ログイン   :: お問い合せ :: サイトマップ :: 新着情報 :: おしらせ :: 
 
 
メニュー
最新のエントリ
最近のコメント
  • 21年03月22日
    Re: 【中部日高】ナナシ沢1823m峰南面直登沢→コイボクシュシビチャリ川...北陵高校山岳部OB
  • 17年01月29日
    Re: これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部)...佐々木惠彦
  • 16年12月17日
    Re: ペテガリ冬季初登・72年前の今村さんのゲートル  米山悟(1984年入部)...やまね
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...米山
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...さわがき
  • 16年07月04日
    Re: 医学部戦没同窓生追悼式のご案内...AACH
  • 16年06月17日
    Re: 道新に今村昌耕会員の記事...AACH
  • 15年12月22日
    Re: おくやみ・谷口けい 米山悟(1984年入部)やま...すぎやま もちやす
  • 14年12月09日
    Re: 【書評】アルピニズムと死 山野井泰史 2014.11(米山悟1984年入部)...まっちゃん
  • 14年10月25日
    Re: 【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)...米山

Re:書評・凍れるいのち/(米山・1984

対象モジュール: ブログ記事
件名 書評・凍れるいのち/(米山・1984)
要旨 書評・凍れるいのち 川嶋康男柏艪社2006.121962年暮れからの大雪山で、北海道学芸大学函館校(現・道教大函館校)山岳部が遭難した。10人遭難、リーダー1人のみ生還。北海道山岳史上最悪の事故だった。これまで報告書以来語らなかったリーダー野呂幸司の45年経てのインタ...
 

このトピックの投稿一覧へ

なし Re:書評・凍れるいのち/(米山・1984 msg#
depth:
0
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007-3-10 23:26
米山 
確かに、部報10号では、愛山渓から白雲経由石狩岳、三国山、十勝三股への二年班パーティーの記録がありますね。まだ天気が良かった12月27日、忠別岳付近で会ったようです。部報10号は全体に記録が簡潔で、他の記録を見ても最小限の記述です。1965年3月、6人帰らなかった札内川10ノ沢雪崩遭難の年に出た部報で、ほとんどがその遭難捜索報告ですから、やはり編集に余裕も無かったことでしょう。

その札内川パーティーの沢田さんの遺書にも、山スキー部と行き会ったが、お互いにあいさつをすることも無く別れてしまった。あのときあいさつをしておけばよかった。と書いてありましたが、どうもルームは昔から山の中で他のパーティーにあってもあまり情報交換などしない傾向だったかもしれませんね。

「凍れるいのち」に関して当時同時代に登っていた人の感想が、ほとんど聞こえてこないという話をきいています。
 
この投稿に返信する
題名
ゲスト名   :
投稿本文
 
投稿ツリー
 

  条件検索へ


 
 
Copyright © 1996-2024 Academic Alpine Club of Hokkaido