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  • 21年03月22日
    Re: 【中部日高】ナナシ沢1823m峰南面直登沢→コイボクシュシビチャリ川...北陵高校山岳部OB
  • 17年01月29日
    Re: これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部)...佐々木惠彦
  • 16年12月17日
    Re: ペテガリ冬季初登・72年前の今村さんのゲートル  米山悟(1984年入部)...やまね
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...米山
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...さわがき
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    Re: 医学部戦没同窓生追悼式のご案内...AACH
  • 16年06月17日
    Re: 道新に今村昌耕会員の記事...AACH
  • 15年12月22日
    Re: おくやみ・谷口けい 米山悟(1984年入部)やま...すぎやま もちやす
  • 14年12月09日
    Re: 【書評】アルピニズムと死 山野井泰史 2014.11(米山悟1984年入部)...まっちゃん
  • 14年10月25日
    Re: 【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)...米山

書評・出版・ 2010年10月13日 (水)

<ロープはなぜ融けたのか>
札幌登攀倶楽部利尻山雪庇崩落時におけるロープ切断のケース(p51)
角幡唯介

利尻東北稜で今年四月セッピ崩落で墜落した折、三人の間の二本のロープがこすれ合い、一本が切れて一人が谷底に落ちた事故。図と写真で大いに分かり易い。こんな事もあるのか、という話。テンションのかかっていない方のロープが切れてしまうというのが腑に落ちないが、現実。安藤さん雪崩にも埋まらずご無事で良かった。

<2010年夏 沢登りの遭難事故(P155)>

この夏の沢遭難のあらましをまとめた記事。発生直後の新聞報道やTV報道では、山登りする人が知りたい情報はあまり無かったり見当違い情報だったりで、これを元にうっかり感想も言えない。半端な情報で思い込みでコメントなんかしたら当事者を傷つけるし自分も恥をかく。
で、山岳雑誌が書く山ヤの知りたい情報記事を待つわけだ。そして本当の中身は遭難報告書を読んでようやく分かる。
○奥秩父の救助ヘリ墜落事故
そもそもの元事故の現場の様子がだいたい分かった。現場の滝のへつり箇所は以前にも事故死があり、クサリまで設置してあり、残置ロープもあるとのこと、意外だった。そんなに人の多いルートでの単純事故だったか。問題は事故者の経験不足あるいは年齢と、16時にこの場所にいたパーティーの動きなどに思えた。
○幌尻岳額平川徒渉失敗水死事故
増水の見極め力が無かったためらしい。百名山目的の人たちとの事。沢の経験が無いのだろう。
○中ノ川上二股鉄砲水事故
中ノ川上二股(下降尾根末端)って泊まれるところあったかどうしても思い出せない。そもそもいつも素通りしているところのようだ。記事を読むとテントを張ったのは中州だったとのこと。お気の毒で言葉も無い。東京理科大ワンゲルは1957創部で部員13人とのこと。うちより多いよ。懲りずに沢経験を生かしてほしい。報告書を待ちます。一人でも生き残って本当に良かった。
これだけ日高の洪水遭難が多いと、今年の夏、大雨であきらめた日高のタイトルマッチ山行も仕方が無いかという心情。

<熊よけスプレーは劇薬につき使用法を間違えないこと(p182)>
澤田実

探検部OBのサワッチョが、青年倶楽部で酔っぱらって熊スプレーを噴射して、救急車で運ばれたときの経験を恥ずかしながら披露。さすが探検部。つくづく思う。熊スプレーは、持っていたって風向き逆なら絶対使う勇気無い。僕も一回、間違い噴射でちょこっと手についただけで死ぬかと思ったことがある。あれはそう気軽に使いこなせる道具ではないよ。日本刀と同じじゃよ。

ところで利尻の記事の角幡さん、ヤルツアンポ探検記「空白の五マイル」で第8回開高健ノンフィクション賞(集英社主催)受賞だそうで、間もなく本が出ます。楽しみです。あそこは、あんなところをよくもまあ、という絶界の秘境です。

書評・出版・ 2010年9月21日 (火)

平成21年4月北アルプス鳴沢岳遭難報告書
鳴沢岳遭難事故調査委員会 京都府立大学山岳部

昨年4月26日、二人の現役学生と、山岳部と20年以上にわたってかかわってきたコーチ役の伊藤達夫氏が山頂部周辺で疲労凍死した。北ア黒部ダムの下から取りつく鳴沢岳西尾根をのっこして、大町側に抜ける計画。春の二つ玉低気圧が来なければ、さして問題のあるルートではない。

伊藤達夫といえば、冬の黒部の熱烈な開拓者の一人。1957年生まれ。5年前、黒部別山〜積雪期〜という、すごく分厚い本を和田城志氏とともにまとめた。岳人誌上で彼の追悼を書いていたあの和田氏が、自分よりも黒部に入れ込んでいたと告白していたほどだった。
https://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/AACHBlog/details.php?bid=540
伊藤氏は信大山岳部出身、京都府立大の助教であり、以前京都左京労山の代表だったが、黒部での未踏ルート開拓などの志向を極めて「京都てつじん山の会」として独立していた。

事故調査委員会は京都府立大山岳部関係者以外の、同志社大、京大OBなど、京都の登山界の顔役の人たちが中心になり、これにオブザーバー参加として京都府大山岳部関係者が参加し、この報告書を執筆している。

書評・出版・ 2010年1月21日 (木)


2004-2008年、函館に住んでいた縁で、北大水産学部WV部と交流があった。そのご縁で滄海3号(2010.1.16発行)を送って頂いた。
北水ワンゲルとは札幌の本学時代に山岳部、ワンゲル、山スキー部、探検部、クマ研、歩く会、野客・・・数あるもと山系クラブ員が合同で結成する「北大函館山クラブ」である。
最近では、AACHからは2001年入部の白石君の関わる記録が多数あります。
2001年度~2008年度の8年間の山行記録集です。1963年以来なので、まもなく50周年記念誌を出す心づもりとのこと。楽しみです。道内全域、また函館という場所柄、東北地方の山行記録が大盛りです。なかでも僕の心を引いた新鮮な記録をいくつか。

書評・出版・ 2009年12月13日 (日)

岳人1月号(12月15日発売)の第二特集「雪崩に遭うということ」という雪崩ルポ(角幡唯介)があります。その生還者インタビューの一人にセーノさんが載っています。仙丈岳、岳沢の2006年4月の雪崩。ほのぼのとした筆です。みなさん、人ごとではありませんなあ。(69p)
今号のみどころはそのほか、和田城志の剱沢幻視行(連載13回目)

書評・出版・ 2009年6月12日 (金)

備忘録・中西健夫(ナカニシヤ出版)インタビュー
追悼・伊藤達夫・・・和田城志による

書評・出版・ 2009年5月27日 (水)

大滑降への50年
三浦敬三
実業之日本社
1970
三浦敬三が息子、雄一郎のエベレスト滑降の年に書いた、二人の自伝。三浦親子関連の近年の本は長生きイキイキの秘訣みたいな題のばかりで、違う人向け本のようだ。山登り人として三浦親子のなんたるかを知るにはこれが一番の一冊ではないだろうか。敬三さんの放つ魅力が分かった。この人は西堀栄三郎とか、明治生まれの染め物職人だった僕の祖父を思わせる。そして三浦親子を生み出したのが八甲田だったということがわかる。読後は八甲田を滑る気分が随分違う。

書評・出版・ 2009年4月6日 (月)


俺は沢ヤだ!
成瀬陽一
東京新聞出版局(2009/3)
1429円

日本の沢、世界の沢を登り込んできた成瀬陽一(充血海綿体)の自伝本。岳人誌で連載されていたころから腹を抱えて笑いながら読んでいたが待望の単行本化。成瀬さんは天然少年仙人のような、世界でも指折りのトップ沢クライマー。これほどの文章の書き手とは失礼ながら存じ上げませんでした。沢を歩きに歩き、登りに登るうち、ことばは脳内に昇華するのでしょう。沢に魅入られるという天才を持ち、少々変態気味の笑えるエスプリのあるあたり、「のだめカンタービレ(漫画のほう)」くらい面白いと思いマス。お勧めデス。このすごい表紙写真は松原(1990入部)撮影の称名川ザクロ谷。水の色、苔壁の造形、光の加減、宗教画のよう。バッハの平均律クラヴィーアが聞こえて来そう。

書評・出版・ 2008年12月23日 (火)

原真(1956入部)の初期の著書、「北壁に死す」が、今月「北壁に消えた青春」として再び出版された。(Amazon

1961年4月、21歳で鹿島槍北壁で遭難死した弟、原武の遺稿集。事故から47年経ってもあせない、山を真剣に考える若者の手記。遺稿集本文は原武の名古屋大山岳部4年目の春までの山行記録と片思いの恋の記録。日記から1960年代の青春を追想する。山と恋について切々と書き記す個人的な日記。こんな大変なものを出版しても良いものかと2008年の人は思うかもしれない。が、そこが原真一家の凄いところだとつくづく思う。序文は深田久弥。

書評・出版・ 2008年3月14日 (金)

秘境西域八年の潜行(上、中、下)
中公文庫1990
980円、1100円、1200円
(現在は「秘境西域八年の潜行 抄」中公文庫BIBLIO 1000円)


西川一三(かずみ)が死んだ。

先月2月7日、89歳。戦争中、興亜義塾生を経て、モンゴル僧に扮した諜報員として鎖国中のチベットに潜入、戦争が終わるまで(終わっても)生還するためチベットを彷徨った。むかし満州、モンゴル、トルキスタン、チベットと手を結び、シナを背後から包囲する「ツラン民族圏構想」というのがあった。大戦期(昭和18年)のチベットは中国(国民党政権や共産党)からも独立していて謎のエリア。そんなところへ手ぶらででかけて8年も。しかも後半6年は敗戦のため生き延びるための徒歩旅行だ。この体験の凄さは本を読まなきゃわからない。

書評・出版・ 2008年2月28日 (木)

真の登山家は真の彷徨者である(マンメリー)。山岳部員ならわかる、旅の名作三本の紹介。

●ジャックロンドン放浪記
●チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記
●ダブ号の冒険


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●ジャックロンドン放浪記
小学館地球人ライブラリー14(1995.4)
ジャック・ロンドン著、川本三郎訳

犬やオオカミが主人公の小説「ホワイト・ファンク」や「荒野の呼び声」の著者ジャック・ロンドンは、16歳のころ、アメリカの大陸横断鉄道をタダ乗りして渡り歩く放浪者「ホーボー」だった。19世紀末アメリカの、ならず者は殺しても良いという雰囲気。鉄道員に放り出されては裏をかき、放浪罪でデカにつかまればムショ暮らしもする。文無し、毛布無しで酷寒の列車の連結部に隠れて旅、見知らぬ町で智恵と機転で食べ物にありつく青春放浪記だ。手ぶらの人間の、磨けるだけ磨ききった生存性能に憧れた。

犬が主人公の「荒野の呼び声」は、当然ほとんどセリフ無しの小説だがすこぶる良い。こうしたら、こうなった。こうだからだ。といった、淡々としているのに引き込まれる書きっぷりの原点をホーボー経験に見た。100年前の世界は何もかも野放しでおもしろい。



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●チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記
エルネスト・チェ ゲバラ (著),棚橋 加奈江 (翻訳)
現代企画室; 増補新版版 (2004/09)

1956年キューバ革命でカストロと知り合う5年前、医学生時代23歳のゲバラが故郷アルゼンチンからチリ、ペルー、ボリビア、コロンビアと、始めはオートバイで、それがポンコツで動かなくなってからはヒッチと密航で旅をする旅行記。あのかっこいいゲバラにそんな青春があったなんて。伝説の革命家の印象とはほど遠い、いかにせびって食べ物と寝床とできればワインをいただけるかという貧乏旅行テクニックが披露されている。人生に必要なものはすべて旅から学んだというゲバラ。1950年代の南米各地の様子も語られていて興味深い。今も大差が無いのだろう。合衆国の植民地体勢に刃向かって殺されたゲバラは21世紀的にはオサマ・ビン・ラーディンと同じだろう。オサマも学生時代に中東大旅行なんかしているだろうか。

ただしこの本、原文に忠実に訳したのだろうが、日本語としては非常に読みにくい訳だ。



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●ダブ号の冒険
小学館地球人ライブラリー14(1995.6)
ロビン・リー・グレアム著、田中融二訳

1965年、16歳のロビン少年の5年をかけた単独ヨット世界一周の記録。各地でのとけ込みようが旅行記として良い。冒険モノとして読み始めたが、フィジーで出会った少女パティとの恋愛が冒険の展開も読者の行き先も変えていってしまった。パティがヨットの寄港先に先回りして迎えてくれる。航海の孤独を10代の若さで耐え抜いたロビン。パティ無くして航海は貫徹できなかったろう。全編に、世界や人生にたいし共感する思想があふれている。うなずきながらの読書だ。16歳は世界を知るのに十分な年齢だ。

解説を書いている今給黎教子さんは僕と同年代のヨット家だ。91年に単独無寄港世界一周をやった。この人は子供の時「ダブ号」を読んでヨット道に入ったらしい。計画を遂行するまでの教子さんの気持ちの揺れがよく分かる気がする。
 
 
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