核心始まりの函付き滝。数度のチャレンジでも激流突破出来ず、左岸を高まく。
日高で一番ゴルジュのキツい沢。中ノ岳ノ沢は、この夏のメイン山行だ。
【ルート】
中ノ川・中ノ岳ノ沢→中ノ岳→ニシュオマナイ川
【メンバ】
斉藤清克(87年入部)、米山悟(84年入部)、北川徹(山スキー部OB)
【行程】
8月13日:晴れ・日高三石道の駅ウラC0(6:00)→ニシュオマナイ林道終点神威山荘前に車デポ→中ノ川林道土砂崩れ終点・標高240m〜発(10:00)→林道標高330m入渓(12:30)→標高446中ノ岳ノ沢二股C1(15:15)
8月14日:晴れ→小雨・C2(5:40)発→C3標高850二股(17:10)
8月15日:曇り時々晴れ・C2(6:40)→中ノ岳 (10:10-50)→神威山荘(15:40)→中ノ川へ車デポ回収(18:30)→大樹の食堂
一日目・入山
中ノ川林道は15年振りだ。土砂崩れで途中から2時間半ほど歩く。青空の日高の河原歩きは心が浮き立つ。ここから先は誰もいない。標高430の三ツ股の淵泳ぎでやっと前にも来た場所だと思い出す。ここ一週間十勝平野ではまともな雨が無いらしく水量が少ない。二股でC1、タープを張って大きな焚き火。北川君がネギと豆腐を一丁持ってきて、丸美屋の麻婆豆腐がうまい。焚き火には葉巻がうまい。普段吸わなくなって久しいが、焚き火にバーボンの時だけ吸う。
二日目・核心突破10時間
次々出てくる問題・・
冷やしラーメンとザーサイを食べて、緊張の朝。行程わずか3キロほどの間に険悪なゴルジュ、ツルツルの滝、ガチャガチャの雪渓が連続する。一つ突破するごとに次のやつが現れて行く手を阻む。高まきはあくまで最小限にしないと戻れない。
手前のひさしの下にはいらぬように・・
皆、カヌー用の保温下着やウエット腹巻きで防寒武装した。ゴルジュはまずは正面突破を試みる。泳いで這い上がって、奔流の中にホールドを探す。歯が立たないのはシブシブ巻く。
あの雪渓まで懸垂
懸垂で瓶の底に降りれば、またまたツルツルの、ホールド乏しい側壁だが、主力戦艦サイトーがするすると登っていく。
ツルツルを登ってトラバース、残地ボルトとハーケン一本ずつ発見
結局、小規模な巻きと懸垂が4回、側面斜め登りザックつり上げが5回、雪渓の乗り降り数知れず、つっぱりチムニーの小函4,5回という感じ。後半は霧雨が降り出し、ショボけがちな気分だが、サイトーは行き詰まる事もなく、パーティー全体は首尾良く進む。
つっぱりで抜けた先は雪渓
結局わずか3キロ半を、大した休みも滞りも無く進んで10時間かかった。
谷底暗くシャッタースピードも遅くなる。カメラのくもりもそろそろ限界。
標高850の二股は下も上も雪渓がある寒いところだが、やっと泊まれる所にたどり着いた。土木工事して寝場所を作り、タープを張って焚き火。3時頃から降り出した小雨と、生木倒木の薪が多いため苦心して火を起こす。ストーブもツエルトもシュラフも無い軽装パーティーだから、ここが焚き火力の出しどころだ。雨は降ったりやんだりなので焚き火も何とかなって、尻も乾いてカレーがうまい。土砂降りになってもタープなので、この下で焚き火が出来る。ただし雪渓の風のせいで、寒くて眠るのに難儀した。サイトーによれば、狩場の須築、南アの暗沢よりもこの沢の方が難しいとのことだ。
三日目・山頂へ
函や滝は大したものは無くなったが気持ち悪い雪渓はまだまだ続く。乗り降り、くぐりを何度か繰り返す。稜線の見える源頭は3級弱、ロープ無しクラスのナメ滝が長く続いてヤブ漕ぎ。ササもハイマツも、肩より高くないので視界が良く利く。中ノ岳の南西数百mの稜線に上がると廃道寸前の踏み跡有り。山頂ではガス。時々晴れて39の影も見えた。正面のペテガリは見えない。昔、3月にベッピリガイから来てペテガリへ縦走した、日高で最も細い稜線のラインを目で追った。ニシュオマナイ沢からの単独行者と会う。
下りはニシュオマナイ源頭へ。一時間あまりヤブを漕いでスネをアザだらけにして沢に降りた。ニシュオマナイはロープ要らずだが、長いナメ滝が多く、楽しめる。夏道合流の手前にも函が現れ、最期まで楽しませてくれる。
神威山荘に着くと樋口さんがいた。ペテガリへの林道が通れないため、最近はここから山越えしてペテガリに入山する人が多いとのこと。中ノ川へデポした車を取りに行き、大樹に出るともう7時。龍月という、客で一杯の食堂で十勝名物豚丼を食べて、風呂も入らず札幌を目指す。サイトーの運転で23時55分札幌発函館行き夜行バスに2分前に間に合わせてもらった。感謝!また来月。
大樹町、龍月の豚丼大盛り。普通盛りで525円。丼ものほとんど525で、安くてうまい。
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画面手前はナメ一面に毛布のようなコケがびっしり生えています
撮影仕事ではありましたが、初めてカウンナイへ行きました。評判に違わぬ名渓でした。大雪の高地も新鮮でした。現役の頃は夏の大雪の辺りはあんまり行かなった。まだまだ道内の山知らないなと思いました。写真機が水没してしまい、源頭以降の豪快なお花畑の写真が撮れませんでした。
【ルート】
天人峡→カウンナイ川→ヒサゴ沼→化雲岳→天人峡
【メンバ】
米山悟(84年入部)蛭田弥希(早大山岳OB)、野入善史(95年入部)、内藤美佐雄(美瑛山岳会)
【行 程】
7月31日:カウンナイ川(8:00)→標高970mカウン沢二股C1(16:20)
8月1日:二股C1(5:45)→標高1016雪渓(6:15)→1080m魚止め滝→滝の瀬十三丁→標高1170m雪渓くぐる→1340mハングの滝→標高1370m両滝の二股→源頭→稜線縦走路(15:45-16:00)→ヒサゴ沼天場C2(17:55)
8月2日:C2(7:25)→化雲岳(10:30)→天人峡(17:00)
カウンナイは入渓して稜線までおよそ15キロ。林道無しの無垢な沢の、行程二日目に幅20m、長さが1.5キロの滝の瀬十三丁をはじめナメナメ天国が延々続く。源頭はヤブ漕ぎ無しの雪渓、下山路はお花畑を丸一日彷徨った。難しい所は無いが、水量が多いとお手上げになる人気ナンバーワンの沢。
撮影の仕事で、カメラマン蛭田君(早稲田山岳部OB)と、バイトの野入君(95年入部)、地元山岳会の内藤さんとの四人パーティー。時間は撮影しながらなので通常の2-3倍をかけている。
一日目はやや増水気味の単調な河原を行く。右へ左へ渡渉数十回。中州や岸辺には古い踏み跡が結構あり。内藤さんによれば、入渓禁止だった16年間でずいぶんこういう道が不明瞭になったとのこと。カウンナイはこの何も無い一日目が貴重だ。林道を降りていきなり滝の瀬十三丁では、山の深みの味わいが落ちる。
C1二股でオショロコマを追う野入君
二股には指定テントサイト有り。営林署の限定入渓許可制度では焚き火禁止とされている。何故禁止なのか根拠は不明だ。沢登りで焚き火が出来ないと、様々な不具合があり、良いことが何もない。
二日目は30分ほどで雪渓。左岸を乗って通過。温度差で水上に霧。要塞のような魚止め滝を登ると、遂に待ってましたのナメタキストリートが始まる。しかし仕事で来たのが辛いところ。これをあの手この手で撮影すべく智恵を絞る。ナメには厚いコケがフサフサ茂り、布団の上を歩いているようだ。野入君は深さ3mの丸い滝壺に競泳ゴーグルで飛び込んでみたり、ウオータースライダーをしたり体全体でクワウンナイを味わう。具合良く日が射し、東向きのナメがきらりきらりよく光る。
標高1170m雪渓をくぐって通過
1170mの、デブリの溜まりそうな屈曲点はくぐり抜けの雪渓が残っていた。1340mハングの滝、1370m二股の滝も巻き道がバッチリだ。源頭は内藤さんに寄れば例年に比べとても雪渓が多く残っている。稜線に上がると、カウンナイ左岸の小さな池をたくさん載せた、平らな高原地形が広々と見えてきた。人の分け入るはずもないその辺りののどかそうな風景に目を奪われた。
標高1200mあたりの長いナメ
大雪山の稜線歩きは、思えばこれまであまり憶えがない。現れては消える小規模な地平線とガスで全体像はよく分からないが、ヒサゴ沼までの距離は地形図の印象よりも相当長いしヒサゴ沼も大きい。山椒魚だらけの沼の水でタビを洗い、飯を炊く。
三日目は化雲岳初登頂。南から向かうと野原に直径7mほどのミカンのような岩が置いてあるような山頂だが、北の忠別川方向から振り返り見ればジャンダルム並みのかっこよさだ。山頂岩の上に登ると、忠別川源頭の谷を見下ろせて圧巻だ。
下りは長い尾根道ではあるが花に詳しい内藤さんに名前を教わりながら、満開、大規模なお花畑の中を誰にも会うことなく下った。これだけの花はこれまでに見たことがない。樹林帯の中、標高1360の湿原では、ワタスゲが盛り。花の変化の多いこのルートは地図での印象ほど退屈では無かった。薄底の地下足袋で足の裏のツボを刺激し続けて下ったので、足の調子もすこぶる良い。天人峡温泉の露天風呂で小雨をあびて、高原の花畑を思い返した。
【カウンナイ川の名称について】
学生時代(80年代)カウンナイ川と呼んでいた沢が、10数年ぶりに北海道に戻って、山岳部以外の山登りをする人のほとんどがクワウンナイ川と呼んでいるのを聞いて、違和感を憶えた。山岳部では今もカウンナイ川と呼んでいる。しかし、道内の大多数の岳人がクワウンナイ川と呼んでいるようだ。
確かに5万図には今も昔もクワウンナイ川と書いてある。以前これは、何故かはわからぬが旧仮名遣いの表記であり、呼び名はカウンナイと呼ぶものだと了解して居た。それについて少し書いたみたい。
周辺の地名はアイヌ語の語源を持つ地名であり、そもそもの音はカウンナイに近いものだった。それに和人が山頂の名前にもある「化雲内」の漢字を当てた。
「化」の字は戦前まで一般的だった旧仮名遣い表記では「くわ」である。カウンナイ川だけが、北にある別の化雲沢川や化雲岳とちがい、仮名表記だったため、戦前→戦後の仮名遣い改訂の際、取り残された。戦後、旧仮名遣いの表記が急速に忘れ去られ、文字の通り読む人が増えた。北大山岳部では、文字だけではなく、先輩から後輩へ沢の名前は音としても継承されたため、誤読みをすることがなかったのではないだろうか。
なお旧仮名遣いでは、「化」「華」「花」などは「くわ」、「科」「可」などは「か」と書いた。発音はもちろんどちらも「か」だ。前者は中国語で「ホワ」後者は「クア」という風に違う音だ。旧仮名遣いとはこのように、中国語の元の音の違いをかなり強く区別しているので、中国語学習をした人にはなるほどという風にわかる。「ホワ」が「くわ」に入れ替わる変化(hとkの入れ替わり)は他の言葉などでもよく見られる現象です。
カウンナイをクワウンナイと発音することはたとえば、「ごりやうくわくにゆきませう」と言って五稜郭に行くようなものだ。Wednesdayを「ウェドゥネスダイ」と読み上げるようなものだ。「クワウンナイ」ではもとのアイヌ語の意味を推し量れないようになる。1000年近くもかけて培われた日本語の正統的な表記法、旧仮名遣いに対する無知が常識になったということでもある。
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山スキー部OBの北川君と大千軒岳の沢登り記録です。先週の三連休は夏風邪で日高に行けず、せつなかった・・・。
● 2005年7月
【ルート】
知内川林道→知内川奥二股沢右股→前千軒岳→大千軒岳→夏道→知内川林道
【メンバ】
米山悟(84入部)、北川徹(山スキー部OB)
【行程】
7月23日
知内川林道→奥二股沢標高240左岸C1
7月24日
C1(6:25)→知内川奥二股沢右股→F1二段20m滝高巻き(7:25-8:00)→F2(8:40-9:40)→F3登れない滝(10:30)→前千軒岳(12:00)→千軒平(13:00)→大千軒岳(13:30-45)→夏道→奥二股出会いの車デポ(16:00)
【天候】
晴れ時々曇り
【記録】
八雲の北川君と江差線の上磯駅で待ち合わせて、道南の名峰大千軒を目指した。前千軒に上る沢ではあるけれど、山塊第一の評判の知内川奥二股沢の右股から。この山は前千軒から大千軒にかけての稜線歩きも楽しみ。
土曜日は車デポから2,3分歩いた河原で焚き火して泊まる。まあまあの薪だったが火を起こせば蚊も失せて、焼酎で星を見上げて、いつしかうたた寝する。
翌朝は冷やし中華にトマトとキュウリまで載せていただき、6時半に出発。道中記憶に残る滝は三本だ。
一本目は2段20mとその上にも一つ見えているやつ。登る人もいるらしいがこれは朝イチでファイトがわかず、左岸の草付き急斜面をどこまでも高巻く。ずるずる滑ってろくなブッシュも無く、気持ち悪い。
二本目は中段にバンドのある10mくらいの滝。右岸を行く。後半チムニー状の所をシャワー浴びて右に回り込んで突破。良いホールドはあるが、勇気が必要。ロープ出したのはここだけ。
三本目は直登不能の滝、円い窓から滝が落ちている様な形状。右岸の泥ルンゼを登って草付きをトラバースして、なんとかブッシュを繋いで抜ける。
そのほかいくつも調子よく登れる滝あり。丸窓の滝を越えると高い木は無くなり、イタドリのようなポキポキの草ばかりになる。標高690あたりで雪渓の落ち残りあり。全体に雪が多いせいか掴めるブッシュに乏しい。ハンマーバイルのピックが泥壁で威力を発揮した。
枯れ沢の行き止まりから一漕ぎヤブを漕ぐとエゾカンゾウとイブキトラノオの咲き乱れる稜線に出た。高い木が生えないため、眺望が良い。行く手の大千軒までが全部見渡せた。中千軒までは道が不明瞭で笹も高く、クマ道を行く。10mおきにクマの特大ウンコが積んである。中千軒を超えるとヤブはなくなり、天国のようなお花畑が続く。
夏道と合流してからは、登山者も多い。花を楽しみに来ているようだ。山頂につくと、沢の先行パーティーが2パーティー。足跡を見て予感はしていたが、ここでどの滝をいかに突破したかなどを情報交換した。この沢に同じ日に3パーティーは珍しいと思われる。聞いてみれば、北海道の山メーリングリストで読み憶えのある人たちだった。
帰りは樹林帯に入ってからが長く感じた。早く登れる松前側の登山道に比べ、知内側を使う人は多くは無さそうだ。キリシタン史跡もあるし、山の奥深さを味わえて、いいルートだと思う。
帰りは道内最古の温泉、知内温泉に浸かった。擦り傷、切り傷にしみる熱い湯だ。瓶牛乳を飲んで函館へ。右手の津軽海峡にはイカ釣りの漁り火がたけなわだ。
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南稜のぼる斎藤と芦別岳
芦別の夫婦岩で岩登りしてきました。花咲き乱れる良い季節です。南峰南リッジの見当違いで南東尾根を登ってしまい、継続登攀する羽目になりましたが、おもしろかったです。
かえりは三笠の高篠さん宅でごっつあんになりました。三笠ルートは長大トンネルが出来たおかげで富良野盆地への最短ルートです。今後とも突然訪問よろしくお願いします。
● 2005年6月
【ルート】
山部→旧道→ユーフレ小屋→γルンゼ→南峰南東尾根→南峰南陵→旧道下山
【メンバ】
斉藤清克(87年入部)、米山悟(84年入部)
【行程】
6月18日(晴れ)旧道登山口(14:30)→ユーフレ小屋近くC1(16:20)
6月19日(晴れ)C1(5:30)→ユーフレ本谷・γルンゼ出会い(6:20)→南東尾根取り付き標高1050m(7:30)→南東尾根標高1300mあたり→南稜取り付き標高1200m登り直し(11:00)→夫婦岩南峰(14:00-30)→旧道の沢源頭(15:15-45)→旧道→C1デポ回収(16:45)→旧道登山口(18:15)
【記録】
6月の山は雪渓が残り、雪渓の脇には花と山菜がたくさんだ。ユーフレ沢は増水してたっぷり流れていた。旧道が、沢を何度か高巻きするところは、昨年の台風のため大木にふさがれたりで荒れていた。地元の人たちが15人くらいでちょうど道をなおしていた。ユーフレ小屋は20年ぶりだ。変わらぬ佇まいだが、石室の宿命で中が暗いので、向かいの中州でツエルトを張り、焚き火して寝た。この高さではアイヌネギは少ししかない。コゴミをたくさん採ったので熱湯をかけて食べた。間もなく満月の月がでた。
朝は3時半から明るい。のんびり焚き火でラーメンを食べて出発。倒木の丸木橋で左岸に戻り、沢沿いを行く。標高670mあたりから雪渓に埋まる。足回りは軽登山靴にアイゼン。日帰り装備で軽快そうな単独行者が本谷を登っていった。γルンゼ二股からは芦別がK2のように三角に見える。γルンゼを登ってしばらく行くと右岸から雪ブロックと岩の雪崩をうける。凄い音で上を見てよけた。標高1300あたりで南東尾根に取り付く。最初僕らは南稜リッジとはこの尾根の上部だと思っていたのだ。取り付きでアイゼンを外してアイヌネギをたくさん刈り取る。
南東尾根は時々岩が出てくるがヤブこぎの割合が結構多い。それでもヤブをはさんで4ピッチ(3級以下)出して登っていくと、左側に側面を岩壁でそぎ落とされたイカした傾斜のある尾根が見える。目指す南峰南稜リッジはどうもあちらのようだ。まだ時間が間に合いそうなので、1300m辺りから急なルンゼをバックステップで降りて、そっちの方に乗り換える。地図読みを間違えたのではなく、ねらいのルートの場所を間違えていたのだ。
南峰3ピッチ目のクラック
1pめ:草付きルンゼ、40m、3級以下
2pめ:小ピナクルに出る。ヤブもあり40m、3級以下
3pめ:クラック。左側の絶壁側をとる。10m、3級+
4pめ:テラスから右へ木登りから始めるフェイス3級、40m
ガケ沿いのヤブ漕ぎ2p。途中岩ギャップ有り。50m×2
5pめ:クラックかぶり気味3級+、8m
6pめ:崖っぷちのヤブ漕ぎ、50m
全体に岩はもろい。ホールドも多いが信用ならない。僕は久しぶりの岩で、かぶりのピッチでは手がパンプした。靴は軽登山靴。3,4,5pめあたりが核心で残置ハーケンも多い。トップはほとんど斎藤。
山頂は四畳半ほどで見晴らしが良い。チョウノスケソウはじめ高山植物の最高の季節だ。視界も良く、懐かしの北芦別一帯や、雪渓を刻み込んだ芦別岳など、ながめを堪能する。両夫婦岩間のコルまで急なヤブを降りて、細いガレルンゼを懸垂。25mを三回、あとはだましだまし下ると、白樺の新緑と雪渓の、楽園のような窪地に出た。キンポウゲとアイヌネギの咲き誇る草地に雪解け水流。ここで乾いたのどを潤した。この雪田からは夫婦岩の西壁が丸見えだ。周りの緩斜面はスキー遊びにも最適だし、子供でも連れてきて滑らせておいて、大人は岩登りでもしたらよさそうだと斎藤の提案。この季節、谷は雪の廊下で埋まっているのでユーフレ谷周辺も登り放題だ。
グリセードで沢を降り、やがて旧道を下るが、雪解け水流で旧道は何カ所も浸水していた。あまりの奔流に、沢は真っ白に泡立っていた。夏至の日は長い。荷物を回収して旧道を下り、山辺の商店で牛乳を買って飲み干す。日中の乾きのせいか、いくら飲んでものどが渇く。
日の暮れた空に芦別山脈を西に見て、札幌への途上、三笠のOB高篠さん宅に寄った。白菜とハムの三つ葉スープをいただいてスキーの話など。札幌への途中風呂、ラーメンを済ませて深夜発函館行きバスに乗ると、知り合いの学生がいた。バスの客層は学生か、台湾からの学生旅行者ばかりで若々しかった。(記録・米山)
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●2005年5月28日~29日
●比良山登山
今回は相田さんの計らいで、琵琶湖畔のリゾートマンションで一泊し、翌日比良山の最高峰に登るという計画。関西支部で山登りをするのは何年振りなのだろうか。
報告:岸本
参加者:相田支部長、高橋(昭)、伏見、岡島(本人、奥さん、子供2名)、高橋(龍)の各氏と岸本
5月28日午後3時、天気よし。会員が三々五々ヴェルドール琵琶湖リゾ−トに集合し,そのまま湖畔に繰り出す。白砂青松(但し潮の香りはない)人影極少。対岸にうっすらと沖ノ島の島影を望み、背後の比良山に夕日が傾く頃、炭火をおこしBBQの始まり。箸の動き、杯の傾き、簡単な自己紹介はいつもの如く。ただ、岡島一家の小学生の女の子2人が水辺でキャ−キャ−騒いだり、お母さんの横で黙々とサラダ作りを手伝ったりするのが目新しい。
暮れなずむ頃、支部長が辺りに散らばる松の枝木を急速に炭化させるゾと下命。その明りのなか、時にハモり、たまにがなり、肩を組み、親しんだ歌が出ていつしか辺りは闇。リゾートマンションに戻りもう少し談笑して、12時頃就寝。
29日朝食後、車に分乗し出発。途中のコンビニで昼食の弁当を確保し、高橋(昭)さん、伏見さんとはここでお別れ。
比良山系の琵琶湖側(東側)は、概ね300M付近から1000Mくらいまでがかなり急だが、それより上の頂き付近はおだやか。従ってきつい登りで二日酔いの体を絞り切り、後ははるか下の琵琶湖を渡ってきたそよ風を受け、散歩がてらに頂上を目指すという、優雅な登山ができます。
9:15比良山登山口駐車場発、依然天気よし。12:20武奈岳頂上(1214.4M)着。背負ってきた弁当はおにぎり、焼き魚、新香が渾然と一体化しピラフもどきになっていた。しんがりを黙々と務めてくれた高橋(龍)君は、久しぶりの登山だとのこと。岡島君共々家庭と会社でもみくちゃにされる年代だものなあ。軽くなった体で15:15登山口着。差し入れしてもらったスイカを大口開けてかぶりつく。かくしてたっぷりと半日かけた頂上往復正統派登山を終える。
今度は月見にベストな折にでもまた集まりましょう、ということで会員達は来たときと同じように三々五々に解散。
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巻機山(1967m)
●2005年5月8日(日) (1ー0)
【ルート】
米子橋→(井戸尾根)→巻機山→ヌクビ沢スキー大滑降(標高差1100m)→米子橋
【メンバ】
L:山森聡(86入部)、M:清野啓介(76入部)、石橋岳志(82入部)、石川守(87入部)
【行程】
5月7日(土) (雨) 米子橋C0(16:00-22:00まで、テントで大宴会)
5月8日(日) (晴) C0(5:40)→ニセ巻機山の先のコル(10:00-30)→巻機山(11:00)→割引沢Co850二股(11:50-12:30)→米子橋(13:10)
【記録】
いよいよ、GWを締めくくる山行だ。当初、宝川温泉〜朝日岳の計画であったが、清野さんの5/5偵察結果や、5/7の雨(予報)の増水による、宝川渡渉のリスクを考慮し、計画を、朝日岳から巻機山に変更した。
5月7日は、清水の集落から、米子橋まで歩いてC1の予定であったが、米子橋まで除雪が入っていたので、駐車場でCOとする。雨も降っているので、早々とテントの中で大宴会。テントは石川ヤンケがモンゴルでの調査の仕事で使っているという、4〜5人用のドームテント。広くて快適だ。清野さんと石橋さんと山森/石川と、3世代に渡り、現役時代は重複して在籍したことはないのに、Roomの話で盛り上がれるのは、AACHの良き伝統だと思う。
5月8日は、4:00AM起床。天気は晴れ。5:40に出発する。井戸の壁と呼ばれる急なところでは、夏道を見つけられず、わずかに雪のつながっている雪壁をけりこんで登るが、雪が硬く緊張する。アイゼン・ピッケルがあれば何でもないのだが、結構消耗した。
その上に出ると、スキーをはいて登っていける。いつのまにか、下界は雲海で、雲上人となって、井戸尾根を登っていく。いい気持ちだ。尾根の右手の滑降予定の米子沢を見ると、大滝が口を開いている。アイゼン・ピッケルがあれば左岸を巻けそうだが、持っていないので、米子沢のスキー滑降は断念する。
ニセ巻機山と巻機山のコルで大休止。避難小屋は、完全に雪に埋まっているようだ。他の登山者も何パーティか登ってきた。
巻機山頂上は、風が強く、早々に下山することにする。米子沢がダメな場合の予備ルートとして計画していた、ヌクビ沢の源頭へ向かう。
ヌクビ沢のスキーは、楽しかった。清野さんのスキーはうまい、かっこいい。石橋兄はテレマークで優雅な滑りだ。石川ヤンケと私のスキーは、本当に上達したと思う。現役時代の2人を知る人は、信じられないと思うが、本当に上達したのだ。沢の途中は、やはり雪崩が心配なので、休まずにアッというまに高度を下げる。いよいよ、安全地帯に着いて、私が地図と周りの地形を見て、現在地の確認をしていると、石橋兄が、地図も見ないで「ここは、コンタ850mだね」とつぶやいている。どこかに看板でもあって、標高でも書いてあるのかと驚いていると、答えは、石橋兄の高度計つきの腕時計だった。高度計は清野さんも持っているという。さては、次に買うべき装備は高度計か?
ここから少し滑ると沢の口が開いていたので、シートラして左岸の台地にあがって、少し歩くと、米子橋に着いた。越後湯沢の町営温泉山の湯(300円)で、汗を流した。
また、来年もこのメンバでスキー山行をすることを誓いあった。沢登りにも行こうということになった。楽しみだ。
(文責:山森聡)
井戸尾根を登る清野さん
井戸尾根を登る石川さん
巻機山山頂にて!(左から山森、石川、石橋、清野)
石川さんもスキーは上達したね!
清野さんのスキーはうまい! かっこいい!
石橋さんはテレマーク!
ひと滑りのあとのビールはうまいぜ!
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至仏山(2228.1m)
●2005年5月4日(水・祝) (1ー0)
【ルート】
鳩待峠→小至仏山(東面をトラバース)→至仏山→ムジナ沢スキー大滑降(標高差800m)→山ノ鼻→鳩待峠
【メンバ】
山森聡(86入部):単独行
【行程】
5月4日(水・祝) (快晴) 鳩待峠(8:10)→至仏山(11:30-12:10)→山ノ鼻(13:00-13:15)→鳩待峠(15:00)
【記録】
尾瀬に来るのは、1999年のGWに、斎藤清克(87入部)と2人で、御池〜燧ケ岳へスキー山行して以来、2回目である。あのとき、燧ケ岳山頂からみた、眼下に広がる尾瀬ヶ原とその先の至仏山の絶景が想い出される。至仏山へ行くのはGWのタイミングがベストである。なぜなら、GW前だと、鳩待峠までの除雪がされておらず、戸倉から歩くはめになる。GWを過ぎると、鳩待峠はマイカー規制となる。これは戸倉から乗合バスをのれば済む話であるが、至仏山そのものが、高山植物の保護のために、入山規制(登山禁止)になってしまうらしい。
鳩待峠に自家用車を停め、スキーの裏にシールを貼り付けて歩き出す。天気は昨日に引き続き快晴。登山者も多く、単独行の不安はない。至仏山頂上まで、しっかりトレースがついている。途中からは、右手に尾瀬ヶ原とその先の燧ケ岳を見下ろしながら、緩やかな傾斜をスキーで登って行く。小至仏山は、東面をトラバースして巻く。
至仏山の山頂は、絶景である。尾瀬ヶ原〜燧ケ岳方面はもちろんだが、西側の利根川源流をとりまく白い山並みの景色は、本当に見事である。しっかりと目に焼き付ける。
ムジナ沢の滑降は、コースを良く選ばないと、途中ハイマツ漕ぎを強いられる。先行トレースを滑って行ったら、途中、ハイマツで雪が切れていることがわかったので、少しもどって、かろうじて雪がつながっているただ一箇所のところを、滑り降りる。沢の途中でトレースに従って、右岸側の尾根に上がって、山ノ鼻に滑り着いた。何件かある山小屋はいずれも営業しているようだ。テントもざっと十数張りはあるだろう。今回はムジナ沢を一本滑っただけだが、山ノ鼻をベースに、ワル沢など何本か滑りにきている人も多いようだ。私の印象では、ハイマツの出ているムジナ沢よりも、真っ白なワル沢の方が、スキーは快調そうだ。もし、また来ることがあれば、ワル沢を滑ることにしよう。但し、途中で左岸の尾根に上がって山ノ鼻を目指さないと、沢の渡渉が大変そうだ。
山ノ鼻から鳩待峠までは、前半の平地は、シールをつけずにかかとを開放してスキーで歩く。後半の登りはシールをつけて登った。この区間は、登山者だけでなく、スノーシューで尾瀬ヶ原を散策しているパーティなど、いろいろなジャンルの人に会った。
戸倉で一風呂浴びる前に、車で大清水というところに行ってみる。ちょっとした湿原があり、水芭蕉の花が咲いている。夢みて咲いている水のほとり。アイヌネギ(行者にんにく)が売っていたので、現役時代の山行を想い出し、なつかしくなったので、土産に買った。戸倉で温泉(尾瀬展望の湯ふきあげ、500円)に入り、沼田で清野さん(76入部)に挨拶して、横浜の自宅へと帰った。
シートラばかりしていた印象のある谷川岳と違い、尾瀬・至仏山は、一度もシートラすることもなく、登りに下りに平地にと、新調したばかりのスキーをフルに活用できて、景色といい、温泉といい、大満足であった。
(文責:山森聡)
至仏山をバックに!
至仏山山頂にて!
至仏山山頂の眺望、尾瀬ヶ原まで大滑降した!
ムジナ沢滑降途中の風景!
尾瀬ヶ原の風景!
大清水では、水芭蕉が夢みて咲いていた!
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谷川岳(1963.2m)、一ノ倉岳(1974.2m)
●2005年5月3日(火・祝) (1ー0)
【ルート】
天神平→谷川岳→一ノ倉岳→芝倉沢スキー大滑降(標高差1200m)→虹芝寮→湯檜曽川右岸(新道)→土合橋
【メンバ】
山森聡(86入部):単独行
【行程】
5月3日(火・祝) (快晴) 天神平(9:30)→熊穴沢ノ頭(10:15)→Co1640m天狗ノ溜り場(11:00)→谷川岳トマの耳(12:00-15)→一ノ倉岳(14:00-10)→虹芝寮(14:50)→土合橋(16:20)
【記録】
山スキー用具一式を新調し、安達太良山スキー山行で火がついた私は、谷川岳に初の山スキー単独行に出かけることにした。会社のスキー部の合宿のため滞在していた野沢温泉の民宿を早朝出発し、ロープウェイとリフトを乗り継いで入山。
シールをつけて30分程スキーで歩くが、夏道上の身長位の岩の段差を降りる箇所があり、そこでシートラ。以後、夏道と雪の上を半々の感じでシートラのまま進む。Co1640mの天狗ノ溜り場から先は、雪の斜面となるが、ツボのトレースを登った方が楽そうなので、シートラのまま、谷川岳(トマの耳)山頂へ。快晴で景色がすばらしい。ここまでは、登山者も大勢いる。
一ノ倉岳までの稜線は、完全に夏道歩きだ。ちょっとした岩の段差が沢山あり、シートラして兼用靴では、歩きにくい。この稜線では、誰にも会わない。
いよいよ、一ノ倉岳山頂から芝倉沢の大滑降だ! 周りには、誰も人がいない。スキーの先行シュプールも2本しかない。Co1100mの屈曲点までの標高差800mを、気持ちよくターンを刻んでいく。景色もすばらしい。
Co1100mの屈曲点は泥まみれのデブリで埋まっており、スキーを脱いで、手で持って通過。以後、湯檜曽川の出合(虹芝寮)までは、ところどころデブリがあり、その度にスキーを脱いで通過する。芝倉沢滑降中にアイゼン・ピッケルで登高中の2パーティとすれ違う。
虹芝寮から湯檜曽川右岸の新道は、雪はついているが、流木や石ころがごろごろしている。傾斜も
ないので、スキーは滑らない。最初はスキーをはいて頑張ったが、不快調なので、途中でシートラ。
土合橋で荷物をデポし、空身でロープウエイ駅の駐車場まで自動車を取りに行く。
妻に下山連絡をして、谷川温泉の湯テルメ(水上町営、500円)で入浴!
快晴のもと、すばらしい眺望とスキーと温泉に大満足の1日であった。
(文責:山森聡)
天神平から谷川岳を望む!
谷川岳をバックに!
谷川岳山頂にて!
一ノ倉岳から見ると、谷川岳が双耳峰なことが良くわかる。奥からトマの耳とオキの耳!
一ノ倉岳山頂=芝倉沢源頭部の眺望! ここから谷底まで大滑降した!
芝倉沢源頭から見た茂倉岳!
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●2005年4月
【ルート】
利別目名川林道→カスベ沢左岸尾根→吊り尾根→メップ岳北西尾根より遭難現場往復
【メンバ】
米山悟(84年入部)、卜部浩一(水産WVOB)、北川徹(山スキー部OB)
【行程】
4月23日
利別目名川林道ゲート車デポ(6:30)発→除雪終点(7:00)→カスベ沢左岸尾根末端(7:55)→吊り尾根稜線(9:45)→遭難現場メップ岳北西尾根標高900m(11:00-12:20)→尾根末端(14:50)→林道ゲート車デポ(16:00)
【天候】
小雨のち吹雪、視界有り
4月10日、函館に来て以来つきあいのあったマツダ君とその仲間のカワツ君がメップ岳で遭難して、カワツ君が死んだ。春にしては硬く凍った尾根上でアイゼン無しのまま20m滑り落ち、ダケカンバにぶつかってそのまま息を戻さなかった。その日ヘリは二人を見つけられず、救助は翌朝になった。マツダ君はヒザが凍傷になるまで甦生に努めた。冷たいミゾレの夜をイグルーで過ごした。現場に残った装備一式を取りに、八雲の北川君、熊石の卜部君と僕との三人で登った。二人と僕は初対面だが、共通の友人が多く、山センスもすぐに理解した。
仕事の後、特急で八雲へ行き、そのまま薪ストーブのある北川宅に前夜泊。翌朝は北檜山で熊石の卜部君と合流して林道ゲートまで。途中まで除雪が入っていて、そこからスキーで尾根末端目指す。少し小雨。尾根はスキーで登るに適した傾斜で、濡れた新雪にシールがよく利く。小雪に変わるが視界は利いている。メップ山頂の少し手前、遭難現場辺りまでが、かすんでいるがぎりぎり見える視界だ。尾根上はブナの疎林で良い感じだ。
吊り尾根に出るところはトラバースが少し怖い。白い斜面で、凍った層に新雪が乗っている。傾斜が緩まる高さまで横着せず登ってから、小さくトラバースする。吊り尾根に出ると厳しい風。日本海側からの風雪がかなり強い。尾根上は雪庇が真上に伸びているようなところがいくつかある。最低コルあたりでアイゼンに替える。雪は締まっていて吹きだまり以外はほとんど潜らない。雪つぶてが目に痛く目出帽を下ろす。
遭難現場にはスキーがまだ立ててあり、イグルーの天井は落ちていたがビバーク跡もすぐに分かった。南側斜面20mほど下のカンバの脇にカワツ君のザックを発見。その場所に花と線香など立てて黙祷する。現場の斜面は急ではあるが、ここが硬く凍っていたとは特別な気象条件だったと思われる。ザックには食料に生のイカ開きがあった。船乗りの彼は、最初に会った函館山西岸の海岸歩きではイカ飯を作ってきてくれたし、家で飲んだときは一夜干し、船で飲んだときは沖漬けを出してくれた。話さずとも気持ちの伝わる良い雰囲気の持ち主だった。
二人分のザックとスキーなどを三人で背負って下る。山頂はガスの中で、行く気がおきなかった。結構な重さになったが、下りの尾根のスキーはそれなりに快適に滑り降りた。ブナの尾根というのは悪かった試しが無い。尾根末端に着くと、除雪がそこまで進んで来ていた。スキーに乗ったり引っ張ったりして林道を歩き終える。
北檜山の町民食堂でカレーやラーメンをがつがつ食べ、臼別温泉という秘湯に浸かり、そのまま熊石、見市川畔の卜部宅にやっかいになる。季節もののサクラマスのルイベをごちそうになって、飲んでいるうちいつしか記憶を無くす。翌日の好天は昼過ぎまで登りやすいタンネのある庭で焚き火して過ごし、カワツ君のイカも焼いて食べた。卜部、北川両氏とは、今後の道南山行を約束した。カワツ君の取り持った仲だ。お別れと出会いあり。
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【日程】 4月9〜10日
【メンバー 】 神谷(東京YCC, 千葉大WV OB) 清野(76年入部)
【ルート】 五龍岳 G5(V)陵
4月9〜10日 五龍岳 東面 G5(V)に行って来ましたので報告します。
当初、木下、神谷、清野の三人で行く予定でしたが、長門君(秀峰)が加わり、2Pに分け、各々G5 G7を登る事に急遽変更。
若い二人に先導され、楽々の登攀と思っていたのですが、グズグズ、ビチャビチャの雪に悩まされ続け、気合いの入った山行になりました。
条件さえ良ければ、ヒマヤラ襞に囲まれた五龍岳東面のど真中を登れる好ルートです。
4月9日
4時に沼田を出発、8時に五龍遠見スキー場で合流。
天気は良くて暑いくらい、若い三人はドンドン行ってしまうので追いつくのが大変。
ノンストップて大遠見迄。積雪は多く、気温が高いため雪が締まっていない。
ワカンをつけて白岳沢を横断、ワカンをつけても膝迄のラッセル。
C沢をつめ、ブッシュの尾根に取り付き、G5にのびるルンゼに入る。
中間部に一部氷化した草付きが出て来てダブルアックスで越える。
尾根に上がった所に絶好のビバークサイトを見つけ泊。
G7を登攀している木下Pが良く見える、18:00過ぎ迄頑張ったようだ。
8:45 地蔵ノ頭〜 10:45 大遠見山〜 12:05 G5稜末端
〜 14:10 登攀開始〜16:45 BP
4月10日
6寺に登攀開始、気温も高く快適に登れたのは、最初の1ピッチのみ、昨日に続きグズグズの登攀。第一の核心部ジャンクションの岩峰は急傾斜の雪壁。トップの神谷君は、不安定な雪を力尽くでねじ伏せ登りきる。
コンテを交え、頂上直下のキノコ雪。小さい雪庇を切り崩し、古いシュリンゲを補強してC沢側に懸垂。ロープを引きずりルンゼからコルへ。上部雪壁から小規模な雪崩が頻発、コル直下で一発くらい、上部雪壁が突破できるのか心配になる。
上部雪壁は、コル正面のルンゼを登り、途中から左の緩いルンゼにトラバース、G5の頭の左の肩に飛び出し終了。
登攀時間9時間、最後迄、グズグズ、ビチャビチャの雪の苦労させられた。
もっと雪がしまっていて条件が良ければ、これ程時間はかからないと思うが、リッジ上は支点になるブッシュは少ない為スノーバー、デッドマンは必携。
5:50 テントサイト発 〜 7:50 ジャンクションピーク -8:15
~9:15 巨大キノコ雪 〜 9:40 上部雪壁下コル 〜 -11:50 G5頭
~ 13:00 五竜岳頂上 〜17:15 地蔵ノ頭 〜 18:00 駐車場
詳しくは神谷君のHPを
http://climbing.x0.com/
大遠見から見る五龍岳東面。
白岳沢を横断、C沢をつめてGVに取り付く
G7稜とそれを登る木下P
ヒマヤラ襞と飛行機雲
絶好のビバークサイト
鹿島槍北壁と北尾根、G7稜
GV稜を見下ろす
巨大なキノコ雪
ヒマラヤ襞の中を登る
GVの頭とキノコ雪のGV稜
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