ログイン   :: お問い合せ :: サイトマップ :: 新着情報 :: おしらせ :: 
 
 
メニュー
最新のエントリ
最近のコメント
  • 21年03月22日
    Re: 【中部日高】ナナシ沢1823m峰南面直登沢→コイボクシュシビチャリ川...北陵高校山岳部OB
  • 17年01月29日
    Re: これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部)...佐々木惠彦
  • 16年12月17日
    Re: ペテガリ冬季初登・72年前の今村さんのゲートル  米山悟(1984年入部)...やまね
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...米山
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...さわがき
  • 16年07月04日
    Re: 医学部戦没同窓生追悼式のご案内...AACH
  • 16年06月17日
    Re: 道新に今村昌耕会員の記事...AACH
  • 15年12月22日
    Re: おくやみ・谷口けい 米山悟(1984年入部)やま...すぎやま もちやす
  • 14年12月09日
    Re: 【書評】アルピニズムと死 山野井泰史 2014.11(米山悟1984年入部)...まっちゃん
  • 14年10月25日
    Re: 【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)...米山

山の会昔語り・ 2006年6月26日 (月)

山の会昔語りー(9)
合宿の食料問題解決

                     
                        北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)

勝岳荘をベースヒュッテにして行われる冬山合宿はたまに晴れれば十勝岳、上ホロカメットクは言うにおよばず、富良野岳、オプタケシケ方面まで足を伸ばせたが、風雪の日は物凄かった。
泥流スロープを吹き下ろす風は南極のブリザードを思はせるもので、国内の山ではこの辺りでしか体験できないものだと思う。
合宿は初班、二年班、三年班に分かれ、五名くらいのメンバーで三年部員位が一人入ってリーダーを務める。初班は本州出身者が主体で、スキーの着脱から始めて山スキーの手ほどき、三年班は稜線でキャンプなどもあるが、この班はできず、先輩班ができることもある。
二年班の数が多く、それぞれ前日に計画を打ち合わせ登頂を目指す。しかし多くの場合、森林帯を抜けたとたん、風雪で束の間に口まで凍えて暖かい所に戻っても口はまともに動かなくなってしまう。こんな日には樹林帯に引き返してスキーの練習となる。シールを着けたスキーでそのまま昇ったり滑ったり。スキーを下駄のように履いていたドサンコは数回で飽きてしまい、まことにつまらなく長い一日となる。
早めにヒュッテ前に戻ると合宿幹事が雪かきを振ってヒュッテに入るのを阻止するという噂もあった。そのうち、樹木の間で円陣になって歌など歌っている内に出てくるのが先輩の昔語りである。
ある年の合宿で珍しく、おかずに天ぷらが出たという。一番先に手をつけたXさんが
「まあいける」
と言って食べたそうだ。
この天ぷらを作った炊事担当は欣喜して
「これで合宿の食料問題は解決だ!」
とばかりに手を叩いたそうである。
実は、この天ぷらの材料は兎の糞だったというのである。
ここで残念ながら蛇足をつけねばならぬのは野兎などは、とんと見かけぬ昨今だからである。
野兎の冬の食べ物はせいぜい木の皮ぐらい。したがって、糞といってもそれは広葉樹の枯れ葉を固くつぶしたようなもの。牛糞、馬糞、ましてや犬のもののように不潔なものではないことは確かである。
  • コメント (0)

新しくコメントをつける
題名
ゲスト名   :
投稿本文
より詳細なコメント入力フォームへ
 
コメント一覧
 
 
 
Copyright © 1996-2024 Academic Alpine Club of Hokkaido