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空沼小屋保存計画 »
注)会の構成など一部の内容は2016年2月26日現在、一部、変更されています.最新の概要は
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空沼小屋(秩父宮ヒュッテ)の保存についての趣意書)

2009年12月
空沼小屋の保存を考える会会長 安間 荘
 空沼小屋は空沼岳北麓の万計沼のほとりに立つ大型重厚な丸太組みのスイス風山小屋である。1928年(昭和3年)故秩父宮殿下の出資金で建てられたが,数年後には一般市民にも開放され,別称秩父宮ヒュッテとして道民にも親しまれていた。
 太平洋戦争後,空沼小屋は秩父宮家から北海道大学に贈与され,学生だけでなく市民にも広く利用されてきた。しかし,築後80年を経て丸太束立て基礎の劣化,土台やログ材の腐朽のため建物の不同沈下や沼側への傾斜が進み,2006年10月から閉鎖される事態に陥っている。 この事態を憂慮した道内外の有志が「保存を考える会」を発足させ,現状の把握と保存の方策の検討を重ねてきた。当面,倒壊の危険を阻止する必要があるとの観点から,去る9月12,13日の2日間,有志8人で空沼小屋の応急基礎補強工事を行った。
 空沼小屋が建てられた大正末〜昭和初期は北海道を中心として全国で空前のスキーブームが起きた時期であった。雑誌「山とスキー」が札幌で発刊され,全国のスキー愛好家に購読された。輪の中心にいたのは外国人語学教師やヨーロッパ留学経験のある北大教官たちで,これに感化された多くの北大生も加わっていた。スキーツアーも盛んに行われ,札幌近郊の山々は絶好の場となった。ツアーの宿泊場所として,パラダイスヒュッテ(1926年),ヘルベチアヒュッテ(1927年),空沼小屋(1928年)を始めとして,1930年代前半までに十数ヶ所の山小屋が建設され,数日間のスキーツアーを楽しめる「山小屋の鎖」構想がほぼ完成した。
 最初に建てられた3つの山小屋は,スイス・チューリッヒ出身の著名な建築家マックス・ヒンデルの設計によるスイス風丸太組山小屋で,これらのうちヘルベチアヒュッテは築後80年を経た今日でも現役で使用されている。マックス・ヒンデル(1887〜1963)は1924年に来日し,札幌在住中には道内トラピスチヌ修道院を始め多くの作品を残しているが,横浜移住後も日本各地においてカトリック建築を設計しており,いくつかは国の登録有形文化財に指定されている。
 空沼小屋の保存を考える会は,空沼小屋を単に文化財的価値を有する建築として保存するだけでなく,後の札幌,長野冬期オリンピック開催にもつながる日本のスキー文化史の貴重な生き証人としてこれらの山小屋を後世まで残し伝えたいと願う有志の集まりである。今後,市民・道民・国民のほか,スイスの人々にも運動の輪を拡げ,保存を実効あるものにしていきたいと思っている。
「空沼小屋の保存を考える会」
安間 荘(1982年厳冬期ダウラギリ?峰登山隊長,工学博士)
角 幸弘(北海道文化財保護審議会会長,北大教授)
高篠和憲(三笠森水遊学舎代表)
照井康穂(照井康穂建築設計事務所)
鐙 邦芳(北大山岳部部長)
小泉章夫(北大山の会会長)
ほか

顧問
三浦雄一郎(スキー冒険家,三浦ドルフィンズ代表)
平山善吉 (元日本山岳会会長、日大名誉教授,建築学)
岩坪五郎 (元京都大学学士山岳会副会長,京都大学名誉教授)
堂本暁子 (前千葉県知事,東京女子大山岳部OG)

連絡先:「空沼小屋の保存を考える会」事務局 照井康穂
住所 :札幌市南区北ノ沢3丁目12−13照井康穂建築設計事務所内
電話 :011-211-4005
FAX :011-211-4006

『空沼小屋保存基金』
北洋銀行 道庁支店
普通預金 3545777
 
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