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    Re: 【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)...米山

記事・消息・ 2013年11月9日 (土)

10/26〜27に86周年になるヴェチア祭りが今年も催された。

峠越え:7名 車利用:10名、現役:13名(4年目1名、1,2年目6名ずつ) 以上宿泊30名、
日帰り:5名 合計35名が参加 


現役はチャリや車で買出し後14時過ぎに到着。峠越え組も雨にやられずに快調に歩き15時頃到着。17時過ぎには皆揃って、主任幹事のT君の乾杯で前夜祭が始まる。倒壊トイレの解体材や買った丸太で豪勢な焚き火を囲む。途中から霧雨模様になり、タープもあったが気にせず火の回りで酒を酌み交わす。


メニューは前菜のラーメンサラダからメインはポトフに、キムチ鍋、今回もダッジオーブンが活躍し、パエリアや手羽元と野菜丸ごとロースト、丸ごとかぼちゃの焼きスイーツなど舌の肥えたOB達を満足させた。



現役1、2年目が計12名と増えてリーダースタッフが少ないのが悩みだが、皆頼もしく今後が楽しみ。各自自己アピール。A間氏からは空沼小屋改修について熱い思いが語られた。
海外遠征や現役の参加の可能性など中身が濃い話が続いたが、全員が自己紹介する前に酔いが回る。ハーモニカ、笛が登場したり、歌を歌った。翌日が現役2年目のG島君の20歳の誕生日で手作りの抹茶シフォンで祝い、ハッピーバースデーを歌った。


朝起きると雨や霙でタープがひっくり返っていたりした。うどんの朝飯後I村夫婦が手作りのりんごパンを差入れ。ついでN元会長夫婦がサラダロールパンとコーヒーを振舞ってくれる。丁度紅茶などの用意を忘れたので早めの美味しいランチとなった。

小屋前での記念写真後、現役は薪割り、床のワックス掛け後10時過ぎに解散。

記事・消息・ 2013年11月6日 (水)

今冬の豪雪で崩壊したトイレの修復発注が北大からあったので、10月末に完成し使えるようになりました。


崩壊したあとの状況でねじれるようにつぶれたがテラスは無事でした。


4月の米山君のブログで知り、松本山岳部長が北大に修復依頼し、バイオトイレの検討もあったが予算の関係から従来型で復元となった。私の会社で製材等は調達し、同期のウッドワークショップの花井君の製作で現地で組み立てた。


塗装をしているのは勝亦君(2003入)。10/26〜27のヴェチア祭りでは現役やOBにも壁張りなど手伝ってもらった。


内部にもオイルステインを塗布。筋交も入れたが真冬〜雪解け時には屋根の雪が重くなるので、現役諸君には必ず雪下ろしを実行して欲しい。


便槽の関係で壊れる前と同じ位置に作ったのでキハダの木と接近しすぎて雪は落ちづらいし、いずれ木が太って接触してしまうので伐採しなければならない。また便槽が土で埋まって直ぐ詰まるかもしれないので、来シーズンは、その修復も必要だろう。

記事・消息・ 2013年4月9日 (火)

子供の春休み、ヘルヴェチアヒュッテに家族で二泊しました。わざわざ飛行機に乗って雪かきに行きました。
ついてみると小屋は大雪に埋まっていて、屋根と地続きになっていました。庇のしたの空隙は、イグルー内部のように快適です。ここに窓の外の窓を開けるのに、厚さ1.5mの雪塊にトンネルを掘りました。屋根上の雪の下部は密度重く、結構な重量です。全部で10トン弱はあるかもしれません。梁が沈んで、紅白の扉が当たってしまい、全開しませんでした。こんなの初めて。
隣の離れの便所は上に分銅のような雪を載せて轟沈していました。1.5トンはありそうです。建てたのは1985年だったかな。きれいな便所だったのに、ご苦労様でした。 小屋のテーブルには、立派な山スキー部の歌集がおいてありました。今年は北大スキー部100年記念、手稲山スキー登山100年記念で、山スキー部が近郊の山小屋巡り山行をしているようだ。
一日目はサイトー一家と雪かきと晩餐、子供は雪遊び。二日目は隣のスキー場で子供と滑りました。昨年八甲田山麓から金峰山山麓に引っ越してしまったので、懐かしのふんだんの雪がうれしいです。雪の少ない土地でのスキーはやはり何か無理があります。サイトーは天気がいいのにスキー場なんか滑っているのが落ち着かない様子。子供と一緒とはいえ、僕もやはり結局スキー場なんか滑っていてもそのうち飽きてしまった。
ランプの静かな薪ストーブの夜を堪能して三日目はお掃除と雪かきして下る。札幌湖というダム湖は昔無かったので物珍しい。 雪の無い土地に引っ越してみると、ヘルベチアのようなところがある札幌在住がとてもうらやましい。まあ、ヒュッテんレーベンやっているヒマあったらスキーで長距離山行しているだろうけれど。こどもはこういう小さなヒュッテが大好き。しかもここはフェイクじゃなくて本物なのだから。

記事・消息・ 2013年2月5日 (火)


京阪神のこの冬は、ごく普通に寒く1月26日の京都は時に雪が舞っていた。会場は京都駅八条口前のホテル。福井からの田中さんは雪による列車運行の乱れを勘案し昼にはホテルに着いておられた様子。


午後3時ごく普通に内藤支部長の乾杯の発声で開始したが、出席者予定者が一人足りず、もしやと思ってご自宅に電話したら電話口に出られた。日にちを間違え1週間前に一度宴会場に来た、との告白もあり、日本は今やごく普通にこう言う時代になったと感慨しばし。

記事・消息・ 2012年11月15日 (木)

3日夕刻、空は雲に覆われているも雄松浜あたりは打ち寄せる波も穏やかで、対岸の島影には薄っすらと夕陽が当たっている。湖畔での焚き火準備におさおさ怠り無く、愛用のノコやショベルを持参した須田さんがザックから道具を取り出すのももどかしく、そのノコを掴んだ内藤さんは、目星をつけた枯れ木に切りかかった。(記:岸本)

記事・消息・ 2012年10月31日 (水)

10/27〜28秋の澄んだ青空のもと、第85回?ヘルベチア祭に30名近くが集った。銭函峠越え:7名、車で:8名、日曜日帰り:3名そして現役は10名が参加した。


15時には峠越え組が到着し、早速安着祝い酒。現役は薪割りにディナーつくり。17時には小泉会長の音頭で乾杯。メニューは塩麹漬け焼き鶏肉とオリーブオイルサラダ、キムチ鍋、牛すき焼き鍋、ダッチオーブンで山菜炊き込みご飯と手羽元鶏肉入り野菜ボイル蒸し。さらにビールは生樽付き。皆からも差し入れがあってワインや地酒、焼酎、ウィスキーなど豊富。


米道さんからの栗甘漬けや手作りトマトジュースも最高であった。6名も入部した1年目現役の自己紹介に始まり全員の紹介。酔うにつれ勿論山の歌も。最近現役があまり歌わないのが少々寂しい。
1年目につい最近入部したというK君は何と1978入のサスネ君の息子だという。久々の話題である。また同じく1年目のG君が誕生日というので、誕生祝を昨年もらった紅一点のY嬢からの提案で彼にもケーキのお祝いがあった。
彼女は主任幹事を終えた4年目のI君に絡むと宣言して1対1で酒を交わしたが見事に負けて二日酔い。最後川に倒されたようで、翌朝も靴がびしょ濡れだった。OBは11時過ぎには就寝、現役は1時過ぎまで飲んでいたようだ。

翌朝はOBが朝明けると直ぐ起き出して焚き火を囲んでいた。コーヒー紅茶を飲み、朝食はカシワそば、薪割り仕事も前日に殆んど終わり、水源池や小屋の掃除をこなす。N前会長やカケス夫婦も来られ甘い差し入れを頂く。恒例の玄関テラスで記念写真。
ヘルベチア委員会も開催。3名の委員会であったが、今回山の会会長の推薦で私の後任はS君と内定。彼は現役山行の面倒も見るが私と同じ会社オーナーだから他の人よりは時間が取れるということで決まり。私も少し肩の荷がとれるが相変わらず小屋の薪や刈払いなど仕事絡みで関わりは切れないので、今までどおりバックアップはする予定。
晩秋のべチアを後にし、定山渓あたりが紅葉真っ盛りであった。

記事・消息・ 2012年9月28日 (金)



記事・消息・ 2012年8月14日 (火)

2011年 8月2日〜10日に豊橋で開催された「国際地質学史委員会(INHIGEO)2011年大会」で,吉田・渡辺両会員が発表した「地球科学の進歩における大学山岳部の役割−Academic Alpine Club of Hokkaidoの例」のFull Paper(英文)が、今回会議の論文集「Visual Images and Geological; Concepts: Proceedings of INHIGEO 2011 Japan」に収録、公表され ました.

AACHアーカイブサイトに収録しましたので,ログインしてご覧下さい
PDFファイル(約1MB)(要ログイン)

記事・消息・ 2012年7月30日 (月)


日高山脈のアイヌ語地名はカタカナにする時点で多少誤表記もあろうけれど、既に百年慣れ親しんだ(といっても少数の登山愛好家の間だけど)地名をケアレスミスで残されては無念です。
平成の大合併でヘンな市町村名が多数生まれたけれど、ご先祖から繋いだ地名は滅多な事で変えてはいけないと僕は思います。役所を統合整理するのはいいけれど、地名だけは残して欲しい。ヘンな名前を付けないで欲しいと思います。


https://aach.ees.hokudai.ac.jp/cpg-cgi/ph4.cgi?img=120721Do-shin

記事・消息・ 2012年7月16日 (月)

クライマーほど信仰に一途なやつらはいない。
7月15日、那智の滝を登っていたクライマーが警察に捕まった。神主が警察を呼んだそうだ。世俗上の罪状は不法侵入とか世界遺産云々とかだそうだ。
クライマーほど宗教的に真面目なやつらはいない。山岳信仰とか修験道とかお山参詣を、過去の、関係ない時代の宗教行事だと思っている現代の登山愛好家は多いかもしれない。けれども何でも現代社会の尺度で測るのをやめて見よう。ほんの数十年前の時代にこの国では「祈る」ということは、飯を食ったり、パソコンをやるくらい日常の行いだった。飯を食っては祈り、人が死んでは祈り、美しいものを見ては祈った。その時代に山が好きな人なら、多分100%修験道やお山参詣というスタイルで登山をしたと思う。彼らの書き残したものを読むにつけ、これは僕と同じアルピニストだ、と思う様になった。山への情熱、山への畏敬、山への尊敬、山への恋心。自分を越えた何か(神と呼ぶ事もある)に祈る気持ちになることを信仰というのだと思う。当然「征服」という言葉とは対局のもの。
現代の登山人種の中で、最もピューリタン(清教徒/原理主義者)な山岳信仰家は、ビッグウオールアルパインクライマーだろう。経験と技術と情熱と、すべてを揃えて那智の岩壁を見て、崇高なクライム信仰心が湧いたのだと僕は思う。
彼のことは10年以上前から知っている。まさにチベットジョカン寺のラマ修行僧のような男だ。名声に溺れて、とかいい気になって、とかいう世間の下世話で、ありがちな批判は全く当たらないと僕は思う。そういう無自覚な批判はそう言う人自身の世界観なのだろう?山は飲んだり食べたり「楽しんだり」しにいく場所だと考えている大方の登山愛好家には想定外なんだろう?
神主は何故警察を呼んだのだろうか。聖職者がまさか不法侵入に怒ったとは考えたくない。クライマーの安全の為でもないだろう。あの岩壁を既に100m登っていた者を、警察が安全に保護するという話ではない。
あの大滝岩壁に対する同じ信仰心を持つものとして、信仰の仕方が全く違う凄くピュアな信徒がいたことに嫉妬したのではないだろうか。一部発言を書いたと思われる新聞記事によれば「絶対に許せない」と告白していた。
しかしもし僕が神主だったなら警察は呼ばない。警察を呼ぶとマスコミが来て話が全く変わってしまうからだ。僕なら完登した彼らに会って、問うだろう。神を見たか?どんな姿だったのか?と。そして信仰者として異端者を制裁するだろうか。それとも和解できるだろうか。「祈る」「信じる」を忘れた世間の大方にとっては、この報道は「世界遺産の壁に落書き」レベルの話なのだろうが、それは違うと僕は思う。クライミングの篤い信仰心が既存神道の逆鱗に触れたのだと僕は捉えた。あの大岩壁は神道だけのものか。2700年続いたからって、異端の信仰家と共生は出来ないのだろうか?エルサレムのように。立山神社の御神体は北方の剱岳、浅間神社の御神体は富士山。御神体だから登ってはいけないという理屈は無い。これまで誰も登れなかっただけだったのだ。
神が冒涜されたと言い連ねるのは悲劇的だが、信仰とはそれも飲み込んで共存しなければならない事ではないのかと僕は思う。
僕らはピューリタンか俗悪かはともかく山岳信仰の信徒であると思う。やむにやまれぬクライム信仰心で登った彼を愚かだと言いたくはない。
 
 
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