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02デナリ遠征 »

Live in Mt. Denali, Alaska for a month.

By Naoki Tadooka

 5月27日。ついにアラスカに旅立つこの日が来た。この日のために数ヶ月前から多くの時間を費やしてきたのだ。初めての国際線は緊張のあまり(?)ビールを何度もおかわりし、スッチーに冷ややかな目で見られた。機内食は美味いと聞いていたけど、私はそれほどうまいとは思わなかった。量も少ないし、その分ビールにいってしまったのであろう。韓国で乗り換え、時間をさかのぼってアラスカの地に着いた。はじめて生で見るアメリカはやはり日本とは違って新鮮だった。昔から、今まで行ったことのない場所に行くとわくわくするのであるが、このときは違って、どきどきしっぱなしだった。一人じゃなくて良かった。

買出しをして、シャトルバスでタルキートナへ向かう。町を少し出ると景色は一変して自然がいっぱいのアラスカンな雰囲気になった。遠くの山には残雪があり、カール状の地形が広がっていて、道の横には一様にカンバとトウヒしかなくて、奥に湿原がある所もあった。やはり私は熱帯林の鬱蒼とした雰囲気とかよりも北方林のどこか凛とした雰囲気のほうが好きだ。名前は同じでも石川直樹とはまったく逆の意見だ。ここは冬に来たらとてもいい感じなのだろうと想像する。オーロラとかがかぶったらもうたまらない。タルキートナに着き、荷分けをしてあとはセスナで氷河に降り立てば長い戦いの始まりだ。という我々の志気を萎えさせるかのように悪天で2日間足止めを食った。

5月31日入山。下部氷河は日高の林道とおんなじで、登りが始まる前のアプローチに過ぎない。が、慣れないそりや、氷河の輻射熱などに苦しめられて、C3に着くころには結構疲れていたのかもしれない。ここからいよいよhorizontalな移動よりもverticalな移動の割合が強くなる。“登る”という感覚が私のモチベーションを高めた。そして酸素分圧も地上の6割程度へとなっていくのである。しかしこの辺から、普段の北海道での感覚では行動できなくなってきていた。BCに入った日はもうへろへろで、あんなにばてたのは2年目以来なかったと思う。ここにきてやっと丸一日休養の日。何もしなくて良いというのがとても幸せに感じられる。微熱もあり、調子は悪かったが、次の日の16000ftへの荷揚げは問題なくこなした。次の二日は天気がよくなくて停滞だったが、このあたりでまた体調が下降線をたどるようになった。すこし呼吸に違和感があり、咳き込むようになったが、特にむくみ頭痛もなくそれほど苦しいわけでもなかったので、最初は軽い風邪としか思わなかった。しかし結果的にそれは甘い考えだった。次の日HCまでの荷揚げに出たとき、一気に症状が悪化して出てきた。のどにからんだ痰を出すと、血が混じったような色が付いていて、歩き出すと、体が自分の思うように動かなかった。やばい、肺水腫だ。

BCのメディカルテントに見てもらいに行くと、予想通り軽い肺水腫という診断だった。彼は、11000ftに下りて、数日休んでもう一度あがってくれば大丈夫だと言ったが、私はもう終わったと思った。私のためにパーティーをC3に下ろしてうだうだしていては時間的にも天気的にもピークはかなり遠ざかってしまう。どうするべきかいろいろ考えたが、どうにも混乱していて短時間でまともな判断ができたかわからなかったし、もうその時点で私に発言権は与えられていなかった。Lとして、常に余裕を持ち冷静に的確な判断をしなければならないのに、それ以前に自分の体調のことすらちゃんと把握できていなかったのだ。そんな自分が情けなく、そして何より元気な二人に申し訳なくて、涙があふれそうになったが、サングラスがそれを覆い隠してくれた。結局C3まで下降し、回復させるべく2日間休養を取った。

そしてある程度回復し、再度BCに入ったが、ザックが軽かったこともあり、着いた時には疲労も無くて体調の回復を確信した。一旦底をついたモチベーションは一気に上がり、心はすでに6194mにあった。この時点で13日。残りは一週間程度であった。そして次の日。天気周期が良くなっていたので一気にHCまで上がってしまうことにする。さすがに全装ではつらい登りだった。風も少しあり、薄い空気をさらに薄く感じさせた。HCに入り、これ以上うえに泊まることはない。一泊した後も特に体調に変化はなかった。あとは一日。一日だけ上に登ればいいのだ。初めてのこんなに長い山生活。日本が恋しくてたまらなかった。

いよいよアタックの日。どうぞ登って下さいと言わんばかりの快晴無風のアタック日和り。どんどん体験高度を更新していく。そういえば私は旭岳の2000mちょいがいままでの最高高度だった。それが今は、その3倍近い高さを目指して歩いているのだ。先行するMを追いかけるように、数歩に一回休みながら歩いていった。高度の影響か、普通に呼吸が苦しく、たまに横にふらついたりする。10キロもないようなザックが肩に食い込むように重く感じる。直下の数百mの登りでは、ふと気を抜いたら眠ってしまうのではないかというほどで、精神力だけで意識を保ち、足を動かしていた。そうしている間に、いつのまにか頂上に着いていた。全員で写真を撮って、叫んだ。今までずっと思っていたことをできる限り大きな声で叫んだ。結局日本までは届かなかったらしいが。そろそろ下りようとした時、40分もそこにとどまっていたことに気づいた。後は下るだけだが下りも気は抜けない。なかなか思うようにペースをあげられず、前の二人にどんどん離された。HC。もうそのままシュラフにもぐり込みたかったが、もう食料はないし、BCの濃い空気で眠りたかった。下り、ウエストバットレスも気は抜けず、一歩一歩に気をつかった。長い一日を終えて、BCでやっと安心して落ち着くことができた。やはり全然空気が濃く、生き返ったような気分だったが、テントで体温を測ってみると38.1℃もあったのだ。そんなんじゃ消耗して当然だ。体調管理の甘さをここでも痛いほど感じた。

次の日の休養をはさんで、ついにLPへ下りる日が来た。一番長く滞在したBCともお別れである。荷分けじゃんで負けて、一番重い食料が当たってしまった。C3まではそりスキーじゃとても下れない。途中でスキーも引きずることにしたが、それでもそりが言うことを聞かなくて消耗。しかしC3より先ではきれいなターンはできないが、ボーゲンやシュテムターンを駆使しつついい感じで滑れて、やっとここまでスキーを上げた意味があった。氷河スキーの開放感は日本では絶対に体験できないすばらしいものだった。写真にうまく写らなかったのが残念だ。C1付近の氷河は、新しいオープンクレバスがばっくり開いていたりしてびっくりしたが私はそれほど怖いとは思わなかった。一応ザイルをつないで下りることになったが、スキーで滑りながらというのは相当な無理があった。私はその状況に耐えられず、こけた所でザイルを抜けた。このことがALに大きな衝撃を与えたらしい。反対だった私がそれほど考えずにコンテを受け入れてしまったのにも問題はあったが。このことに限らず、パーティー内の考え方の相違は今山行ではとても多かったし、大きかったと思う。それがアラスカでの一ヶ月間私にストレスを与え続けていた。体調を崩してパーティーに迷惑をかけてしまったという意識、また高度の影響で、強く主張できなかった自分にも多大な問題があったとは認識しているが。そういった色々な要素が私に精神的孤独を与えていた。LPで今回の山行を振り返り考えると、いろいろなことが頭に浮かんだ。ここでタイミング良く、出発前からずっと左手首につけていた友人からのお守りが、山行の終わりに合わせるかのようにその役目を終えて切れた。このお守りは私のモチベーションをいつも高く保ってくれ、感謝の念が絶えない。

フライト待ちを終え、タルキートナで本を買い漁ったのち、一ヶ月の長い戦いを終えて帰国の途についた。帰国後は、一瞬で日常に引き戻されることとなる。報告書、卒論、院試、夏メインと、先月はずっと山にいたなんてことは考えられないくらいである。やはり山は刹那的な性質のほうが強いのだろうか。今はまだよくわからない。そのうちきっとわかるようになるだろう。

準山―メインのサイクルに縛られて、部の持続存続のため、技術伝達のための山登りが大部分を占めるようになっている現状に嫌気が差した。自分が登りたい山に、自分が登りたいから登る。そんな純粋な山行を求めた。しかし、大学山岳部の上級部員として、リーダーとして山に行く際には常に責任とプレッシャーが付きまとう。魂を削りながら登るような思いで果たした頂上も、今思えば箱だけで中身の無い、登頂したという事実だけを求めてしまっていたのかもしれない。憧れを持って絶対に登りたいと思っていたピークも、いつしか立たなければ帰れない、面目がたたないという対象に変わってしまっていたのだ。ピークを踏みしめた瞬間に無意識のうちに流れた涙は、いったい何を思って流れた涙だったのだろうか。楽しんでこようと出発した山行を、純粋に楽しむことができたのだろうか。今後も上級部員としてパーティーを組んで山に向かう以上、またそういった自問自答をすることがあるのかもしれない。まだフライト待ちのLPで書いているから今はこんなことを考えてしまうのかもしれないが、下山後時がたてば楽しき青春の1ページとしてきざまれることと思う。そうなることを願う。

どんなにつらい思いをしてもちょっと時間がたてばすっかり忘れてしまって、また行きたいなぁと思うのが山に登る人たちの性質である。という自分もその一人で、また機会があったら氷河の山に行ってみたいと思う。それがいつになるかはわからないが。

一気に猛暑の札幌及び淋しきLPにて


 
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