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26.登山スキー術の手引 北海道帝国大学山岳部/1933(第1版)1938(第2版) /北海道帝国大学山岳部


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左:第1版扉、右:第二版表紙
左:第1版扉、右:第二版表紙
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第2版付図
静止中の角附
第2版付図
静止中の角附
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第2版付図
ボディ・スイングとクリスチャニア
第2版付図
ボディ・スイングとクリスチャニア


沢本三郎(1900-1979)
 本書は、巻末の伊藤秀五郎の「スキー登山についての注意」を除き、全て沢本三郎の執筆になるので、彼の略歴を紹介する。
 沢本は北大山岳部創部時の伝説的先輩で、サワモのニックネームで知られる。山岳部時代、1926(昭和元)年1月、暑寒別岳冬期初登、同2月、夕張岳冬期初登、同7月、ニペソツ山初登、1927(昭和2)年1月、カメホロカメトック冬期初登など多くの記録を残した。山口健児(1930年農学部卒)の「北大山岳部五十周年記念誌『山岳部創立のころの回想』」から、沢本に関する部分を引用する。長くなるが文中で山口健児も述べているように、北大山岳部創設にあたって彼の果たした役割の大きさを考える時、我々北大山岳部に連なるものが、忘れてはならない人物だからである。
 「(山岳部が歩みだすや否や)忽ちにして部の目的や進路が定まり、対内的にも対外的にも態勢を整備強化することが出来たのは、沢本三郎、伊藤秀五郎という性格の全く対蹠的な二人が、時を同じうして北大に居た幸運によるものと思っている。山岳部第一年目の主任幹事は沢本三郎が、第二年目を伊藤秀五郎が務めて、ここに部の基礎は磐石となった。しかしながら、この二人は結局うまくゆかず、その後袂を分ってしまった。(伊藤秀五郎君は)北海道の山を語るものなら誰一人知らぬ者はないが、沢本三郎君は忽然と姿を消してしまい、そのまま杳として山の連中から全く消息を絶ってしまった。
 しかし沢本君が山岳部創立に果たした役割は大きく、忘れてはならない人物である。・・・・・彼は、明治三十三年東京銀座で生れ、東京府立一中を出て、すぐに第一高等学校に入学したというから凡人ではない。
一高では学問よりスポーツに精を出し、特に山登りとスキーに熱中し、当時三年制であった旧制高等学校に六年在学したが、ついに卒業せずに退学してしまった。さらに徹底してスキーに打ちこむために、大正十四年北大農学部畜産二部専科に入学して我々の前に現れたのである。彼のスキー歴は、大正八年一高旅行部員として高田の歩兵連隊で手ほどきをうけたのが最初であるというが、彼のスキー理論は堂々たるもので、彼に太刀打ちできるものは、当時既に居なかった。
 私は彼が大学で何を勉強したのか全く知らない。後に理学部へ転じたとは聞いたが、何年居たのか、いつ卒業したのかも知らない。併し、彼とはよく山へ出かけ、一緒に札幌交響楽団にも在籍した。彼はセロ奏者としてもただならぬ才能を持っていたのである。
 大学を出て以来、私は地方勤務や軍隊生活が長かったので、久し振りに彼にあったときは戦後まもなくであった。そのとき彼は東京大学伝染病研究所に勤務していたが、相変わらずスキー理論に没頭していた。
 昭和三十三年暮、彼は世に跋扈する誤れるスキー理論に大反駁を加えるという意味で、創元社より「正しいスキー術」なる一書を刊行して、サワモトセオリーの健在を示した。この時の出版祝賀会は大変なもので、三田綱町の三井倶楽部で槙有恒、麻生武治、黒田正夫、松沢一鶴、三井高孟の諸氏ら百余名が集まり、マックアーサー元帥が涎を流したという酒蔵を前に、一同にて彼の快著を心から祝福したものであった。」
 山口は、会報49号にも沢本の追悼文を寄せているが、その最後で次のように述べている。
 「沢本君は北大山岳部にとって、忘れ得ぬ人であるが、奇行も多かったので評価は人によって異なるものがあったことは免れない。棺を覆ってみた今日、人々の見方はどうであっても、やはり稀に見る逸材であったことをつくづくと感ずるばかりである。」

内容
 大きさ13×19cm、71頁、ソフトカバーで携行し易く、また活字が大きくて読みやすく、丁寧で分りやすい図解が随所に挿入されている。今日でもこれほど初心者を意識して書いたすばらしい教本は多くはない。1938(昭和13)年、在庫切れのため改訂第二版が出版された(84頁)。改定版も沢本が執筆しているが、第二版緒言で、追加、変更部分があるので第一版を全部抹殺する、と述べている。

 沢本は第1版「緒言」で、「この小冊子は北大山岳部スキー合宿に来る、初心者の為に書いたものである。故に登山に役立つスキー術の外は悉く省略した。」そして登山家のスキー術とは、「スキー術のためのスキー術ではなく、登山の一手段としてのスキー術なのである。故に山岳部のスキー合宿に来る程の人は、必ず登高の精神の下に、スキー術を練習してもらいたい。」と述べている。
 内容は図入りで懇切丁寧な指導書となっており、沢本の部員に対する正しい登山スキー術向上への並々ならぬ熱意が感じられる。

 この欄の筆者の貧弱なスキー術では、沢本が本書で展開している理論の適切な評価などとても不可能なので、競技スキー史研究家の中浦皓至氏「スキー技術の歴史と系統(ターンへの挑戦)/1991北大図書刊行会」から沢本理論の部分を引用する。
「沢本理論は次の三点において高く評価される。第一は、世界トップの理論家のコールフィールドの理論をはじめ、アールベルクやローテーションなどに関する多くの文献を咀嚼し、それを発展的に吸収していること。第二に、それは単なる理論を越え、長年に亘って北大山岳部の練習法として定着し実践的検証に堪えていたこと。そして第三に、この点が技術=理論史的に最も重要なのだが、『回転の切換えは荷重しながら行なう』という主張である。この事は現在のスキー技術に対しても当てはまる今日的な課題である。」

山岳館所有の関連蔵書
Wunder des Shneeshuhs H.Schneider/1926/Gebrunder Enoch Verlag
正しいスキー術 沢本三郎/1957/創元社
北大山岳部五十周年記念誌1926-1976 北大山の会/1976
スキー技術の歴史と系統(ターンへの挑戦) 中浦皓至/1991/北大図書刊行会
北大山の会会報1〜55合本/1999/北大山の会

 
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