項の「納めの夕べ(Feierabend)」でモルゲンターレルは明日への希望を次のように記した。
「見給え!あそこを!
荒び果てた男がひとり、小屋の前にじっとつくなんでいる。彼の脂っけの抜けた顔は栗色に焦げ、ムシャムシャと髭が生えている。煙がムクムク彼の短いパイプから出て、澄んだ夕暮れの空気にまざる。妙に変わった奴だ!誰とも言葉をかわさない、歩くのもひとりぼっち、何かでっかい計画を考えめぐらしているかのようだ。誰なんだ、奴は?何をしているんだ、一体?------
どっこい!そいつあ、この俺さ!つらい二週間が終って、どんじめの宵というものだ。おれの連れはすでにもう峪地にいる。離れていてくれ給え、おれの邪魔をしないでくれ給え!
またしても俺は、氷海から氷海へ、山頂から山頂へと、ほっつき歩いたのだ。俺のルックザックは軽く、からっぽになり、俺のこころは、分捕った宝物で、とても一杯---------
今、俺は、元気を取り戻している、明日、出来るだけ沢山の幸せを、親しく家路へ携えてゆきたく思っているところなんだ。」

山岳館所有の関連蔵書
  • Ihr Berge -Stimmungsbilder aus einem Bergsteiger=Tagbuch/H.Morgenthaler/1920
  • Marahari-Moods of the Malay-Thai topics/H.Morgenthaler/1921
  • The Making of a Mountaineer/G.I.Finch/1942
  • 山岳 第22年第2号/日本山岳会/1931
  • 山と雪 第8号/山と雪の会/1931
  • 詩集「山」/井田清/山と雪の会/1931
 
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2. エヴェレスト登山記/ヤングハズバンド/1931
 
 
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