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書評・出版・ 2006年6月26日 (月)

書評)梅里雪山・十七人の友を探して(米山)

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梅里雪山・十七人の友を探して
小林尚礼著
山と渓谷社2006.1

1990年の京大、梅里雪山の事故は大変だった。C3の17人が雪崩と思われる遭難で突然音信不通になり、その場を誰も確認できなかった。戦前のナンガパルバットでもこういうことがあった。著者はその年少隊員の同期で、その後今日まで梅里雪山に関わって生きてきてしまった。僕とほぼ同世代の山好きだ。

80年代を山岳部で過ごした者にとってヒマラヤは憧れだったが、90年代の現実は変わり目だった。大学山岳部が目指す未知の山域は数少なくなり、高い山にはツアー登山隊が押しかけた。梅里雪山はそんな中で残った最後の秘境の山域だった。

著者はその数年後、再挑戦の隊員として山頂近くまで迫っている。ここまでは普通の展開だ。だがその数年後、雲南のヒマラヤの速い氷河が思わぬ速度で流れ、氷河末端で仲間たちが発見され始めた。遺体と遺品の収容のため、麓の村で長い滞在をするうち、チベット人たちの暮らしの中でいかにその山が大切に思われているかを知り、変わっていく。この本は、ただの山好きが成長していく過程を書いている。梅里雪山という中国語が「カワカブ」というチベット語に変わっていく。

巡礼旅行の途上、カワカブが見えたとき、吸い込まれるようにお祈りを始めたチベット人の仲間を見て著者は、「世界で始めてカワカブの南面の撮影をした」と喜んでいた自分を恥じた。「カワカブに登るのは、親の頭を踏むようなものだ」という麓の人の気持ちに少しずつ近づいていく過程が読める。

チベット南部や東部の山あいで、僕も長居をしたことがある。今の日本にいると人が祈る姿をほとんど見かけないが、ここでは「祈る」、「信じる」にはじまり「食べる」も「歩く」もみな日本と違う。登山隊として素通りするだけではもちろん、山頂を目指してやってくる北京や日本の人がそれを知るには時間が要る。著者が時間をかけてそれを理解していく様がうらやましい。

山好き、麓の人、それから遭難者の遺族それぞれにとっての大切なカワカブが描かれる。著者はカワカブのために写真家になり、霊峰カワカブと世界最深の峡谷地帯、それに雲南チベット族の貴重な暮らしぶりの写真が豊富に添えられている。
  • コメント (2)

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高橋GG   投稿日時 2008-3-5 12:29
まだ未入手なら送りますが?
さわがき   投稿日時 2008-3-1 15:40
おそまきながら,著者ご本人から送ってもらって読みました.サインと絵はがきつきです.亡くなった隊員の中には,北海道の山登りにきて太玉舎に泊まり込んでいた京大山岳部員もいて,私たちは付き合いのあった世代です.

2008/3/2に日テレで90分のドキュメンタリー特別番組が放送されますが,関東近縁限定らしく,北海道では残念ながらみることができません.関東方面の方,できたら録画して送って下さい.


 
 
 
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