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02デナリ遠征 »

行動記録




5/27
 今日から一ヶ月の旅が始まる。ルームで見送りを受けて、ごんcarで千歳へ向かう。初の海外へは大韓航空で韓国経由の約12時間だが、着いてもまだ27日という時差マジックでこの日はとても長かった。でもちゃんと買出しはすませて、YHでパッキング。買った米の一部が玄米で萎える。


5/28
 この日はちょっと街へ出て、午後にシャトルバスでタルキートナへ移動。荷分けをして終了。これで山に入る準備は整った。


5/29
 レンジャーステーションで手続きを済ませ、今日入山かと思いきやLPの天気が悪いらしく飛ぶことはできなかった。この日富山大4年の長坂心君に出会い、この先結構いっしょに行動することとなる。K2裏の東屋に天場る。


5/30
 この日はMaybe afternoon will be good.だかで期待持たされたが結局この日も飛べず。この先maybeに何度だまされたことか。村内観光や子供たちと遊んだりして時間つぶして沈。アメリカは里での生活が疲れる。早く山に入っちまいたかった。


5/31
 晴れ、777hPa
 朝から晴れていたが、夕方になってやっとOKで飛んだ。セスナは怖い。あんな小さいのが良く飛ぶもんだ。パイロットのお姉さんもなんだか頼りなかった。


6/1
 晴れ、776hPa→760hPa
 LP9:30−C1(7669ft)14:50
行動初日。荷物はザックに15、そりに25くらいか。カヒルトナ氷河本流への下りがそりを上手く操れずに苦労したが、そこからはただゆる〜い登りを、踏み固められたトレール上を歩くだけ。約8.5km。氷河マジックの存在を確認できた。クレヴァスは開いていなかった。天気がよくて意外と楽しかったがいかんせん暑すぎ。体感温度は真夏並。すれ違う外人たちに声をかけられても“Hello”と微笑むことしかできない。


6/2
 曇り→ガス、756hPa→697hPa
 C1/9:15―C2(9700ft)14:55
 朝少し雪が積もっていた。今日もトレール上を行き、ski hillの登りにかかる。傾斜はさほどないが途中20cmくらいのオープンクレヴァスが一ヶ所あった。後はずっとトレール上を行く。デポ旗が近い間隔で打ってあって、トレールをはずすことはない。ホワイトアウトの中C2に着いた。


6/3
ガス→晴れ、697hPa→663hPa
C2/10:30−C3(11000ft)12:50
 C3までほんのちょっとの移動。ここは人が多い天場で、心さんと再会。少しスキーで遊んでみる。C2とそんなに変わらない高度なのに少し息苦しかった。Mは場所じゃんでやっと勝ったのに自ら入り口を選んだ。結局場所はこの後固定になる。


6/4
 晴れ、661hPa→600hPa→661hPa
 C3/11:20−cache(13600ft)16:00/45−C3/17:55
 まずはモーターサイクルヒルという少し急な斜面。上部で30度くらい。渋滞の中に混じって登っていく。ウィンディーコーナーはクレヴァス帯が横にあるが、トレール上は問題ない。食料をデポして下りる。途中までALはスキーで。下りはザイルをつなぐと難しいしうざい。この日下りてきた単独の女の人からガソリン少しと、肉、クリフバーをもらった。おれがもらったのにじゃんに負けてクリフバーは食えなかった。この女の人は10日で終わらせたらしい。パワフルな女性だった。


6/5
 晴れ時々ガス、663hPa→588hPa
 C311:35−cache16:45/17:30−BC(14300ft)19:25
 いよいよBCに入る日。BCからが本当の始まりな気がする。最初の登りで外人Pを抜かして、いつも通り歩いていったのだが、Lは思うように動けずかなり消耗していた。cacheを掘り出して超スローペースでBCにたどり着いた。ここからは玄米とはおさらばで、インスタントライスの雑炊となるが、これまたまずい。食感が白米とは全然かけ離れていた。さすがに空気が薄い。

〈ここまで文責:田戸岡〉



6/6
 休養日
 起床12時。目覚めはさほど良くないが、昨日感じた頭痛は消えていた。今日は休養日で気持ちに余裕がある。塗り溜まった日焼け止めで顔が白くなっておりとても気になる。食事をした後BC内を散歩する。レンジャーテントを発見し天気について質問してみると、明日は雪だといっていた。散歩を終え、夕飯を食べ眠る。


6/7
 晴れ、595hPa→546hPa→594hPa
 BC10:50−ウエストバットレス上のデポ地(16200ft)15:20/15:50−BC16:55
起床7時40分。飯を食べ出発。やはり朝の冷え込みはかなりのものである。黙っていると手足がじんじん痛んでくる。ぼくらの前にはかなりの数の先行パーティーがいる。ゆっくりゆっくり登っていくが、やはり4000mを越える高度の中では、そのスピードでも息が切れてくる。途中2ヶ所のクレバスを越え、fixロープの取り付まで行く。そこから100mほどfixロープを使い登る。傾斜は平均45度といったところだろうか。そこを上りきると視界が開けてきて、バットレス上に出る。稜線上は風がなかなか強い。バットレス上に出てすぐのところにデポポイントがあり、そこにデポし、来た道を下る。BCを上から見ると改めてその大きさに驚く。


6/8
 ホワイトアウト、停滞、592hPa
起床11時30分。今日は風が強く、悪天のため停滞とする。近くにいた、富山大の人を招待して、ひたすらトランプにのめり込む。気付いた時には19時30分を回っていた。早々に飯を食い眠る。


6/9
 ホワイトアウト→雪、停滞、589hPa
起床7時40分。風がわずかにあり、外を見るとガスがかかっているため8時30分まで時間待ちすることにする。その後も天気不安定のため、今日も停滞することにする。飯を食った後、残りの食料と燃料を確認してみる。その時分かったのが、燃料が恐らく足りなくなってしまうことであった。その対策について話し合った結果、行動水を冷たいまま持っていくということになった。その他にも、今後の行動予定を考え直す必要も出てきた。燃料に余裕がなくなったことで、みんなの心の中の余裕もなくなり始めていた。


6/10
 晴れ→ガス、587hPa→666hPa、BC10:00−C311:40
[BC10:00−デポ12:30/13:20−BC14:20/15;30−C317:00]
起床4時30分。当初の予定では、今日はHCへ荷上げする予定であった。しかし、行動を開始してまもなく尚樹さんが体調不良を訴え、行動を中止。即レンジャーテントに向かう。1時間ほど後戻ってきた。ドクターの診断は、“肺水腫”とのことで、一刻も早く高度を下げる必要があるとのことだった。ドクターの指示通り、テントを撤収して必要最小限のものを持ちイレブンキャンプを目指す。が、ザイルをウエストバットレス上にデポしているため、今後の事を考え馬詰さんがデポ回収に、自分が尚樹さんについて行くというふうに分かれた。イレブンキャンプに着き残りの日数を考え、もう本当に余裕の無いことに気付く。近くに日本山岳会の気象観測隊のテントがあった。彼らが着たからには今後好天が続くのだといっていた。そうなってほしいものだと心から思った。


6/11
 晴れ、668hPa→670hPa
 C313:00−BC16:15/17:20−C318:15
起床10時30分。昨日荷下げした食料が少なかったので、尚樹さんを残して二人で再びBCに向かう。今日はかなりのハイペース。途中、日本人の方に会い燃料を分けていただく。これで燃料不足の問題は解決した。その後もハイペースでBCまで。さすがに疲れた。下りはスキーで。結構パウダーではあったが、少し視界が無くなってきていた。モーターサイクルヒルはアイゼンで下りC3まで。疲れた。


6/12
 晴れ、676hPa、休養
起床11時30分。外を見てびっくり、夜のうちに1m以上雪が積もっていた。飯を食って茶を飲み、交代で除雪をするがその後も永遠に雪は止むことなく降り続いた。雪の降り方も日本とはスケールが違うなーとつくづく感心してしまう1日だった。


6/13
 快晴、678hPa→599hPa、C312:15−BC18:45
起床9時30分。今日は山に入ってから一番天気が良く、景色が最高に素晴らしかった。特に、ウィンディーコーナーから見るカヒルトナ氷河本流とフォーレイカには、皆見とれてしまった。最高の天気に皆の足取りも軽く、順調にBCに入る。BCで富山大の人を見付け話をすると、以前自分たちと共にBCにいた他の日本人の方達が、皆ピークアタックしていることを聞かされた。俄然やる気が出てきた。


6/14
 晴れ、598hPa→531hPa
 BC12:30−ウエストバットレス上デポ地15:40/16:05−HC(17150ft)18:00
起床9時30分。昨夜からテントの外では、風が凄まじい音を立てて吹き続けていた。朝方風が弱まり、HCに向け出発する。ウエストバットレスへの登りは、軽いラッセルをしたぐらいで特に問題なく通過。バットレス上に出ると、結構風が出てきて冷たく感じる。その後、デポを掘り出し稜線上を行く。岩が出ている所もあり、かなり高度感があり緊張を強いられる。途中2箇所fixザイルがある。そうしてHCに到着。ここも雪ブロックの積まれた天場があり、使う。トイレもある。が、BCのものに比べてかなり汚い。ここは風が吹き抜けかなり寒く感じる。でも景色は素晴らしい。遥か遠く氷河の末端まで見え、感動ものである。


6/15
 晴れ上部笠雲、532hPa、停滞
起床6時40分。風がかなり強く、デナリパスより上には、絶えずかさ雲がかかっていて停滞。食料を2日分しか上げていないため、明日好天になることだけを祈る。今日、入山して初めて無線でレンジャーの天気予報を聞いた。それによると、明日から良くなるそうだ。期待して眠る。


6/16
 快晴、532hPa→469hPa→599hPa
 HC8:05−デナリパス9:25/40−summit14:00/40−HC16:55/18:00−BC20:00
起床5時10分。テントの外を見ると無風快晴。絶好のアタック日和である。早々に準備を済ませ出発。デナリパスへのトラバースには、しっかりしたトレールがあるが結構高度感がある。さらに日陰になっていたため、体を動かしていても手足が冷える。デナリ北峰を間近に望みながらデナリパスで小休止。ここから100mほど登ったところに気象観測隊の測定器を見つける。ワイヤーだけの簡素なものだった。その後も、ひたすらもくもくと登り続ける。背に日の光を浴び、暑いくらい。高度のせいで、繰り出すその一歩一歩がとても重く感じる。息も続かない。アーチディコンズタワーを通過し、フットボールフィールドに出る。かなりだだっ広いところだ。そして、ここから前面に最後の上り坂がそびえ立っている。150mはあろうか。上部の方は結構急になっている。そしてついにピークへ。皆喜び、感動し、絶叫した。ぴーくからの眺めは最高。果てしなく大小の山々が続き、そこに氷河や湿原が入り混じっていて、そして自分より高いものは何も無い独特の景色。ピークでの40分はあっという間に過ぎていった。それから来た道を下る。が、さすがに皆疲れた様子で、HCに着いた頃にはもうくたくたになっていた。それでも気力を振り絞り、テントを撤収し、BCまで降りる。高所での今日の長時間行動は、本当にきつかった。ピーク登頂祝いとばかりに、飯をたらふく食い、喜びを噛みしめつつ眠りにつく。

(ここまで文責:石川)



6/17
 晴れ、596hPa→594hPa、REST
12時に起床。きょうも晴れだ。先に下山していった登研の方々に頂いた、食料を食べる。焼きそばはうまかった。その後、ウエストバットレスへの斜面でスキーをするなどして思い思いにのんびりする。


6/18
 晴れ、592hPa→779hPa
 BC14:00−LP23:10
14時にBCを出発する。下りのそりを引きながらのスキーはやはり難しい。横にゴロゴロと転がったりするがC3に下るころには要領を得てきた。途中、ロープを持ったALが先に行き過ぎるということでLとALの間で口論となる。が、その場でおさめる。その後は、美しすぎる景色の中をスキーで快調に下る。幸せを感じた。C1から先はクレバスが多いのでロープを結ぶ。やはり、往きよりも格段にクレバスの量が増えていた。途中、Lが滑りにくいといってロープを外れる。夜も10時を回るとさらに美しくなる。静寂の中、時々両岸の雪崩の音を聞きながら歩く。23時10分L.Pに到着。長かった山行も明日セスナに乗って終了だ。


6/19
8時過ぎに起きるが大湿雪。テントの中でうだうだ。夕方にL.Pにいるみんなで滑走路の雪踏みをして滑走路を作る。その晩、もう寝ようとしていると今から飛行機がくるという。急いでテントをたたみ荷物をまとめて滑走路脇に立つが、今度は、飛行機は天気が悪く引き返したとのこと。ガックリ・・・


6/20
8時に用意して待てと言われたのにやはり飛ばないとのこと。ひどい。そしてその日は飛ばなかった。早くシャワーを浴びたい・・・


6/21
今日も天気は悪い。そろそろ最終下山日が迫ってきた。時差で日本のほうが1日早いし。というわけでセスナ会社のテントから小泉先生にその旨を国際電話で伝えてもらうよう頼む。ところが、後日わかったことだがその連絡はなされていなかった。K2はダメです。


6/22
快晴だ!!!やっと帰れる。やはりK2なかなか来なかったが、無事にタルキートナに到着。23日間のこの山での生活もやっと終わった。
タルキートナの町ではひとつの事件が起きていた。デリピザが火事で焼失していたのだ。仕方ないので昼はハンバーガーを食う。ウメ―!夜はビーフステーキ、サーモンステーキ。ウメ――!夜、町をぶらついていたら南裏さんと、加藤さんに会う。ブルガリア人や、キルギス人も一緒になってK2前のベンチで飲む。いろんな話を聞けて大いにモチベーションを刺激された夜だった。


6/23
田戸岡はタルキートナに残り、石川と馬詰はシャトルバスでアンカレッジへ移動。アンカレッジで、心さんと再会。話が弾む。夜は、スーパーでステーキやカニを買ってユースホステル料理して大ご馳走。ウメ――!


6/24
ユースホステルで自転車を借りて3人でサイクリング。海沿いに走る。気持ち良いが蚊の大群には閉口した。午後、心さんが隣の空き店舗に寝させてもらっているというFur Alaskaという店に行く。そこの主人のジャックさん(日本人の父親を持ち日本語が堪能)にいろんなお話を聞かせてもらう。しきりに英語の重要性を話してくれた。そして世界中に彼女を作れと。ジャックさんには日本の登山家、探検家が多くお世話になっていて植村直巳や、山田昇も名刺を置いていっていた。ぼくらの名前もその壁に貼らせてもらう。夜は、レストランでうまい飯をたらふく食う。ウメ――・・・。深夜、タクシーで空港へ。心さんは国内線なのでここでお別れ。ぼくらも国際線ターミナルで、タルキートナから直接空港にきた田戸岡と合流した。


6/25・26
ワールドカップの韓国の準決勝戦で盛り上がる中、大韓航空で、韓国経由で千歳へ帰国する。機内では爆睡していたのであっという間であった。空港に車で迎えにきてくれた澤田と、札幌へ。

(ここまで文責:馬詰)


 
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