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    北大山岳部年表

    西暦年元号年事項出典
    1903明治365月上川文武館生徒21名 旭岳登山
    1905明治3810月日本山岳会創立
    1907明治40札幌農学校、東北帝国大学農科大学農科大学となる。予科併設
    1909明治42予科外人講師ハンス・コラーの指導により北大学生初めてスキーを履く
    1911明治44上川中学校教諭小泉秀雄、大雪山に登り科学的究明に着手
    12月14日ノルウェー アムンゼンの犬ぞり隊南極点到達
    1912明治456月北大スキー部創立
    1月17日英国スコット隊、アムンゼン隊に遅れる事1ヶ月で南極点に到達
    1913大正22月11日永峯沢より手稲山スキー初登山 スキー部稲田昌植ら
    12月31日富士山冬期初登 スキー部荒木忠郎、柳沢秀雄、角倉邦彦、他人夫3名
    一高、三高に旅行部(山岳部)創立
    1915大正4慶応義塾大学に山岳会創立 夕張岳;芦別岳縦走 小樽高商 西田彰三ら
    1916大正5木下弥三吉 斜里側より羅臼岳、硫黄山に登る
    夕張岳-芦別岳縦走 小樽高商 西田彰三ら(植物採集のため)
    1917大正63月羊蹄山スキー初登頂 スキー部 大島幸吉、木原均、岡見聞多、岩崎直砥スII
    1918大正72月12日スキー部員 奥手稲山冬季初登山1
    3月3日スキー部員 砥石山初登山1
    4月北海道帝国大学設置。東北帝大より農科大学移管
    1919大正84月大学令発布に伴い学部制施行。農科大学は農学都となり、医学部新設
    1920大正92月10日中山峠より喜茂別岳登頂 スキー部 福地義二郎、西尾稔、板倉勝宜、後藤一雄、松川五郎、網野兼一、高松正信
    3月27日十勝岳積雪期初登頂、アイゼンを使用、スキー部六鹿一彦、加納一郎、中野誠一、福地義二郎、松川五郎、西尾稔、鈴木市五郎II
    5月恵迪寮旅行部創立
    7月21-31日化雲内-トムラウシ山-石狩岳-石狩川 慶応大山岳会大島亮吉ほか「山」
    早稲田大学山岳部創立
    1921大正101月4日板倉勝宣ら 狩太から昆布岳登頂
    1月7日無意根山冬期初登 板倉勝宜ら10名
    2月12日余市岳、朝里岳冬期初登 平井左門ら6名
    4月3日芦別岳冬期初登 板倉勝宣、加納一郎、松川五郎らI
    4月予科桜星会旅行部創立
    6月スキー部有志により雑誌「山とスキー」創刊
    9月9日槙有恒アイガー東山稜(ミッテルギ稜)初登
    5-9月英国隊、第一次エヴェレスト遠征
    1922大正111月9日旭岳冬期初登 ユコマンベツより 板倉勝宜、松川五郎、板橋敬一、加納一郎、後藤一雄
    3月30日黒岳冬期初登 層雲峡より板倉勝宜、加納一郎、板橋敬一
    3-6月英国隊、第2次エヴェレスト遠征雪崩のためポーター7人を失う
    1923大正121月7日板倉勝宜 立山松尾峠で吹雪のため遭難死
    2月12日札幌岳スキー初登 松川五郎ら9名
    3月湯ノ沢から空沼岳・狭薄岳登頂 岡村源太郎、森下星一
    4月29日スキー部 湯の沢から空沼岳−札幌岳縦走1I
    5月22-24日スキー部 佐々木政吉ら武好駅逓-雄冬岳−浜益岳-群別岳縦走1I
    7月松川五郎ら 芽室川から芽室岳登頂
    7月16-27日帯広-音更川-石狩岳-石狩川-層雲別村 田口鎮雄、藤江永次、佐々木政吉(長田福松、原)II
    第一次RCC発足www.
    1924大正131月26-27日十勝岳冬期第2登、厳冬期初登、小森五作、藤江永次、佐カ木政吉、田口鎮雄、伊藤秀五郎II
    7月13-22日層雲別-黒岳-忠別岳-ヌタップヤンベツー石狩岳-石狩川-層雲別 小森五作、宮沢精、須藤宣之助II
    1月早大山岳部舟田三郎ら厳冬期の槍ケ岳初登
    3月慶応山岳会大島亮吉ら積雪期の穂高連峯 初登 大雪山に登山道路と石室(黒岳・旭岳)完成
    3-6月英国隊、第三次エヴェレスト遠征、頂上に向ったマロリー、アーヴィン帰らず
    1925大正141月26-28日十勝岳冬期第二登、厳冬期初登、小森五作、藤江永次、佐カ木政吉、田口鎮雄、伊藤秀五郎I
    2月7日富良野岳冬期初登 西方尾根から北大スキー部員ら8名I
    3-4月26-22日黒岳小屋より北鎮岳、白雲岳、旭岳 伊藤秀五郎、田中二郎、佐々木政吉、高杉正樹、須藤宣之助、和辻広樹、小森五作、宮沢精、ゾンメルシーを使用II
    7月12-22日美生川-美生岳-ポロシリ岳-トツタベツ川 小森五作、伊藤秀五郎、和辻広樹、永井政治II
    7月20日槙有恒らマウントアルバータ(カナダ)初登頂 日本初の大規模海外登山
    1926大正151月4-7日暑寒別岳冬期初登 佐々木政吉、赤松勲、小森五作、伊藤秀五郎、沢本三郎、和辻広樹、須藤宣之助II
    2月6-9日トナシベツ川より夕張岳登頂 小森五作、山口健児、和辻広樹、井田清、高橋喜久司、沢本三郎II
    5月17-21日層雲別-ニセイカウシュペ-石狩北見国境-北見峠 須藤宣之助、井田清、野崎健之助、渡辺千尚II
    5月12-21日層雲別-黒岳-忠別岳-ヌタップヤンベツ-石狩岳-音更山-往復 野中保次郎、西川桜、梅沢一郎、高橋喜久司(川村、岡田)III
    5月16-21日上フラノ-吹上温泉-十勝岳-美瑛岳-ベベツ岳-オプタテシケ山-トムラウシ山-化雲岳-松山温泉 山口健児、山縣浩、原忠平II
    7月14-22日ウトロ-岩宇別湿泉-羅臼岳-硫黄山-羅臼岳東方頂上-ポロベツ川上流の小屋-ウトロ 山縣浩、須藤宣之助 (大泉幸太郎)II
    7月18-12日イトンムカ-武華山-武利岳往復-ニセイチャロマップ-層雲峡 西川桜、(高橋浅市)II
    7月19日ホロカオトフケ-ニペソツ山 澤本三郎(長田福松)II
    9月24日井田清ら赤岩山試登1
    7-11月4-2日北大スキー部 パラダイスヒュッテ建設II
    11月10日北大山岳部創立 部長 栃内吉彦、幹事 澤本三郎、伊藤秀五郎、田中二郎、宮沢精、和辻広樹、小森五作I
    12月22-29日スキー合宿、蘭越新見温泉 5班47名I
    5月14日北大創基五十年記念式典挙行
    1927昭和21月6-7日天幕-天塩岳往復 伊藤秀五郎、野中保次郎、山縣浩、原忠平(菊谷、吉田)I
    1月7日翁温泉跡-上ホロカメットク山冬期初登 沢本三郎、野崎健之助、須藤宣之助、井田清、和辻広樹、牧野要三
    2月6日層雲別-ニセイカウシュペ山冬期初登 宮沢精、坂橋卓、原忠平、渡辺成三
    2月24日研究会・送別会 学生集会所 二月までの登山の報告、卒業部員 佐々木政吉、田口鎮雄、岩森秀夫、松川篤治
    3月18-21日美瑛-俵真布-硫黄岳-トムラウシ山-俵真布 野崎健之助、坂本直行、坂橋卓、渡辺千尚、徳永芳雄、佐々保雄、佐山英駿
    3月21-22日雌阿寒岳、雄阿寒岳冬期初登 島村光太郎他一名
    4月部長 栃内吉彦、幹事 伊藤秀五郎、和辻広樹、野中保次郎、高橋喜久司、井田清
    5月3日新入部員歓迎会
    5月28-29日山岳部、予科旅行部新入部員観迎天幕行 銭函峠
    7月13-24日西クマネシリ岳、ピリベツ岳、クマネシリ岳 原忠平、渡辺成三 (横川丑蔵)
    7月21-30日ピリカペタン-札内岳-エサオマントツタベツ岳 井田清、高橋喜久司、板橘卓、中村邦之助、舘脇操 (水本文太郎)
    7月7-8日本年の夏山 中央高地五班、日高一班、本州四班、タ張山脈二班
    7月7-11日ヘルヴェチア・ヒュッテ建設
    11月部員章作成デザイン 和辻広樹
    11月12日栃内部長外遊、新部長 鈴木限三
    12月澤本三郎著「登山スキー術の手引」出版(約30頁、100部)
    12月22-29日スキー合宿、新見温泉 8班72名
    1928昭和31月21日美瑛岳冬期初登 安積樟三、大戸健一、鴨下克已、前川保夫I
    2月8日前石狩沢-石狩岳冬期初登 伊藤秀五郎、小森五作、和辻広樹、野中保次郎、井田清、西川桜
    3月4日送別会 学生集会所 卒業部員 沢本三郎、白倉秋也、外山勝四郎
    3月19日東狩場山冬期初登 伊藤秀五郎
    3月20-21日武利岳-武華岳冬期初登 原忠平、中野征紀、渡辺成三、徳永芳雄、板橋卓
    3月27日斜里岳冬期初登 原忠平、中野征紀
    4月3日美生岳冬期初登 西川桜、須藤宣之助
    4月部長 栃内吉彦、幹事 山縣浩、西川桜、野崎健之助、徳永芳雄、原忠平、渡辺成三
    4月26日新入部員歓迎会・研究会 (3月登山報告4班)
    5月18日山口健児、梅沢一郎、ゾンメルシーで積丹岳積雪期初登2
    6月部報I号発行
    7月8-16日ピリカペタン沢-札内岳-札内川-カムイエクウチカウシ山 山縣浩、相川修、名取忠夫、山口健児、(水本文太郎)2
    8月5-12日ヌピナイ川-ピリカヌプリ-ソエマツ沢 高橋喜久司 (水本文太郎)II
    9月25日夏期登山報告会 目高4班、中央高地3班、知床2班、本州2班、その他2班
    12月20-28日スキー含宿 十勝岳吹上温泉 10班、55名
    12月28-29日芦別岳冬期初登 外山勝四郎、島村光太郎、石川勝寿、佐藤正、松本久喜、野村虎男
    2月24-26日秩父宮札幌近郊スキーツアー ヘルヴェチア・ヒュッテ宿泊
    2月立教大学山岳部創立
    7月札内川-カムイエクウチカウシ山-春別川-イドンナップ岳初登 慶大 斉藤長寿郎、山田喜一、藤江才介 (高橋浅一、秋元久義)登高行
    1929昭和41月3-14日幌尻岳-トッタベツ岳冬期初登 小森五作、野中保次郎、伊藤秀五郎、高橋喜久司、須藤宣之助 (水本文太郎、中村雄蔵)II
    2月1日冬期登山報告会 報告4件
    2月ルームをベルス喫茶店に設けること決定
    2月6-9日狩場山冬期初登 野崎健之助、菊地寛
    2月9日定山渓天狗岳冬期初登 板橋卓、島村和雄、梅沢一郎
    2月14日送別会 精養軒 卒業部員 伊藤秀五郎、和辻広樹、小森五作、田中二郎、鴨下克己、大戸健一、前川保夫、中村了
    4月部長 鈴木限三、幹事 須藤宣之助、渡辺千尚、今村正男、石川勝寿、島村光太郎、寺尾邦彦
    4月1-12日ニペソツ山積雪期初登 徳永芳雄、佐藤正
    5月7日新入部員歓迎会 学生集会所1号室 新入部員13名
    5月15-22日十勝岳-オプタテシケ山-トムラウシ山-忠別岳-黒岳 安積樟三、島村光太郎、石川勝寿、佐藤正、菊地寛、金光正次
    5月16-20日芦別岳-夕張岳縦走 山口健児、南部信雄、小平良平、江幡三郎、徳永正雄、今村正男
    6月7研究会 (春山登山報告、利尻、二ペソツ、芦別-夕張、十勝-大雪)
    7月4-15美生岳-トッタベツ岳-幌尻岳-新冠川 徳永芳雄、今村正男、坂本正幸 (水本新吉)
    7月8-22日コイボクシュシビチャリ川-1823峰-カムイエクウチカウシ山-札内川 福西幸次郎、相川修、徳永正雄、(幌村佐助)
    8-9月27-10日チロロ川-北トッタベツ岳-トッタベツ岳-トッタベツ川-帯広-広尾-楽古岳 伊藤秀五郎
    9月27研究会・夏期登山報告会 日高5班、中央高地3班、知床1班、本州3班、千島1班III
    11月部報II号発行
    12月22-29スキー合宿 十勝岳吹上温泉 11班77名
    12-1月21-1日北見峠-チトカニウシ山 江幡三郎、高橋正三
    12月札幌の門田直馬、和久田弘一の指導を受けピッケル・アイゼンの製作販売始めるIV
    8-10月独墺山岳会 (バゥアー隊長)カソチェンジュンガ遠征
    1930昭和51月22日相談会、部規約改正、部費年額1円III
    2月15日送別会 精養軒、卒業部員 須藤宣之助、山口健児、佐藤正、安積樟三、 米井静雄、中西力、高橋喜久司、中村了、野中保次郎
    4月部長 栃内吉彦、幹事 河合克己、笠原直三、江幡三郎、福島健夫、大和正次、今村正男
    5月15日新入部員歓迎会 栃内部長帰朝歓迎を兼ねる
    5月16-26日松山温泉(天人峡)-石狩岳-ユニ石狩岳-三国山-武華川 中野征紀、相川修、菊地寛、小平俊平、金光正次
    5月21-27日武華岳-武利岳-支湧別岳 佐藤正、大和正次、江幡三郎、佐藤友吉
    6月12日春期登山報告会・研究会 報告6件 夏山計画発表
    7月9-22日美生岳-トッタベツ岳-幌尻岳-新冠川-エサオマントッタベツ岳-札内岳-トッタベツ川 大立目謙誼、佐藤友吉、小立正彦、豊田春満、山口健児
    7月11-16日札内川ーコイカクシュサツナイ川-国境線-1794m峯-1839m峯-往路を戻る 徳永正雄、大谷木賢二 (水本新吉)
    7月11-21日ヌピナイ川-ソエマツ岳-中ノ川-神威岳ーヌピナイ川 相川修、有岡隆、(水本文太郎)
    8月4-17日ニセイチャロマップ-屏風岳-ニセイチャロマップ-武利岳-ニセイチャロマップ-石狩川-万狩岳-トムラウシ山-黒岳 徳永正雄、安藤正三、相川修、高山豊太郎(札幌二中教諭)
    10月3日研究会(夏山報告) 日高3班、中央高地3班、夕張山脈3班、本州4班、その他
    10月20日ベルグマン氏講演会、カムチャツカ探険
    12月22-29日スキー合宿 十勝岳吹上温泉 10班89名
    3月北大に理学都新設 京都大学学士山岳会(AACK)創立
    3-6月国際遠征隊(デイレンフェルト隊長)カンチェンジユンガ遠征
    5月20日川崎吉蔵 山岳専門誌「山と渓谷」創刊www.
    1931昭和62月5-10日トナシベツ川-夕張岳 金光正次、徳永正雄、小黒春之功、相川修III
    2月18日送別会 精養軒 卒業部員 板橋卓、石川勝寿、原忠平、西川桜、徳永芳雄、渡辺千尚、渡部成三、中川一郎、南部信雄、梅沢一郎、山縣浩、松本久喜、松本利夫、河野敬三郎、島村和雄、島村光太郎
    3月11-20日カムイエクウチカウシ山-エサオマントッタベツ岳-札内岳冬期初登 徳永正雄、佐藤友吉、村山林治郎、安田一次 (水本新吉、中山堀一郎)
    4月部長 栃内吉彦、幹事 江幡三郎、相川修、高橋正三、金光正次、佐藤友吉、小黒春之助
    5月6日新入生歓迎会・3月登山報告会 3月登山4件
    5月20-30日ニペソツ岳-天狗岳-沼の原山-化雲岳 江幡三郎、小黒春之助、豊田春満、伊藤紀克、佐藤友吉 (野村正太郎)
    6月9日春山報告会・研究会 春山3班報告の後、部報III号につき協議
    7月10-20日シーシカリベツ-ウペペサンケ-ホロカ川-音更川-石狩岳−ヌタッペヤンベツ川-忠別岳-黒岳-層雲峡 豊田春満、高木秀夫 (長田福松)
    7月16-26日エサオマントッタベツ川-エサオマントッタベツ岳-新冠川-幌尻岳- トッタベツ岳-美生岳-美生川 徳永正雄、相川修、伊藤紀克、石橋正夫 (水本新吉)
    8月16-27日ホロカ音更川-二ペソツ山ートムラウシ川-トムラウシ山-オプタテシケ山-十勝岳 徳永正雄、大戸昌雄、(水本新吉)
    9月28日夏期登山報告・研究会 日高1斑、中央高地5班、本州10班、その他2班
    11月25日部報III号発行IV
    12月23-29日スキー合宿 十勝岳吹上温泉 12班、85名
    1月京大極地法により富士山冬期登山
    6月21日スマイスらガルワルヒヤラヤのカメット(7775米)に登頂、 当時の登頂最高峯
    6-9月独逸隊(P・バウァー隊長)再度カンチェンジユンガ遠征
    1932昭和71月4-7日シーシカリベツ-ウペペサンケ山 中野征紀、小黒春之助、徳永正雄、村山林治郎、豊田春満IV
    1月25日冬期登山報告会 3班
    2月18日送別会 亀屋支店 卒業部員 江幡三郎、大和正次、笠原直三、今村正男、坂本正幸、田頭卓、大島昌一郎、河合克己、篠原斎
    3月16-22日芽登温泉-西クマネシリ岳-クマネシリ岳-ピリベツ岳-南クマネシリ岳 豊田春満、石橋正夫、中野征紀、徳永正雄
    3月26日豊似-楽古岳 坂本直行、相川修
    4月部長 栃内吉彦、幹事 菊地寛、中川久美雄、小平俊平、西川利通、犬立目謙誼
    5月6日新入部員歓迎会 3月登山報告会
    5月5-31日文武会デー山岳部展覧会 学生ホール五号室 小谷運動具店にルームを設ける
    6月8日春期登山報告会 5班
    7月12-21日ピリカペタン沢-札内岳-エサオマントッタベツ岳-カムイエクウチカウツ山-札内川-十勝ポロシリ岳-オピリネップ沢 徳永正雄、本野正一、水上定一、照井孝太郎、弓削徳三、石橋正夫(中山弥一郎)
    7月14-28日コイボクシュサツナイ川-ヤオロマップ岳-札内川本流-カムイエクウチカウシ山-札内川本流-記念沢-札内岳-ピリカペタン沢 大立目謙一郎、西田彰一、佐々保雄 (水本新吉、小西友市、水本松太郎)
    7-8月25-3日ヌカビラ川-幌尻岳-新冠川-イドンナップ岳-シュンベツ川-カムイエクウチカウシ山-札内川 中野征紀、相川修
    9月21日夏期登山報告会 日高3班、中央高地7班、本州6班、その他(千島・樺太・台湾を含む)4班
    12月21-29日スキー合宿 十勝吹上温泉 13班112名参加
    12-1月25-4日直井温泉より大雪山北西部一円 佐々保雄、西田彰一
    7-8月30-13日ケリマップ川-イベツ川-メナシベツ川-1839m峰-ヤオロマップ岳-ペテガリ岳初登ーヤオロマップ川 慶応大斉藤貞一、渡辺英郎、(高橋長左衛門、稲川誠一)
    独逸隊(ウィリー・メルクル隊長)ナンガパルバート遠征www.
    11月米国隊(パードソル隊長)ミニヤコンカ(7556m)初登頂www.
    1933昭和81月23日小谷運動具店火災のためルーム備品に損害ありIV
    1月25日冬期登山報告会 4班
    2月4-12日冬期中ノ川溯行(ソエマツ1400m付近迄)中野征紀、奥田五郎、 水上定一
    2月16日送別会 豊平館 卒業部員 大立目謙一郎、福西幸次郎
    3月11-15日コイカクシュサツナイ岳-ヤオロマップ岳 石橋正夫、高杉直幹
    3月14-23日層雲峡-黒岳-石狩岳-ニペソツ山縦走 本野正一、杉頴夫、石橋恭一郎、矢部功彦
    4月部長 栃内吉彦、幹事 徳永正雄、村山林治郎、豊日春満、伊藤紀克、石橋正夫、安田一次
    5月3日新入部員歓迎会
    5月9日冬期登山報告会 2〜4月の冬山6班、報告後 部報IV号発行につき協議
    5月31日春期登山報告会 6班
    7月10-22日元浦川-ショシベツ沢-ピリガイ山-ペッピリガイ沢-中ノ岳-中ノ川 本野正一、奥田五郎、石橋恭一郎 (中山弥一郎)
    8月2-11日中ノ川-神威岳 中野征紀、清水重也 (及川辰雄)
    9月19日夏期登山報告会 日高5班、中央高地5班、本州12班、朝鮮1班
    9月21-22日文武会デー展覧会 学生ホール三号室 研究会・文武会デー登山報告2班、合宿のシステム改革についての 相談
    11月25日部報IV号発行
    12月21-28日スキー合宿 十勝岳吹上温泉 14斑87名V
    12-1月28-9日極地法により無加川-音更山、石狩岳-ユニ石狩岳(ユニ石狩岳冬期初登) 徳永正雄、豊田春満、井深英夫、石橋正夫、本野正一、杉頴夫、太田嘉四夫、水上定一、石橋恭一郎、西村正
    12-1月28-15日コイカクシュ札内川-コィカクシュサツナイ岳-ヤオロマップ岳-八の沢-カムイエクウチカウシ山 (1900及び1840m峰冬期初登) 坂本直行、相川修、照井孝太郎
    3-9月英国隊(H.ラトレッジ隊長)第四次エヴェレスト遠征、8572mに到達
    1934昭和91月9日冬山報告会 4班V
    2月1日研究会 スキー術に関し 澤本三郎
    2月15日送別会 精養軒 卒業部員 中川久美雄、国沢陸郎、佐藤力之助、佐々木友吉、大立目謙一郎、和久田弘一、大戸昌雄
    3-4月23-5日コイカクシュサツナイ川-コイカクシュサツナイ岳-ヤオロマップ岳-八の沢-1839米峯-カムイエクウチカウシ山 伊藤紀克、豊田春満、西村正 (中田仁三郎〕
    4月10-26日部長 栃内吉彦、幹事 豊田春満、伊藤紀克、水上定一、相川鎮雄、佐瀬亘、小林正
    5月10日春山報告会 7班
    6月2-3日新入部員歓迎天幕行 札幌岳滝の沢口
    6月9日文武会デー登山報告会 3班
    7月3-15日ヤオロマップ岳-ペテガリ岳 中野征紀、相川修
    7月10-26日チロロ川-美生岳-トッタベツ岳-幌尻岳-新冠川-シュンベツ川-ナメワッカ岳-札内川 伊藤紀克、玉澤廣、高久芳衛、麦倉元5
    7月8-21日中ノ川-ペテガリ岳-札内川 石橋恭一郎、三宅健一(中山弥一郎)
    7月11-31日トッタベツ川-トッタベツ岳-新冠川-ナメワッカ岳-カムイエクウチカウシ山-札内川 葛西春雄、有馬洋、林和夫、西村正5
    7月9-24日ヤオロマップ川-ルベツネ山-札内川-ペテガリ岳-ヤオロマップ岳-1839m峯-コイカクシュサツナイ岳 豊田春満、杉頴夫
    8月15-21日チロロ岳 中野征紀、清水重也
    9月18日第一回夏期登山報告会 9班
    10月3日第二回夏期及び秋季文武会デー登山報告会 7斑
    10月24日文武会デー映写会
    12月21-29日スキー合宿 十勝岳吹上温泉 12班100名
    12-1月29-3日十勝岳-美瑛川-トムラウシ山 石橘正夫、徳永正雄、伊藤周一
    5-7月独逸山岳会 ナンガ・パルバートに遠征、メルクル隊長、隊員、シェルパ9名が吹雪のため遭難死
    1935昭和101月17日冬期登山報告会 8班V
    2月17日送別会 豊平館 卒業部員 徳永正雄、相川修、中野征紀、菊地寛、金光正次、大島正幸、今村博、高田五郎、井深英夫、村山林治郎、 石渡達六郎、星野好博、安田一次、終わって時報発刊の相談あり
    3月25日山岳部時報第1号発行、続いて年内に2号 (7月20日)、3号(10月31日)発行1,2,3
    3月20-30日美生川-ルベシベ山-チロロ岳 チロロ岳冬期初登 初見一雄、奥田五郎
    4月部長 栃内吉彦、幹事 照井孝太郎、奥田五郎、福地文平、杉頴夫、石橋恭一郎、太田嘉四夫
    5月1日新入部員歓迎会
    5月9日春期登山報告会 9班、部報V号発行につき相談
    5月16-19日日高山脈北端四国々境ヌプチミップ岳 山崎春雄、中野征紀、初見一雄
    5月25日春期登山報告会 7班
    6月1-2日新入部員歓迎行 ヘルベチア、薪運び
    7-9月13-1日北千島(シュムシュ、アライト、パラムシル)初見一雄、太田嘉四夫、岡彦一、西圭一
    7-8月21-11日シュンベツ川-滑若岳 水上定一、照井孝太郎
    9月2-9日芽室川-パンケヌシ川-ペンケヌシ岳-右左府 西村正、福地宏平、有馬洋、岡彦一
    9月17日夏期登山報告会 日高10班 中央高地3班、本州2班、千島、樺太2班、その他2斑
    12月15日部報V号発行
    12月21-29日スキー合宿 十勝岳吹上温泉 15班107名VI
    5-9月英国隊、第五次エヴェレスト遠征、偵察行
    1936昭和1112-1月30-10日豊似川より豊似岳、ピリカヌプリ冬期初登、本野正一、湊正雄、葛酉晴雄VI
    2月11日講演と8ミリ映写の会「台湾の山」佐々保雄
    2月19日送別会 グランドホテル 54名 卒業部員 豊田春満、伊藤紀克、瀬戸国男、相川鎮雄、石橋正夫、下条菊次郎、高杉直幹
    3月13日音更川より極地法により石狩岳・二ペソツ山登頂 A班 本野正一、中村粂夫、有馬洋、橋本巌 B班 伊藤周一、湊正雄、岡彦一4
    3月予科桜星会旅行部々内誌「圏谷」創刊、12月までに第2号「けんこく」、第3号「Kar]を続けて発行
    4月部長 鈴木限三、幹事 本野正一、伊藤周一、西村正、福地文平、湯川龍二、朝比奈英三
    5月25日栃内前部長送別、鈴木新部長歓迎並に犬飼先生渡米送別会 富士本 50名
    6月4日談話会 於学生ホール 「エキスペディションの意義と登山精神について」
    7月9日時報第4号発行4
    11月14日山岳部創立十周年記念祝賀会 あづま 40名
    11月25日木暮理太郎氏にものを聞く会 明治製菓
    11月25日山岳部創立十周年記念講演と映画の会 中央講堂 講演 日本山岳会長木暮理太郎氏「吾国登山の時代相について」 中野征紀「山岳部の沿革とその登山精神について」 映画「モンブランの王者」
    12月20-28日スキー合宿 十勝岳吹上温泉 15班99名
    1月京大 極地法により朝鮮白頭山冬期初登
    8月29日英米合同遠征隊(テイルマンら) ナンダ・デヴィ(7817m)初登頂 最高記録を更新
    立教大隊(堀田弥一隊長〕ナンダ・コット(6861m)初登頂 日本人初のヒマラヤ登頂
    2-7月英国隊(H・ラトレッジ隊長)第6次エヴェレスト遠征
    1937昭和1212-1月28-6日鴛泊より利尻岳冬季初登 照井孝太郎、太田嘉四夫、瀬戸三郎、岡彦一VI
    1-2月27-7日第一次厳冬期ペテガリ岳登山(極地法による) 悪天候のため1599m峯にて引返す A班 葛西晴雄、林和夫、中野龍雄、 B班岡彦一、及川盛也、坂本直行(OB) C班有馬洋、福地宏平、駒沢欣一、D班 星野昌平、橋本誠二
    2月19日送別会グランドホテル 52名、卒業部員 水上定一、小林正、佐瀬亘、桜林繁、初見一雄、加藤百一、奥田五郎
    3月11-27日樺太 敷香岳 岡彦一、渡辺盛達
    4月部長 鈴木限三、幹事 西村正、湊正雄、中村粂夫、湯川龍二、朝比奈英三、葛西晴雄、林和夫
    6月12-13日新入部員歓迎天幕行 札幌岳
    7月5日時報第5号発行5
    7月17-27日ヤオロマップ川溯行-ペテガリ岳-中ノ川 中野征紀、豊田春満、 駒沢欣一
    8月3日京大山岳部員 (木原、今西両教授他3名)との懇談会 学生ホール
    9月5-10日忠別川溯行 石橋恭一郎
    9月30日ヘルヴェチア・ヒュッテ建設十周年記念会 山崎先生の回顧談を伺う
    10月2-3日ヘルヴェチア・ヒュッテ建設十周年記念祭 40名余参加
    11月「Kar」第4号発行
    11月2日伊藤秀五郎先輩帰朝並に田口鎮雄先輩来札歓迎会 あづま 40名
    12月15日時報第6号発行6
    12月21-29日スキー合宿 十勝岳吹上温泉 22班、81名
    5-7月独逸山岳会(ヴィーン隊長)ナンガパルバット遠征、雪崩により隊長以下7名とシェルパ9名が全滅
    7月1日日華事変
    1938昭和1312-1月29-6日八の沢よりカムイエクウチカウシ山、七の沢より1823m峯 伊藤周一、福地宏平、橋本巌、渡辺盛達VI
    12-1月29-5日コイカクシュサツナイより1823m峰 中野龍雄、清水誠吉、湊正雄
    12-1月29-10日ヌピナイ川よりソエマツ岳、神威岳(神威岳冬期初登)中野征紀、葛西晴雄、有馬洋
    2月14日送別会 グランドホテル 70名、卒業部員 照井孝太郎、本野正一、杉頴夫、石橋恭一郎、太田嘉四夫、福地文平、高橋喜夫、伊籐周一、諏訪善綱
    4月部長 鈴木限三、幹事 葛西晴雄、星野昌平、中野龍雄、福地宏平、林和夫、岡彦一
    5月7-8日新入都員歓迎キャンプ 札幌岳
    5月28日松川五郎先輩との懇談会 あづま
    6月5日時報第7号発行7
    7月16-26日中の川-中の岳 清水誠吉、浅野芳彦7
    8月3-12日サッシビチャリ沢-ルベツネ岳-ペテガリ岳-中の川 中野征紀、伊藤紀克、橋本誠二7
    9月1日部報VI号発行
    9月14日伊藤紀克、水上定一、瀬戸国男各先輩壮行会 (支那事変応召) 明治製菓
    10月27日坂本直行先輩と語る会
    10月28日慶大山岳部先輩小森宮章正氏と語る会
    11月「Kar」第5号発行
    12月8日研究会 学生ホール「アルコール・バーナーの燃焼性能について」工学部武田直秀教授
    12月21-29日冬期登山練習合宿 十勝岳吹上温泉 14班77名 27日第10班(リーダー湊正雄)は、上ホロカメットク山からの下山中、八ツ手岩分岐点の稜線附近で底雪崩に遭い、高田徳、瀬戸三郎の2名は埋没。27日より翌年1月3日迄、部員約25名、地元援助約10名により捜索。29日高田隊員の遺体発見。瀬戸隊員ば翌年6月4日第6次捜索隊によって発見さるVII
    12月30日時報第8号発行8
    4月1日国家総動員法公布
    2-7月英国隊第7次エヴェレスト遠征www.
    2-7月独逸隊(P・バウアー隊長)ナンガパルバート遠征、北側より7300mに到達www.
    1939昭和141月19日十勝岳遭難報告会・追悼会 学生ホール 90名VII
    1月23日合宿合評会並に徳永芳雄先輩歓迎会
    2月15日送別会グランドホテル 卒業都員 朝比奈英三、湊正雄、西村正、中村粂夫、玉沢広、湯川龍二
    4月部長 鈴木限三、幹事 有馬洋、橋本誠二、渡辺盛達、近藤達、内田武彦、片山純吉
    6月15日故瀬戸三郎、高田徳両君追悼会
    6月22日夏山計画発表会並に渡辺武雄先生、菊池寛先輩歓迎会
    7月13-22日ヤオロマップ川本流遡行 近藤達、浅野芳彦、住宮省三7
    7月14-26日春別川本流遡行-ピリカヌプリ-ソエマツ岳-神威岳-ヌピナイ川 羽田喜久男、菊本孝、新見良夫7
    7月15-25日ケリマップ川-メナシベツ-コイボクシュシベチャリ川-1823m峰-ペテガリ岳-中の川 清水誠吉、片山純吉、有馬純7
    10月3日故徳永正雄先輩追悼会並に秋山報告会
    10月8日槙有恒氏歓迎座談会
    11月13日西川桜、高橋正三両先輩歓迎並に山岳部創立記念会
    12月5日映画会 学生ホール「十勝合宿」(8ミリ)と「スイスの山々」(カラースライド)
    12月15日時報第9号発行9
    12月21-29日冬期登山練習合宿 十勝岳吹上温泉 11班61名
    2-7月米国隊K2遠征、頂上まで230mに迫る、下山時隊員とシェルパ3名が遭難死www.
    2-7月独逸隊(P・アウフシュナイダー隊長)ナンガパルバートに偵察遠征www.
    1940昭和151月5日前年12月30日より入山中のベテガリ隊 (葛西晴雄、有馬洋、戸倉源次郎、片山純吉、清水清吉、近藤達、羽田喜久男、渡辺盛達、内田武彦、橋本誠二)がコイカクシュサツナイ川上流で雪崩のため遭難、内田、橋本を除く8名死亡VII
    1月9-18日悲報を受け、部員.先輩合計38名、5隊の捜索隊により遺体発掘、引き降ろし作業。戸倉隊員を除く7名の遺体発見。
    1月21日上記遭難部員合同葬 札幌中央寺
    2月15日冬期登山報告会 目高1、中央高地1 ペテガリ隊遭難事情発表会
    2月16日送別会グランドホテル 卒業部員 岩間嘉吉、林和夫、中野昌、及川盛也、駒沢欣一、岡彦一、福地宏平、星野昌平、中野竜雄、丸山喜久男 鈴木部長辞意表明
    2月18日スキー術練習会
    3-4月22-3日ペテガリ遭難第2回捜索 中野征紀他3名、戸倉隊員遺体捜索、帯広営林署の協力により流出止めの柵「アバ」を建設
    4月幹事 橋本誠二、塩月陽一、児玉五郎、渡辺艮一、今村昌耕、住宮省三、原一郎、新美長夫
    5月1日部長交代 伊藤秀五郎教授部長となる
    5月30日春期登山、文武会デー登山報告会、湯川龍二先輩入営壮行会 日高3班、中央高地2班、道内5班、本州1班
    6月4日夏期登山計画発表会
    7月5-12日ペテガリ遭難第3回捜索 7日戸倉隊員遺体発見、10日札内川におろし、茶毘に付し、12日遺骨札幌着
    7月20日北大山の会(OB会)設立 (11月1日現在会員92名)10
    9月27日夏期登山報告会日高2班、中央高地・夕張 4班、千島 3班、本州 3班、台湾1班10
    11月19日北大山の会札幌集会 世話人を(札幌)中野征紀、朝比奈英三、福地宏平、(東京)山口健児、小平俊平の5名とする10
    12月「Kar」第6号発行11
    12月22-28日冬期登山練習合宿 十勝岳吹上温泉 9班48名11
    12月27日北大山岳部時報改め北大山の会々報第10号発行11
    1941昭和161月23日合宿批評会・冬山報告会 スキー技術低下の批評あり、冬山は中央高地2斑いずれも悪天侯のため退却11
    2月6日文武会は北大報国会に改組され、山岳部も鍛練部山岳班と称することとなる。班長は伊藤秀五郎教授
    2月12日部報VII号発行
    2月18日送別会 グランドホテル 卒業部員 橋本巌、関守、伊吹良太郎、 内田武彦
    2月22日スキー術研究会 新しい登山スキー術の手引の改訂のため
    3月27日山の会会報第11号発行
    3-4月14-8日コイカクシュサツナイ川-コイカクシュ札内岳-ルベツネ岳(ルベツネ岳積雪期初登) 朝比奈英三、橋本誠二
    4月幹事 渡辺良一、今村昌耕、新美長夫、小関幸治、明比衛、佐藤弘
    4-5月26-9日コイカクシュ札内岳-ペテガリ岳(積雪期初登) 住宮省三、今村昌耕
    5月16日第1回春山報告会
    5月27日第2回春山報告会 2・3月の登山 芦別岳2、石狩岳、ルベツネ山、4・5月の登山 日高2、その他 道内5
    5月4-11日門脇久(予科2年都員)鳥海山にて遭難死亡、遺体の捜索を斑長以下7名をもって行なう
    6月25日山の会会報第12号発行
    8月17-23日コイカクシュ札内岳にケルン建設 遺族 羽田氏父子と中野征紀以下10名参加
    9月27日夏山報告会・秋山計画発表会 日高 中央高地 4、本州 3、秋山 4班13
    10月23日研究会「氷河について」佐々保雄
    11月5日本年度学部卒業12月に繰上げとなる。 送別会 グランドホテル 卒業部員 橋本誠二、原一郎、児玉五郎、塩月陽一、高橋藤夫
    11月6日研究会「気象について」増井、「岩登りについて」新美
    12月6日研究会「雪崩について」渡辺、「十勝の地図について」朝比奈 卒業繰上げに伴う幹事交代、17年10月まで 幹事 明比衛、倉林正尚、山口俊也、有馬純、駒田盈郎、高田敦徳、宇井格生
    12月21-29日冬季登山練習合宿 十勝岳吹上温泉 初年班2、2年班3、3年班2、特別班1、合計43名、他に学生課員1名、教練教官2名参加
    1月早大山岳部極地法により朝鮮冠帽峯登頂
    12月8日太平洋戦争開戦
    1942昭和171月27日合宿批評会・報告会13
    4月14日山の会東京集会
    4月山の会会報第13号発行
    5月12日春山報告会 2・3月の登山 中央高地3、4・5月の登山 芦別岳1VII
    6月27-28日ヘルベチア祭
    7月19-28日無名沢-コイカクシュ札内岳-札内川 渡辺良一、菊池徹、橋本芳郎14
    8月25日夏山報告会 日高6班中央高地2班 無名沢よりコィカクに至るルート登攀
    9月8日送別会 学生ホール 今年は6カ月短縮の9月卒業となる。 卒業部員 住宮省三、新美長夫、小関幸治、加藤英夫、栃内晃吉
    9月山の会会報第14号発行
    10月14日繰上げ卒業に伴う幹事交代 班長伊藤秀五郎、幹事 有馬純、高田敦徳、山口俊也、山田真弓、門田元15
    11月9日合宿映画会スキー術についての説明、橋本誠二、映画「十勝合宿」
    12月29-24日冬季登山練習合宿 例年の十勝岳吹上温泉が出発直前に使えなくなったため、初年班は二セコ新見温泉で、2、3年班は大雪山愛山渓温泉にて実施 初年班3、先生班1(以上新見温泉) 計28名、2年斑3、3年班2、先生・先輩班1 計34名16
    12月30日山の会会報第15号発行
    京大(今西錦司隊長)満洲大興安嶺遠征
    1943昭和181月3-7日札楽古川-楽古岳-十勝岳 橋本芳郎、藤木忠美、石井次郎16
    1月5日合宿終了後、年末から入山したペテガリ隊(渡辺良一、今村昌耕、佐藤弘、荘田幹夫、上杉壽彦)は、イグルーによるラッシュタクティクテイクをもってペテガリ岳厳冬期初登頂(今村、佐藤)に成功
    1月21日合宿報告・批評会
    2月2日冬山報告会 ペテガリ岳(計画、登頂、イグルー) 他日高1、中央高地1、ニセコ1、増毛山塊1
    3月30日山の会会報第16号発行
    5月5日春山報告会 2・3月の登山 中央高地4 芦別岳2、本州2、4・5月の登山 タ張山脈2、増毛山塊1、他道内317VII
    8月「Kar」第7号発行
    9月12日送別会 卒業部員 渡辺良一、今村昌耕、明比衛、宇井格生、石川理一18
    9月20日山の会会報第17号発行
    10月1日幹事交代 班長 伊藤秀五郎、幹事 駒田盈郎、山田真弓、橋本芳郎、上杉壽彦、石井次郎、菊池徹
    10月9日夏山報告会 日高4、中央高地2
    10月20日鈴木限三前部長送別会 植物園にて
    12月22日冬季登山練習合宿 十勝岳吹上温泉 参加者33名
    12月30日山の会会報第18号発行、以後戦時中の出版事情のため暫く休刊となる
    1944昭和191月26日合宿批評会・冬山報告会 冬山 日高2、中央高地119
    3月28日伊藤秀五郎班長 予科教授退任に伴い班長辞任しぱらく班長不在となる
    4月学生ホールが軍の使用に供されることとなりルームがなくなる。備品は水産専門部倉庫に保管
    5月27日送別会グランドホテル 卒業部員 有馬純、佐藤弘、高田敦徳、増井幸雄、門田元、中山悌志 戦争の影響深刻となり、春山2、夏山2の記録を数えるのみ
    10月19日幹事交代 幹事 菊池徹、橋本芳郎、藤本忠美、山崎英雄
    11月20日映画会 山崎先生宅
    12月17-23日冬季登山練習含宿 再び吹上温泉使用不能となりニセコ馬場温泉にて行なう
    1945昭和202月9日送別会 グランドホテル 卒業部員 駒田盈郎、山口俊也、山田真弓、東晃、明石忠司、竹山太郎VIII
    4月幹事 菊池徹、橋本芳郎、藤木忠美、山崎英雄
    7月空襲対策として備品を先輩宅や医学部解剖学教室に分散19
    12月17-23日冬季登山練習合宿 十勝岳勝岳荘 非常な困難をおして行なうことが出来た。参加者14名VIII
    8月15日太平洋戦争終結
    1946昭和211月15日予科校舎を米軍が使用するため備品を本部へ移転19
    2月中旬仮ルームを室内運動場の1室に決定、備品をルームに集め整備す
    4月部長 犬飼哲夫、予科部長 奥村敬次郊、幹事 岡見吉郎、中山悌志、河野晋三、関沢泰治、山崎英雄VIII
    5月22日幹事会 山岳部・山の会合同総会 厚生食堂 終戦後初めて皆顔を合わす
    9月6日夏山報告会 日高4班、中央高地1班
    9月14-15日ヘルヴェチア二十年祭 松方日本山岳会長以下30名が出席
    9月27日送別会 白十字 卒業都員 菊池徹、上杉壽彦、荘田幹夫
    11月11日カナダ山岳会会員カーター氏歓迎会 医学部会議室
    12月8日冬山研究会 農学部会議室「雪崩」湊正雄 「イグルー」橋本誠二19
    12月15-21日冬山合宿 十勝岳白銀荘 26名 昭和21年の山行 夏山5班16名VIII
    1947昭和224月部長 犬飼哲夫、幹事 中山悌志、松田禅、菊地三郎、花岡八郎、高井鐐二、山崎英雄20VIII
    4月28日部員総会 ルームVIII
    5月14日冬山報告会 ルーム 幌尻、旭岳各1班、その他5班
    6月14日新入生歓迎キャンプ 常次沢 暫く中止していたキャンプ復活
    7月3日研究会 ルーム「カールについて」橋本誠二
    7月31日花岡八郎君コイカクシュ札内岳より札内川に下山中沢へ墜落死す
    8月4-10日花岡君遭難捜索 4班19名が現地へ向う
    8月10日花岡君遭難報告会 農学部地下ホール
    8月20日夏山報告会 ルーム 日高4班、中央高地3班
    9月27-28日ヘルヴェチア祭
    10月山の会会報第19号発行
    10月4日送別会 農学韻地下ホール 卒業部員 橋本芳郎、岡見吉郎、大川勇三郎、田畑和男、河野晋三、関沢泰治
    10月6日早大山岳部員と懇談
    10月10日山の会 山岳部の後援について集会を開く
    10月27日山の映画会
    「Kar」第8号発行
    12月10-15日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 22名 昭和22年の山行 夏山7班23名
    3月大学令廃止、教育基本法、学校教育法公布
    4月北大に法文学部設置
    9月北海道帝国大学は北海道大学と改称
    12-1月早大山岳部 中ノ川、ポンヤオロ中間の尾根からポーラーメソッド によりぺテガリ岳登頂
    京大伊藤洋平らにより山岳雑誌「岳人」創刊www.
    1948昭和231月5-9日ヘルヴェチア・ヒュッテで合宿10名20
    1-2月22-3日ピリカペタン沢-札内岳-ナメワッカ岳(ナメワッカ岳冬期初登) 橋本誠二、山崎英雄、熊野純男、木崎甲子郎20VIII
    2月18-28日新冠川-イドンナップ岳(イドンナップ岳冬期初登) 奥村敬二郎、橋本芳郎、山崎英雄、菊池三郎、木崎甲子郎、関祐次20
    4月部長 奥村敬次郎、幹事 菊地三郎、高井鐐二、向川信一、木崎甲子郎、三宅正紀、関祐次、大賀皓
    4月17日部員総会・新入部員歓迎会・冬山報告会 予科食堂 日高3班、その他1班
    5月山の会会報第20号発行20
    9月7日夏山報告会 予科食堂 日高 5班、中央高地 2班、 本州 1班
    9月13日山の映画会
    10月2-3日ヘルヴェチア祭20名
    10月6-10日山岳部展示会 低温研会議室 大学祭の一部として行う
    11月27日送別会 今井デパート食堂 卒業部員 長田進、中山悌志、高井鐐二 昭和23年の山行 日高6班23名 その他9班31名
    12月11-16日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 5班30名
    12-1月31-9日北トツタベツ岳冬期初登 トッタベツ川より往復 山崎英雄、大賀皓、杉野目浩、白浜晴久
    1949昭和241月11-25日イグルーを使用し札内岳-カムイエクウチカウシ山(冬期初登) 橋本誠二、関祐次、長井晃四郎、野田四郎21VIII
    4月部長 奥村敬次郎、幹事 山崎英雄、木崎甲子郎、関祐次、向川信一、長井晃四郎、大賀皓
    5月29日新入生歓迎キャンプ 札幌岳雪渓登り山崎日記
    6月山の会会報第21号発行
    8月11日山岳部長奥村敬次郎教援 札内川九ノ沢を下降中落石に打たれ死亡22
    8月15-21日先輩、部員15名、学医、警察官、営林署員が現地に向かう
    8月18日収容隊は遺体を九ノ沢カールに葬る
    8月23日遣髪帰札
    8月24日葬儀 東本願寺 北大体育会葬、北大学生会葬
    8月29日奥村部長遭難経遇報告会 農学部会議室
    9月10日夏山報告会・部員総会 日高7班、中央高地2班、その他1班、本州1班
    9月15日原田準平教授 部長に就任
    9月18-19日赤岩 岩登会
    9月20日ルーム移転 学生会館2階東端の元の部屋に戻ることができた
    9月23-24日ヘルヴェチア祭
    10月8日冬山研究会 ルーム
    10月26日冬山研究会 ルーム
    11月5日幹事交代 木崎甲子郎、関祐次、長井晃四郎、野田四郎、山崎英雄、白浜晴久、杉野目浩、大賀皓、有波敏明
    12月15-22日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 5班29名、先輩5名
    12月山の会会報第22号発行 昭和24年の山行 夏山 日高7班19名、その他11班37名、冬山 日高3班11名、その他8班26名、春山 2班10名22
    3月6日日本山岳会北海道支部発足
    5月新制北海道大学発足(法文、教育、理、医、工、農、水産 の7学部)
    1950昭和251月8-19日コイカクシュサツナイ岳よりカムイエクウチカウシ山と1839峯往復(1839峰冬期初登)、山崎英雄以下12名4班23VIII
    2月10日冬山報告会VIII
    2月25日送別会 辰已 卒業部員 菊地三郎、鮫島惇一郎、藤森元、八代利雄23
    3-4月28-5日十勝岳-化雲岳単独縦走 森田寛VIII
    4月部長 原田準平、幹事 山崎英雄、野田四郎、長井晃四郎、白浜晴久、杉野目浩、中村利一、有波敏明、佐伯富男
    5月12日部員総会 新入部員歓迎会 春山報告会 農学部地下ホール
    5月13-14日新入部員歓迎キャンプ 札幌岳 参加者28名
    6月21日アイヌ語研究会 ルーム 講師知里真志保氏
    6月山の会会報第23号発行23
    9月9日夏山報告会 日高8班、中央高地4班、本州4班24
    9月21日研究会「ヒマラヤについて」野田四郎
    9月30日ヘルヴェチア祭24
    10月6日研究会「雪中露営」山崎英雄
    11月9日後期幹事決定 山崎英雄、野田四郎、白浜晴久、有波敏明、三角亨、渡辺裕男、長井晃四郎、中村利一、杉野目浩
    12月17-23日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 5班32名 昭和25年の山行 夏山 日高8班30名、その他8班25名、冬山 カムイエクウチカウシ山1839m峯 4班12名、その他3班15名、春山 4班12名
    12月山の会会報第24号発行24
    3月法文学部は文学部と法経学部に分離、予科、専門部廃止
    6月3日フランス隊(モーリス・エルゾーク隊長)、エルゾーグ隊長とルイ・ラシュナル、アンナプルナ(8091m)登頂 最初の八千メートル峰登頂www.
    中国軍チベット侵攻 チベット側からのヒマラヤ登山禁止となるwww.
    1951昭和261月22-27日美生川-美生岳-1940峰-ルベシベ岳 山崎英雄、有波敏明、網倉俊雄、三尾龍民VIII
    2月9日冬山報告会 日高2班、中央高地3班25
    2月17送別会 卒業部員 木崎甲子郎、大賀皓、向川信一、森田寛、関祐次、鈴木和子25
    4月部長 原田準平、幹事 野田四郎、杉野目浩、早稲田収、千葉幹雄、三尾龍民、木村俊郎、白浜晴久、中村利一
    4月30日部員総会25
    5月19日新入生歓迎キャンプ 札幌岳 参加者18名山崎日記
    9月18日夏山報告会 日高9班、中央高地 3班、その他 1班、本州 3班25
    10月6日山岳部・ヘルヴェチア・ヒュッテ二十五周年記念祭 参加者41名25
    12月16-23日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 2班13名27
    12月15日山の会会報第25号発行25
    12-1月22-9日厳冬期十勝岳・大雪山縦走 6班19名、木崎甲子郎、野田四郎、越野正、木村俊郎、井上正惟、白浜晴久、有波敏明、早稲田牧、野口裕、杉野目浩、森厚、岡本丈夫、中村利一、石谷邦次、中島秀雄・千葉幹雄、山崎英雄、網蔵俊雄、三尾龍民26
    昭和26年の山行 夏山 日高10班31名、その他 6班14名、冬山十勝、大雪縦走 六班19名、日高 3班9名、その他 2班4名、春山 4班22名
    1952昭和272月4日冬山報告会 農学部地下ホール27
    2月15日送別会 明治製菓 卒業部員 山崎英雄、網蔵俊雄、長井晃四郎、三角亨、津田朗二、尾崎弘恒、豊田茂成27
    4月18日部長 原田準平 幹事 有波敏明、越野正、中島秀雄、中村邦夫、木村俊郎、倉島功、岡本丈夫VIII
    4月27-28日新入部員との懇親会ヘルヴェチア・ヒュッテ〜余市岳 15名
    5月17-18日新入都員歓迎キヤンプ 札幌岳 (滝の沢)5名
    5月15日春山報告会 日高1班3名、本州1班2名、その他5班20名
    8月25日山の会会報第26号発行26
    9月20日夏山報告会 日高7班24名、中央高地4班11名、本州4班10名
    10月4日ヘルベチア祭 42名
    10月10日研究会「凍死、凍傷の話 一」有波 「打撲、脱臼、捻挫等について」井上
    10月17日研究会「凍死、凍傷の話 二」有波 「山に於ける疾病について」井上
    11月1-3日山岳部展示会(秋季大学文化祭の一環として行う)
    11月14日研究会「登山スキー術とその練習法について」越野 「合宿に於ける装備」木村
    12月9日映画会「南極の秘境」
    12月17-22日冬山合宿 ヘルヴェチア・ヒュッテ 4班27名 (鉄道ストライキのため十勝岳合宿中止)
    12-1月26-8日トッタベツ川-幌尻岳-美生岳-トッタベツ岳(1940峰冬期初登) 木村俊郎、高田光彦、河内洋佑、和田一雄
    12-1月26-9日ペッピリガイ沢-中の岳ーペテガリ岳-カムイ岳 ペテガリ岳冬期第2登、中の岳冬期初登 杉野目浩、有波敏明、中島秀雄、岡本丈夫、森厚、小林年27
    4月北大に獣医学部新設
    スイス隊(E・ウィス隊長)エヴェレスト遠征、8595mに到達www.
    1953昭和281月11日知床縦走後の京大山岳部(伊藤洋平他4名)と懇談VIII
    1月27日冬山報告会 日高 2班10名、中央高地 1班4名
    2月12日送別会及び山崎英雄君マナスル遠征壮行会 グランドホテル 卒業部員(旧制)井上正惟、野田四郎、杉野目浩、白浜晴久、申村利一、三尾龍民、佐伯富男・千葉幹雄、(新制)越野正、早稲田牧、野口裕、深井一郎、矢作栄一
    3月14-20日十勝岳合宿 勝岳荘 4班19名
    4月部長 原田準平 幹事 木村俊郎、申島秀雄、依田幸二、高田光彦、石谷邦次、春日徳治、岡本丈夫、五十嵐恒夫、和田一雄、河内洋佑、小林年
    4月21日部員総会・新入部員自已紹介・合宿批評会・春山発表会
    4月23-24日新入部員懇親会 ヘルヴェチア・ヒュッテ
    4-5月25-4日ピリカペタン沢-札内岳-エサオマントッタベツ岳-分岐−ナメワッカ岳−イドンナップ岳−カムイエクウチカウシ山−札内岳 岡本丈夫、和田一雄、永光俊一27
    5月3日木曽殿越にて井上正惟君遭難死亡
    5月13日春山報告会 日高2班7名、本州4班13名、その他6班22名
    5月16-17日新入部員歓迎会 札幌岳
    5月30-31日岩登り練習会 赤岩
    7-8月23-6日額平川(ペンケチェプの沢)-新冠川(ヌカンライの沢)-新冠川本流-エサオマントツタベツ岳-カムイエクウチカウシ山-札内川八の沢(新冠川初完全溯行) 岡本丈夫、野坂桂介、小林年
    8月19日剣岳白萩川ブナクラ谷にて鈴木康平君降雨出水に流されて遭難死
    8月21日白萩発電所取入口にて遺体発見収容
    8月山の会会報第27号発行27
    9月22日夏山報告会及び鈴木康平君遭難報告・批判会 日高山脈7班21名、中央高地2班6名 本州6班22名、その他1班4名
    10月11-10日ヘルヴェチア・ヒュッテ二十六周年祭50名
    11月3日男沢哲先生逝去
    12月15-24日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 初年斑 1班9名、2年班 3班16名、OB班 1班3名
    1月26日早大山岳都南米アンデス、アコンカグア登頂
    3月旧制大学最後の卒業、新制大学初の卒業
    3-6月日本山岳会第1次マナスル登山遠征(隊長 三田幸夫)にOB山崎英雄参加
    5月29日英国隊(ハント隊長)のエドモンド・ヒラリー、テンジン・ノルブが東南稜よりエヴェレスト(8844m)初登頂
    7月3日独墺隊(カール・ヘルリコッファー隊長)、ヘルマン・ブールが無酸素ナンガパルバット(8125m)初登頂www.
    1954昭和2929部員総会 冬山報告会 日高1班5名、中央高地1班5名、本州1班3名VIII
    216送別会 産業会館 卒業部員 有波敏明、石谷邦次、春日徳次、木村俊郎、倉島功、水沢広光、高田光彦、中村邦夫、佐藤行郎、中島秀雄、新妻徹、町原亮、渡辺裕男
    4部長 原田準平 幹事 (前期) 岡本丈夫・森厚、依田幸二、河内洋佑、和田一雄、小西純、五十嵐恒夫、長友久雄 幹事 (後期) 河内洋佑、長友久雄、和田一雄、小酉純、加納正敏、元木暉里、石村実、西信博、永光俊一 春山 日高 1斑3名、中央高地 1班4名、本州 3斑11名、その他 2班9名
    52-5春山合宿 芦別岳 6班30名
    522-23新入部員歓迎会 札幌岳
    927夏山報告会 日高7班27名、中央高地2班10名、本州4班15名、その他1班2名
    102-3ヘルヴェチア27周年記念祭
    1218-26冬山合宿 十勝岳白銀荘 初年班1班11名、2年班1班8名、OB班1班2名
    1218-31極地法により幌尻岳-カムイエクウチカウシ山主稜線縦走 河内洋佑リーダー以下6班18名
    731イタリア隊(隊長アルデイド・デシオ博士)、K2(チョゴリ8611m)初登頂
    10月19日オーストリア隊(ヘルベルト・ティッヒー隊長)チョー・オユー(8201m)初登頂www.
    1955昭和301月28日冬山並びに合宿報告会VIII
    2月11日送別会 産業会館 卒業部員 荒生繁雄、五十嵐恒夫、渡辺八枝子、岡本丈夫、竹江_、高橋剛、森厚、依田幸二
    4月部長 原田準平 幹事(1955・5-10) 長友久雄、永光俊一、佐野匡四郎、安藤久男、宮地隆二、鈴木弘泰、高橋利雄、西信博、久木村久、元木暉里、増田定雄、加納正敏、滝沢政治 幹事(1955・10-1956・5) 永光俊一・佐野匡四郎、久木村久・宮地隆二、安藤久男、西信博、石村実、小口洋右、加納正敏
    4-5月29-5日春山合宿 芦別岳 初年班1斑22名、2年班4班14名
    5月13日春山 報告会 日高1班5名、中央高地2班8名
    5月21-22日新入部員歓迎会 砥石山至恩山荘
    9月山の会会報28号発行28
    9月23日夏山報告会 日高5班15名、知床1班3名、本州2班8名
    10月2-3日ヘルヴェチア祭
    12月17-23日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 初年班1班17名、2年班6班23名
    5月25日英国隊(チャールス・エバンス隊長)カンチェンジュンガ(8586m)初登頂www.
    6-7月24-3日ペテガリ岳西尾根開拓 北海学園大野口ら
    5月15日仏隊(ジャン・フランコ隊長)マカルー(8463m)初登頂www.
    9月11日日本山岳会マナスル登山先遣隊にOB橋本誠二参加28
    1956昭和311月27日冬山報告会 日高3班、中央高地1班、本州1班、その他1班VIII
    1月29日極地研究会設立
    2月「Kar]9号発行
    2月14日送別会 卒業部員 河内洋佑、小枝一夫、小林年、小西純、坂野茂晴、長友久雄、和田一雄、渡辺定元
    5月14日部長 原田準平 幹事 一部交代 新幹事 西信博、宮地隆二、佐野匡四郎、久木村久、安藤久男、高橋利雄、石村実、小口洋右、滝沢政治
    6月8日部員総会 夏山計画発表
    3-9月夏山 日高12班41名、中央高地2班10名、穂高岳合宿9名
    9月20日幹事会 冬山日高山脈全山縦走と十勝岳合宿を同時に行うことを決定
    10月21-24日冬山のための偵察、春別川(南日高)
    11月13日冬山資金調達のための映画会
    11月23-25日羊蹄山にて冬山訓練
    12月16-21日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 3班15名参加
    12-1月12-6日日高山脈全山縦走成功 チーフリーダー西信博以下縦走隊4名、サポート1班6名、2班6名、3班5名
    5月9日日本山岳会マナスル登山隊(隊長槙有恒) 念願のマナスルに今西寿夫、ガルツェン・ノルブ初登頂
    5月18日スイス隊(アルバート・エグラー隊長)ローツェ(8516m)に初登頂www.
    1957昭和322月15日幹事交代 新幹事 高橋利雄、安間荘、木幡貢、増田定雄、森康通、宮地隆二、佐々木幸雄、久木村久VIII
    3月送別会 卒業部員 安藤久男、石村実、片山彰三、加納正敏、鈴木弘康、高野了乙、永光俊一、牧野博恒、元木暉里
    3-4月春山 日高2班7名、その他3班10名
    4-5月30-6日春山合宿 十勝岳勝岳荘 8班44名
    5月18-19日新入生歓迎会 至恩山荘
    5-6月29-5日ニペソツ山東壁登攀 遠藤禎一、酒井和彦、志牟田隆雄、北古味雄
    6月14日幹事会で空沼小屋管理を引受けること決定
    6月28日幹事一部交代 小幡、宮地辞任、酒井和彦、遠藤禎一、志牟田隆男新任
    6-9月夏山 日高11斑38名、中央高地2班4名、剣岳含宿9名
    10月11日例会で部報8号発刊につき検討
    11月15日冬山資金調達のための映画会
    11月16日冬山計画発表
    11月22-25日芦別岳にて冬山訓練 22名
    12月16-23日冬山合宿 勝岳荘 43名他に先輩3名
    12月1日冬山 日高1班6名、穂高岳2班21名 芦別岳1班3名
    1月南極観測第1次越冬隊(西堀栄三郎隊長)オングル島に基地設営越冬開始 OB中野征紀、佐伯富男、菊池徹参加、夏隊に小林年(犬ぞり担当)参加 この後、南極観測、ヒマラヤ、アラスカ、パタゴニァ等の学術調査にOB、部員の参加が多くなる
    4月北大の理工系学部の拡張始まり学生数増加
    6月9日オーストリア隊(マルクス・シュムック隊長)ヘルマン・ブールら全隊員がブロード・ピーク(8047m)初登頂www.
    1958昭和332月15日幹事交代 新幹事 安間荘、橋本正人、酒井和彦、今村正克、森康通、遠藤禎一、志牟田隆男、佐々木幸雄VIII
    2月15日送別会 産業会館 卒業部員 小口洋右、越智博、久木村久、高橋利雄、滝沢政治、増田定雄、宮地隆二、西信博
    2月「Kar]10号発行
    3-4月春山 日高1班4名、穂高岳2班12名 富士山1班5名
    4月2日前田一夫君、穂高岳吊尾根にて滑落死亡
    4-5月30-6日春山合宿 十勝岳勝岳荘 50数名
    6-9月夏山 日高11班36名、中央高地 5班13名、本州 4班27名 前田君のため七ツ沼カールにケルンを積む
    7月19-26日ソエマツ沢よりカムイ岳直登沢-カムイ岳-ピリカヌプリ 吉田勝、神前博
    7月19-29日サシビチャリ川より1599峰直登沢-1599峰-ペテガリ岳 山本康博、明智洸一郎
    9月25-30日旭岳における東京芸大 安藤氏遭難の捜索に協力
    10月30日冬山資金調達のための映画会
    11月21日冬山計画発表 極地法による北鎌尾根より奥穂高注復、参加18名、冬山合宿は同時に行うこととす
    11月21-24日芦別岳にて冬山訓練
    11月27-30日芦別岳にて冬山訓練
    12月9日北鎌尾根班入山
    12月19日冬山合宿斑 十勝岳勝岳荘 29名札幌発
    12月21日合宿初年班の小竹パーティ3名帰らず 翌22日合宿解散、捜索隊編成
    12月22日北鎌尾根班、十勝合宿で3名遭難の知らせを聞き下山
    12月23日小竹、加藤両君遺体収容、下山
    3月2日英国フックス隊 南極大陸横断に成功www.
    7月5日米国隊(ニコラス・クリンチ隊長)ガッシャーブルムI峰(8068m)初登頂www.
    8月4日京大AACK(隊長桑原武夫)チョゴリザ(7688m)初登頂
    山岳雑誌「岩と雪」(山と渓谷社)創刊www.
    1959昭和341月17日都員総会 十勝合宿における遭難の報告IX
    2月6日幹事交代 新幹事 遠藤禎一、酒井和彦、志牟田隆男、西村豪、岩崎祐三、今村正克、関根敏夫、神前博、吉田勝、鈴木良榑、橋本正人
    2月8日故前田一夫、故小竹幸昭、故加藤幹夫、追悼会
    3月送別会 卒業部員 安間荘、影浦弘、高丈夫、森康通、森田敦之、木幡貢
    3-4月春山 日高2班14名、中央高地3班27名、その他4班23名
    3月部内誌「Kar]第11号発行
    4-5月30-6日春山含宿 勝岳荘焼失のため、薪小屋とテントに分宿、大砲岩にケルンを積む。14班53名
    5月30-31日新入部員歓迎会 空沼祭
    6-9月夏山 日高 10班43名、本州 4班17名、剣岳合宿14名
    7月20-29日サシビチャリ川-1839直登沢-1839峰-ヤオロマップ岳-ルベツネ岳-ペテガリ岳-中の岳 吉谷川泰、中村晴彦、渡辺興亜、住吉幸彦
    8月3-15日無名沢-1839直登沢-1839峰ーサシビチャリ沢-ルベツネ岳−ペテガリ岳 松下彰夫、木村恒美、三浦章司
    10月2日幹事交代 新幹事 橋本正人、吉田勝、鈴木良博、大井幸雄、西村豪、松下彰夫、吉谷川泰、神前博
    11月15日部報IX号発行
    11月28日部員総会ヒマラヤ、アピ峰登山計画の検討
    11月30日山の会ヒマラヤ委員会結成
    12月16-23日冬山合宿 十勝岳白銀荘・勝岳荘 13斑63名
    12月24日山の会会報第29号発行
    12-1月冬山 日高 5班28名、中央高地 3班13名
    12-1月25-10日コイボクシュシビチャリ川-1817峰 遠藤禎一、酒井和彦、野地正保、松行均、須藤孝俊、壇上貴美子、藤原嘉樹
    1960昭和351月4-19日新冠川-幌尻岳-トッタベツ岳-イドンナップ岳-ナメワッカ岳(新冠川冬期完全遡行) 西村豪、木村恒美、田中英幸、黒川武、末兼光IX
    2月12日幹事交代 新幹事 西村豪、吉田勝、松下彰夫、山本康博、神前博、鈴木良博、吉谷川泰、大井幸雄
    2月15日送別会 卒業部員 遠藤槙一、川崎敏、酒井和彦、壇上貴美子、白本貞昭,関根敏夫、高橋宏治、野地正保、呂照雄、北古味雄
    3-4月春山 日高 2班9名、本州 3班12名、その他 2班10名 主な記録 松下他6名サツシピチャリ川よりペテガリ岳、鉾木他5名コイボクシユシピチャリ川より1817米峯
    3月17-30日サシビチャリ川-1560のコブ-ペテガリ岳-コイボクシュシビチャリ川(サシビチャリ川積雪期初登) 松下彰夫、高松秀彦、鶴巻大陸
    3-4月18-2日コイボクシュシビチャリ川-1817峰 鈴木良博、中沢彰夫、住吉幸彦、阪田正勝、牧正、久須美健三郎
    4-5月30-6日春山合宿 愛山渓温泉 12班57名参加
    5月21-22日新入生歓迎会 空沼祭
    5月25日幹事交代 新幹事 西村豪、吉田勝、西安信、中沢祥男、神前博、中村晴彦、三浦章司、木村恒美、鈴木良博
    5月部内誌「Kar}第12号発行
    6月25日山の会総会で会則改正、従来の世話人制を廃し会長、副会長、理事をおくこととする。初代会長伊藤秀五郎
    6-9月夏山 日高 11班48名、剣岳合宿10名 その他 4班21名 主な記録 西村他2名春別川よりカムイエクウチカウシ山直登、酒井他2名サツシピチャリ川よりペテガリ岳直登
    7月14-22日シュンベツ川-カムエク直登沢-カムイエクウチカウシ山-シュンベツ川 西村豪、橋本正人、内藤拓
    7月22-30日サシビチャリ川-ペテガリ岳西直登沢ーペテガリ岳-中の川 酒井和彦、末兼光、牧正
    8-9月4-日山の会有志ら、羅臼岳に故木下弥三吉先輩のケルン建設
    9月30日幹事交代 新幹事 神前博、河野和男、西安信、中沢祥男、中村晴彦、渡辺興亜、高松秀彦、内藤拓、木村恒美、内貴正治
    11月10日山の会会報第30号発行30
    12月16-22日冬山合宿 十勝岳 10班57名
    5月13日スイス隊(マックス・アイゼリン隊長)ダウラギリI峰(8167m)初登頂www.
    5月24日慶応大隊(山田次郎隊長)ヒマルチュリ(7893m)初登頂www.
    1961昭和3612-1月26-13日カムイエクウチカウシ山集中登山 10班46名IX
    1月28日部員総会 冬山報告、カムイエクウチカウシ山集中登山の成功、参加46名 幹事交代 新幹事 中村晴彦、渡辺興亜、西安信、住吉幸彦、増山直義、内貴正治、木村垣美
    2月12日送別会 産業会館 卒業部員 西村豪、石井清一、大井幸雄、神前博、松下彰夫、山本康博、明智洸一郎、森村克美、吉田勝、吉谷川泰、松行均、衛藤孝俊、山口隆、山口斌
    2月26日第1回ヒマラヤ委員会 ヒマラヤ遠征計画の推進につき協議、役割分担をきめる
    3月9日第2回ヒマラヤ委員会 目標明年のプレモンスーン
    3-4月20-3日ソエマツ沢-カムイ岳-ピリカヌプリ岳-豊似岳-豊似川 高松秀彦、増山直義、渡辺尚、松村雄、西信三、大本昭弘
    3月31日山の会会報第31号発行31
    3-4月春山 日高 1班6名、その他 1班7名
    4-5月28-5日春山合宿 新装なった十勝岳勝岳荘で、13班58名
    5月13日部員総会
    5月20-21日新入生歓迎会 空沼祭
    6月9日夏山 日高 11班44名、中央高地 1班2名、本州 7班31名
    9月18日幹事交代 新幹事 渡辺興亜、河野和男、内藤拓、尾崎顕一、阪田正勝、 牧正、黒川武、松村雄、高橋昭好、鶴巻大陸
    7月19-30日春別川-札内川”さすらいの日高” 渡辺興亜、神谷正男、山口淳一、市村輝宣
    9月29日山の会総会 明年のヒマラヤ遠征の目標を東北ネパールのチャムラン峰とすること決定
    10月21-22日ヘルベチア三十五周年祭
    12月16-22日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 6班38名、うち4名慶応大学山岳部員
    12月1日冬山 日高 8班44名、本州 2班9名 主な記録 増山他4名、額平川より幌尻岳
    大阪市大隊(森本嘉一隊長)ランタンリルン(7234m)遠征、ギャルチェン・ノルブ遭難死、日本隊初のヒマラヤ遭難www.
    1962昭和3712-1月29-12日無名沢-1839直登沢-1839峰-コイカクシュ札内川(無名沢1839直登沢初登) 内藤拓、黒川武、神谷正雄、本間敏彦、山口淳一
    2月7日幹事交代 新幹事 渡辺興亜、内藤拓、阪田正勝、三浦章司、高松秀彦、黒川武、鶴巻大陸、高橋照好 このときから幹事の多くは無任所で備品、記録、図書、空沼、ヘルヴェチア、体育会は下級生の係の担当となる。X
    2月24日送別会 雪印パーラー 卒業部員 相田学、今村正克、岩崎裕三、河村章人、木村恒美、佐々木幸雄、鈴木良博、住吉幸彦、橋本正人、内貴正治、 中沢祥男、中村晴彦、酉安信
    3月4日春山 日高2班7名、中央高地1班4名 本州3班15名
    3月31日チャムラン隊(隊長中野征紀、副隊長岡本丈夫、隊員小林年、永光 俊一、久木村久、安間荘、鈴木良博)羽田出発
    3-4月21-5日北アルプス 湯の股温泉-北鎌尾根-槍ヶ岳-穂高岳 河野和雄、山口淳一、大山佳邦、遠藤禎一
    4月部長 渡辺千尚 (原田教授と交代) 幹事 内藤拓、黒川武、阪田正勝、鶴巻大陸、高橋昭好
    4-5月28-3日春山合宿 利尻岳、2年班11名
    4-5月30-5日春山合宿 十勝岳勝岳荘、初年班、30数名
    5月2-7日春山合宿 芦別岳、2年班 7班20名
    5月19-20日空沼祭
    5月31日チャムラン登頂
    6月部内誌「Kar}第13号発行
    7-8月7-25日夏山 日高 10班46名、北ア 3班、剣岳合宿17名
    7月7-19日ペテガリ西沢-ペテガリ岳-中ノ川-中ノ岳-二シュオマナイ沢-神威岳-中ノ川-ソエマツ岳-ヌピナイ川 神谷正男、伏見硯二、瀬戸純
    8月4日チャムラン隊帰国
    8月10日ヒマラヤ遠征隊帰国歓迎会 産業会館
    8月19日剣岳東大谷中尾根で上野八郎、雪渓崩壊により負傷
    8月19-25日剣沢小屋-弥陀ケ原経由富山へ上野救出
    10月幹事 鶴巻大陸、山口淳一、久須美健三郎、黒川武、神谷正男
    10月6-7日ヘルヴェチア祭
    12月15日山の会 総会役員交代、渡辺千尚会長就任 チャムラン隊報告、ナラカンカール峰遠征計画発表あり、新たにヒマラヤ委員会を設けて計画を推進すること決定
    12月17日第1回ヒマラヤ委員会
    12月15-20日冬山合宿 愛山渓温泉 初年班5班29名、2年班5班24名
    12-1月24-22日冬山 日高3斑15名、中央高地4班22名、知床1班3名、札幌近郊1班5名
    12-1月27-22日札内川よりカムイエクウチカウシ山、十勝幌尻岳、1823米峰、コイカクシュ札内岳、ヤオロマップ岳、札内岳、エサオマントツタベツ岳を登る 渡辺興亜、神谷正男、橋本甲午、伏見硯二、瀬戸純、部屋哲
    4月27日仏隊(リオネル・テレイ隊長)ジャヌー(7710m)初登頂www.
    7月24日京大パキスタン合同隊(四手井綱彦隊長)サルトロ・カンリ(7742m)初登頂www.
    1963昭和381月26-30日凌雲岳北尾根(初登)-黒岳 黒川武、久須美健三郎、鶴巻大陸、一原正明X
    2月送別会 卒業部負 安間元、市村輝宜、末兼光、河野和男、阪田正勝 高橋昭好、高松秀彦、西森茂夫、牧正、吉村啓一、渡辺尚、登倉尋実
    3-4月14-2日春山 日高3班12名、中央高地1班5名、北ア4班18名
    3月16-28日ニオベツ川-十勝岳-オムシャヌプリ-野塚岳-トヨニ岳-ピリカヌプリ-トヨニ川 渡辺真之、橋本甲午、岡田勝英、松尾英毅
    4月部長 渡辺千尚 幹事 西信三、安囲勲、渡辺真之、本間敏彦、大本昭弘
    4月部内誌「Kar]14号発行
    4-5月29-3日春山合宿 初年班 3班15名、2年班 5班20名
    5月15日山の会会報第32号発行32
    5月18-19日空沼祭
    7-1月10-24日西ネパール遠征隊(目標ナラカンカール峰)神戸港出発 同隊はナラカンカ-ルの探査を行ない。同峰はネパール領内に存在しないことを確認、地質及び氷河の調査を行ない、翌年1月24日神戸港帰着 隊長安藤久男、副隊長宮地隆二、隊員 遠藤禎一、橋本正人、渡辺興亜、小野田文彬
    7-8月17-28日夏山 日高8班34名、北ア涸沢合宿11名。日高2年班は中南部の直登沢を数本連続的に登撃
    9月30日部報IX号発行 (チャムラン報告掲載)
    10月幹事 西信三、沢田義一、庵谷晃、大本昭弘、渡辺真之、橋本甲午、 丹羽由紀夫
    10月5-6日ヘルヴェチア祭
    10月20日山の会会報第33号発行、部内誌カール第14号発行33
    12月15-20日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 初年班3班17名、2年班5班24名
    12-1月11-24日冬山 日高5班28名、中央高地2班9名、近郊1班3名
    5月22日米国エヴェレスト登山隊(N・デイレンファース隊長)エヴェレスト西稜-東南稜縦走に成功、ヒマラヤ・ジャイアンツにおけるヴァリエーションルート開拓始まる
    1964昭和392月送別会 卒業部員 石田隆雄、一原正明、岡田重信、河合誠哉、黒川武、坂本浩輔、本間敏彦、増山直義、三浦章司、内藤拓、松村雄、安田勲X
    3月幹事 沢田義一、石本恵生、中川昭三、橋本甲午、庵谷晃、丹羽由紀夫、益田稔
    3月7-28日春山 日高2班10名、知床1班4名、北ア4班13名
    4-5月28-3日春山合宿 十勝岳勝岳荘 初年班5班26名、2年班5班21名
    5月23-24日空沼祭
    6月1日山の会会報第34号発行34
    7月8日第1回ヒマラヤ委員会 6月の山の会総会に相川修より提案されたダウラギリ山塊遠征計画(第三次遠征)のため組織さる。隊長を相川に決定
    7-8月9-29日夏山 日高 8班35名、北ア 剣岳合宿10名
    10月幹事 庵谷晃、岡田勝英、松田彊、丹羽由紀夫、古川宇一、川道武男
    10月3-4日ヘルヴェチア祭
    10月5日第2回ヒマラヤ委員会ダウラギリの登山不許可(ネバール政府)のため計画を1年延期に決定
    12月3日第四回ヒマラヤ委員会 1996年の遠征計画はダウラギリIV峯を第1案としカンジロバ・ヒマールを第二案とすること決定
    12月13-18日冬山含宿 十勝岳勝岳荘 初年班4班21名、2年班4班18名
    12月15日山の会会報第35号発行35
    12-1月24-10日冬山 ペテガリ集中登山、チーフリーダー庵谷晃、7班38名 (サツシピチャリ沢、ヤオロマヅプ川冬期初溯行)
    4月長野県山岳連盟隊(古原和美隊長)ギャチュンカン(7922m)初登頂www.
    5月2日中国隊(許競隊長)シシャパンマ(ゴザインタン8027m)初登頂、最後の8000m峰)www.
    1965昭和401月幹事 松田彊、古瀬健、須田長良、川道武男、八木橋武、神谷晴夫XI
    2月送別会 卒業部員 岡田勝英、尾崎顕一、沢田壮兵、藤野明治、部屋哲、古川宇一、丹羽由紀夫、米道裕弥、山口淳一、山田知充、渡辺興亜
    3月9-31日春山 日高2班11名、北ア3班12名
    3月14日札内川十の沢遭難 沢田義一、中川昭三、橋本甲午、田中康子、松井作頼、坂井丈寛の6名全員雪崩に埋没36
    3-4月26-5日第1次捜索隊 40名 埋没地点発見できず
    4月部長交代 橋本誠二
    5月1-5日春山合宿 初年班 ヘルヴェチア・ヒュッテ26名、2年班は近郊で小山行
    5月5-8日第2次捜索隊 偵察隊 4名
    5月13-20日第2次捜索隊 本隊22名
    6月1-8日第3次捜索隊 第1次パトロール隊4名
    6月8-20日第3次捜索隊 第2次パトロール隊5名、沢田の遺体発見。14日 出発の本隊39名により残りの遺体発掘、現場で茶毘にふす
    6月22日札内川雪崩遭難部員合同慰霊祭新善光寺
    7-8月29-17日夏山 日高 8班42名
    10月幹事 神谷晴夫、佐々木正雄、須田長良、古瀬健、西信、山際清司
    10月3日鈴木限三先生を囲む会 下藤野自然公園
    10月ヘルヴェチア祭
    12月16-21日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 34名
    12-1月27-12日冬山 日高2班13名、中央高地3班15名、天塩岳5名
    4月北大に薬学部新設
    3月ネパール政府ヒマラヤ登山禁止(1968年解禁)www.
    8−11月中央ネパール地質氷河調査隊(酒匂純俊隊長)に渡辺興亜、高松秀彦、市村輝宣、石田隆雄、益田稔が参加36
    11−4月第一次パタゴニア学術調査隊(辻井達一隊長)に佐伯富男、安間荘、遠藤禎一、橋本正人、西村豪、庵谷晃が参加36
    1966昭和412月送別会 卒業部員 大山佳邦、渡辺真之、西信三、神谷正男、大本昭弘、佐々木正雄、上野八郎、瀬戸純、松田彊、須田長良、古瀬健、小河孝、芝山良二XI
    3月8日日高春山登山中止勧告
    3-4月8-9日春山 中央高地 2班9名、知床 1班6名、暑寒 1班3名、北ア1班4名
    4月部長 橋本誠二 幹事 西信、山際清司、名越昭夫、城本公孝、石島行三
    4-5月29-4日春山合宿 十勝岳勝岳荘 46名
    5月28-29日空沼祭
    7月12-22日夏山 日高 3班14名、遭難のため他は中止
    7月22日札内川六の沢下流で山際清司、木下知子流され死亡
    7月23日第1次捜索隊 山際の遺体発見
    7月24日第2次捜索隊合流、木下の遺体発見
    9月20日山の会会報第36号発行36
    10月8日北大山岳都・山の会四十周年記念講演会・懇親会、パークホテル
    10月9-10日ヘルヴェチア祭(四十周年記念)
    12月18-22日冬山合宿 無意根小屋、ヘルヴェチア・ヒュッテ
    12-1月27-4日冬山 中央高地2班33名
    米隊(クリンチ隊長)南極大陸最高峰ビンソンマシフ(4897m)に初登頂www.
    1967昭和421月リーダー会 石井宇一郎、寺井啓、片桐且雄、村田義昭、岸本正彦、佐野芳雄、本多和彦XI
    2月送捌会 卒業部員 庵谷晃、川道武雄、久須美健三郎、斎藤捷一、源宜之、高松宗彦、益田稔、八木橋武、石島行三、神谷晴夫
    3-4月10-15日春山 日高1班5名、知床1班3名、北ア2班8名、南ア1班2名、飯豊1班4名
    3月31日部報X号発行
    4月部長 橋本誠二、リーダー会 寺井啓、片桐且雄、村田義昭、岸本正彦、佐野芳雄、本多和彦
    4-5月29-4日春山合宿 十勝岳白銀荘 9班40名
    5月18日春山報告会 日高2班、知床1班、道内ほか2班、本州4班
    5月20-21日空沼祭
    7-9月20-8日夏山 日高9班36名、北ア剣沢合宿19名、北ア6班29名
    7月25-30日サツシピチャリ沢-1839米峰南面直登 佐野芳雄、岡沢孝雄、大谷文雄、遠藤一
    8月4-11日無名沢-1823米峰南面沢直登 西信、岡田勝英、岸本正彦
    8月17-22日剣岳岩登り合宿 20名
    9月22日夏山報告会 日高9班37名、大雪2班8名、北ア6班48名
    9月22日幹事会制を復活する。幹事 佐野芳雄、本多和彦、岸本正彦、平田更一、岡沢孝雄
    10月14-15日ヘルヴェチア祭
    11月10日10月山行報告会 日高 3班、大雪 3班、芦別・暑寒別 2班
    12月1日11月山行報告会 日高1班、大雪2班、芦別2班、羊蹄2班
    12月17-22日冬山合宿 十勝岳白銀荘、8班40名
    12-1月27-5日北鎌尾根-槍ガ岳 岡田勝英、佐野芳雄、岡沢孝雄、高橋孝三
    6月北大に歯学部新設
    1968昭和431月19日冬山報告会 日高4班25名、大雪1班5名、近郊1班4名、北ア1班4名、カムエク南西稜、槍、北鎌尾根など成果をあげるXI
    2月24日送別会 富国生命会館 卒業部員 石本恵生、城本公孝、名越昭男、村田義昭
    2月25日部内スキー大会 手稲女子回転コースにて技を競う
    4月部長 橋本誠二、幹事 本多和彦、佐野芳雄、平田更一、岡沢孝雄
    4月19日春山報告会 日高1班3名、大雪1斑2名、知床1班4名、北ア4班15名、南ア1班4名、1年班パーティーの大型化、知床縦走(海別岳〜岬)南ア縦走(北岳〜聖岳)
    4-5月28-3日春山合宿 十勝岳白銀荘、10班45名
    4月18-19日空沼祭
    5月26日第1回AACH杯争奪サッカー大会(OB・現役対抗)
    6月14日六月山行報告会 日高 八班、狩場山 一班
    6月19日山の会総会 ニセコハイキングを兼ねて行なう
    7月31日山の会会報第37号発行37
    8月5日ソエマツ岳直登沢にて西信転落遭難死37
    8月6-11日西信遺体収容活動
    8月15-21日連日遭難反省会 合わせて夏山報告 日高 6班28名
    10月4日幹事交代 岸本正彦、大村富士夫、遠藤一、石下光夫、伊藤豊志雄
    10月10日バスハイク実施 (羊蹄山・ニセコ・恵庭岳・積丹岳へ四台)
    10月12-13日ヘルヴェチア祭
    10月24-25日部内展・写真・絵画などで部員の芸術性を披露し合う
    11月8日十月山行報告会 日高1班、大雪1班、戸別夕張2班、羊蹄2班
    11月29日11月山行報告会 大雪3班、日高1班、芦別1班
    12月11日山岳部第2代、第4代部長鈴木限三先生逝去38
    12月20-24日冬山合宿 十勝岳白銀荘、8班40名
    英国ヲーリー・ハーバートらアラスカポイントバローからスピッツベルゲン島まで5800kmを犬橇で走破www.
    1969昭和441月19日定山渓天狗岳にて雪崩遭難事故、2年パーティ2名負傷XI
    1月21日遣難事故反省会 以後山行を一時休止する
    2月14日冬山報告会 日高 4班18名、大雪 1班5名、暑寒別 1班5名
    3月2日送別会 富国生命会館 卒業部員 岡沢孝雄、小野寺弘道、片桐且雄、加納隆、伏見硯二、平田更一、本多和彦
    3月2日スキー大会 手稲山
    4月18日部長 橋本誠二 幹事 遠藤一、伊藤豊志雄、石下光夫、井上孝俊
    4月25日春山報告会 近郊2班11名、北ア1班13名、合宿形態の春山
    4-5月26-2日五月合宿 十勝岳白銀荘、8班40名参加
    5月10-11日赤岩講習会
    5月24-25日空沼祭
    6月13日六月山行報告会 日高3班、大雪3班、戸別1班、暑寒別1班 この頃赤岩登り特に盛んになる
    7-12月カラコルム、バツーラ峰(7785m)偵察、フンザ地域入境ならず目的達せず 隊長松田彊他3名38
    9月18日夏山報告会 日高6斑26名、大雪1班6名、知床1班7名、本州3班10名
    10月9日山岳部組織論「あるれぽーと以降」を発表、規準委員会
    10月11-12日ヘルヴェチア祭
    10月17日運営委員会制度発足 石下光夫、伊藤豊志雄、古田進、下沢英二、矢野実
    12月学園紛争のあおりで冬季休暇の短縮、冬山プラン二ングに支障をきたす
    12月21-24日冬山合宿 ヘルヴェチア・ヒュッテ、4班20名
    12月学園紛争のあおりで冬期休暇が短縮され、冬山プランニングで支障を来す。
    4月10日学園紛争 入学式に端を発す
    1970昭和451月25日冬山報告会 日高2班12名、大雪3班19名XI
    1月30日OB、部員の大麻吸飲により北大体育会の公認取り消し、山岳部休部、橋本山岳部長は責任を取って辞任、山の会ダウラギリ遠征計画中止38
    2-5月エヴェレスト・スキー探険隊にOB佐伯富男、安間荘、橋本正人、川道武男、伏見硯二および現役井上孝俊参加39
    3月5日送別会 雪印パーラー 卒業部員 石井宇一郎、遠藤一、大谷文雄、大村富士夫、佐藤弘道、佐野芳雄、高木信明、土屋彦、福尾克也、寺井啓XI
    3月8日スキー大会 手稲山
    3月14-20日積丹山塊で遭難直前の事故あるも無事下山
    4月3-12日ヘルヴェチア学校 20名参加
    4月17日幹事 矢野実、下沢英二、白石和行、浜名純
    4月30日十勝を語る会 OB・現役交流会
    5月5-10日春山合宿 十勝岳白銀荘、8班35名
    5月16-17日空沼祭
    5月30-31日ヘルヴェチア・ヒュッテ植樹祭38
    6月12日六月山行報告会 大雪2班、日高1班、芦別2班
    6月14日赤岩講習会
    6月30日山の会会報第38号発行38
    7-8月24-3日ニペソツ川-ニペソツ山-ヌプントムラウシ川-トムラウシ川-温泉小屋-トムラウシ山-白雲岳-北鎮岳−愛山渓 矢野実、町田利明、矢島、木俣、友成久平、下沢英二
    9月4日夏山報告会 日高 5班13名、大雪 6班33名、北ア 1班6名
    10月9日幹事 下沢英二、越前谷幸平、北村真、柏原潔
    10月10-11日ヘルヴェチア祭
    10月部再建委員会発足
    11月6日十月山行報告会 日高 1班、芦別 2班、暑寒1班
    11月27日11月山行報告会 大雪 四班
    12月15-21日冬山合宿 大雪リクマンベツ 8班40名 小屋掛けとテントをべ-スに
    1月3日教養部の封鎖解除により学園紛争鎮静化に向かう
    5月12-13日日本山岳会エヴェレスト登山隊(松方三郎隊長)南西壁登攀は不成功 なるも、南東稜より3名登頂www.
    5月23日日本山岳会東海支部隊(原真隊長)マカルー(8463m)南東稜初登攀www.
    1971昭和461月18日冬山報告会 日高1班6名、大雪1班11名、南ア1班4名XI
    1月30日山の会臨時総会 会則改正、評議員がおかれることとなった。 役員交代、会長 安田一次
    2月17日部として公認される。部長 東晃
    2月27日送別会 雪印パーラー 卒業部員 町田利明、伊藤豊志雄、井上孝俊
    2月28日スキー大会 手稲山
    3月春山 日高2班10名、大雪1班3名、知床1班5名、北ア2班13名
    3月31日山の会会報第39号発行39
    4月部長 東晃、前期幹事 平野逸雄、竹田英世、小宮山英重、高橋一穂、高田寛之、前田仁一郎
    4月3日部報XI号作成開姶
    4-5月29-3日春山合宿 十勝岳勝岳荘 23名、小屋代高騰、一般スキーヤー増加等合宿不適地の声が起こる
    5月北大山の会編「日高山脈」茗渓堂より刊行40
    6月3日後藤寿晴君遺体発見 同君は昭44年入部、45年12月退部、46年4月槍ケ岳北鎌尾根にて単独登高中滑落死亡、北大山岳部関係者による捜索が行なわれていた。10日神戸にて葬儀。OB数名列席
    9月夏山報告会 日高4班17名、上越1班4名
    10月後期幹事 竹田英世、平野逸雄、高田寛之、高地恒夫
    10月1日部員章交付5名
    10月9-10日ヘルヴェチア祭32名
    12月14-19日冬山合宿 十勝岳勝岳荘 26名
    1972昭和471月26日冬山報告会 日高2班8名・北ア2班8名XI
    2月10日山の会会報第40号発行40
    2月26日送別会 雪印パーラー 卒業都員 高橋孝三、吉田克人、白石和行、有馬真、平野逸雄、伏島信治
    4月部長 東晃、幹事会を廃し、プロモート機関発足、小宮山英重、高地恒夫、高田寛之XII
    4月例会を毎週金曜から木曜に変更し、ルームの運営主体は上級部員会議へ
    5月1-7日春山合宿 大雪山リクマンベツ川源頭(幕営北面の山、沢を大いに楽しむ
    5月20-21日空沼小屋祭 山小屋管理放棄論再燃す 春山報告会 日高1班4名(西川岳登頂)、北ア1班3名、上越1班3名
    6月11日山の会総会、再びニセコで
    6-7月25-27日アラスカマッキンレー峰(6191m)登頂 現役による海外遠征第1号 L越前谷幸平、AL竹田英世、鐙邦芳、古川幹夫、池上宏一、安藤朝夫41
    7月15日部報XI号発行
    8月2-9日無名沢-1823南面直登沢-コイボク二股-カムイエクウチカウシ山-コイボクシュシビチャリ川 友成久平、山崎信男、花井修
    9月20日夏山報告会 日高4班18名、知床1班6名、北ア1班4名、南ア2班8名
    10月幹事会復活 後期幹事 高橋一穂、池上宏一、小須田達治
    10月14-15日ヘルヴェチア祭 30名
    10月山の会評議員会 山岳部創立五十周年(1976年)に向けて記念事業委員会発足をきめる
    11月第一回記念事業委員会 種々の提案あり
    12月15-20日冬山合宿 十勝岳白銀荘
    1973昭和481月22日冬山報告会 北ア1班3名、大雪2斑11名、狩場1斑4名、北見1班3名XII
    2月第2回五十周年記念事業委員会
    2月24日送別会 雪印バーラー 卒業部員 越前谷幸平、下沢英二、石下真通、矢野実、浜名純、高田寛之、竹田英世
    3月1日山の会会報第41号発行41
    4月部長 有馬純、前期幹事 池上宏一、古川幹夫、鐙邦芳
    4-5月29-4日春山合宿 国鉄ストのため1年班ヘルベチアで合宿、2年班日高、芦別、十勝、暑寒別、12名
    5月春山報告会 日高1班4名、大雪山1班5名、上越1班3名、北ア1班3名
    5月19-20日空沼祭 山の会会報第42号発行 五十周年記念事業の一つとして冬の八千米峰(アンナプルナ)の議論おこる42
    6月20-21日今西錦司氏を迎えて余市岳登山
    8月7-19日五十周年記念カナディアン・ロッキー登山(コロンビア・アイスフィルド周辺) 会員と家族ら33名が参加43
    8月五十周年記念事業事務局発足
    9月17日夏山報告会 日高6班30名、知床1班5名(主な山行:8/2-9友成ら無名沢−1823南面直登沢-1823峰ーコイボクシビチャリ川−カムエク直登沢ーカムイエクウチカウシ山)
    10月後期幹事 安藤朝夫、山崎信夫、池上宏一、管野信夫 部員章交付3名
    10月13-14日ヘルヴェチア祭20名
    10月21日積丹岳バスハイク
    11月13日山の会会報第43号発行43
    12月16-21日冬山合宿 十勝岳原始ケ原(幕営、小屋がけ)
    5月14日京大隊(西堀栄三郎隊長)ヤルン・カン(8505m)に登頂、下山時1名遭難死www.
    1974昭和491月23日冬山報告会 天塩1班6名、日高1班6名、大雪山2班5名XII
    2月22日送別会 雪印パーラー 卒業部員 池上宏一、小官山英重、高橋一穂、本庄章、前田仁一郎、古田進
    3月23日北ア後立山連峰赤岩尾根で部員2名が雪崩に遭遇負傷、25日ヘリコプターで救助される。この春、北海道、北アに雪崩遭難続出
    3月25日「雪崩、その遭難を防ぐために」橋本誠二(共訳)北大図書刊行会より発行
    4月部長 有馬純、前期幹事 鐙邦芳、管野信夫、富田ゆきし、川口昌宏、関野幸二、花井修
    4-5月28-3日春山合宿 十勝岳白銀荘 36名
    5月春山報告会 日高1班4名、大雪1班5名、知床1班5名、ニセコ1班3名、北ア2班4名、南ア1班3名、八ケ岳1班2名
    5月18-19日空沼祭 30名
    6月13日五十周年記念事業委員会 八千米級冬期初登の準備としてガネッシュヒマール・ラプサン・カルポ(7150m)に74〜75年冬に遠征隊を出すこと、隊長を木崎甲子郎とすること決定
    7-8月10-7日ヒンズークシュ・シャヤーズ(6050m)試登 高地恒夫、山崎信男、 C1(約4000m)まで登るが、天候のため登頂できず
    9月4日ネパール政府がエヴェレスト周辺を除き全面登山禁止を宣言。予定のラプサン・カルボを断念し、対象をガルワルヒマラヤ トリスル峰(7120m)に切換えて隊を縮少し、隊長を野田四郎とすることを決定
    9月17日夏山報告会 日高7班35名、東北1班4名、北ア1班4名、上越1班3名
    10月部員章交付7名
    10月部内マラソン大会
    10月ヘルベチア祭 30名
    10月雪崩研究会発足
    11月6日五十周年記念事業委員会 遠征目標をトリスルに変更、隊員に越前谷、竹田、石村を選ぶ
    12月5-22日トリスル隊順次出発
    12月7日雪崩研究会発足 小冊子「雪崩の危険と遭難対策」(若林隆三監修)発行、講演会講習会(中山峠)を主催
    12月17-25日冬山合宿 十勝岳原始ケ原2年班、ヘルベチア1年班、この冬より雪崩紐を個人装傭に加える
    12月「雪崩の危険と遭難対策」第1版発行
    3月5日橋本誠二らOB10名をふくむ Geology of Nepal Himalayaが秩父宮記念学術賞受賞
    1975昭和501月19日トリスル隊人夫のストライキのため登攀中止XII
    1月27日冬山報告会 日高1班4名、夕張1班3名、八ケ岳1班4名
    1月31日トリスル隊帰国
    2月25日送別会 石狩会館 卒業部員 中村純夫、井上晴喜、古川幹夫、山崎信夫
    2月27日「雪崩の危険と遭難対策」第二冊発行
    3-4月8-16日テシラプチャピーク(6173m)トレッキング、5755mで断念、竹田英世、石村明也、下沢英二、平野逸馬、
    4月部長 有馬純 前期幹事 関野幸二、花井修、高篠和憲、河含範夫、渡辺勇
    4-5月29-4日春山合宿 大雪山リクマンベツ(幕営、小屋がけ)24名
    5月春山報告会 日高3班22名、利尻1班4名、知床1班5名、北ア2斑8名、八ケ岳 1班3名
    5月10-11日空沼祭
    5月17-18日赤岩講習会
    5月17日五十周年記念事業委員会 トリスル隊の報告44
    6月22日山の会総会、役員交代 会長 中野征紀
    6月六月山行報告会 斜里岳2班6名、西日高1班4名、中部日高1班3名、南日高1班5名、芦別岳1班3名、大雪2班9名、暑寒別 1班5名
    7-8月29-1日キムクシュベツ川-ポンヤオロ西南直登沢ーポンヤオロマップ岳 岸川啓二、上田直行、太田裕二、平岡申行
    8月1−10日ソエマツ沢-ピリカヌプリ直登沢-ピリカヌプリ-ソエマツ岳-中の岳南面直登沢-中の岳ーペテガリ岳 高橋仁、花井修、八木欣平
    9月22日夏山報告会 北日高2班10名、中部日高4班14名、穂高岳2班5名、谷川岳1班2名
    10月後期幹事 花井修、高橋仁、沓沢敏、石松重雄、岸川啓二
    10月10-12日赤岩合宿
    10月18-19日ヘルヴェチア祭
    12月3日ルーム移転 文武会館から体育館横のプレハブヘ 学生部の意向による
    12月7-9日凌雲岳北尾根で2年班4名中3名がかなり重い凍傷
    12月7-9日冬山合宿 十勝岳三段中腹に幕営30名、ゾンデ棒よる雪崩の捜索訓練を行う
    12月部室を体育館裏プレハブへ移動
    5月日本女子エヴェレスト登山隊(大野英子隊長)女性初のエヴェレスト登頂www.
    9月24日英国隊(ボニントン隊長)エヴェレス南西壁より登頂www.
    1976昭和511月29山岳部初代部長栃内吉彦先生逝去XII
    1月30冬山報告会 北日高1班5名、中部日高2班6名、南日高1班4名、東北 1班7名、北ア1班2名
    2月22山の会初代会長 伊藤秀五郎氏逝去44
    2月28送別会 卒業部員 富田ゆきし、安藤朝夫
    3月4部員章交付6名
    4月部長 有馬純、前期幹事 沓沢敏、石松重雄、森田英和、土田直行、秋葉公太
    4-5月29-4春山合宿オプタテシケ(幕営) 1年班4班25名、2年班3班15名、OB参加多数
    5月11部員総会 春山報告 大雪1班6名、北ア3班10名、白山1班4名 凌雲岳北尾根遭難報告
    5月15-16空沼祭 31名
    7月3五十周年記念事業委員会 トリスル遠征隊会計報告、記念出版委員会(委員長朝比奈英三)設置と創立五十周年記念パーティ(9月、実行委員長有馬純)を決定44
    7月19部員総会 クラーク会館 夏山計画発表
    8月10山の会会報第44号発行44
    9月11-12山岳部五十周年バーティー前夜祭 ヘルヴェチャ・ヒュッテにて44
    9月13山の会総会記念誌出版のこと承認さる44
    9月13山岳部五十周年記念パーティ 札幌パークホテル OB現役参加90名44
    9月16部員総会 夏山報告会 クラーク会館 北目高6班32名、中部日高1班4名、谷川岳1斑4名
    9月30部員章交付 13名
    10月16-17ヘルベチア祭
    10月23ルームマラソン大会
    11月14大雪山旭岳で悪天のため下山中1名がパーティとはぐれ、雪洞に待機して2日後捜索隊に救助される
    11月五十周年記念誌出版委員会発足(委員は札幌11名、東京2名、関西2名)47
    12月記念誌出版費募金趣意書山の会会員へ発送47
    12月18-22冬山合宿 裏大雪原始ケ原(幕営)33名、凍傷続出
    1977昭和524月部長 有馬純 前期幹事会 小泉章、平岡申行、小山正、北村一夫、八木欣平 後期幹事会 小山正、平岡申行、北村一夫、八木欣平、平野勝也、福井文弘XII
    4-5月28-3日春合宿 表十勝美瑛岳付近での幕営 1年班スキー訓練、2年班3年班参加
    7月赤岩でトップ転落、肋骨骨折
    12月冬合宿 十勝白銀荘
    1978昭和531月日高ナメワッカ分岐でアイゼンの故障による滑落事故 この事故をきっかけにアイゼン研究会が発足
    2月25日中野征紀前山の会会長逝去46
    3-4月21-5日峰浜-海別岳-遠根別岳-羅臼岳-知円別岳-知床岳-知床岬 小泉章夫、高橋仁、志賀直行、榊原純、中谷好治
    昭和52年度山行記録 日高16班、中央高地23班、芦別・夕張6班、知床・斜里・道東4班、増毛・樺戸5班、道北・利尻2班、積丹・ニセコ・羊蹄12班、道南5班、札幌近郊29班、道外7班
    4月部長 山田真弓 前期幹事 福井文弘、平野勝也、松田博嗣、向山栄、榊原純、志賀弘行 後期幹事 平野勝也、美野輪治、福井文弘、榊原純、中村豊彦、長谷伸宏
    5月春合宿 忠別川源流 初めての合宿地
    5月4日部員総会 春山報告
    5月6-7日空沼小屋祭
    5月22日部員総会 カラコルム遠征計画
    5月山の会会報45号発行45
    7-9月2-2日カラコルム・ドレフェカル(6447m)峰初登頂
    L石村明也(OB)、AL河合範雄(OB)、花井修(OB)、八木欣平、毛利立夫、清野啓介、吉田祐一(札医大現役)、MD遠藤高夫(札医大OB) ラワルピンディ(集合)-スカルド-カパル-BCチャクラ氷河-C1(5300m)-C2(5799m)-C3(5900m)-全員初登頂46
    10月4日部員総会 夏山報告
    10月14-15日ヘルヴェチア祭
    10月20日部員総会 カラコルム報告
    10-12月25-2日メラピーク(6437m)トレッキング L中村晴彦、高松秀彦、木村恒美、名越明男、富山晴義 (岩手大OB)酒井一(3年) ルクラ-カーレにBC(5000m)-メラ峠(5400m)、サンゲーシェルパが登頂48
    12月山の会会報46号発行46
    12月17-21日冬合宿 十勝白銀荘
    1979昭和541月北大山岳部創立五十周年記念誌発行XII
    2月24日卒業生送別会 土田直行、北村一夫、小山正、向山栄
    3月26日知床硫黄山東方下山中に平野勝也、遠藤一峰、大政剛二遭難死47
    3月29日現地にて荼毘に付す
    3月31日知床遭難合同慰霊祭
    昭和53年度山行記録 日高14班、中央高地26班、芦別・夕張3班、知床・斜里・道東1班、増毛・樺戸4班、道北・利尻3班、積丹・ニセコ・羊蹄9班、道南5班、札幌近郊18班、道外5班 (主な山行:高橋仁ら8/12-15、カムエク北面左の右股直登)47
    4月部長 山田真弓 前期幹事 榊原純、中村豊彦、長谷伸宏、毛利立夫 後期幹事 志賀弘行、毛利立夫、戸田英明、中谷好治、平岡申行
    5月山の会会報47号発行47
    5月春合宿 美瑛岳西面にて幕営
    5-7月21-27日カラコルム・クンヤンチッシュ(7108m)峰登頂 L越前谷幸平(OB)、AL下沢英二(OB)、花井修(OB)、石村明也(OB)、高橋仁、小泉章夫、入川真理、志賀弘行 ラワルピンディ(集合)-ナガールよりキャラバン-BC(4260m)-C1(4900m)-C2(5300m)-C3(6000m)-C4(6700m)-全員初登頂46-48
    6月5-8日知床遭難追悼山行 弥三吉水付近
    12月山の会会報48号発行48
    12月冬合宿 表十勝白銀荘
    12月アイゼン研究会の成果を「山岳」及び「岳人」誌上に発表
    1980昭和55昭和54年度山行記録 日高13班、中央高地22班、芦別・夕張4班、増毛・樺戸12班、道南1班、札幌近郊31班、道外4班(主な山行:7/24-31工藤らイドンナップ岳-ナメワッカ岳-ナメワッカ沢-シュンベツ川-コイボク林道-ナナシ沢-コイカクシュ札内岳)XII
    4月部長 山田真弓 前期幹事 中谷好治、原哲、高橋浩、戸田英明、志賀弘行 後期幹事 原哲、中谷好治、工藤哲晴、末武晋一
    4月春合宿 十勝連峰美瑛谷
    5月10-11日空沼祭
    5月12日部員総会 春山報告会
    5月山の会会報49号発行49
    7月7-10日ペテガリ記念会40周年記念山行
    9-1月19-19日厳冬期バルンツェ峰(7220m)登頂 総隊長林和夫、MD佐藤行郎、登攀隊長中村晴彦、浜名純、池上宏一、花井修、石村明也、東信彦、中村豊彦、須崎信彦(現役)、松本伊智朗(現役)、MD住谷俊治 ダーランバザールよりキャラバン-BC(5000m)-C1(5130m)-C2(5720m)-C3(6140m)-C4(6700m)浜名、池上、石村、花井、アン・ペンバ登頂49-51
    12月冬合宿 十勝白銀荘
    1981昭和56昭和55年度山行記録 日高11班、中央高地23班、芦別・夕張3班、道北・利尻3班、積丹・ニセコ・羊蹄11班、道南2班、札幌近郊44班、道外4班XII
    1月山の会会報50号発行50
    4月部長 山田真弓 前期幹事 工藤哲晴、末武晋一、戸井朗人 後期幹事 末武晋一、工藤哲晴、戸井朗人、今岡孝之、江島均
    4月春合宿 十勝岳幕営
    5月30日海外登山研究会 厳冬期8000m登山計画を考える会
    6月山の会会報51号発行51
    6月25日部室体育館脇プレハブから新サークル会館付属体育器具庫へ移動
    10月空沼小屋 ジャッキアップによる小屋傾きの修正
    10-2月31-4日パタゴニア遠征(1670m及び1890m峰) L小山正、AL堤亮、中谷好治(現役)、榎本浩之(北大VW.OB) サンチャゴ-コジャイケ-カレタトルケより船、ウエル川河口-ステッフェン氷河にBC-C1(65m)-C2(280m)-C3(680m)-AC(680m)-1670m峰全員初登頂、1890峰C2にて断念52
    12月冬合宿 表十勝白銀荘
    3月山の会会報号外 ダウラギリ計画の現況
    1982昭和57昭和56年度山行記録 日高10班、中央高地23班、芦別・夕張3班、知床・斜里2班、増毛・樺戸5班、道北・利尻2班、積丹・ニセコ・羊蹄15班、道南4班、札幌近郊 38班、道外7班XII
    1月山の会会報52号発行52
    4月部長 杉野目浩 前期幹事 今岡孝之、江島均、高橋篤、工藤啓治 後期幹事 江島均、今岡孝之、高橋篤、藤原章生、樋口和生
    4月春合宿 大雪 リクマンベツ
    5月2日坂本直行氏逝去
    6月山の会会報53号発行53
    9-1月9-13日厳冬期ダウラギリ主峰(8167m)登頂 総隊長有馬純 隊長安間荘、副隊長越前谷幸平(MD)、下沢英二(MD)、浜名純、名越昭男、花井修、石村明也、小泉章夫、八木欣平、毛利立夫、清野啓介、志賀弘行、工藤哲晴、先川信一郎(北海道新聞) ポカラ-レストキャンプ(4700m)-リレーキャンプ(5200m)-北東コルにBC(5940m)-C1(6700m)-C2(7400m)-小泉、オンチューが登頂に成功53-57
    11月研究「ルームの食料」 杉本俊文
    12月冬合宿 十勝 白銀荘
    山の会会報号外 3月、8月、9月、11月
    5月北海道山岳連盟隊ミニアコンカで隊員8人全員が滑落死52
    12月27日イエティ同人隊加藤保雄、小林利明 エヴェレスト冬期初登に成功、しかし山頂付近で遭難死www.
    1983昭和58昭和57年度山行記録 日高16班、中央高地26班、芦別・夕張3班、知床・斜里・道東4班、道北・利尻5班、積丹・ニセコ・羊蹄9班、道南4班、札幌近郊17班、道外 5班
    1月山の会会報54号発行54
    4月部長 杉野目浩 前期幹事 藤原章生、大淵俊明、永尾一平、樋口和生 後期幹事 樋口和生、永尾一平、笹瀬雅史、宮井浩典
    5月春合宿 十勝連峰美瑛谷
    5-6月6月山行 増毛1班6名、北日高1班6名、知床2班7名、南日高1班4名、中部日高 1班3名、大雪1班2名、
    6-12月夏山 北日高3班18名、南日高2班8名、中部日高1班4名
    8月山の会会報55号発行
    11-1月冬山 天塩山地2班8名、十勝1班7名、南日高1班4名、北日高4名1班
    12月冬合宿 十勝連峰 吹上温泉白銀荘、2年班の1名が疲労のため行動不能となりビバーク、翌日救出
    1984昭和591月山の会会報56号発行56
    3-5月春山 南アルプス1班5名、南日高1班4名、八甲田山1班5名,尾瀬1班5名、北日高1班4名、北アルプス1班4名
    4月部長 杉野目浩 前期幹事 宮井浩典、後藤芳彦、服部恒一、笹瀬雅史 後期幹事 笹瀬雅史、宮井浩典、鷲尾政史、野村睦
    5-2月小山行 26班75名
    5月春合宿 十勝連峰美瑛谷
    12月冬合宿 十勝連峰 吹上温泉白銀荘
    5-6月6月山行 中部日高1班6名、暑寒1班5名、道南1班3名、利尻1班5名
    6-9月夏山 北日高3班17名、中部日高1班4名、南日高1班4名(主な山行:鷲尾ら2年班による中部日高2乗り越し山行)
    9月山の会会報57号発行57
    9-11月17-1インドヒマラヤ スダルシャン・パルバート峰(6507m)遠征 L工藤哲晴(OB)、AL藤原章生、酒井忍(OB)、樋口和生、宮本真、高原昌也、岡島伸浩、河合範雄(札医大OB) デリー-ガンゴトリ-C1(5200m)-C2(5800m)-C3(6000m)全員登頂57,58
    11-1月冬山 裏十勝1班14名、南日高1班3名、中部日高1班4名(主な山行:笹瀬らカムエク南西稜)
    2-4月春山 知床1班5名、南アルプス北部1班5名、北アルプス北部1班4名、南アルプス南部1班5名
    5-4月小山行 29班64名
    1985昭和601月部報XII号発行
    2月積丹岳標高900m付近をスキーで滑降中、パーティ全員(3名)が雪崩に流される、全員救出XIII
    2月山の会会報58号発行58
    2-4月春山 北アルプス3班12名、八幡平1班4名、南日高1班4名、北・中部日高 1班4名
    4月部長 杉野目浩 前期幹事 鷲尾政史、石橋岳志、高原昌也、野村睦 後期幹事 野村睦、鷲尾政史、高原昌也、岡島伸浩、渡辺豊
    5月春合宿 十勝連峰美瑛谷
    5-6月6月山行 増毛1班6名、大雪2班8名、知床1班4名、南日高1班5名、北・中部日高1班4名
    6-9月夏山 北日高1班5名、知床1班7名、南日高2班9名、中部日高1班5名
    8月ヘルヴェチア・ヒュッテ改修工事起工
    8月山の会会報59号発行59
    9月山の会会報号外 ヘルヴェチア・ヒュッテから
    10月6日ヘルヴェチア・ヒュッテ改修完成披露を現地にて挙行
    11-1月冬山 道北1班7名、北日高4班18名
    12月冬合宿 十勝連峰 白銀荘
    5-4月小山行 39班110名
    1986昭和614月部長 杉野目浩 前期幹事 渡辺豊、岡島伸浩、小野勉、松本博文 後期幹事 岡島伸浩、小野勉、松本博文、渡辺豊、岩瀬和夫XIII
    4月山の会会報60号発行60
    5月春合宿 十勝連峰美瑛谷周辺
    5-6月6月山行 中部日高1班6名、北日高1班5名、大雪1班4名、南日高1班4名、道東 1班3名、芦別1班4名
    6-8月夏山 知床1班7名、大雪1班5名、北日高1班5名、中部日高1班5名、南日高 1班4名、中部日高1班5名
    7月2日コイカク記念会 於第一ホテル 参加27名61
    7月3-5日コイカクケルン再建行61
    8月28日ナナシ沢1823峰直登沢登高中、標高1240m付近付近の雪渓トンネルを潜っていた奥田泰君が崩壊した雪塊により圧死
    10月山の会会報61号発行61
    11-1月冬山 大雪1班7名、南日高1班4名、道北1班8名、北日高1班4名
    12月冬合宿 十勝連峰 白銀荘
    1987昭和622-4月春山 北日高1班4名、北アルプス3班10名、南アルプス1班5名、大雪山1班5名XIII
    3月山の会会報62号発行62
    4月部長 白浜晴久 前期幹事 岩瀬和夫、伊藤伸一、高橋龍彦、米山悟 後期幹事 高橋龍彦、岩瀬和夫、米山悟、木村隆之
    5月春合宿 オプタテシケ西面
    5-6月6月山行 中部日高1班12名、中部日高1班6名、北・中部日高1班3名、北日高 1班2名、南日高2班7名
    6-4月小山行 17班49名
    6-8月夏山 北日高2班10名、大雪2班10名、南日高2班8名
    7-8月28-22パミール・レーニン峰(7134m)登頂、ソ連パミール国際キャンプに参加 L渡辺豊(OB)、AL岡島伸浩、米山悟、沢柿教伸 キルギス共和国、オーシュ-アチクタシBC(3600m)-C1(4250m)-C2(5300m)-C3(6000m)、岡島、沢柿、渡辺が登頂64
    10月山の会会報63号発行63
    12月冬合宿 十勝白銀荘
    10-1月冬山 道北1班12名、南日高1班4名、北日高2班8名
    1988昭和632月山の会会報64号発行64
    2-4月春山 八幡平1班4名、北日高2班9名、芦別・夕張1班6名、南日高1班5名、北アルプス北部1班5名
    5-4月小山行 27班83名
    4月部長 白浜晴久 前期幹事 飯島克規、木村隆之、針井格仁、沢柿教伸 後期幹事 沢柿教伸、飯島克規、針井格仁、石橋英二
    5月春合宿 美瑛谷、十勝山域
    5-6月6月山行 南日高1班4名、大雪1班4名、中部日高1班6名、知床1班4名、増毛1班4名、
    7月7-16日東京支部アラスカ氷河の旅 参加10名66
    8月4日ヌピナイ川右股を下降中、ナメ滝でメンバーが滑落し腰部を骨折、ヘリコプターで救出
    6-8月夏山 北日高1班5名、知床1班6名、中部日高1班4名、南日高2班8名、剣岳 1班5名
    9月山の会会報65号発行65
    11-1月冬山 北日高東部1班8名、中部日高2班7名、剣岳1班4名
    12月冬合宿 十勝岳噴火のため取りやめ
    1983-1990年研究
    「千島・カムチャッカ研究」北大山岳部極東山岳研究会 「イグルー研究} 米山悟 「山行の現状に関する若干の統計的考察」 沢柿教伸
    アウトドアブームや深田百名山ブームにより、中高年登山者を中心として登山が新たな流行となるwww.
    1989平成元1月山の会会報66号発行66
    2-4月春山 知床1班5名、南日高1班3名、北アルプス3班11名、中部日高1班4名 イグルーが見直され、多くのパーティで使用されたXIII
    4-3月小山行 29班74名
    4月部長 白浜晴久 前期幹事 石橋英二、多田貴久、清原実 後期幹事 多田貴久、石橋英二、三瓶修、斉藤清克
    5月春合宿 大雪リクマンベツ谷
    7月31日犬飼哲夫元山岳部長逝去67
    6-10月無積雪期 日高山脈 10班41名、大雪山 3班5名、積丹・ニセコ・羊蹄山 7班22名、増毛・樺戸 2班7名、道北・利尻4班11名、道南 2班8名、札幌近郊 11班35名、道外3班8名
    12月山の会会報67号発行67
    12月冬合宿 十勝岳白銀荘
    12-1月積雪期 日高山脈 2班7名、大雪山 4班19名、十勝連峰5班18名、積丹・ニセコ・羊蹄山 1班8名、芦別・夕張 2班6名、増毛・樺戸 2班78名、道北・利尻 1班7名、札幌近郊 9班31名
    1990平成22月10日登別市のオロフレ山にて小松健君が雪庇から転落、それにより誘発した雪崩により遭難死。68XIV
    4月部長 白浜晴久 幹事会に代わり4年目会議の新設(オロフレ遭難後の運営体制) 前期 斉藤清和、三瓶修、古川浩司、石川守、植田勇人、田中健太郎、鈴木修二 後期 三瓶修、斉藤清克、古川浩司、石川守、植田勇人、田中健太郎、鈴木修二
    5月春合宿 原始ヶ原
    6月山の会会報68号発行68
    8月17日ペテガリ記念会50周年記念 於札幌パークホテル 参加34名69
    6-10月無積雪期 日高山脈5班22名、大雪山3班14名、十勝連峰2班2名、積丹・ニセコ・羊蹄山6班24名、芦別・夕張3班10名、増毛・樺戸4班12名、道北・利尻1班4名、道南3班10名、道東・知床2班11名、札幌近郊15班53名、道外5班15名
    11月山の会会報69号発行69
    5月部報XIII号発行
    11-3月積雪期 日高山脈2班7名、大雪山5班30名、十勝連峰9班42名、積丹・ニセコ・羊蹄山2班9名、芦別・夕張2班7名、札幌近郊14班60名、道外 3班15名
    12月冬合宿 十勝岳白銀荘
    12-1月29-25日札幌山岳会横山英雄ら、ポロシリ岳など支稜8峰登頂を含め狩勝峠-エリモ岬縦走、
    3月国際犬橇探検隊(ウィル・ステーガー隊長)犬橇による南極大陸横断に成功www.
    1991平成34月部長 白浜晴久 前期幹事 中村一郎、斉藤清和、石川守 後期幹事 中村一郎、梶川耕司、本多和茂XIV
    5月春合宿 美瑛谷
    6月山の会会報70号発行70
    6-9月無積雪期 日高山脈7班30名、大雪山3班10名、積丹・ニセコ・羊蹄山5班20名、芦別・夕張4班16名、増毛・樺戸2班9名、道北・利尻2班5名、道南 2班6名、札幌近郊4班12名、道外6班17名
    9月14-23日第1次カムチャツカ遠征 オパーラ(2475m)峰全員登頂、コリャークスカヤ(3456m)峰3250mで悪天候のため撤退 L上野八郎、中村晴彦、越前谷幸平、下沢英二、伏島信治、藤原章生、小倉憲悟(現役)71
    11-4月積雪期 日高山脈2班8名、大雪山6班26名、十勝連峰10班41名、積丹・ニセコ・羊蹄山1班6名、芦別・夕張3班13名、増毛・樺戸1班5名、道北・利尻3班13名、道東・知床 2班10名、札幌近郊6班19名、道外2班6名
    12月山の会会報71号発行71
    12月冬合宿 十勝岳白銀荘
    1月3日第2次京大日中梅里雪山隊、雪崩によりC3テントの17名全員死亡www.
    2-3月7-4日北大スキー部伊藤健夫、日勝峠-エリモ岬単独縦走、途中4箇所に単独デポ
    3月同志社大カムチャツカ日ソ合同隊、カムチャツカ最高峰クリチュフスカヤ・ソプカ(4750m)に登頂www.
    1992平成44月部長 西信三 前期幹事 梶川耕司、本多和茂 後期幹事 本多和茂、梶川耕司、銭谷竜一、小倉憲悟XIV
    4月27日原田準平元山岳部長逝去73
    5月春合宿 十勝山域 原始ヶ原
    6月山の会会報72号発行72
    6月1-12日第2次カムチャツカ遠征 イチンスキー峰(3621m)及びハンガール峰(2000m)登頂 L沢柿教伸、石橋英二、植田勇人、本多和茂、小倉憲悟(現役)、銭谷竜一(現役)、日下出(現役)、澤田実(北大探検部)、上田エリヤ(北大フラテ会)、小杉尚(北大フラテ会)
    5-9月無積雪期 日高山脈5班19名、大雪山5班16名、十勝連峰1班2名、積丹・ニセコ・羊蹄山7班30名、増毛・樺戸4班15名、道北・利尻1班1名、道南 2班8名、道東・知床2班12名、札幌近郊4班16名
    9-10月ペリヒマール ヒムルンヒマール峰(7126m)登頂 L丹羽由起夫、花井修、山口斌、益田稔、河合範雄、小泉章夫、戸田英明、清水収、樋口和生、石橋英二、斉藤清克、別働隊 木崎甲子郎、佐藤行夫、名越昭男 マルシャンディ-プーコーラ-プ-ガウン-BC(4800m)-C1(5450m)-C2(6000m)-C3(6250m) 小泉、ニマ・シェルパが初登頂。2次隊 清水、樋口、ダヌー登頂72,73
    12月山の会会報73号発行73
    12-1月台湾・東南部 太麻里渓 松原憲彦他
    12月冬合宿中止
    11-3月積雪期 日高山脈3班12名、大雪山5班32名、十勝連峰5班26名、積丹・ニセコ・羊蹄山1班1名、道北・利尻1班7名、札幌近郊12班62名、道外 3班14名
    1993平成54月部長 西信三 前期幹事 銭谷竜一、小倉憲悟、石崎啓之、清水徹 後期幹事 小倉憲悟、銭谷竜一、日下出、荒井智史XIV
    5月春合宿 美瑛谷
    6月山の会会報74号発行74
    5-10月無積雪期 日高山脈7班25名、大雪山5班22名、十勝連峰14班53名、積丹・ニセコ・羊蹄山10班34名、芦別・夕張2班5名、増毛・樺戸3班12名、道北・利尻3班7名、道南2班7名、道東・知床2班9名、札幌近郊14班57名、道外8班24名(主な山行:斉藤ら1839峰南西面直登沢、日下ら中部日高3乗越し)
    12月山の会会報第75号発行75
    12月冬合宿実施せず
    11-4月積雪期 日高山脈3班11名、大雪山7班33名、十勝連峰14班53名、積丹・ニセコ・羊蹄山4班13名、芦別・夕張2班7名、道南2班6名、2班6名、札幌近郊15班50名、外3班10名
    1994平成64部長 西信三 前期幹事 荒井智史、山崎吉之、邊見悟、長阪昭憲 後期幹事 邊見悟、石崎啓之、吉田みゆき 後期に5名退部により部員6名となる
    3-4春合宿オプタテシケ周辺
    6-9無積雪期 日高山脈4班14名、大雪山3班8名、積丹・ニセコ・羊蹄山3班11名、芦別・夕張5班15名、増毛・樺戸 1班4名、道南1班3名、札幌近郊 1班4名、道外6班13名
    11-5積雪期 日高山脈2班7名、大雪山6班22名、十勝連峰7班27名、積丹・ニセコ・羊蹄山1班2名、芦別・夕張2班9名、札幌近郊7班27名、道外1班3名
    12月北大山岳館竣工77
    12月冬合宿実施せず
    1995平成72月山の会会報第77号発行77
    3月6日広重力北大総長へ山岳館献呈セレモニー
    4月部長 西信三 前期幹事 石崎啓之、邊見悟、村山稔、吉田みゆき 後期幹事 邊見悟、若尾和也、村山稔、小野寺純 13名の新人入部でリーダースタッフが不足する
    5月春合宿 原始ヶ原
    6月5日橋本誠二元山岳部長逝去78
    7月1日北大山岳部創立70周年記念パーティー、於札幌グランドホテル 招待:斉藤淳生日本山岳会副会長、会員68名、部員12名参加78
    6-9月無積雪期 日高山脈4班21名、大雪山6班23名、積丹・ニセコ・羊蹄山5班23、芦別・夕張 2班4名、増毛・樺戸 4班14名、道北・利尻1班3名、道東・知床1班4名、札幌近郊16班78名、道外4班13名
    7-9月ヒンヅークシュ プニ・ゾム峰(6338m)遠征 L斉藤清克、本多和茂、清水徹、邊見悟、三瓶修、田中健太郎 チトラル-パルガム-ゴールドハン氷河下(3800m)-BC(4000m)-C1(4750m)-C2(5120m)-C3(5900m)-斉藤、三瓶、本多、田中、清水が北峰に登頂78,79
    9月山の会会報78号発行78
    11-5月積雪期 日高山脈5班16名、大雪山5班35名、十勝連峰7班33名、積丹・ニセコ・羊蹄山1班8名、芦別・夕張1班7名、道南1班7名、道東・知床1班5名、札幌近郊16班78名、道外 1班6名
    1996平成81月冬合宿 十勝白銀荘XIV
    3月山の会会報79号発行79
    4月部長 松田彊 前期幹事 村山稔、吉田みゆき、小畑滋郎 後期幹事 村山稔、小畑滋郎、池田重人、内田隆史、山崎真実
    5月春合宿 美瑛谷
    6月3日山岳館周辺の記念植樹80
    6月15日橋本誠二名誉会員を偲ぶ会 会員他多数参加80
    5-9月無積雪期 日高山脈5班17名、大雪山3班11名、積丹・ニセコ・羊蹄山8班28名、芦別・夕張2班4名、増毛・樺戸6班20名、道南2班6名、道東・知床1班4名、札幌近郊6班15名、道外 4班11名(主な山行:小野寺ら北アルプス剣岳周辺岩登り、村山ら北日高)
    10月山の会会報80号発行80
    9-10月ネパールロルワリンヒマール タンナ・リ峰(6801m)遠征 L小林年、山口斌、丹羽由起夫、松田彊、岩瀬和夫、柳沢盛雄、若尾和也、佐々木新 ベディン-ナ・ガウン-オマイ・ツオーBC-C1 天候不順のため6030mで撤退(トレッキング隊大井幸雄ほか9名)80,81
    11-5月積雪期 日高山脈3班16名、大雪山6班24名、十勝連峰10班44名、積丹・ニセコ・羊蹄山1班4名、芦別・夕張1班7名、道東・知床1班5名、札幌近郊6班22名
    11月澤柿教伸会員によるAACHのホームページおよびメーリングリストの作成
    1997平成91月冬合宿 ヘルベチアヒュッテ周辺での遭難対策訓練
    3月山の会会報81号発行81
    3月3-24日第3次カムチャツカ遠征 アルネイ(2581m)峰・シヴェルーチ(3335m)峰 何れも悪天候に阻まれ敗退 L銭谷竜一、石崎啓之、吉田みゆき、小野寺純、山崎真実82
    4月部長 松田彊 前期幹事 内田隆史、村山稔、池田重人、山崎真実 後期幹事 池田重人、村山稔、内田隆史、山崎真実
    5月春合宿 美瑛谷
    9月山の会会報82号発行82
    5-9月無積雪期 日高山脈5班15名、大雪山1班4名、積丹・ニセコ・羊蹄山4班18名、芦別・夕張3班9名、増毛・樺戸1班4名、道南1班2名、道東・知床1班7名、札幌近郊2班14名、道外2班6名
    7-8月19-28日インド・キシュトワール ドーダ峰(6550m)遠征 L邊見悟、本多和茂、小倉憲悟、野入善史 デリー-マナリ-リンドン・ゴンバ-BC(4250m)-C1(4620m)-C2(5120m)-C3(5620m)-全員登頂83
    11-5月積雪期 日高山脈2班6名、大雪山4班15名、十勝連峰8班31名、道北・利尻1班3名、道東・知床2班3名、札幌近郊12班40名、道外1班2名
    12月冬合宿 十勝白銀荘
    1998平成103月山の会会報83号発行83
    4月部長 松田彊 前期幹事 山崎真実、池田重人、内田隆史 後期幹事 山崎真実、池田重人、大野豊然貴、大野百恵、山下晋XIV
    5月春合宿 ニセコアンヌプリ(新入生歓迎山行)
    5-10月無積雪期 日高山脈3班11名、大雪山1班6名、十勝連峰2班4名、積丹・ニセコ・羊蹄山4班21名、芦別・夕張1班3名、増毛・樺戸1班5名、道北・利尻 1班4名、札幌近郊3班8名、道外2班4名
    10月山の会会報84号発行84
    9-11月ネパール グルカルポ・リ峰(6891m)遠征 L樋口和生、清水収、戸田英明、宮井宏典、笹瀬雅史、岩瀬和夫、小倉憲悟、吉田みゆき ランタン-キャンジンゴンバ-BC(4870m)-C1(5500m)-C2(6100m)悪場のために時間切れとなり登頂果せず85
    11-4月積雪期 日高山脈4班10名、大雪山7班27名、十勝連峰5班17名、積丹・ニセコ・羊蹄山 3班9名、芦別・夕張3班9名、道東・知床1班5名、札幌近郊19班53名
    12月冬合宿 実施せず
    1999平成111月山の会会報収録発刊(1号〜55号)85
    2月山の会会報85号発行85
    4月部長 松田彊 前期幹事 山下晋、笠井喬、大野豊然貴、大野百恵 後期幹事 笠井喬、大野豊然貴、大野百恵、山下晋XIV
    5月春合宿という形態をとらずにオプタテシケ周辺で訓練
    9月山の会会報86号発行86
    5-10月無積雪期 日高山脈3班12名、大雪山2班9名、十勝連峰6班34名、積丹・ニセコ・羊蹄山3班14名、芦別・夕張2班11名、増毛・樺戸1班5名、道東・知床1班5名、札幌近郊6班35名、道外4班11名
    12月冬合宿 実施せず
    2000平成122月18日卒業生送別会 豊平館 参加30名 卒業生 大野豊然貴、大野百恵、四宮雄一XIV
    3月山の会会報87号発行87
    3月23日東晃元山岳部長逝去
    4月部長 松田彊 前期幹事 山下晋、大野豊然貴、大野百恵 後期幹事 大野豊然貴、大野百恵、山下晋
    5月春合宿 美瑛谷
    7月1日北大山の会60周年記念事業、記念講演会 講師:大塚博美日本山岳会会長、 記念祝賀会 きゃら亭 出席32名、記念出版 会報目録(1〜87号)88
    6-9月無積雪期 日高山脈6班23名、積丹・ニセコ・羊蹄山2班7名、増毛・樺戸1班5名、札幌近郊5班19名、道外2班10名
    11月山の会会報88号発行88
    11-4月積雪期 日高山脈4班13名、大雪山4班12名、十勝連峰9班28名、積丹・ニセコ・羊蹄山2班4名、芦別・夕張3班12名、増毛・樺戸1班3名、札幌近郊15班45名 イグルーが多く使われた、またアイスクライミングの計画が多く出された
    12月冬合宿 実施せず
    2001平成133月5日平成11年度卒業生送別会 豊平館 会員部員39名出席 卒業生 辺見悟、村山稔、吉田みゆき、山崎真実、野入善史89
    4月部長 松田彊 前期幹事 瀧花誠司、残りの3年目全員 後期幹事 田戸岡尚樹、残りの3年目全員XIV
    5月春合宿 美瑛谷
    5月山の会会報89号 山の会設立60周年特集号 第90号89,90
    9月山の会会報91号発行91
    6-/9月無積雪期 日高山脈2班9名、大雪山1班3名、積丹・ニセコ・羊蹄山4班13名、芦別・夕張1班3名、増毛・樺戸1班6名、道北・利尻1班5名、道東・知床 1班6名、札幌近郊6班33名
    11-4月積雪期 日高山脈4班18名、大雪山6班36名、十勝連峰6班32名、積丹・ニセコ・羊蹄山2班7名、増毛・樺戸1班3名、道北・利尻2班4名、道東・知床2班8名、札幌近郊10班40名
    12月冬合宿 実施せず
    2002平成143月山の会会報92号発行92
    4月部長 小泉章夫 前期幹事 空克博 後期幹事 田戸岡尚樹XIV
    5月春合宿 美瑛谷
    5-6月27-25日アラスカ デナリ(6194m)峰遠征 L田戸岡尚樹、馬詰武、石川仁 タルキートナ-C1(2300m)-C2(2800m)-C3(3300m)-BC(4300m)-HC(5200m)-全員登頂
    9月山の会会報93号発行93
    6-/9月無積雪期 日高山脈1班6名、大雪山3班7名、積丹・ニセコ・羊蹄山2班7名、芦別・夕張2班4名、増毛・樺戸1班6名、道南2班9名、道東・知床2班10名、札幌近郊3班17名、道外2班6名
    11-4月積雪期 日高山脈4班18名、大雪山 2班6名、十勝連峰8班32名、積丹・ニセコ・羊蹄山6班27名、芦別・夕張1班4名、増毛・樺戸1班4名、道北・利尻1班3名、道東・知床2班9名、札幌近郊13班41名
    12月冬合宿 実施せず
    2003平成154月部長 小泉章夫 前期幹事 三木栄治 後期幹事 馬詰武XIV
    4月山の会会報94号発行94
    5月春合宿 リクマンベツ
    6-/10月無積雪期 日高山脈 2班11名、大雪山3班13名、積丹・ニセコ・羊蹄山2班10名、芦別・夕張 2班8名、増毛・樺戸 1班4名、道北・利尻 3班7名、札幌近郊6班39名、道外 1班6名
    11月山の会会報95号発行95
    11-4月積雪期 日高山脈3班15名、大雪山7班29名、十勝連峰16班76名、積丹・ニセコ・羊蹄山2班12名、芦別・夕張1班7名、道東・知床1班5名、札幌近郊7班20名、道外1班5名
    12月冬合宿 実施せず
    2004平成164月部長 小泉章夫 前期幹事 赤桐知宏 後期幹事 澤田浩子→見瀬宏尚XIV
    5月春合宿 美瑛谷
    10月山の会会報96号発行96
    5-/10月無積雪期 大雪山3班12名、積丹・ニセコ・羊蹄山 2班11名、芦別・夕張 5班15名、増毛・樺戸 2班10名、道南 1班4名、道東・知床 1班7名、札幌近郊8班37名、道外 2班11名
    12-4月積雪期 日高山脈3班14名、大雪山 6班24名、十勝連峰14班58名、積丹・ニセコ・羊蹄山3班8名、道東・知床1班5名、札幌近郊10班31名、
    12月冬合宿 実施せず
    2005平成173月山の会会報97号発行97
    4月部長 鐙邦芳 前期幹事 見瀬宏尚 後期幹事 中島史貴XIV
    5月春合宿 美瑛谷
    5-6月ペルーアンデス コルディエラ・ブランカ(6768m)L山下晋、勝亦浩希 目的の山には登れなかったが、Pisco(4900m)、Chopicalqui(6354m)に登頂
    7月山の会総会にて記録写真保存計画が承認される98
    6-10月無積雪期 日高山脈2班6名、大雪山1班6名、芦別・夕張2班4名、増毛・樺戸2班5名、道南1班6名、札幌近郊6班28名、道外 2班6名
    積雪期 日高2班7名、大雪山10班35名、十勝連峰16班1名、積丹・ニセコ・羊蹄山0、芦別・夕張2班8名、札幌近郊10班25名
    12月山の会会報98号発行98
    12月冬合宿 富良野岳周辺


     
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