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書評・出版・ 2014年9月10日 (水)

【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)

北大の片隅にあった柔道場で、僕らと同時代に続いていた、柔道部の熾烈な青春記。山岳部の青春と比べ乍ら読んだ。よく、死のリスクがあるのに何故山に登るのか問われるが、もちろんある意味で楽しいからである。でも、高専柔道の練習は「楽しくない」と言い切る。全然違う。恵迪寮で高らかに笑っていた飯田さん、花村さん、こんな稽古をしていたんだ!俺、知らなかったです。

北大含めた全国の旧七帝国大学では、戦前から続く寝技中心の高専柔道という過酷な柔道が継承されていた。才能や体格に左右される立ち技ではなく、練習量だけが勝敗を決める寝技中心の柔道だ。そもそも立ち技で投げ飛ばしても、経験者どうしなら受け身を取って反撃するから、絞め技で気絶させるか関節技で腕を折るかしなければ実戦の武術とは言えない。なるほど。主流派の講道館ルールと違うからオリンピックに出られるわけでもなく、勝敗結果が新聞にでるわけでもない。毎年、七帝戦で勝つためだけに苦しい稽古を続ける。練習量だけが勝敗を分けるということは、残酷で、逃げ場がないということだ。
試合シーン読めば無意識に歯ぎしりだ、寝技シーンは読んでいるだけで耳がギョウザになりそうだ!ファイトのシーンはたいへん読ませる。
増田青年が過ごす昭和61年の札幌北区のお店の記憶がよみがえった。梅ジャンのまさもと、宝来、みねちゃん、屯田、札幌会館、カネサビル、深マン、女子寮乱入。ラグビー部の木村、応援団瀧波、統計の山元先生、懐かしい。
20歳前後の青年は一年間で体も心も凄く成長する。その様が描かれている。報われない青春かもしれない。4年間守りに徹する(カメ)の稽古だけをする者も居る。レギュラーになれないのに4年間稽古をやめず続ける人への敬意がある。それから、センパイ達、柔道部の先達達への敬意と憧れだ。男が男にぐっと来る瞬間が捉えられている。それに男達が本当によく泣く。これにはもらい泣きだ。こちらは梶原一騎モノ漫画で育った世代なのだ。
「七帝柔道」をカチャカチャやって少し調べてみると、この時代は七帝戦史でも京大東北大が連戦引き分けの珍しい二年間で、長い歴史の中でも北大がどん底の時代だったのだ。増田青年たちがどん底の青春を戦いそして歴史は続いて行った。今年の夏もやっていたのだ。
「勝ちたいのう」
「一本でも多く乱取りしたほうが勝つんで」
和泉さんの台詞が心に残った。
大学は、とことん何かに打ち込み、研究の方法を身につけていく場だ。それが柔道を通した猛稽古でも良いと思う。遠い昔から先輩によって受け継がれた尊いものを後世に伝えて行く。山岳部もそこは同じなんだ。それが果たせれば大学にいた意味があると思う。この年頃に一生懸命身に付けたものの大きさは、後になるほどわかる。
山岳部は年間100日近く山に行った。未熟なことをやって滝壺で溺れたり、滝で落ちて死んだり、雪崩で埋まって死んだりの事故が時々あった。だから計画の検討を部員皆で毎晩延々やった。山に行かない日はこればかりだった。身体的鍛練では無いけれど、これをやった共通の体験が、何十年も違うOBとの一体感を作っているという点が同じだと思った。
大学がどれだけグローバル化とかなんとか変わろうとしても、変わってはいけないものは変わってはいけないと思う。

七帝柔道記
2013/3
増田 俊也
  • コメント (2)

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コメント一覧
米山   投稿日時 2014-10-25 6:17
GGさま
80年代北大山岳部のノンフィクション小説、誰か書いてくれないかなあ。結構、どこにもない青春だと思うんだ。
GG   投稿日時 2014-10-23 23:21
今、読了しました。
この間まで課長だった3年上の先輩が柔道部だった。
「ひたっすら寝技ばっかりやってたよ」と笑っていたが、こんな壮絶な日々だったとは!

考えてみれば、ROOMに入って今年でちょうど30年。
自分の場合は、高2の夏にヤマケイに載った北大山岳部特集を読んで志望を固めた。
人生の折り返し地点をとうに過ぎ、ターニングポイントはいくつかあったけれど、やっぱり北大に入ってよかったと、今、気づいた。

おっと、懐古にふけるにゃまだ早い。
長らく会友だった社会人山岳会にも復帰して、冬山の計画を立案中です。
柔道部と違って山岳部は卒業しても死ぬまで同じことをやり続ける。
魂が燃え続ける限り。

 
 
 
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