OBの山行記録・
2007年3月5日 (月)
● 2007年3月
【ルート】
天の川、上ノ沢林道より大沼経由往復
【メンバ】
米山悟(84年入部)、野入善史(95年入部)、松田圭史(水産WVOB)
【行 程】
3月3日:湯ノ岱温泉→温泉から6キロ車(9:15)→Co535イグルー(14:30)
3月4日:C1(6:00)→大沼(7:30)→七ッ岳(9:00-15)→C1(10:30-11:00)→林道の車(13:30)
七ッ岳は大千軒岳の北にある、独立した山塊。標高こそ1000mを切るが、小さいながら七つの独立峰の名主だ。晴れた日に函館方面から遠くに見え、素人さんならあれは大千軒か?と間違えるほど格好良い山である。ブナの巨木の下にイグルーで泊まった。
【記録】
営林署の有料タケノコ園だったのに捜索騒ぎが多くて閉鎖された事で少し有名な、上ノ沢林道。湯ノ岱温泉からすぐに最終人家を過ぎ、どこまで車で行けるか走ったら、6キロ地点の沢の中で土木工事をしている現場があり、そこまでだった。ここから七ッ岳大沼まで、沢からゆるやかな尾根を延々15キロという気長な計画だ。
以前は林道歩きなんて楽しい山の前後にあるオツトメだと思っていたが、戦前の部報など読んでいると、林道の無い時代の、大きな川の渡渉や湿地や函を抜けていく苦労と楽しみを知り、それを追体験するのが面白く思うようになった。1日中林道歩きだが、林道が無ければもっと日数がかかる。夏に車で走ったらそれさえも思い至らない。
10キロ進んだ頃に緩い尾根に乗る。気温は6度くらいで暖かい。もう何日も雪が降っていないので根雪の表面は締まっていて、ほとんど潜らない。僕はここまでスキーを引っ張った。尾根に上がると山全体がほとんどブナだった。ブナの山は樹間が整っていて、清々しい。スキーするのにも丁度良い森になる。久しぶりの山で調子が出ないメンバーもいたので、Co530あたりでイグルーを作った。ブナ林の中から目指す七ッ岳を見る天場だ。三角に聳え、形のよい山だ。
林道をショートカットした小高い丘の上に、この山で見かけたブナの中で最も大きく立派な一本がある。その下にイグルーを作った。直径は1.5m以上、高さは18mあまり。広げた枝の幅が、これまた10m近い。イグルーどころか神社を祀りたい位だ。夜は枯れ木で焚き火する。焚き火はお湯がふんだんに出来るので、脱水症状にもよいし、安心して濃い酒を飲める。野入君が上等の酒を持ってきてくれた。この春就職が決まった松田君を祝った。雪の状態、気温などあわせて、4月の様だ。今年は厳冬期が無く、季節が一月進んでしまっている。
朝起きると霧の中だった。視界100m以下の中、小沼を経て大沼まで。このあたりでは林道はあまり林道らしくなく、緩やかなブナの林を行くようだ。霧の大沼の対岸に、七ッ岳直下の標高差100mの壁の足元が見える。最低コル目指して磁石で進み、基部からは時折の晴れ間でコルを確認して、急斜面を登る。前半スキー、後半シートラで稜線にあがり、そこでシーデポして山頂をツボ足で往復する。山頂では、霧の雲海に沈む七ッ岳大沼とブナ林、それに意外に遠くに大千軒岳連峰が真っ白く聳えていた。高曇りと雲海に挟まれ海も見えなかったが、この山が周囲の中で抜き出た孤峰であり、狭くて急斜面に囲まれた山頂が気持ちよかった。
直下の急斜面は落雪ブロックがごろごろしていてあまり突撃滑降出来なかったが、基部から下、C1超えてずいぶん下まではスキーにほどよい傾斜で、楽しく滑って来た。だいたいブナの生えているところはスキーが快調だ。林道をスイコスイコと漕いで下山。町営湯ノ岱温泉は値打ちものだった。広い浴場に高温中温低温の源泉があり、床は湯ノ花で無数の扇模様。しかも350円の低価格だ、泣ける。くつろぎ部屋の雰囲気も相当砕けている。お品書きも豊富だった。偶然にも、結氷の間宮海峡徒歩横断男とも出会ったりして。木古内のあおき食堂でカツ丼を掻ッ込み、海峡を見ながら函館へ。
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OBの山行記録・
2007年2月14日 (水)
月 日)2007.02.10-13
ルート)十勝三股〜ニペ〜丸山〜東丸山南ポコ〜ウペペ〜糠平
田戸岡尚樹(99入部)
3連休に冬休みを重ねて,2年前に途中敗退した続きを倒してきました。社会人になってから初めてのちょっと長い山行でかなり不安もありましたが,やはり過去の蓄積は残っているもんなんですね。無事に貫徹できてうれしく思います。でもやっぱし一緒に行ってくれる人が欲しかったです。。。
では記録どーぞ。
2月9日 晴れ(冬型) 職場18:00〜十勝三股20:45
仕事を終え,そのまま十勝三股へ。上川のコンビニで晩飯。到着してから山の格好に着替え,明日は早いのですぐに就寝。外は星がきれい。
2月10日 晴れ上部ガス(冬型のゆるみ) C0/4:05〜林道終点7:15/20〜天狗のコル10:15/20〜ニペソツ山15:00/05〜大平のコル17:15
山行開始。
明日谷の通過で全道的に天気が悪いという話なので,初日ニペのっこしをするべくラテルネを点けて4時にdepaする。林道は轍があるが,帰りのことを考え車は国道沿いの入り口にデポ。轍は十六の沢林道の入り口までで,そこからは少しのラッセルが入る。天狗のコルへの尾根は出だしで風倒木やらラッセルやらでペースが上がらないが,まぁそれなりの時間で着いた。ここまでで6時間,さすがに結構疲れてきたがここからが本番。雪面のシュカブラがひどくなってきて固くなってきたCo1720でシートラーゲンに入る。しかしここから天狗までが結構なバリズボラッセル。はまったのに地面が無い足ブラなんてことも一度あった。
ニペをのっこせ!
さらにラッセルは続く。最低コルに着いた所でもう13時半。そしてここからの登りがラッセル地獄。ここまでですでに10時間近く行動しているので体力的にもぼろぼろ。7日分の装備にスキーが付いた30kg近いザックが食い込みつつバリズボ。ふらふらになりながらニペのピークに着いたらもう15時。全然余裕が無い。ここからが2年前のリベンジの部分。今回は200mくらいの視界があったので問題なく南尾根へ。ルート的には何にも無い尾根だが,やはりラッセルは続く。・1736のプラトーに出た所でやっとシートラから解放。しかしその先のコルへの下りがまたまた極道。ガリガリに氷化した斜面で,ハイマツや岩の起伏もあって難儀する。しばらく下ると少しやわらかくなってきたのでまたまたシートラしてつぼで下る。樹林帯に入った所で日没。今日は終わりもラテルネ行動。しまいには何にも無いキックターンでさえこける。Co1400付近のタンネの間でC1。激しい一日だった。
もうぼろぼろ君。
2月11日 曇り時々雪(弱い谷の通過) C1/9:20〜丸山11:55/12:00〜C2/15:05
この日は午前中にに谷の通過という話でだったが,8時にもう一度起きると意外にに天気が悪くないのでdepa。丸山はCo1400から先が白い。Co1460でシートラ。壁のような斜面は結構急で膝ラッセルが入る。しかも滑落したらちょっとやばそうな雰囲気があって少し怖い。稜線に上がってからはバリズボのラッセルになり,しかも意外に遠い。丸山から南のポコへは猛烈なラッセルが入ったので一時的にスキーを履く。それでも腿ラッセル。ポコは狭い所。またシートラして降りていくがすぐにスキーに戻せた。この先樹林帯の下りで尾根の分岐には注意が必要。間違えたくないので慎重に地図読みしていく。あとは樹林ないラッセルをひたすら続けて尾根分岐少し先のCo1320にC2。ここも快適なタンネ帯。FMも携帯もOK。それにしても時間読みよりも結構かかってしまい,昨日の疲れがかなり残っているようだった。
2月12日 極薄いガスの晴れ(冬型) C2/6:15〜・1386/8:15/20〜ウペペ西峰10:40/45〜ウペペ東峰12:40/45〜林道15:30〜林道上Co860(?)16:15
冬型で一日持つ天気ということで一気にのっこしへ。東丸山南のポコは結構白くてたまに固くて嫌なところがあるがスキーで行ける。この日は体調も回復してきたのか,がしがしスキーで歩けていいペース。ウペペ西峰すぐ手前のCo1720でシートラ。この先はアイゼンが快調に決まるのでこれはもう楽勝かと思いきや,頂稜ではまる。雪庇くずれが互い違いに出たりのへんな頂稜。深い雪のどラッセルに時折バリズボが入る。今回は全部EPで行ったが,スキーでも行けそうだった。頂稜の最低コルへの降り口は雪庇の影になっている。登り返し後は岩が出てきて歩きづらいが時間通りに東峰着。やっとニペからウペペへ繋げることができた。ここでニペが見えたら感動的だったんだろうけど残念。
ウペペ頂稜を振り返る。
下りは歩きづらいしだるい。登り返し後Co1690でスキーに換えるが急に雪が重くなる。Co1600ポコの下りはウインドクラストでガチガチのひどい斜面。アカエゾの植林なんかもしてあるが育っていないようだ。・1399から林道への下りはブッシュが多いが快調。林道に出て,地図上にある小屋マークが気になるのでちょっと歩いてみるが見つからずにC3。林道は沢の橋が落ちてたり倒木があったりでひどい。しかもなぜか登り気味。
2月13日 快晴(高気圧) C3/7:00〜糠平9:00
後はひたすら歩くだけなので気楽な朝。しばらく行くとなんだか地図と道が違う上に分岐が多くて迷わされる。とりあえず下の方に行く林道を行くと,沢型に架かる橋があって安心したが,逆方向に行く林道もあって「ウペペサンケ山登山口→」という看板があった。どうやらやはり林道を間違っていたらしい。そういえば登山口に看板も駐車場もなかったのもおかしかった。たぶん旧道だったんだろう。しばらく行ってからシールをはずすがあまり変わらない。登り返し部分はショートカットし,ひたすら歩いて,川を渡る手前の浄水施設のような所で除雪が入っていた。とはいえここからもほぼフラットな林道なのでさらに歩いて糠平着。
山行終了。
短距離とはいえ2年ぶりのヒッチはやや苦戦を強いられ,30分くらい後に役場の車が快く乗せてくれた。トークの中ですごいすごいと言われとても恐縮してしまうが,窓から見えたニペとウペペを見ると確かにすごいなぁと思った。車に着くと無事にエンジンもかかり,荒らされてもなかったので安心。三股のカフェに寄ってみたが運悪く定休日だった。層雲峡で風呂入って飯食って帰旭。
三国峠から眺めるニペとウペペ。
久しぶりに魂を削った山行で,まだまだ自分もやれるもんだとうれしく思った。でもやっぱり単独の山行はきびしいなぁというのが正直な感想です。しばらくはいいや。
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OBの山行記録・
2007年2月12日 (月)
貫気別山(ぬきべつ・1317m)とリビラ山(1291m)
日高山脈の展望台。道内全域天気が悪そうな連休、ここだけはなんとか晴れそうなので決定。
【ルート】
貫気別川→両峰の中間1300ポコ西尾根→貫気別山往復→リビラ山のっこし→北西尾根下降
【メンバー】
米山悟(84)、斉藤清克(87)、北川徹(山スキー部OB)
【行 程】
2月11日:取水施設(9:30)→1300ポコ西尾根末端右奥取り付きCo600(12:10)→標高1000mC1イグルー(14:15)イグルー完成(15:40)
2月12日:C1(7:10)→1300mポコ北のコルデポ(8:20)→貫気別山(9:00-30)→コルデポ(10:00)→リビラ山(11:45-12:15)→北西尾根末端(13:45)→取水施設(15:00)
【記録】
雪の日高は学生以来だ。とはいえ主稜線を遠く眺める展望台、沙流川中流の気になる連山を登った。沙流川から貫気別川にはいると、広い盆地があって驚く。日高側の山間地の幅は広い。貫気別川林道は取水施設のあるところまで除雪がされているので助かる。ここで車を置き、支度をしていると鹿撃ちのおじさんが通りあれこれ話す。
川は荒れていた。林道はCo500あたりまであるのだが、崩れて使えない。雪も少なく、イグルーを作れるか不安になる。目指す尾根は貫気別とリビラの中間にあるCo1300のポコの西尾根だが、末端は急で取り付けず、右へ右へと捲いて緩い所を取り付く。そこにはブル道があり標高800あたりまで続いていた。尾根のヤブ密度はそれほどでもなく、ブル道の助けもあり快調だ。貫気別山の山頂下には標高差100mの岩壁帯があって壮観だ。鹿撃ちはこの崖を「ガンケ」と呼んでいた。
Co1000の針葉樹の平地でイグルーを作り焚き火。積雪は60センチほどしかなくイグルーブロックは一段しかとれなかったが、なかなか快適なやつができた。日が暮れると雪が降り出したがタンネの傘の下で、火に当たり尻を暖める。
−7度。起きると既に明るい。イグルーは雪に埋まって繭のようになっていた。30センチ以上積もった。ラッセルは膝から腿の深さ。カンバは霧氷を付け、真っ白だ。稜線に出ると、日高の国境稜線が見えた。
イドンナップ、幌尻、ピパイロあたりの稜線はガスがくっついているが、白い山脈が右から左へ視界いっぱい。貫気別山頂では幌尻の雲がどくのを待ったがなかなか甘くない。厳冬の日高主稜線はこうでなくちゃいかん。ナメワッカと、遠く39はシャキーンと聳えているのが見えた。
リビラへの稜線は全体に凍ったカンバが視界をふさぎ、しかも結構なラッセルだ。ズブズブのラッセルをファイトで進む。リビラに着く頃にはガスに覆われてしまった。北川はシールが不調で遅れ、リビラ山頂で30分待つ。
リビラ北西尾根は今年初の新雪パウダー滑り。軽くて深い雪を歓声挙げて滑り降りる。上着のジッパーを上まで引っ張り上げないと胸に粉雪が入る。樹林の密度は多少濃いが、まあまあ楽しめる。Co980あたりから真北へ降りて沢へ滑り込む。下の方ではまたブル道があらわれて、これがスキーに都合良い傾斜だ。渡渉をしながら川原を降りていくと、砂防ダムの土木工事をやっていた。ダンプがバンバン走り、いきなり土建屋帝国になっていた。ダンプの運転手が親しげに声をかけてきた。登山者は珍しいと。北海道も東の方へ来ると、初対面でも気さくで明るい人が多くて、北海道人だなあと思う。
平取の「鳥天」で天丼をかっこみ、斎藤に苫小牧駅まで送ってもらう。だめかと思ったが、連休の混雑のため送れてきた汽車にぎりぎり間に合った。ザックに腰を下ろして函館まで。
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OBの山行記録・
2007年1月21日 (日)
長万部岳(972m)、利別岳(としべつ・1021m)
【ルート】
鉱山川→長万部岳北コルから長万部岳と利別岳アタック
【メンバ】
米山悟(1984入部)梶川耕司(1988入部)
【行程】
1月20日:除雪終点長峰温泉(10:30)→うすゆき荘(11:30-12:00)→長万部岳北コルC1(13:44-14:00)→長万部岳(14:40-50)→C1イグルー(15:00)イグルー完成は16:00
1月21日:C1(6:50)→後志利別川Co570二股渡渉点(7:30-45)→利別岳北コル(9:10-30)→利別岳山頂(10:30-45)→コル(11:10-30)→C1(13:20-40)→除雪終点(15:00)
後志利別川源流の最高峰1021は地図では無名峰だが、長万部岳から谷を隔てて見る姿は堂々たるもの、名無しでは気の毒だ。秋に地元の山岳会と長万部岳に登った際、積雪期なら山越え谷越えで行くのが早いと聞いてやる気を出していた。今週になってやっと雪が積もった。
長万部駅で室蘭の梶川と合流した。ヌピナイ川以来。地図上の温泉マークが今は営業していない長峰温泉でここが除雪の行き止まり。出発しようとしたらストックを忘れたことに気がついた。長万部駅前まで戻って、地元の岩瀬さんにお願いしたら、快く貸してくれた。それも年代物の竹ストック。一時間半後に除雪終点に付いてみると10台分のスノーモービルを運んだトラックなどでびっしり。モービルのトレースでこの先 Co600あたりまで舗装道路になっていた。
長万部山岳会の山小屋うすゆき荘がCo400にある。スキーが刺してあるのであいさつに行くと、ヒュッテンレーベンを決め込んでいた地元の三人組に、イチゴ大福の差し入れまでもらった。
Co600には旧鉱山跡があり、昔荷車を通したため広い夏道はスノーモービルにも登りやすいルートとして定着しているらしい。おかげでラッセルは全くなく、夏の時間読みで上まで上がれてしまった。でもありがたいと思わない。ラッセルなんかいくらでもするから山では会いたくない。騒音がひどく、排気ガスが臭い。二日間、山中に響く騒音を、鳥も獣も僕達も、押し黙って聞いていた。
長万部岳北のコルにザックを置き、空身でアタック。日本海側の山にはまだ雲が残っている。目指す利別岳は谷を隔て勇ましくある。東面はまったく木が生えず、真っ白な壁をさらしている。冬の山は白いほど価値を持つ。美しく、アタックも難しくなるから。イグルーは踏み固め時間コミで、1時間で出来た。一帯は枯れ木無く、タンネもなく、焚き火に適さない。夜は非常に冷えた。
翌朝は室蘭の灯りを遠く見て出発。帰りに登りやすいよう緩く遠く下っていく。谷底は広く、気持ちのいい所だ。朝日が利別岳を赤く染めた。渡渉点で水を飲むとき、雪橋の上から竹ストックのワッコの上に雪を載せ水流に着けると、かき氷のようにタップリ水を吸う。これを口の前に寄せチュウチュウ吸う。竹ストックだと、雪を大盛りで載せられるので、一回で満腹になる。今時のじゃ、ほとんど吸えない。ラッセルもやりやすいし、長いので傾斜地での使い勝手も良い。学生の時は竹ストックだった。またこれに戻そうか。
対岸は斜めに緩やかに登ろうとしたが、細く深いルンゼがいくつも横切っていて意外や苦労した。利別の北Co800コルからの登り出しは結構急だが、安定した雪質でなんとかなった。ここの下りが山行中唯一の痛快スロープだった。山頂からは噴火湾の向こうに駒ヶ岳。両側の海をイチゴ大福食べながら見る。真っ白な大平山の存在感が大きく、次回の楽しみとした。狩場山は上半分に雲が貼り付いていた。風はほとんど無く、日差しはあるが、気温は−9度ほど。結構寒い。山頂からシールはずして、コルまでの滑降が楽しかった。高度感、傾斜、雪質と申し分ない。右の雪庇を気にしながら。
コルから下の樹林帯は雪が重くなり、板にくっついて不快調になった。谷底の水をまた飲んでイグルーまで登り返す。ロングアタックだがこの傾斜は緩く、登りはむしろ快適だった。行きと帰りに谷底で水を飲めるのがよい。C1から下る鉱山川の夏道へは、Co600上のブナのすてきな斜面がキャタピラの深い溝でメタメタにされていて、僕らの滑る斜面は残されていなかった。帰りの道もボブスレーコースの様になっていて、プルークボーゲンでも制動が効かないガリガリ溝になっていて何度も前受け身をとった。雪質も腐っていて今ひとつ。
二股ラジウム温泉は1000円もするが、何かと落ち着かない温泉だった。元はいい温泉らしいのにもったいない。次にこのあたりで下山風呂するなら長万部温泉が良いようだ。ストックを返す事になっていた、駅前のお蕎麦屋さんでカツ丼を食べた。以前、深川駅前の寿司屋のカツ丼がうまかったのに味をしめたが、蕎麦屋のカツ丼もうまい。やっぱり蕎麦つゆが生きて居るんだろうか。未踏峰登頂、計画貫徹の満足を味わうのは、うまいカツ丼を空にした一時である。
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OBの山行記録・
2007年1月12日 (金)
●2007年1月8日(月・祝)(1ー0)
【ルート】
乗鞍高原温泉スキー場=位ヶ原の手前Co2270m付近
※当初計画では、乗鞍岳(3025.6m)をアタック予定であったが、悪天候のため、樹林限界手前で引返し。
【メンバ】
L:山森聡(86入部)、M:石橋岳志(82入部)、清原実(86入部)
【行程】
1月8日(月・祝)(雪)乗鞍高原温泉スキー場リフト終点Co2000m(10:50)→Co2150m付近(11:40-50)→位ヶ原の手前Co2270m付近(12:30-13:00)→リフト終点Co2000m(13:15)→スキー場駐車場Co1550m(13:30)
【地図】(五万図)乗鞍岳
【記録】
1月でも比較的天気が良いという北アルプス最南端の乗鞍岳(3025.6m)へのスキー山行を計画した。前日(1/7)の昼過ぎに東京を出発し、長野県東筑摩郡山形村の清原ババアの実家でC0(シーゼロ)。この日は大雪のため中央道は小淵沢ICから先が通行止。そこから一般道(国道20号)で行ったので、到着が予定より大幅に遅れた。それにもかかわらず、農家の清原家では自家製のごちそう三昧で、感謝。暖かい布団でぐっすり眠る。
翌朝(1/8)も、冬型の気圧配置ではあるが、山形村は曇りで、時折、青空も見える。期待を高めつつ出発するが、山が近づくにつれ、残念ながら雪模様。そこで、悪天時の樹林帯の予備ルートとして計画していた「安房山(2219.4m)」の登山口である「中の湯温泉」に向かう。しかし、国道から中の湯温泉への分岐口のゲートに旅館のおじさんがいて、宿泊者以外は通せないし、付近に駐車もできないという。仕方がないので、安房山は断念し、乗鞍岳の樹林限界手前引返しで、行ける所まで行くことにする。
乗鞍高原温泉スキー場駐車場(Co2000m)からは、リフト3本を乗り継いでCo2500mまで上がる予定であったが、最上部のリフトは大雪のため昨日から運休中であるという。仕方がないので、3本目のリフト横は歩いて登ることにし、1回券(300円)を2枚購入し、リフトに乗る。
2本目のリフトを降りると、運休中だった最上部のリフトが動き出した。その場でリフト代を現金で払いCo2500mへ。まずは1本、すばらしいパウダーが手付かずで残っているゲレンデを、空身で1本滑る。浮力を感じながら、小回りで気持ち良く滑りおりることができた。
安房山へ行こうとしたり、ゲレンデのパウダーを1本滑ったりしていたので、3本目のリフト終点(Co2500m)を出発したのは10:50と遅くなった。天気は雪。気温は-8℃。5分ほど先に、男女の2人パーティが出発。そのパーティとラッセルと交代しつつ、シール登高する。リフト終点から上部も、タンネが切り開かれてスキーコースになっている。北海道・十勝の、リフトのない「国設三段山スキー場」と同じような感じである。Co2150m付近での休憩時に、ゾンデ棒で積雪量を測定したところ、230cmであった。
スキーを履いてのラッセルは、平均すれば膝位であったが、深いところでは腰までもぐった(写真)。こんなにラッセルが深くては、仮に晴天だったとしても、日帰りでは、とても乗鞍岳ピークまでは届かないだろう。悪天候(雪)なので、かえって、(途中引返しの)あきらめがついた。男女の2人パーティの方は、我々より先に、引返して下山したようだ。
タンネの背丈も低くなってきて風が当たり出した。また、ラッセルが深いわりには緩い傾斜がしばらく続きそうなので、もう少し頑張って歩いても、それに見合う下りのスキーが期待できそうもない。そこで、Co2270m付近で引返すことにする。気温は-10℃で、あいかわらず雪が降り続いている。写真は、テルモスの熱いお茶を飲む私(山森)。
清原家では、筑摩地方に伝わる「こおりもち」を、行動食として差し入れしていただいた。これは、つきたての餅を水につけて、2〜3ヶ月間、冬の軒先につるして乾燥させてつくる保存食だそうだ。写真は、熱いお茶を飲みながら「こおりもち」をほおばる石橋兄。
シールを外して、兼用靴を滑降モードにして、スキーゴーグルを着用して、いざ出発。「深雪パウダーをいただき!」と、意気込んで、真っ先に飛び出してみたものの、雪が深く傾斜が緩いので、直滑降でも滑らない。結局、傾斜が緩いところでは、登りのトレースを直滑降で滑るしかない。しかし、傾斜があるところでは、各自、思い思いにターンを刻んだ。
石橋兄は、優雅にテレマークターン。
清原ババアは、華麗にパラレルターン小回り(ショートターン)。
私(山森)も、なんとかパラレルターン小回り(ショートターン)のつもり。
お決まりの温泉は、スキー場近くの「湯けむり館」。日帰り入浴700円。露天風呂もあって、なかなか良い雰囲気だった。帰りも山形村の清原実家に立ち寄り、野沢菜や餅など、清原家で収穫した作物をおみやげにもらって、中央道で帰宅。一般道で雪道を来た往路がウソのように、復路は渋滞もなく、高速で、あっと言う間に東京に着いた。
この3人は、登り(現役時代より体力が衰えたので遅い)、下り(現役時代よりスキー技術が上達したので早い)ともに足がそろっていて、山行の指向も合っているので、山スキーのパートナーとして最高のメンバである。今シーズンは、このメンバを中心に活動予定。楽しみだ。
(文責:
山森 聡)
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OBの山行記録・
2006年12月26日 (火)
神楽峰(2029.6m)
●2006年12月23日(土)(1ー0)
【ルート】
かぐら・みつまたスキー場/かぐら第1高速リフト終点(Co1680m)→運休中リフト(かぐら第5ロマンス)終点(Co1830m)=神楽峰(2029.6m)→和田小屋(Co1370m)→みつまたロープウェー山頂駅(Co880m)
【メンバ】
L:山森聡(86入部)、M:清原実(86入部)
【行程】
12月23日(土)(曇り→小雪) みつまたロープウェー山麓駅Co620m(10:20)→(みつまたロープウェー、みつまた第2高速リフト、かぐらゴンドラ、かぐら第1高速リフトを乗り継ぎ)→かぐら第1高速リフト終点Co1680m(11:10)→シール取り付け(11:20-30)→運休中リフト終点Co1830m(12:10-20)→稜線と尾根の分岐点Co2000m(12:55)→神楽峰山頂2029.6m(13:15-35)→稜線と尾根の分岐点Co2000mシール取り外し(13:55)→(パウダー大滑降)→運休中リフト終点Co1830m(14:10)→(パウダー大滑降)→和田小屋(14:30-15:30)→(ゲレンデ滑降、途中みつまた第3リフトで登り返し)→みつまたロープウェー山頂駅Co880m(16:00)→(ロープウェーで下山)→山麓駅Co620m(16:30)
【地図】(五万図)越後湯沢、苗場山
【記録】
いよいよスキーシーズンに突入した。AACH東京支部忘年会(2006-12-8)で、同期の清原ババアと今シーズンは月2回を目標に山スキーに通うことで合意し、その第一弾として、今シーズンの足慣らしに、越後/苗場・神楽峰スキー山行に行ってきた。
12/23(土)早朝4:10に横浜を出発し、武蔵野市の清原ババア邸(5:30)を経由して、関越道の湯沢IC経由で、みつまた駐車場に9:00到着。駐車場代\1000-。リフト券は湯沢IC近くのコンビニ(セブンイレブン)で、一日券(\4000)+食事券(\1000)+ドリンク券のセットで\4500の引換券を購入。駐車場には9:00に着いたものの、リフト購入(引換)の行列に1時間以上も並ぶはめになり、ロープウエーに乗車できたのは10:20で、リフト終点到着は11:10になってしまった。教訓として、スキー場からの入山は前夜移動の駐車場での車中泊とし、始発のロープウェー等に乗るようにすれば、リフト券購入待ちで時間を無駄にすることはないと思う。
この日は、冬型の気圧配置。朝方は高曇りで、晴れ間も見えていたが、リフト終点に到着した頃には、山々には雲がかかってしまった。写真は、かぐら第1高速リフト終点から、運休中リフト(かぐら第5ロマンス:3/17〜5/6運行予定)方面を望む。10分ほど、先行パーティのトレースを同コンタで進む。トレースが運休中のリフト乗場を目指しているのではなく、尾根上を登っていることが確認できたので、シールを取り付ける。積雪130cm(ゾンデ棒で測定)。スキーを外すと腰まで潜った。
先行パーティのトレースを活用して、シール登高する私(山森)。トレースを活用できない場合は、ラッセルが必要なので、時間と体力が余計に必要となるであろう。この日は、山スキーヤー、テレーマーカー、スノーボーダー(登りはスノーシュー)合わせて、少なくとも5パーティ約30名程度が、神楽峰へ向かったと思われる。
タンネの背丈が低くなるところまで登ると、小雪が舞ってきた。視界も100m位しかない。お気楽な春山スキーとは違って、シビアな冬山登山をしていると実感した。清原ババアが、「十勝みたいだなぁ〜」とつぶやいている。確かに、冬合宿で、悪天候の三段山を目指しているような雰囲気だ。あの頃は、スキーが下手だったので、深雪の中を斜滑降とキックターンで降りてきた記憶がある。いくらスキーが上達したとはいえ、この深雪でパラレルターンができるのか少々不安になる。
尾根と稜線の分岐点に出てからは、ちょっとしたアップダウンを繰り返すと、神楽峰山頂だ。天気が良ければ、苗場山が、かっこ良く見えるのであろうが、あいにく視界はない。それはそれで冬山らしくて良しとしよう。登頂を祝って硬い握手。ピークでは20分もゆっくりしていたが、他のパーティもおらず、貸切でのんびりできた。ピークで飲む、テルモスの熱いお茶は、うまいぜ!
尾根と稜線の分岐点までは、シールを着けたまま戻る。いよいよシールを外しての大滑降だ。清原ババアは、いきなり華麗な「小回り」で一気に降りていった。私は、最初は深雪に戸惑ったが、ちょっとこつをつかむと、深雪のなか、「大回り」で滑り降りることができた。初めて、滑っていて浮力というものを感じることができた。これが「パウダー」か? こんな快感を味わうことなしに、現役時代にはパウダーを斜滑降とキックターンで降りていたなんて、もったいないことをしていたもんだ。写真は私(山森)。
慣れてくると、清原ババアほどではないが、私も深雪のなかの「小回り」もそれらしく出来るようになってきた。清原ババアも、社会人になってからゲレンデでレッスンを受けて、スキー技術に磨きをかけたそうである。AACH部報14号(2006年12月発行)に、「恒例の春山スキー」と題して、どうやって私が苦手なスキー術を克服したかについて書かせてもらったが、社会人になったらゲレンデでレッスンを受けて、スキー技術を磨くことを強くお勧めする。雪山の楽しさが何倍〜何十倍にもなる。写真は私(山森)。
現在はゲレンデレストランである和田小屋は、スキー場が出来る前は、山小屋だったとのことで、現在でも、宿泊もできる。小屋の中には、昭和30年頃のスキー登山の写真が壁に多数飾ってあって、興味深い。当時は、革靴にカンダハー、竹ストックだったようだ。食事券(\1000)+ドリンク券を活用して、和田小屋で1時間の大休止。15:30には、宿泊者以外は、全員退去を命じられ、スキー場を「大回り」や「小回り」で快調に滑降して下山。(1回、シングルリフトで登り返す必要があるが、リフト待ちの大行列。)
お決まりの温泉は、国道17号で三国峠を越えてしばらく下ったところの、猿ヶ京温泉センター。江戸時代の風情と自然を楽しむ「日帰り温泉施設」で、1260円。全館(廊下・階段はもちろん洗い場まで)畳敷きで、なかなか渋い。露天風呂を囲む池で鯉を眺めて殿様気分の「東屋の湯」、茶屋風空間に大壷を据えた打たせ湯の「利休の湯」、江戸の浮世風呂に薄明かりが差し込む「砂利の湯」を堪能し、風呂上りには無料の「手作りところてん」を食べ、畳で横になって少々休養してから、東京に帰った。写真は「利休の湯」の大壷でご満悦の清原ババア。
冬型の気圧配置のため、視界も悪く小雪が舞って天候には恵まれなかったが、ピークも踏めて、快調なパウダースキーと渋い温泉を堪能できて、今シーズンの足慣らしとしては、申し分のない「初滑り山行」であった。
(文責:
山森 聡)
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OBの山行記録・
2006年11月6日 (月)
現役と三日間登攀合宿。ザイル手繰っちゃ山の話、雑炊食っちゃ山の話。
【ルート】
上ホロカメットク山周辺・新ZをBCにして、化物岩、上ホロ正面壁、八ツ手岩の登攀
【メンバ】
A班:斉藤清克(87入部),米山悟(84入部),澤田卓郎(3)
B班:勝亦浩希(4)、寺尾祐信(3)、平塚雄太(3)
【日程】
11月3日〜5日
現役は80年代とは変わって、冬の登攀をやるようになっていた。この季節の十勝は、内地でいえばちょうど八ヶ岳のスケールの登攀稽古場のようなものに映った。まだ冬の始まりで天気に恵まれたので、良い条件で三本のルートを登った。視界無し猛吹雪で行動する練習場だった厳冬の十勝連峰とは別の山だった。
●11/3:化物岩・高曇り後ガス
札幌(5:30)→十勝岳温泉発(9:15)→BC→化物岩左ルートとりつき(11:15)→終了(13:30)→旧DZ経由→BC(14:30)
*B班は右ルート
新ZにBC設営。すぐ上の化物岩はだいたい右と左の二つルートがある。A班は左、B班は右。澤田がトップ。1p目:三級凹角を登る。2p目:2級少し回り込んでテラスへ。3p目:三級+。通常のルートよりもカンテの更に左ルート。ちょっと変な体勢になるバンド状。化物岩の上で勝亦たちと合流して旧Dまで稜線のハイマツをこいでそこから下降。旧DZの雪は申し訳程度。砂礫は凍り付いていてアイゼンはきまる。雪のうっすらつもったZ谷は、なんだかバルトロ氷河のキャンプ地みたいだ。
●11/4:上ホロ正面壁三段ルンゼ・ガス後快晴
BC(6:20)→上ホロ北西稜→三段ルンゼとりつき(8:10)→終了(12:00)→上ホロカメットク山(12:20-50)→上ホロ小屋のコルから下降ルンゼ(下部は左岸)→BC(14:30)
*B班は中央クーロアールルート(敗退)
夜のうちにBCは小雨、山は真っ白に雪化粧して、岩壁にはびっしりエビのしっぽが付いてハクが付いた。北西稜を顕著な黒い岩峰までたどって、急な斜面をトラバースして三段ルンゼ取り付きへ。砂礫の急斜面は凍り付き、前爪刺してのこの50mほどの横這いが結構怖かった。本日のトップは齋藤。
1p目:四級40m。チムニーの先に黄緑色のかぶった氷柱。アイスアックス利かせて登る核心。そのあと雪のルンゼ。2p目:四級+30m。雪のルンゼの先に黒い洞穴の様なチムニー。齋藤は大股開きの谷側向き突っ張りで登り、最後右にアックス利かして脱出。僕はそこのとこアブミをかけて抜ける。その後30mほど雪のルンゼをノーザイルで登り、最後に3p目、チムニー2連発。四級−30m。
十勝の通過点だと思っていた上ホロが、今日はグランドジョラスと化した。正面壁は凄い。下降は上ホロ避難小屋のあるコルから。上は急だが旧DZより緩い。谷の中は落石が来るので、左岸の高台を通って下りた。勝亦たちは敗退。氷の発達がまだまだだったとのこと。
●11/5:八ッ手岩右ルート・高曇後ガス
BC(6:00)→八ツ手岩右ルートとりつき(7:20)→終了(9:30)→コルにて(〜11:00)→懸垂×2→BC(13:30-14:00)→十勝岳温泉(14:20)
*B班は中央クーロアールルート(敗退)
正面壁はきのうの晴天で、日の当たる所は黒く、日陰は白く縞になっている。八ッ手岩はほとんど黒い。取り付きの尾根も雪は少ないが、砂礫ががっちり凍り付いていて、アイゼンがきまる。他パーティーがいたが、幸い左ルートを行ってくれた。
1p目:四級30m。ジェードル後小バンド。コケモモの泥壁にアックスがきまる。バンドの一枚岩が嫌な感じ。僕だけ鐙をつかう。ここは度胸が要る。核心はここだけ。2p目:二級。3p目40m:フェイスをトラバースしてコルまで。ここから、今日も中央クーロアールに取り付いている勝亦パーティーを谷越しに観戦する。ここから見る正面壁は絶景だ。正面から見ると凄い所を登っている。
下降は最高点のピナクルを右に捲き、その先のピナクルから懸垂50m×2ピッチ。落石多く、注意する。雪面に下りてからも落石を警戒し、流路を避ける。勝亦Pは取り付きを右寄りに換えて2p登ったが、そこまでで引き返し。ファイトが及ばず、時間切れとのこと。悔しかろうなあ。
季節が早かった上に気温が二,三度と、冬登攀というにはシビアさは無かったが、氷があまり使えないため、岩登り主軸の登攀になった。雪があればあったで、別の難しさになりそう。齋藤はよく登る。現役はロープの扱いに慣れていて、安心感がある。
上ホロ荘の露天でのんびりして帰る。朝晩の食費が三日間で300円/一人というのには感動した。
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OBの山行記録・
2006年10月17日 (火)
北大探検部が函館郊外の戸切地(へきりち)川上流部に道内最長の鍾乳洞を発見した。今年6月の発見以来、10回以上通って詳細な地図を描いている。先週末、現役探検部員4人と潜ってきた。テラ・インコグニータ(未知の地)を探る喜びを知る現役に逢ってオレはうれしい。
鍾乳洞は長さ350m。入り口は泥で埋まっていて、それを突破したら長い洞窟が続いていたという。途中、登り、下り有り。広いところでは直径5〜7mある。コウモリのウンコ場では手をついてしまった。
深い穴を延々潜って行くのは、子供の頃見た悪い夢の様だが、探検隊員たちが楽しそうに潜っていくのは印象的だった。
コウモリぶらぶらの狭いところを顔をすり寄せながら通過したり。泥だらけの匍匐前進で、カメラがぼろぼろ。帰ってからカメラと三脚を分解清掃するのに2時間半かかった。
詳しくは北大探検部HPにある。
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OBの山行記録・
2006年10月17日 (火)
●2006年10月9日(月・祝) (1ー0)
【ルート】
東赤岩/ジェードル(1p)
中赤岩/リス奥直上(1p)、リス奥左カンテ(1p)、リス(1p) 計4p
【メンバ】
L:斎藤清克(87入部)、M:山森聡(86入部)、清原実(86入部)、銭谷竜一(90入部)
【行程】
10月9日(月・祝)(晴・強風) 赤岩峠(10:30)→ジェードル(1p)→リス奥直上(1p)→リス奥左カンテ(1p)→リス(1p)→赤岩峠(14:00)
※当初、10/8-9で、暑寒・ポンショカンベツ川へ沢登りへ行く計画であったが、悪天候のため断念。小樽・赤岩への岩登りに計画変更。
【記録】
米山さん(84入部)から既に[記事・消息]欄に報告があったように、10/7(土)に、札幌でDick(86入部)の結婚を祝う会が開催され、Roomの昔の仲間が全国から集った。これに合わせて、10/8-9と有志で暑寒・ポンショカンベツ川へ沢登りへ行く計画であったが、あいにくの悪天候との天気予報で断念。10/8はヘルヴェチアヒュッテに泊まり、10/9に天気が回復すれば赤岩へ行くことにする。
10/8は、まず、赤岩へ行くためのクレッターシューズを秀岳荘で購入した。そして、ヘルヴェチアヒュッテの鍵を借りるために、Roomへ寄ったついでに、北大山岳館を訪問した。左から、清原ババア(86入部、東京都在住)、山森(86入部、神奈川県在住)、多田(86入部、大阪府在住)。1995年に山岳館が出来て以来、多田は初訪問とのこと。
北大総合博物館(旧理学部)で北海道大学創基130周年記念で開催中(当初9月までの予定が、10/13まで延長)の「北海道大学の山小屋展」を見学した。パラダイスヒュッテ、ヘルヴェチアヒュッテ、空沼小屋、奥手稲山の家、無意根小屋の模型や歴史などが展示され、各山小屋を管理する山系クラブの紹介もあって、興味深かった。北大山岳部々報は第1号から第13号まで実物が展示され、近々、部報14号が発刊されることも紹介されていた。準備に尽力された方々、ご苦労様でした。
昔のスキーやザックなどの登山装備も展示されており、とても興味深かった。これらの古い装備を大切に保管していたAACHの大先輩方に敬意を表したい。私の現役時代にはスキーの竹ストックは普通に使っていた(秀岳荘でも売っていた)のに、そういう装備は処分してしまったことが悔やまれる。かろうじて自衛隊払い下げのラクダの毛下着上下や目出帽などはまだ処分していないので、将来AACH博物館に寄贈できるように、大切にとっておくことにしよう。
博物館の売店では、冊子「北海道大学の山小屋」をはじめ、北大ポプラ並木で作った「ヘルヴェチアヒュッテの板葉書」や「ヘルヴェチアヒュッテの懐中時計」などが販売されており、各自、気に入ったものを記念に購入した。大阪に帰る多田と別れ、かみさんの実家に泊まっていた銭谷(90入部)と合流して、ヘルヴェチアヒュッテへ向かう。
藤野のスーパーで買出しをして、いざ定山渓を過ぎるとすぐ、暴風雨のため通行止めにするために、ゲートを閉めているところであった。この先の山小屋に泊まりたいので、通してもらえないか交渉してみるが、ダメ。代替の宿泊場所をもとめてニセコや洞爺湖周辺のキャンプ場のバンガローへ電話をかけてみるが、どこも3連休のためあいにく満室で、途方に暮れる。
結局、小泉さん(74入部)のご好意で、積丹の美国小舎に泊めさせていただけることになった。札幌に戻り、石川ヤンケ(87入部)とその長男(小3)も合流し、積丹へ向かう。積丹へ向かう道は、豊浜トンネルの崩落事故のあと新しいトンネルができたとのことで、私の現役時代とは、随分と違う印象だ。それでも、途中3箇所、高波のため片側交互通行になっており、実際に海側の車線は波が来るたびに高波を被っており、危険な状態であった。小舎での夕食は「鮭のチャンチャン焼」。
翌日(10/9)は、天候も回復した。美国小舎の前で記念撮影。左から石川ヤンケ(87入部・札幌)、銭谷(90入部・仙台)、山森(86入部・横浜)、清原ババア(86入部・東京)、斎藤(87入部・札幌)。撮影者は石川ジュニア(小3)。美国小舎オーナーの皆様方、ありがとうございました。
東赤岩・ジェードルの登り口にて。バックはE3のピナクル。天気は良いが風が強い。
ジェードルを登る山森と、ジッヘルする銭谷。3級ルートがこんなに難しい(怖い)とは。実質18年振りの岩登りだから仕方ないか。現役のときのように赤岩3級ルートを登りこんでいれば、先々週の東北・産女(うぶすめ)川も楽勝で駆け抜けることができたのだろう。(登りこんでいないから、ちょっとした滝などの通過にも時間がかかり、時間切れで栗駒山ピークアタックを断念せざるを得なかったのだろう。)
中赤岩・リス奥直上をトップで登る斎藤。あとの3人はトップロープでチャレンジするが、まともに登れない。現役のときは、こんなところを、よくトップで登れたものだ。その後、リス奥左カンテを登ったが、取りつきで、ちょっと苦労する。現役時代は、すいすい登れたはずなのに...。
リスを登り、東赤岩方面を眺める。20年前と変わらず、景色が良い。
リスの上でジッヘルする銭谷。
リスのくさび(1年目がセミになるところ。今回は、私もセミになりかけた。)を通過しようとする清原ババア。その後、西赤岩・西壁3ピッチにも行きたかったが、風が強いのと、少々疲れて危険なので、ここで引き上げることにする。現役時代は1日で21ピッチ登ったこともあったが、この日は、たった4ピッチで、疲れてしまった。
朝里川温泉の露天風呂で疲れを癒し、それぞれ仙台や東京へ飛行機で帰宅した。
(文責:
山森 聡)
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OBの山行記録・
2006年10月17日 (火)
●2006年9月23日(土) (1ー0)
【ルート】
桂沢林道笊森登山口→(林道)→産女橋→(産女川遡行)→夏道Co1300m付近→(夏道)→桂沢林道笊森登山口
【メンバ】
L:銭谷竜一(90入部)、M:山森聡(86入部)
【行程】
9月23日(土)(快晴→曇)桂沢林道笊森登山口Co610mC0(6:05)→産女橋Co630m入渓点(7:15-30)→Co790m大滝下(9:40-10:00)→Co1190二股(14:30)→夏道Co1300m付近(15:30-45)→桂沢林道笊森登山口Co610m(17:30)
※栗駒山(1627.4m)のピークアタックをする計画であったが、時間切れで断念。
【地図】 (五万図)栗駒山 (二万五千図)栗駒山
【記録】
10/7に札幌でDICKの結婚を祝う会でRoomの昔の仲間が集うのに合わせて、有志で道内の沢登りに行こうということになった。その準備山行を兼ねて、日本百名谷(白山書房)にも紹介されている東北・栗駒山産女(うぶすめ)川を遡行することにした。栗駒山は、秋田県、岩手県、宮城県の3県の境付近にあり、産女川は岩手県側の沢である。
金曜日の夜の新幹線で東京から仙台に移動し、銭谷(仙台在住)に自家用車で21:00に仙台駅まで迎えに来てもらう。新幹線を使えば東京から仙台まで1時間半強で早いものだ。仙台から東北自動車道で一関ICへ。真湯温泉から桂沢林道に入り、桂沢林道笊森登山口の林道ゲートでC0。
入渓してすぐに、美しいナメが続く。そしてすぐに現れる8mの滝(写真)は、ザイルを出して空身で直登した(ザックは吊り上げ)。その後の5段の滝は、1段目はノーザイルで直登し、2段目、3段目はザイルを出して直登。4段目、5段目は右岸を高捲いた。ザイルを出したり、高捲きをしたりで、久しぶりの沢登り(リハビリ山行)にふさわしい。
その後も、ノーザイルで直登できる小滝が、次々と現れて、なかなか楽しい。
ちょっとした釜をへつる。釜の水がエメラルドグリーンに輝き、美しい。
Co790m大滝(写真)は、右岸を高捲く。高捲きの取りつきは、ブッシュにシュリンゲをかけながら、つかんだり、アブミのように足を入れたりしながら登る。下降は、なんとかアップザイレンなしで、ノーザイルでクライムダウンできた。高捲きには約40分かかった。その後河原歩きが続いた後、10mトイ状の暗門の滝が現れる。これは、左岸ルンゼから高捲き。
美しいナメや釜が続く。
写真の5mの滝は、銭谷がノーザイルでチャレンジするが、最後の一歩踏み出せず、セミになる。山森が左岸を高捲いて、上からザイルを垂らす。高捲きからの下降はアップザイレン。沢慣れた2年目以上の現役なら何でもないであろう、この滝の通過で、恥ずかしながら、かなりの時間と体力を消耗してしまった。
腰まで水につかって、釜を通過する。
源頭に近づいて、美しいナメが続く。この先に現れた釜と滝は、泳がないと取りつきできず、ザイルをだして空身なら直登できるかなという微妙な代物だ。時間もないので、左岸を高捲くことにするが、腕が疲れていて笹を掴む手に力が入らない。高捲きを続けるか沢に戻ってザイルを出すかパーティで話合った結果、時間もないので、そのまま左岸を夏道目指して尾根上までブッシュ漕ぎして登ることにした。30分ほどで夏道のCo1300m付近に出た。
栗駒山(1627.4m)のピークアタックは時間切れで断念。夏道は、草刈りがされておらず、人もほとんど通らない様子で、獣道の様だ。藪漕ぎと大差ないような状態で、景色を眺めながら急いで下山。Co900m位より下は、美しいブナの森で、草刈りもなされている。暗くなる直前の17:30に登山口の自家用車に到着。
最寄りの真湯温泉に入りたかったが、携帯電話が圏外。時間も遅いので、下山連絡を優先させるため、携帯電話が通じるところまで車を進める。
結局、一関の「かんぽの宿」の露天風呂で疲れをいやす(写真)。今回は時間切れでピークを踏めなかったが、怪我もなく明るいうちに無事下山できたので、良しとしよう。栗駒山ピークは、今冬に山スキーでリベンジすることを誓いあい、一関駅まで車で送ってもらい、新幹線で東京へ帰った。
銭谷作成の遡行図。
(文責:
山森 聡)
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