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山の会昔語り・ 2005年10月4日 (火)

山の会昔語りー(3)
大倉山の惨劇



                          北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
昭和25年に入部した頃、山岳部のルームは学生会館の2階であった。学生会館は正門を入ってすぐ左手の木造2階建てで、いくつかの部やサークルが同居していた。1階の散髪屋が鍵を預かっていたので部員はいつでも入ることができた。
山岳部は突き当たりの部屋で独立したような感じの所だった。真ん中に大きなテーブルがあってその周りの椅子に座ってタムロしていたものだ。
テーブルの上にはルームノートがあって、その大学ノートには所感だの論評だの申し送りなどが気儘に書かれていた。入部間もなくに、めくってみたその1ページに奇妙なイラストがあった。
雪のスロープの上の方に人がポツンと立っていて、下の方には数人が縄にからまってもつれている。1番下の人は足を空に向けて大の字にして、首が雪に刺さっていた。これは解説を聞かなければ理解できない絵だったが、その内ぼつぼつ人が入ってきてノートを一瞥しての話はこうだった。
大倉シャンツェのランディングバーン、現在のラージヒルでの滑落停止の練習の絵だという。アンザイレンして、どんどん登ってゆきトップがシャンツェの踏切台に近づいてザイルを解いたら、ラストがにわに下に向かって飛び込んでしまったというのだ。ジッヘルする間もなく皆で数珠繋ぎになって滑落した。再結晶質の雪はかなり鋭くて二の腕や肩は擦過傷で悲惨。なかでもザイルのラストは、どういうわけか雪に首が刺さってかなりのダメージを受けたそうである。ザイルを解いていたトップだけが上に残って雪に突き立てたピッケルを掴んでニヤリとしている絵だという。
ニヤリとしていたのがスキーの名手との誉れ高いK先輩だったらしい。Kというよりは俗称のP先輩といったほうが通りがいいかもしれない。
ところで、その後小生は同輩のNを誘って、このランディングバーンでの練習にでかけてみた。バケツの様な大きなカッティング、そして滑落など数回試みて少々飽きて帰途につき、振り返って見たらランディングバーンは凸凹ズタズタで哀れな形になっていた。
しかし、管理人はいたのかどうか、見咎められることもなく、未だおおらかな時代だった。
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