OBの山行記録・ 2009年5月9日 (土)
【北日高】ポロシリ東カール滑降(おそらく初登)/米山(1984)
戸蔦別川から新冠川源流へ踊りこんで、幌尻の南東稜を登り、東カールを滑る。この季節だけに可能な日高最深部へのスキーアタック。晴天の三日間に恵まれて久方の日高最高峰再訪。
アタック日は1800mの尾根を往復二度越えて幌尻を往復する勘定だったが、スキーの威力は猛烈で、夏以上のスピードを出した。南東稜登攀も東カール滑降もおそらく初登、初滑降ではなかろうか。
(写真)トッタベツ川八ノ沢左岸尾根の頭よりポロシリの滑った全行程を振り返る。ポロシリの山頂から左に伸びる尾根が南東尾根。二本あるうち右のが登った第一支稜、山頂の真下が滑った東カール。
【年月日】2009年05月4-6日
【メンバ】米山(1984) , 斎藤(1987)
【天 候】三日晴天
【タイム】5月4日札幌(6:00)→戸蔦別川CO570の橋除雪終点車デポ(10:50)発→八ノ沢二股(13:30-50)→八ノ沢左岸尾根標高1440C1(16:40)
5 月5日C1(5:30)→八ノ沢左岸尾根頭(6:30)→新冠川へ下り1210二股(7:30-8:00)→幌尻岳南東尾根経由→幌尻岳 (11:30-12:00)→東カールを滑降→1210二股(12:45-13:15)→左岸尾根頭(15:20-40)→C1=C2(16:20)
5月6日C2(8:00)→左岸尾根1296南のルンゼ経由八ノ沢合流(8:30)→八ノ沢二股(9:00)→車デポ(11:40)
戸蔦別川林道は、1570びれい橋まで除雪してあった。この先カタルップ沢を越えるあたりで道が怪しくなる。この流域が卒論の山域で、何十回も通って全部の支沢を登った斎藤によれば90年代初頭は8の沢まで鼻歌で車が入ったそうだが、今や藪に覆われている。バブル期を最後にブル道も野生化していく。
八ノ沢左岸尾根に取り付くため渡渉点を求め、八ノ沢を100mも登ると雪がつながっている。その辺のルンゼが上のほうまで雪がつながっていそうなので、そこからシートラで100mほど直登。伐採用ブル道が交錯してくると、ほどなくシールで行ける傾斜になり、尾根を登る。ブッシュもなく快適。この尾根も八ノ沢右岸尾根もともに伐採用のブル道がザクザク入っている、20年前の。単調ながら気分良い尾根の登り。ベートーベンの交響曲3番を通しで3回くらい頭の中で演奏する頃、とんがり野郎のトッタベツ岳が見えてきた。お久しぶり、21年ぶりかな?
夕方いい時間になったころ、幌尻アタック圏に入ったので天場とする。ピパイロが見える天場。ツエルトを張って焚き火。持参した手回し充電ラジオをグルグル回すとバッハの無伴奏チェロソナタやビバルディーをやっていた。司会は岩槻さんだった。月は半月ながら晴れ渡った雪の尾根を照らし、明日のやる気をマンマンにさせる。月光のバロック。
翌朝、左岸尾根頭まで1時間で登る。懐かしの白い北日高全景だ。五月といえどもなかなか白くて捨てたもんじゃない。行く手のニイカップへ下る沢は傾斜はあるが雪はたっぷり。渡渉予定の標高1200付近もまだまだ大丈夫そう。向かいの幌尻岳の大カール群は無垢の純白。あそこに一筋トレースを付ける。左岸尾根頭と1803のコルから沢に滑り込む。上部は急、下部はルンゼ状だが悪いデブリ等は無く、概ね快調に1200まで。あっという間だ。渡渉点で七ツ沼カールからの沢の水を飲み対岸へ。
この東カール下部の緩い尾根はカンバの大木が疎林になっていて美しいところ。円形競技場のような幌尻のカールヴァントを眺めながら牧歌的に進む。この広い新冠川源流カール群、快晴の連休なのに独占貸切だ。南東稜へは顕著な第一支稜からとりつく。難所無く、山頂までスキーで行ける。この支稜は両側がカールに削り取られ、最高の歓迎ムード。まるでエサオマンの北尾根のようだ。山頂5分前からガスに覆われる。更にこちらから登ってもニセピークにだまされる。幌尻ってこういう奴だった。思えば前回、前々回もそうだった。ガスの中だが、この春相次いで世を去った僕のお師匠さん、原眞と忌野清志郎を山頂にて密やかに偲ぶ。原さんは確か学生時代の総仕上げとしてこのポロシリで未踏の西稜をプイラルベツ沢から1960年頃冬期初登していたはず。電話が通じたので家族にかけたらお誕生日おめでとうだって。忘れてた、今日誕生日だった。山頂で晴れるのを待つが、きりがないので視界50mの中、東カールへ飛び込む。傾斜は登りながら確認したし、下のほうは晴れるだろう。しかし、緊張の時だ。滑落して、400m止まらなかったら困る。
滑降始めてみると、雪は軟らかかった。少し下りればガスも消えた。先週降った季節はずれの新雪がマダラ上になっていてそこで抵抗がガクッと来るのを除けば、快適な滑降。無人のカールボーデンまできゃあきゃあ言いながらスピードを楽しんだ。あっという間に渡渉点。スキーの機動力恐るべし。
左岸尾根頭までの登り返しは、渡渉点で水飲み放題だったので馬力も出た。下った時は急に感じたが登りになると意外に余裕でシール登攀できる。午後三時台に、この600mの登り返しをつべこべ言わずにやれるパーティーだけが無垢の新冠源流を満喫して良い。
左岸尾根頭で逆光の幌尻を眺める。登って下って登って下って登って下る行程だが、スキーも使えない国境稜線を延々アタックするよりは、スキーで一直線の、潔いルート取りではなかろうか。計画の美しさと結果に大いに満足した。エサオマンやナメワカのカールもこの調子で滑ろうと、夢は広がる。ナメワッカ北面直登沢の直上振りも堪能。
(写真)トッタベツ川八の沢左岸尾根よりエサオマン北カール
ここ左岸尾根頭から天場までは日高によくある急傾斜、右は雪庇、左はブッシュの幅3mの尾根という下り。スキーにとってはイヤーなこういうコースも斎藤は上手い事滑る。細かくターンで減速し、あっという間にC1へ消えていく。
のどかな夜、風もなく十勝平野の灯りがゆれていた。
翌朝は左岸尾根の1296コルから直接南に八ノ沢に降りるルンゼを滑り降りた。尾根を下りるより快調。八ノ沢の中もブリッジ繋がっていて、二股までOKだった。この季節はこれだから早い。トッタベツ林道にあがると、直径二十センチ強のデブ熊の足跡が先導している。爪が雪を蹴散らした雪屑なども残っていて、たった今通ったホヤホヤ。行く先が同じようなので仕方なく付いていく。ホーイホーイと声を枯らしてコールしながら。(写真)デブクマの足跡
五月は適当な山域で遊んでいる場合ではない。一年で最も奥深くまでスキーで進める。雪崩もゴルジュも皆解決の、長距離弾道スキーの貴重な季節だ。
アタック日は1800mの尾根を往復二度越えて幌尻を往復する勘定だったが、スキーの威力は猛烈で、夏以上のスピードを出した。南東稜登攀も東カール滑降もおそらく初登、初滑降ではなかろうか。
(写真)トッタベツ川八ノ沢左岸尾根の頭よりポロシリの滑った全行程を振り返る。ポロシリの山頂から左に伸びる尾根が南東尾根。二本あるうち右のが登った第一支稜、山頂の真下が滑った東カール。
【年月日】2009年05月4-6日
【メンバ】米山(1984) , 斎藤(1987)
【天 候】三日晴天
【タイム】5月4日札幌(6:00)→戸蔦別川CO570の橋除雪終点車デポ(10:50)発→八ノ沢二股(13:30-50)→八ノ沢左岸尾根標高1440C1(16:40)
5 月5日C1(5:30)→八ノ沢左岸尾根頭(6:30)→新冠川へ下り1210二股(7:30-8:00)→幌尻岳南東尾根経由→幌尻岳 (11:30-12:00)→東カールを滑降→1210二股(12:45-13:15)→左岸尾根頭(15:20-40)→C1=C2(16:20)
5月6日C2(8:00)→左岸尾根1296南のルンゼ経由八ノ沢合流(8:30)→八ノ沢二股(9:00)→車デポ(11:40)
戸蔦別川林道は、1570びれい橋まで除雪してあった。この先カタルップ沢を越えるあたりで道が怪しくなる。この流域が卒論の山域で、何十回も通って全部の支沢を登った斎藤によれば90年代初頭は8の沢まで鼻歌で車が入ったそうだが、今や藪に覆われている。バブル期を最後にブル道も野生化していく。
八ノ沢左岸尾根に取り付くため渡渉点を求め、八ノ沢を100mも登ると雪がつながっている。その辺のルンゼが上のほうまで雪がつながっていそうなので、そこからシートラで100mほど直登。伐採用ブル道が交錯してくると、ほどなくシールで行ける傾斜になり、尾根を登る。ブッシュもなく快適。この尾根も八ノ沢右岸尾根もともに伐採用のブル道がザクザク入っている、20年前の。単調ながら気分良い尾根の登り。ベートーベンの交響曲3番を通しで3回くらい頭の中で演奏する頃、とんがり野郎のトッタベツ岳が見えてきた。お久しぶり、21年ぶりかな?
夕方いい時間になったころ、幌尻アタック圏に入ったので天場とする。ピパイロが見える天場。ツエルトを張って焚き火。持参した手回し充電ラジオをグルグル回すとバッハの無伴奏チェロソナタやビバルディーをやっていた。司会は岩槻さんだった。月は半月ながら晴れ渡った雪の尾根を照らし、明日のやる気をマンマンにさせる。月光のバロック。
翌朝、左岸尾根頭まで1時間で登る。懐かしの白い北日高全景だ。五月といえどもなかなか白くて捨てたもんじゃない。行く手のニイカップへ下る沢は傾斜はあるが雪はたっぷり。渡渉予定の標高1200付近もまだまだ大丈夫そう。向かいの幌尻岳の大カール群は無垢の純白。あそこに一筋トレースを付ける。左岸尾根頭と1803のコルから沢に滑り込む。上部は急、下部はルンゼ状だが悪いデブリ等は無く、概ね快調に1200まで。あっという間だ。渡渉点で七ツ沼カールからの沢の水を飲み対岸へ。
この東カール下部の緩い尾根はカンバの大木が疎林になっていて美しいところ。円形競技場のような幌尻のカールヴァントを眺めながら牧歌的に進む。この広い新冠川源流カール群、快晴の連休なのに独占貸切だ。南東稜へは顕著な第一支稜からとりつく。難所無く、山頂までスキーで行ける。この支稜は両側がカールに削り取られ、最高の歓迎ムード。まるでエサオマンの北尾根のようだ。山頂5分前からガスに覆われる。更にこちらから登ってもニセピークにだまされる。幌尻ってこういう奴だった。思えば前回、前々回もそうだった。ガスの中だが、この春相次いで世を去った僕のお師匠さん、原眞と忌野清志郎を山頂にて密やかに偲ぶ。原さんは確か学生時代の総仕上げとしてこのポロシリで未踏の西稜をプイラルベツ沢から1960年頃冬期初登していたはず。電話が通じたので家族にかけたらお誕生日おめでとうだって。忘れてた、今日誕生日だった。山頂で晴れるのを待つが、きりがないので視界50mの中、東カールへ飛び込む。傾斜は登りながら確認したし、下のほうは晴れるだろう。しかし、緊張の時だ。滑落して、400m止まらなかったら困る。
滑降始めてみると、雪は軟らかかった。少し下りればガスも消えた。先週降った季節はずれの新雪がマダラ上になっていてそこで抵抗がガクッと来るのを除けば、快適な滑降。無人のカールボーデンまできゃあきゃあ言いながらスピードを楽しんだ。あっという間に渡渉点。スキーの機動力恐るべし。
左岸尾根頭までの登り返しは、渡渉点で水飲み放題だったので馬力も出た。下った時は急に感じたが登りになると意外に余裕でシール登攀できる。午後三時台に、この600mの登り返しをつべこべ言わずにやれるパーティーだけが無垢の新冠源流を満喫して良い。
左岸尾根頭で逆光の幌尻を眺める。登って下って登って下って登って下る行程だが、スキーも使えない国境稜線を延々アタックするよりは、スキーで一直線の、潔いルート取りではなかろうか。計画の美しさと結果に大いに満足した。エサオマンやナメワカのカールもこの調子で滑ろうと、夢は広がる。ナメワッカ北面直登沢の直上振りも堪能。
(写真)トッタベツ川八の沢左岸尾根よりエサオマン北カール
ここ左岸尾根頭から天場までは日高によくある急傾斜、右は雪庇、左はブッシュの幅3mの尾根という下り。スキーにとってはイヤーなこういうコースも斎藤は上手い事滑る。細かくターンで減速し、あっという間にC1へ消えていく。
のどかな夜、風もなく十勝平野の灯りがゆれていた。
翌朝は左岸尾根の1296コルから直接南に八ノ沢に降りるルンゼを滑り降りた。尾根を下りるより快調。八ノ沢の中もブリッジ繋がっていて、二股までOKだった。この季節はこれだから早い。トッタベツ林道にあがると、直径二十センチ強のデブ熊の足跡が先導している。爪が雪を蹴散らした雪屑なども残っていて、たった今通ったホヤホヤ。行く先が同じようなので仕方なく付いていく。ホーイホーイと声を枯らしてコールしながら。(写真)デブクマの足跡
五月は適当な山域で遊んでいる場合ではない。一年で最も奥深くまでスキーで進める。雪崩もゴルジュも皆解決の、長距離弾道スキーの貴重な季節だ。
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コメント一覧
米山
投稿日時 2009-5-10 20:56
コロンブス卵ね。イグルー山行始めたときもそうだった。思いこんでいる、定番になっている方法の脇に、隙間に道がスーッと見えることがあるのです。
さわがき
投稿日時 2009-5-9 23:41
このルート,コロンブスの卵ですね.東カールの滑降はすでに山スキー部がやってそうな気配もあるので,もしかしたら初トレースではない可能性もあります.ルームとしては初かもしれませんが...
実はお二人が現場にいたころ,研究室で東カールの画像解析をやってました.私の脳内バーチャル的にはしっかり3Dイメージができてます.
夏の調査で,トッタベツBカールから尾根をのっこして七つ沼によく入りましたし.この上下行をみて,だいぶ昔にポロシリ北カールと東カールを何度も上り下りして観測機を設置したのも思い出しました.
実はお二人が現場にいたころ,研究室で東カールの画像解析をやってました.私の脳内バーチャル的にはしっかり3Dイメージができてます.
夏の調査で,トッタベツBカールから尾根をのっこして七つ沼によく入りましたし.この上下行をみて,だいぶ昔にポロシリ北カールと東カールを何度も上り下りして観測機を設置したのも思い出しました.