OBの山行記録・
2010年5月12日 (水)
日程:2010年04月26日〜05月01日
メンバー:白石淳也(2000) ,澤田卓郎(2004)
2010年4月から白石、澤田の2名でペルー南部ビルカノータ山群というところで登山をしています。今までの記録の一部を投稿します。
?AUSANGATE(ノーマルルート)
4月26日 クスコという都会からバスにのり麓の村TINKIへ。ここからモトタクシー(バイクの二〜三人乗り)で奥の村PACCHANTAへ。バイクでの入山は気持ちよい。
27日 曇 PACCHANTA村→AZUL COCHA(青い湖の意)
約1.5h歩いて装備、食料をデポ(というか隠して)しておいたAZULCOCHAという湖畔へ。湖畔でC1。
28日 晴 AZULCOCHA→AUSANGATE BC(手前の湖)
5日分の食料、ガチャを用意して出発。気持ちのよい草原をアウサンガテを半周して、反対側のノーマルルートのBCへ向かう。この山域では放牧が行われており、のんびりしたアルパカや羊がたくさんいる。BC手前の湖のそばでC2、標高4800m。湖のすぐ横の小さな池にマスを見つけたので、追い込み漁をする。が、一向につかまらず、冷たいだけ。漁の厳しさを知る。
29日 薄曇 AUSANGATE BC→HC
BCを経てモレーン帯を登り、プラトーに突き上げるリッジを氷河末端のHIGH CAMPまで。標高は5400m。モレーン帯のガレ場には牙の生えた変わったウサギが生息している。
30日 晴→雪 AUSANGATE HC→頂上→HC
HCを朝3時半に出発。月も出ていて天気は悪くない。すぐに氷河となり、クレバスを避けつつ頂上プラトー下にある壁へ。標高差130mくらいの雪壁を登り頂上プラトーへ。プラトーを所々ひざラッセルで進んでいくが、じょじょに天気が悪くなってくる。そのうちガスが濃くなり視界は50m程度にまでなる。そのうち予想に反して細い稜線になって来て少し不安を感じながらも。ピークへ向かい登っていく。そのうち尾根状になり、ラッセルを続けていくと最高点らしきところにつく。10時45分着。少しガスが晴れるときもあるのだが、基本的にガスの中。白い。標高は6400m弱。いつも頂上ではガスの中な気がするなどいいながら休憩。白石は頂上で笛を吹きたいとネパール製の笛を吹いている。実にしんどそう。30分ほどピークにいて、下降開始。
下降しだしてすこし行くと、視界も完全になくなり、アラレと風がでてくる。どうやら、雷雲の中にはいったようで体に「バチバチッ」と静電気が走るようになる。僕らはスノーバーをザックにつけガチャを身にまとい、歩く避雷針といういでたち。怖いのでとりあえず伏せてやりすごすが、頭を少しあげると「バチッ」と来て恐ろしかった。そのうち、アラレも弱くなったので下降を再開する。
プラトーに降りるあたりから、白石が「高所の影響か、意識が飛びそうになる」と不調を訴え始める。何というか。。。頂上で必死に笛の演奏なんかがんばるからだと思われる。幸い、休憩しつつ下ることで無事夕方HCに帰り着いた。
5月1日 晴時々曇→雨 HC→AZULCOCHA
HCからまた、アウサンガテを半周して、AZULCOCHAへと帰る。このあたりにいる牧羊犬は恐ろしい。見知らぬ人間が近づくと猛犬と化し、襲ってくる。途中で犬3匹に囲まれたり、2匹に追いかけられた末、川にボチャンしたりしながら、AZULCOCHAへ。
翌日からはPACCHANTA村にある温泉に入ったりしながらクスコへ行き、休養と次の山の準備を行う。
...hide more
OBの山行記録・
2010年5月10日 (月)
日程:2010年05月02日 〜04日
メンバー:米山悟(1984) ,斎藤(1987)
天候:晴れ
コースタイム:一日目:札幌→斜里→玉石の沢登山口の除雪点(14:10)→右岸尾根Co.800m C1
二日目:C1(5:30)発→黒いピナクル基部でシーデポCo1220(7:10)→北壁トラバースして中央リッジ末端より登攀開始(8:45)→40+30m→白いバンド中央岩稜基部 (9:30)左岩壁方面へ1ピッチ出してトラバース偵察→右リッジ基部登攀開始(10:30)→(40m×4ピッチ)→山頂(11:30-12:00)→ 北稜クライムダウン→シーデポ地点(13:10-30)→C1(14:00)
三日目:C1(6:40)発→林道(7:00)→車(7:40)→下山→越川温泉→弟子屈→南千歳駅(17:00)→函館→青森
コース状況/その他周辺情報:天気快晴
三日の夕から翌朝にかけ強風
五月連休にしては雪の多い年。北壁のトラバース斜面やルンゼの氷雪の状態は申し分なし。ただし岩ルートの雪はもう既にない。
斜里岳は26年ぶり。今年の5月連休は雪が解けのこっているので、日高の奥地へ通じる谷からの遠距離アタックカールスキー作戦はやめて、壁登りにした。狙い通りにひと月近く前の状態があり、とても満足。岩ルートはもう氷雪が取れてしまっていたが、凍ったルンゼを両手アックスでじゃんじゃん登れる楽しい登攀を満喫した。そうそう毎年この時期こうはならないと思うよ。
斜里北壁の記録はいくつかあるようだけれど、ルート名などはあまり決まっていないように思う。今回の名前も便宜的なもの。北稜からの斜里は利尻の南稜を思い出すような格好いい山。こんな面白い場所がまだ北海道に残っていたか!ビート畑から
札幌から足寄経由で斜里へ。7時間。平野にそびえる斜里をみると北海道に憧れてきた20歳の頃を思い出す。風景は全く変わっていない。
玉石沢の入り口林道は前回も迷ってずいぶん歩いた。そのときの書き込みが地図にそのまま。雪の季節はとにかくスキーで直進すれば良い。
カンバとタンネの緩い斜面を登り、いい時間になった頃樹林限界。北壁が少し望めるよい天場。僕は風邪で咳がひどい。焚き火でバーボンを飲んでいたら治ってきた。ラジオは忌野清志郎一周忌で泣けるナンバーが続く。オホーツクに落日、平野に光、満天の星。
朝は国後の上に旭日。日が長い。さすが道東だ。3時半には明るい。風邪はすっかり治ってしまった。登攀道具を背負って出発。斜里北壁はまるでバルトロ氷河からみたガッシャブルム4峰のように神々しい。道東のG4と呼ぼう。北壁を愛でるこのルート、斜里の正面玄関と呼ぶにふさわしい。「ごめんくださ〜い」と言いたくなる。
北稜上のピナクルの基部でスキーをデポ。黒く見えたピナクルはハイマツだった。右に巻きながら最大の黒いピナクルの上に立つ。ここからの北壁はまるで利尻南稜のP2からの眺めを思い出す。はじめ北稜を往復の予定だったが、行けそうなので北壁の中に入り、中央リッジか右リッジをいこうということにこの場で決まる。
延々固い斜面のトラバース。潜るよりはマシだが斜度45度はあり高度感満点。日が当たらない北壁だから良い。
中央リッジの末端からザイルを出してスタート。トップは全部斉藤。ピンはすべて掘り出したカンバ。凍ったリッジ沿いに両手アックスで快適に2ピッチ上がり、雪のバンドにあがる。黒い岩壁帯の基部だ。岩壁帯7、8mを超えてしまえばあとはまた雪のルートになりそうだ。弱点を探して1ピッチ左へ進んでみる。が多角的にみると、傾斜がきつい岩壁は7、8mでは終わらず、もっと長いことがわかる。さすがにこれも真っ白な季節は、3月上旬あたりだろうか。岩登りルートより今回はダブルアックスでスカスカ行けるルートを、ということで、一番右のリッジのほうへまた40mトラバース。そのリッジの左脇のルンゼが調子良さそうだったのでそこを直上することにした。ザイルいっぱい4回で快適に上がり、山頂。
屈斜路湖や摩周湖のカルデラ、海別岳、それに南東には見たことのないペルーアンデスみたいな尖峰群がある。武佐岳と周辺の山群だ。絶景。斉藤が昔敢行した、摩周岳から知床岬までの3週間大縦走のやっと半分が見渡せる。よくやるよなあ。空前絶後だと思うよ、そんなことする人。
>北稜の下りは怖い。日が高くなって雪も腐りだし、五月の感じなってしまった。幅1m 以下の急な雪稜が続く。バックステップで下るが、アイゼンもアックスもずりずり決まらず。時間をかけて下る。一カ所アプザイレンする。スキーまでもどって BCまでは快適なスキー。あっというまに天場に戻って乾杯。
ラジオは去年と同じく岩槻さんが有楽町からラフォルジュルネを生中継やっていた。今年のお題はショパン。ベレゾフスキーのピアノ協奏曲。でも山の焚き火にはバッハの方がいいなあ。夕方から風が強まる。ツエルトの周りは雪が解け、寝床だけ盛り上がったので、幕が風で夜中に舞い上がり、目を開けたら外にいた。気温は高く、別に平気だった。
翌朝の下山はタンネとカンバのスラロームをしながらあっという間に降りてしまった。近所の越川温泉という共同浴場にて、地元のおやじと風呂の話。風呂に引いている熱すぎる源泉うめ用の沢の水、ためてあるところをよくシカが濁らせるとこぼしていた。「鹿の野郎がまた水浴びしやがったな!」なんていうんだ。「ここのお湯はホントに疲れがとれるんだ」と朝野良作業あがりのおじさんが言っていた。
セイコーマートで、下山牛乳1リットルイッキ飲みして、延々7時間かけ道東より帰還する。高速道路もできたけど、さすがに遠いよ。足寄の駅前目抜き通りの「両国」っていう蕎麦屋の豚丼とカツ丼がすごくうまかった。やはり蕎麦屋の丼ものはうまい。
武佐岳周辺の尖峰群一筆書き縦走の案も練った。夕張、トマムの道路がつながったら近くなるかも。
...hide more
OBの山行記録・
2010年5月10日 (月)
日程:2010年03月21日〜22日
メンバー:米山悟(1984), 斎藤(1987)
天候:一日目:966mbの低気圧が北海道を通過で暴風
二日目:冬型で、1000m以上はガス風雪
タイム:一日目:車デポ美里別林道と留辺蘂足寄線の分岐(15:00)→・768北のコルCo730(16:00)でイグルー泊(製作に70分)
二日目:イグルー(7:10)→ペンケポンピリベッシリ沢から・1368北のコル(9:30)→クマネシリ岳東の絶壁下でシーデポ(11:30)→クマネシリ岳山頂(12:10-20)→シーデポ(12:50)→・1368北のコル(14:00)→イグルー(15:00-20)→車デポ(15:50)
コース状況/その他周辺情報:一般にはお勧めできない好きな人向けルート
ギアナ高地からのスキー滑降は最高に楽しい。
ギアナ高地をスキーで歩くのは地味に楽しい。
クマネシリ岳東岩壁はノーザイルぎりぎりの70m
クマネシリはアイヌ語で長い竿の意味らしい。この山、地図で見ると幅200ー500m、長さ10キロ以上の細長いテーブルマウンテンで、縁はほとんど絶壁に囲まれている。5年前、西隣の西クマネシリ(通称オッパイ山)から眺め、そのギアナ高地から西縁の尖った山頂を目指す計画を夢想した。今回は三連休の中日に強烈低気圧が来るので、3日山行を1+2日参考に分け、冬型でも天気がましな道東という事で突入。
前日、積丹の鉞山を登って、札幌から道東道を一路東へぶっ飛ばす。驚きの夢の道路だ。帯広まで今は2時間半だって。
ペンケポンピリベッシリ沢を倒木を使って渡渉。沢沿いに行くつもりだったが、一本北の、コルへ上がる沢に入った。コルで4時になったのでイグルーを作る。ざらざら崩れる、イグルーには一番不向きな雪質で、なかなか長細いブロックがとれず、苦労して70分かけて作る。積雪も30センチほどなので掘り下げも無し。今夜は低気圧通過。日本中が強風で騒いでいる。樹林帯の中でも、風で折れた小枝や大枝がどんどん落ちてくる。イグルーの近くのトドマツが、バキバキ言うと思っていたら、やっぱり折れた。太さ50センチ、年輪を数えたら100年近くはある。丈は15mほどか。強い風に森中が踊っている。強風の中、焚き火を敢行。はじめメタに着火するのに苦労したがごうごう燃えてあったまる。風は8時には嘘のように収まってしまった。あのタンネももう少し辛抱すれば長生きできたろうにな。焚き火、三日月、葡萄酒、カレー雑炊。
スキーで出発。一晩パウダースノウが降り積もり、脛までの軽いラッセル。延々登るルートはギアナ高地の1368北の最低コルから東に延びる尾根。これ以外の尾根はすべて台地直下が急になっている。この尾根だけが、サイトーが地図を見て嗅ぎ当てた唯一の弱点。ここも結構な急斜面でジグザグでラッセルする。サイトーがいつものようにバリバリ登って来ないので様子を聞くと、テレマークスキーはかかとが半分しか上がらんので大股でのラッセル、沈んだ時の足の引き抜きが山スキーのように自由にできず、はかどらないんだそうである。なるほどなあ。
期待マンマンのロストワールド、ギアナ高地たる稜線には、濃いタンネの森、風の強い西の縁沿いは太く低く育った古株のダケカンバが、リンゴ畑のよう。登りの尾根にはブル道があったがこのテーブルの上は派手な伐採の跡が無い。無人の聖域の香りがプンプンする。中生代の巨大生き物はいないか〜?鹿やクマの足跡も激しい風雪のため不明。自分のトレースもすぐ消えてしまう。
風雪はなかなかおさまらん。今日は道東、冬型でましな天気のはずだが。マイナス8度くらいで視界は500mより先利かない。そんな中2時間もスキーで北西に向って漫遊していると、白い闇の中にボ〜ッと黒い三角の壁が見えてきて嫌な予感。ここまで来てこんなのが出るなんて!
スキーをデポしてアイゼンピッケルで、壁に取りつく。藪をつかんでだましだまし登る。高度差70m、常識的にはザイルを出すところ。帰りは特に無いと怖いと思うよ、常識的には。
壁を抜けると細くない雪稜、それを抜けると最高点。風雪ガスで何も見えないが、観望して空想して実行した計画の貫徹は誇りだ。壁の下りは登り以上に蹴り込んで終える。帰りはシールを外してタンネの森を戻る。行きの半分時間でコルまで。ここから東尾根のスキー滑降は、傾斜とパウダーとその量がちょうどよく、楽しい滑降になった。結構入っているブル道が、良い斜面になっていて、歓声の下り。サイトーのテレマークスキーもこの場面では持ってきてよかったというところ。天場に下がるころは青空も見え、日もあたってきた。パッキングしてペンケポンピリベッシリ沢へと下る。
最寄りの温泉、芽登温泉に浸かる。古くからある山奥の一軒宿でお湯はぬるりん系の源泉掛け流し。お好みでアツアツ湯船もある。足寄から帯広へ向かう途上で夕焼けの空になった。十勝平野のポプラ並木が延々通り過ぎてゆく。
クマネシリをテーブルマウンテン側から登ろうという趣向はあまり無かろうし、山頂下の壁を見たらノーザイルで誰も行かないだろうから、たぶん初登だろうと思う。
...hide more
OBの山行記録・
2010年5月10日 (月)
日程:2010年03月20日 (日帰り)
メンバー:米山悟(1984) , 斎藤(1987)
天候:濃厚なガスのち小雨小雪
コースタイム:珊内河口(9:30)→南尾根末端(10:30)→山頂(13:30-45)→林道の徒渉点(14:45)→車デポ(15:45)→珊内ぬくもり温泉n→寿司屋→銀山あめます山荘→札幌
お彼岸の三連休、真ん中の日に春の嵐ということで、楽しみにしていた三日間山行を変更し、1+2日山行にする。初日は後半天気下り坂予定で、積丹の怪峯、鉞山へ。むかーし昔、珊内川を泳ぎ下って見上げた鉞山は、高層ビルのような恰好だった。
ガスの中、珊内河口からうっすら見えたのが最後、それ以降は足元にしか見えない視界だった。珊内川右岸沿いに行くとすぐ道はおわり、スノシュウつけて半藪の雪面を行くと、左の方から林道がやってきた。別の入口があるようだ。その除雪終点に珊内温泉の源泉ポンプ小屋あり。林道はすぐに左岸に渡り、コンタ100の三俣を渡るあたりで沢に下り、本流を対岸に渡渉、鉞山南稜の末端に取りつく。沢の両岸は結構急で、すんなり行ける箇所は一カ所しかない。右岸に登ってしまうと南尾根は結構スキーでも行けそうな傾斜が延々続く。雪もしまっていて快調。
山頂下のコンタ650m超えたあたりから硬く急になるのでアイゼンピッケルに変える、がピッケルを車に置いてきちゃった。仕方ないので一本ストック持っていく。
前詰めトラバースみたいな急雪面もあるが、なんといってもつかめるブッシュがあるのでピッケルが無くても行ける。靴の幅リッジ3〜4m続くのも2カ所あるが、ガスで全然谷底が見えないので、ちっとも怖くない。ストックでヨボヨボと水戸黄門みたいに渡る。そうこうするうち山頂。晴れていれば絶壁に腰掛け日本海を眺めたいところだが山頂踏めただけでも良し。そもそも晴れていたら来ない山だった。
下降は早かった。アイゼンを脱いでからはスノシュウもはかず、潜りもせず。藪の間隔も文句を言わなきゃ山スキーでも十分滑れる良い尾根。積雪期に三俣から南稜をまっすぐ登るルート、あまり記録を見ないが初登ではあるまいな。三輪さんの本「とっておき北海道の山」に小樽GCCの山西氏の記録がある。少し違うルートのようだ。
河口の珊内ぬくもり温泉に浸かる。函館の谷地頭温泉クラスのレッド風呂。赤いよ、手ぬぐいも真っ赤だ。四畳半ほどの湯船で伸びきる。風呂上がり、雨が降り出していた。強力低気圧の通過だ。神恵内で寿司をつまんで、銀山小屋によったら、この悪天で山に行かずにヒュッテンレーベンしていた50年代入部組OBがやっぱりいたいた〜。うらやましき老後だ。24年前にカトマンズでお会いして、10年前にも一度お会いしたヒシ・チョデンさんに再会しておどろいた。赤葡萄酒と青チーズをゴッツァンになって札幌へ。明日は道東、クマネシリを目指すので。
...hide more
OBの山行記録・
2010年4月12日 (月)
原真・原武 両氏の追悼山行に鹿島槍ヶ岳北壁に行ってきました。
OBの山行記録・
2009年8月18日 (火)
中ノ川の一番右奥、ペテガリの東肩に突き上げる沢が中ノ川右股。おなじみ下流部の美しい淵と函、中流部の風格ある両岸の高い壁と小難しい連瀑帯、上流部の大滝と雪渓の難関コンビネーション。ピークにこそ上がらないが中ノ川をフルコースでいただく満腹ルートだ。「23南面、ソエマツ南西面よりもよほどエグい」という印象。予想以上の極悪沢だった。とてもシゴかれ、大変満足。100m大滝やゲジゲジ沢の展望抜群の新下降尾根(サイトー尾根と命名)も発見した。
【メンバ】米山悟(1984入部)、齋藤清克(1987入部)、田中宏バイエルン(2006入部)
【日 程】2009.8.14-16
【タイム】
8月14日晴れ
札幌(6:00)→中ノ川林道車の終点(Co250北からの支沢の橋)(11:00)→徒歩で入渓・882のほぼ南Co330(13:00)→Co430十字峡(16:00)→Co450留取岳南面沢出会いすぐ先C1
8月15日晴れ
C1(5:00)→上二股・565(6:40)→核心抜けたCo1350C2(19:10)
8月16日晴れ
C2(05:50)→稜線(06:50)→1573m峰(ペテガリ岳東肩)(7:00-15)→新下降尾根頭Co1500(08:00)→尾根末端(11:15)→C1(14:00-20)→入渓点(17:00)→いろいろあって車デポ到着(20:40)
8/14
中ノ川は広くて深い淵泳ぎから。天気も良いし水面すれすれ目線から日高の高い尾根を見上げてヒラ泳ぎ。十字峡より先に天場を進めるが、大して進む前に魅力的な天場に出会ってしまい、泊まる事に。巨木の流木があり、星を眺めてゴロ寝。すごい流れ星を見た。光る長い棒みたいな。今年も山でペルセウス座流星群を見られる。
8/15
歩いてすぐ、泳ぎの淵5,6本。体脂肪率の低いバイエルンはこれで一挙に震えあがってぶるぶるちゃんになってしまい一人カッパを着る。泳ぎの沢には多少の皮下脂肪が要る。中ノ岳北東面沢との二股を過ぎると豪華なスライダー釜着き滝があり、その先の2条10mの滝で左岸を初ザイルを出す。ここは帰りに懸垂した。
第一の核心部は・681(げじげじマーク支沢との二股)の少し下、10m冷水を泳いだ末の立ち泳ぎでチョックストーンの挟まったプール付き4m段差が越えられない。左岸の壁を登って巻いて懸垂。古い残地ボルトあり。
Co730二股に左岸から合流する100mの大滝がすごい。日高で一、二の滝ではなかろうか。翌日下降尾根上から見たらこの上にもさらにもう一本同じ規模のが見えた。3年前、ヌピナイで会った青島、成瀬さんがここに向かったという話だったが、これか〜。
このあたりから大小さまざま猪口才な滝が連瀑する。その中で15m滝右岸水ぎわをゆくのが第二の核心、上部で左岸に飛び移ったらどうかと登り始めたが、齋藤はそのまま激流ステップを踏んで右岸を前進した。家に帰って日本百名谷を見ると、ここが「死のジャンプ」とある滝の様だ。(日本百名谷・1972.7.20小樽商科大山岳部魚住幸男氏)
Co760屈曲部あたりから第三の核心、雪渓と連瀑帯が始まる。雪渓は安定しているが切れ目には絶悪な滝があり降り口が無く、ほとんど側壁にザイルで登って巻いて降りる。側壁に登路が無く、泥壁をザイルでトラバースして懸垂というのもあり。ひとつ数百mの雪渓を4つ、そんなふうにこなし、間の滝をばんばん登っていくうち、時計の針がぐるぐる回っていく。
Co1000付近を超えると谷が極端に狭く幅2mくらいになり、あいかわらず滝だらけ。その廊下の奥の10m滝が第四の核心部。左岸バンドをへつってカンテをまたぎ、あっち側の傾斜ある壁に打ったハーケンからシュリンゲで鐙を垂らして上に抜け、そのまま左へトラバース。周囲に巻きの選択肢は無い。
このあと30m滝を右岸から巻いて最後の数百mの大雪渓に乗り、行き止まりに午後6時に見上げるのが30,20,40mの傾斜の強い連瀑、第五の核心。結構難しく、トップはザック吊り上げ。もう、日が暮れちゃっているんですけど、雪の上では泊まりたくないので泣きながら登る。チムニー多く、背中も脇腹もこの時間になってびしょぬれになった。ラテルネを出して、完全に闇になった7時過ぎ、滝を抜け傾斜30℃のガレ場の中に天場を築く。奇跡的に良い薪が多少あり、水もちょろちょろ流れている。ガレ岩を整地して三人の寝床を作り、火をおこして、麻婆豆腐雑炊を作る。炎で背中もお尻も乾いていく。幸せだ。膝も指先もぼろぼろだ。大変な一日だった。
8/16
天場の上にはもう稜線が見えていた。勇んで最後の濡れた草付き涸れ滝に取りついたが、意外に上部は傾斜があり、20mほどザイルを出す。藪こぎは多少で稜線に出た。ペテガリ、中ノ岳、久し振り。1573m峰までハイ松の海を進んで登頂。ペテガリまでは結構ある。ここもなかなか良いピークじゃないですか。誰かが作った看板で、「キヌプリ」と書いたのがある。キムクシュは雲海の中。始め、こちらに下る計画だったが、雪渓が多そうだし、やはり三日では無理。
下降尾根は従来、主稜線を1469まで藪をこいで南東へというのが定番だが、右岸を見ながら来た結果、藪こぎ半分でCo1500から東に落ちる顕著な尾根を新下降尾根にする事にした。結果、旧尾根に比べ尾根が狭くて顕著でわかりやすく、稜線の藪こぎも半分になったのでこれは大変お勧めルート。しかも右のげじげじ沢の凄い形相や、100m滝沢の全貌が両方見物できる。尾根末端で極端に細くなるが、・681の尾根末端までブッシュが切れずに続く。この下流は二条の滝で懸垂する以外はすべてプール飛び込みで下降できる。
C1帰着14時、この先も一生懸命歩かないと日が暮れる勘定だ。きょうも結構ハードな一日になりそう。下流部の足のつかないプールを立ち泳ぎしながら、中ノ川の夏を満喫して流れ下る。長い河原歩き。バイエルンは鹿の角を三本も拾った。河原から林道へ上がる所で、最後尾を歩いていた僕が、良く似た手前のポイントで上がってしまい、待っていた2人とはぐれた。下山連絡の約束時間にぎりぎりだったので先に行ったものと思い、林道を走って車まで行くと、誰もいないのを見て初めて気づいた。二人は河原を暗くなるまで探し、その後車に戻ったので、結局下山連絡が9時になってしまった。最後の最後にさえないトラブルで全員ぐったりしたが、大樹の龍月で豚丼をかっ込み、急がず札幌を目指す。急いでいる林道は要注意だ。
去年23南面沢、ルベツネ北面沢などに連れて行った現役のバイエルンは見事な沢好きに成長していて頼もしい限り。げじげじ沢(・681右岸支流)やジャヌー南面沢(・530左岸支流)など、支沢の出会いでは「ちょっとのぞいてきます」といそいそ探検に出かける有様。それをみる斎藤は「よかったなあ、バイエルン」とたびたびつぶやくのだった。
飽きるほど滝や泳ぎを繰り返し、先の分からない雪渓と細い岩の回廊。ボリウムといい、日高屈指の山行になった。この満足感を時折思い返し、日常をにこにこしながら生きる。
...hide more
OBの山行記録・
2009年7月5日 (日)
【年月日】2009年07月05日
【メンバ】田戸岡(1999)
【天 候】上部ガス(2〜300),下部晴れ
【タイム】望岳台8:25〜ピーク10:45/55〜望岳台12:25
今年もいよいよ滑り納めということで,珍しく本峰に行ってきました。
雪は意外にも去年の今時期と大して変わらず,
美瑛の方は去年よりか少なく見えました。
モチが上がらなかったので本峰のみ往復し,
適当に4つの雪渓を滑ってきました。
テレブーツ履いて板背負ってる自分の状況が,
なんか罰ゲームでもやらされてるみたいに思えて笑えました。
早く雪降らないかなぁと思いつつスキーを納めましたとさ。
2個目の雪渓の上。
3個目の雪渓の上。
4個目の雪渓の上。
滑り納めて振り返る一枚。
...hide more
OBの山行記録・
2009年5月15日 (金)
久しぶりに利尻に行きたくなったGW前半。今回はテレマークで滑ることとして東稜からのっこそうと計画。労山のテレマーカー仲間2人がうまいこと釣れて(笑)一路北の島へ。しかし2日目に二つ玉低気圧が通過する予報で,始発フェリーでついた日に北尾根からアタックというちょっと時間的にきわどい計画に変更。でも無事に余裕で行ってこれました。やっぱし利尻は偉大な山でした。超きもちいい。
【年月日】2009年04月25日〜26日
【メンバ】田戸岡(1999)+札幌中央労山のテレマーカー2人
【天 候】晴れ
【タイム】
24日旭川18:30〜稚内23:00C0
25日稚内6:50〜鴛泊8:40〜キャンプ場9:20〜長官12:30〜ピーク14:30〜キャンプ場16:40C1
26日キャンプ場8:30〜樹限9:30〜キャンプ場10:00
利尻を後に
仕事を一時間早退してYさんを拾って北上。名寄でMさんも拾ってさらに北上。けっこういい感じのペースでいつもの駐車場着。車中で軽く飲んで就寝〜。
で,ちょっと遠くなったフェリー乗り場まで歩く。重い。フェリーに揺られて鴛泊着。今回はMさんの元同僚のSさんになまらお世話になりました。とりあえず天気予報により東稜をあきらめて一日で北尾根往復することにしたのでいらなくなった装備を預ける。で,キャンプ場まで送ってもらい,準備して出発。
朝から快晴で,時間もそんなに無いのでちょっとハイペースでなまら暑くて汗だく。そしてモービラーに軽く不快になる。沢型を詰めて適当に夏道の尾根に上がる。シールの効きがイマイチでだんごも発生で難儀。途中でスキー背負って長官へ。途中で少し陰ってきたけど,ピークはぱっちりきれいに見える。なんか大人数のパーティが見えた。雪質的に厳しい気がしつつもピークまで背負っていく。近いようで意外と遠いピーク。でも予定通り15時前には着。安心。ぱしゃぱしゃ写真撮って下山へ。もちろんガリガリ君でスキーは履けずにEP。。。
長官手前の緩くなってきた所で試しに履いてみるものの,ひたすら制動でカキ氷を作ってる感じのシャリシャリ。でも長官から下のメイン斜面は素晴らしかった。やわかくてクリーミーな雪と柔らかいコーンスノー。けっこうスピード出して大回りで超きもちいい。さすがに足がやばやばだったしもったいないので一気に降りるのは無理でしたが。で,またモービラーで不快な気分になってテントへ帰着。カレー雑炊が意外に好評で安心。ウイスキーをがぶ飲みして就寝。星がきれい。
次の日は天気ヤバイだろうと思っていたもののそんなに悪くない。ただ,風の音がすごい。いちおうせっかく来たので滑れるだけ滑ろうということで出る。ものの,やっぱし樹林外はすごい風。リアルに,歩いてて後ろに押し戻される風で引き返し。いちおう少しだけは滑れたけど。。。
そしてテント撤収してまたSさんのお世話に。島を一周していろんな角度から利尻を見て,温泉へ。サウナやら冷たい源泉やらでゆっくりしつつ,夜は居酒屋で利尻の食を満喫。さらに家で気合い度数120%を注入し就寝。
次の日はフェリーの運航状況が危ぶまれたものの,無事出航されました。遠ざかる島を名残惜しみつつ本道へ帰着。トナカイカレー食って無事旭川に着きました。
...hide more
OBの山行記録・
2009年5月9日 (土)
戸蔦別川から新冠川源流へ踊りこんで、幌尻の南東稜を登り、東カールを滑る。この季節だけに可能な日高最深部へのスキーアタック。晴天の三日間に恵まれて久方の日高最高峰再訪。
アタック日は1800mの尾根を往復二度越えて幌尻を往復する勘定だったが、スキーの威力は猛烈で、夏以上のスピードを出した。南東稜登攀も東カール滑降もおそらく初登、初滑降ではなかろうか。
(写真)トッタベツ川八ノ沢左岸尾根の頭よりポロシリの滑った全行程を振り返る。ポロシリの山頂から左に伸びる尾根が南東尾根。二本あるうち右のが登った第一支稜、山頂の真下が滑った東カール。
【年月日】2009年05月4-6日
【メンバ】米山(1984) , 斎藤(1987)
【天 候】三日晴天
【タイム】5月4日札幌(6:00)→戸蔦別川CO570の橋除雪終点車デポ(10:50)発→八ノ沢二股(13:30-50)→八ノ沢左岸尾根標高1440C1(16:40)
5 月5日C1(5:30)→八ノ沢左岸尾根頭(6:30)→新冠川へ下り1210二股(7:30-8:00)→幌尻岳南東尾根経由→幌尻岳 (11:30-12:00)→東カールを滑降→1210二股(12:45-13:15)→左岸尾根頭(15:20-40)→C1=C2(16:20)
5月6日C2(8:00)→左岸尾根1296南のルンゼ経由八ノ沢合流(8:30)→八ノ沢二股(9:00)→車デポ(11:40)
戸蔦別川林道は、1570びれい橋まで除雪してあった。この先カタルップ沢を越えるあたりで道が怪しくなる。この流域が卒論の山域で、何十回も通って全部の支沢を登った斎藤によれば90年代初頭は8の沢まで鼻歌で車が入ったそうだが、今や藪に覆われている。バブル期を最後にブル道も野生化していく。
八ノ沢左岸尾根に取り付くため渡渉点を求め、八ノ沢を100mも登ると雪がつながっている。その辺のルンゼが上のほうまで雪がつながっていそうなので、そこからシートラで100mほど直登。伐採用ブル道が交錯してくると、ほどなくシールで行ける傾斜になり、尾根を登る。ブッシュもなく快適。この尾根も八ノ沢右岸尾根もともに伐採用のブル道がザクザク入っている、20年前の。単調ながら気分良い尾根の登り。ベートーベンの交響曲3番を通しで3回くらい頭の中で演奏する頃、とんがり野郎のトッタベツ岳が見えてきた。お久しぶり、21年ぶりかな?
夕方いい時間になったころ、幌尻アタック圏に入ったので天場とする。ピパイロが見える天場。ツエルトを張って焚き火。持参した手回し充電ラジオをグルグル回すとバッハの無伴奏チェロソナタやビバルディーをやっていた。司会は岩槻さんだった。月は半月ながら晴れ渡った雪の尾根を照らし、明日のやる気をマンマンにさせる。月光のバロック。
翌朝、左岸尾根頭まで1時間で登る。懐かしの白い北日高全景だ。五月といえどもなかなか白くて捨てたもんじゃない。行く手のニイカップへ下る沢は傾斜はあるが雪はたっぷり。渡渉予定の標高1200付近もまだまだ大丈夫そう。向かいの幌尻岳の大カール群は無垢の純白。あそこに一筋トレースを付ける。左岸尾根頭と1803のコルから沢に滑り込む。上部は急、下部はルンゼ状だが悪いデブリ等は無く、概ね快調に1200まで。あっという間だ。渡渉点で七ツ沼カールからの沢の水を飲み対岸へ。
この東カール下部の緩い尾根はカンバの大木が疎林になっていて美しいところ。円形競技場のような幌尻のカールヴァントを眺めながら牧歌的に進む。この広い新冠川源流カール群、快晴の連休なのに独占貸切だ。南東稜へは顕著な第一支稜からとりつく。難所無く、山頂までスキーで行ける。この支稜は両側がカールに削り取られ、最高の歓迎ムード。まるでエサオマンの北尾根のようだ。山頂5分前からガスに覆われる。更にこちらから登ってもニセピークにだまされる。幌尻ってこういう奴だった。思えば前回、前々回もそうだった。ガスの中だが、この春相次いで世を去った僕のお師匠さん、原眞と忌野清志郎を山頂にて密やかに偲ぶ。原さんは確か学生時代の総仕上げとしてこのポロシリで未踏の西稜をプイラルベツ沢から1960年頃冬期初登していたはず。電話が通じたので家族にかけたらお誕生日おめでとうだって。忘れてた、今日誕生日だった。山頂で晴れるのを待つが、きりがないので視界50mの中、東カールへ飛び込む。傾斜は登りながら確認したし、下のほうは晴れるだろう。しかし、緊張の時だ。滑落して、400m止まらなかったら困る。
滑降始めてみると、雪は軟らかかった。少し下りればガスも消えた。先週降った季節はずれの新雪がマダラ上になっていてそこで抵抗がガクッと来るのを除けば、快適な滑降。無人のカールボーデンまできゃあきゃあ言いながらスピードを楽しんだ。あっという間に渡渉点。スキーの機動力恐るべし。
左岸尾根頭までの登り返しは、渡渉点で水飲み放題だったので馬力も出た。下った時は急に感じたが登りになると意外に余裕でシール登攀できる。午後三時台に、この600mの登り返しをつべこべ言わずにやれるパーティーだけが無垢の新冠源流を満喫して良い。
左岸尾根頭で逆光の幌尻を眺める。登って下って登って下って登って下る行程だが、スキーも使えない国境稜線を延々アタックするよりは、スキーで一直線の、潔いルート取りではなかろうか。計画の美しさと結果に大いに満足した。エサオマンやナメワカのカールもこの調子で滑ろうと、夢は広がる。ナメワッカ北面直登沢の直上振りも堪能。
(写真)トッタベツ川八の沢左岸尾根よりエサオマン北カール
ここ左岸尾根頭から天場までは日高によくある急傾斜、右は雪庇、左はブッシュの幅3mの尾根という下り。スキーにとってはイヤーなこういうコースも斎藤は上手い事滑る。細かくターンで減速し、あっという間にC1へ消えていく。
のどかな夜、風もなく十勝平野の灯りがゆれていた。
翌朝は左岸尾根の1296コルから直接南に八ノ沢に降りるルンゼを滑り降りた。尾根を下りるより快調。八ノ沢の中もブリッジ繋がっていて、二股までOKだった。この季節はこれだから早い。トッタベツ林道にあがると、直径二十センチ強のデブ熊の足跡が先導している。爪が雪を蹴散らした雪屑なども残っていて、たった今通ったホヤホヤ。行く先が同じようなので仕方なく付いていく。ホーイホーイと声を枯らしてコールしながら。(写真)デブクマの足跡
五月は適当な山域で遊んでいる場合ではない。一年で最も奥深くまでスキーで進める。雪崩もゴルジュも皆解決の、長距離弾道スキーの貴重な季節だ。
...hide more
OBの山行記録・
2009年4月23日 (木)
【日程】2009年04月11〜12日
【メンバ】シェイク(1987) , 斎藤(1987)
【天候】
4/11晴れ、快晴
4/12晴れのち曇り 気温は頂上付近で2〜3℃位か。
【タイム】4/11:18線沢入口から入山(10:20)-御茶々岳と槙柏山とのコル(13:10)-ユーフレ小屋(14:20)
4/12:小屋(5:25)-芦別岳頂上(9:20-10:20)-ユーフレ谷滑降後、小屋着(12:30-13:00)-御茶々岳と槙柏山とのコル(14:30-15:00)-18線沢入口に下山(16:00)
【コース状況/その他周辺情報】18線沢林道には、まだまだ雪が残っていた。
昨年3月も同じルートから入山しているが、今年の方がはるかに多い印象。
昨年が少なすぎ?
18線沢を詰め、コルに出てからユーフレ小屋に下りる旧登山道の谷に滑り込む。
Co850m前後で左岸側から沢筋を埋めるデブリが見られた。
全般に右岸側を行けば問題なく、緩い木立のなかを快適に滑れた。
ユーフレ小屋は屋根下まで埋まっており、2階の窓から侵入する。
枯れ木を燃やしていつもの焚き火。
翌日はユーフレ谷を詰める。
小屋周辺の平らな所ではすでに沢が口をあけており、雪解け水が滔々と流れていた。
沢沿いに若干登るとCo650からスノーブリッジが安定しはじめる。
Co700前後から谷は完全に埋まっている。
たまに前方から拳より小さいくらいの落石がひょ〜うと飛んでくることがあり、気が抜けない。
ヘルメットはあった方が良い。
ただし、気になるほど多くのまたは大きな落石跡は無かった。
まだ時期が早いせいか?
標高1250mを越えると傾斜が一気にきつくなり、シーアイゼンを持たない僕はアイゼンに履き替えシートラーゲン。
特に一稜取り付き付近から上部は、早い時間帯がずーと日陰になるため、カチカチのアイスバーン状態。
アイゼンの前爪蹴り込んで登っていく感じで、帰りのスキー滑降が思いやられる。
コケたら300m以上は滑落してしまうだろう。
頂上の風の当たらない所で1時間程度うだうだして、帰りの雪面が緩んでくれるのを待つが、意外にも気温が高くならず、あきらめて急な雪面にスキーで飛び込んでいく。
上部はひざがガクガクになるような斜滑降の連続。
いやーエッジでも磨いておけばよかった。
滑るには滑ったが、ターンを失敗して10mほど滑落すること2回、久々アドレナリン大放出の滑降だった。
一転して下部1250mからの沢筋はちょうど良い傾斜が続き、快調な滑降。
結局この時期、最上部から滑りだすのにはまだ早い、という結論。
ただ、あまり遅いと下部の沢が口をあける頻度も多くなると思うので、判断は微妙ですね。
...hide more