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2012年3月20日 (火)
山ガールデビュー! 3/20朝日朝刊ほっかいどう版に連載6回目で紹介されました。3年目に木城がいて、水産で今は一緒に行動してないので唯一の女子というのは微妙だが、4月の親入生確保には良いPRになったかも。
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2012年2月2日 (木)
2012 年(平成24年)1 月28日(土)。今年は京都開催の番だったので、京都駅前のホテルセントノームにて新年宴会を執り行なう。東京方面からお三方の参加があり、計16名の盛会でした。(記録、写真:岸本)
特筆すべきはあと数日で94歳をむかえられる今村昌耕さんの昔語り。
共に過ごした時を できることなら瓶につめて取って置きたい という Time in a bottle という歌があるが、語っていただく今村さんのお話は、記憶をたどるなどという細い糸みたいなものではなく、瓶につめたあの頃(ペテガリ登頂前後)の琥珀色の時をどくどくと注ぎ出して、まあ一杯どうぞ、といわれたような圧巻。我々老人の域の皆も若者の如く聞き入りました。
夕刻散会となりましたが、多くは駅北側のビアホールでの二次会に流れ、更に何人かは滝沢さんの京都別邸、通称京都御所に上がり込み三次会をしたようです。比叡おろし吹く京の街も心なしか今宵はセピア色。
参加者(敬称略、カッコ内は入部西暦年)
今村(1937)、滝沢(54)、相田(58)、内藤(58)、田中(59)、高橋(59)、伏見(61)、益田(61)、川道(62)、須田(62)、名越(63)、浜名(67)、石松(73)、岡島(83)、岸本(65)
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2011年11月18日 (金)
第13回 冬山登山安全講習会の講師で話しました。
11月15日(火)夕方、北大の学内山団体、山岳部、ワンゲル、山スキー、フラテの学生とOBら50人くらいが集まって話を聞いてくれました。講演するのはほぼ初めて。資料配布無し、原稿なしの2時間だったので、備忘録として講演要旨を以下にまとめました。
みなさんにたいへん熱心に聞いていただき、感謝しています。その後の懇親会も多数参加いただき、午前3時近くまで延々山の話ばっかりでした。楽しかったです。
北大には山岳部のほかにもたくさん「マジ山」部があってこの総合力。ワンゲル、山スキー、フラテの皆さんと交流できて未来が楽しみです。ばんばん山行きましょう。
演題【山岳カメラマンの仕事と遭難報道されるときの心得】
米山の自己紹介
山岳番組取材の実際
山でのTVカメラの扱い、運び方など、番組制作の仕組み
最近の番組撮影の話(パタゴニアとロブソン)
その縮小編集10分版観賞
山岳遭難して、マスコミに囲まれたときにとるべき対応
米山の遭難未遂マスコミ囲まれ体験
そういうときにマスコミの考えていること
遭難報道されることの意味
山登りの心得、死の可能性について、死んだ友人との付き合い方について
転勤しながら新しい町で探す山登りの楽しみについて
学生のうちに積んでおくべき山行経験について
山行記録をぜひ書こう
過去の遭難報告書を熟読して経験にしよう
クラブの仲間、先輩後輩の得難い縁について。イヤケがさしても部をやめずにやろう。
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その後飲み会では
現役に、うちで遊んでいたデジカメを進呈
山岳部の現役HPの立ち上げについて
部報15号の立ち上げについて
他大学学生の入部希望者との話
おとなりクラブのやる気満々の面々とイグルー山行の約束
ほか、面白そうな話がたくさん進みました。
積雪が待ち遠しいですね。
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2011年11月13日 (日)
既にAACHメーリングリストにも紹介されていましたが、先週道新にも記事が出たので貼り付けました。(高篠1972入)
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2011年11月11日 (金)
写真:伏見、記録:岸本
11月5日、朝から小雨。
吹き晒しの雨の中で肉や野菜を焼くのを想像しただけで気分が萎える。電話で打ち合わせをした相田さんも思いは同じで、特に今回は相田さんと同期の西安信ご夫妻も参加とのことで、気が気ではないご様子。しかし執念にも似た事前偵察の結果、リゾートマンションから歩いて10分程の湖畔に、屋根つきの絶好のスポットを見つけてもらった。
ビールではなく赤ワインを全員に注いで、午後4時内藤支部長のカンパイの発声。ご来賓の西さんにも一言いただく。こうして続けて開催していると遠くからの賓客もみえて有難いことです。特上ロース、和牛サイコロ肉などアミに乗っけた先から無くなるも、平均年齢70才、一回りすると途端にペースは落ちる。がしかし、皆さんの酒のペースは快調で、密かに狙っていたカベルネの95年物と月桂冠特撰大吟醸は、気が付くと早々に空になっていた。
今回参加の多数派1957-59年の会員は名簿によると50名を越えるAACH史上では団塊の世代。お話を聞いていると今もそれぞれ体力に見合ったアウトドアの活動を楽しんでおられる様子で、私も寝泊まり道具と食するものを自ら背負って正統な登山を続けようと心した次第。特筆すべきは、ご参加いただいた西夫人からも安信さんのごく個人的な振舞いをお伺いすることができました。楽しかった。
終盤はプロトコル通り、山の四季、琵琶湖周航の歌、都ぞ弥生、カメラーデンリートを唱し、長旅の方もおられるので10時過ぎにお開きとする。琵琶湖での月見で今回初めて焚き火をしなかった。勿論降り続く雨のせいでもあるのだけれど、近江舞子あたりでも湖畔の雰囲気が徐々に変りつつあり、衛星写真に写るというほど盛大な焚き火は、もうできないかもしれない。
11月6日、土地柄しぐれに近い小雨模様。
ゆっくり目の朝食の後、皆様は三々五々と夫々の世界へ。湖はしんなりとなまり色に凪いでいた。
参加者(敬称略御免)
吉田(勝)57、相田58、西(安信)58ご夫妻、高橋(昭)59、田中(英)59、内藤59、渡辺(尚)59、
伏見61、名越63、福本66、岸本65
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2011年10月23日 (日)
10/22前夜祭:今村トーチカ、今村カケス、井上ボンタ、矢野ヘルス、下沢、竹田、伏島、前田カンイチとマリ(フランス人)、高田グジュ、安藤組長、岩間とモンゴルの先生、小泉会長、中村ゲットと私で16名。現役は11名で計27名。 10/23本祭り:山崎クンクン、白濱カリ公、三角が日帰り。
赤岩帰りの現役と朝里で買出し、15時に着くと水道の仮改修、薪割りが進められ、焚き火もついている。あいにくの小雨だがタ―プを張り現役と食事つくり。ラーメンサラダ、鹿肉(西さんから差し入れ)入りビーフシチュー、炊きこみご飯や焼き魚とメニューは豪華。1年目に料理センスのいいコナン君に似た古谷君がいて大いに助かる。他の現役も良く動いて調理をこなしていく。
峠越えも現役3人とOB数人。車組もそろい17時に乾杯。93歳になる今村トーチカも相変わらず元気な姿で近所と言う竹田氏の送迎で現れる(宿泊は朝里川温泉)。途中現役紅1点の吉澤に明日が誕生日というので、中村ゲットに買ってきてもらった誕生ケーキを出し、サプライズを演出。3年目の木城が水産で函館に行ってしまって貴重な女性なので、退部しないように特別サービスだ。
樽生ビール、ワイン、日本酒、ウィスキー…と差し入れ(美国小屋と鐙部長から)も含めて豪華だ。料理も次から次とうまくできているのと、皆食欲旺盛で残すことなくきれいに片付けた。雨にもめげず、焚き火を囲んでいつものとおり昔話やら現役との交流で、今回参加者も多く賑やかだった。ゲストのフランス人のマリもノリよく、ワイン通で上手な日本語で良くしゃべっていた。小さい時から3,000m級の山を登っていて北海道の山も連れて行って欲しいと言っていた。
翌朝はカシワウドンを食べ、外壁のオイルステインを塗布、薪割りも現役はよくこなす。
9時過ぎに山崎、白浜氏が過ぎ、昨日現れなかった三角さんの危ない?運転で現る。前日に来なかった彼は朝里岳のシャングリラを壊して意気消沈しているのではと皆で心配していたが、元気な姿を見せ一安心。
白浜、山崎クンクン、今村カケスとヘルベチア委員会も開催。水源の池が流失しているので春に改修と天気の良い日にマットの虫干しが必要との話が出た。
来年は85周年。折りしも延期になったグブラー氏のご子息が訪問されるそう。まだまだ健在なヒュッテで100周年は軽く越えられるでしょう。
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2011年8月10日 (水)
北大の注文で40cmに切断した薪丸太を納品した。以前は10t車を2〜3年に1回納めていたのに最近では2t車で同じ位持つ。ベチアには国際スキー場上で三角さんの別荘?を解体した材も、勿体無いので焚火や焚付け用に運んである。10/23の祭りには皆で割って冬に備えましょう。
薪ストーブや焚火は我々の原点
空沼小屋へは万計山荘裏まで2t車で、小屋手前へは一輪車で運んだ。現在閉鎖中だが現役が維持管理用に利用しているということで注文があった。2小屋のため土佐産の3kgの斧を納品して、現役に渡されている筈なので、薪割り頑張って欲しい。樹種はカバノキとイタヤカエデが主なので割りやすく、硬いので火持ちも火力も良いでしょう。 おじじ(1972入)
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2011年8月4日 (木)
和田一雄会員の新聞記事です。
8月2日付けの水産経済新聞掲載のもの。
石本会員からの情報です。
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2011年6月12日 (日)
五月末、アラスカのデナリ登頂後、そのとなりの山、Mt.フランシス西面の未踏ルートで雪崩事故だった。
白石君は2001年入部で、11年目。学生のころからヨセミテにでかけ、大岩壁クライミングの経験を積み重ね、ネパールヒマラヤ、パタゴニアと、卒業してからも好きな山登りを続けるため自分で働きながらお金と暮らしをやりくりして登り続けて来た。山岳部員なら一度は憧れる、理想のクライマー人生だ。いつか死ぬかもしれない。でも、こんなふうにしかやりたくない、こんなふうにしかやれない者は山岳部に多くいる。もちろんその才能が無くてはできはしない。自慢の後輩だった。
世間の人は哀れな事だなどといろいろ言うかもしれない。しかし死は人生の重要な一部であり、友人の多くは死者である。白石君が死の間際まで生の喜びを満喫していたのは間違いない。「命を大切に」という言葉はそういう意味だと僕はおもう。彼が持てる命の価値を知り、誰よりも大切に使っていたことが、羨ましいのである。
土曜日は、白石君の人生に共感できるものだけが集まったお別れ会だった。日取りが決まったのは間際だったが、函館から帯広から東京から、奈良から大阪から長崎から、六十人も来た。僕は夜行で札幌に着き、札幌駅から学内を久しぶりに北十八条のはずれまで歩いて行った。春の野草と薮に埋もれた山岳館にはきれいなお花がたくさん。彼が持っていたiPodかなんかの曲をかけ、格好いい白石写真を大判でたくさん貼って、ルームノートのヨタな書き込みを壁新聞にして延々6時間飲んだ。大きな声で歌も歌った。そのあとつるでまた数時間。
ネットを見れば白石君は2009年美瑛岳遭難の時のツアーのガイド等と書かれている間違い記事がほとんどだ。彼はガイドの資格も無いし、この遭難ツアーのガイドリーダーではない。このときもポーター役としてアルバイト参加していた立場だった。たまたま下山のところでガイドとは何かを知らない不注意なマスコミに囲まれて、彼は誠実だから問われるままに応え、問われるままに名乗ったのだろう。応えなかったリーダーは名前も知らない。
僕が函館山の麓に住んでいた四年前、函館山南壁でクライミングした帰りに、白石君とウラニンがアイヌネギを袋一杯に抱えて訪ねて来てくれた。ちょうど今頃の季節。アポ無し晩飯時訪問がうれしかった。世間での迷惑は、親近の証なのである。にこにこ笑って口数少なくご飯おかわりする白石君。たいしたものは無かったけれど。
ご家族親縁のみなさんには切ないことでしょうが、彼がみんなに愛され尊敬されていたことを何度でも話したいです。
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2011年4月4日 (月)
北海道大学東京同窓会の会報「フロンティア」38号に,山の会会員による下記の二件の記事が掲載されました.PDFでご覧いただけます.
平田更一