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山の会昔語り・ 2007年5月1日 (火)

山の会裏ばなしー(21) チョコレート一枚で留守番

山の会裏ばなしー(21)
チョコレート一枚で留守番

北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
三年目の冬山はトッタベツBカールのカールボーデンにキャンプを進め、厳冬期未踏の
国境からピパイロ岳を目指すものだった。途中かの一九四〇峰は当然初登頂になる。
メンバーは同輩だが入部が一年遅かったM君、二年下のKとW君と小生がリーダを務
めた。
トッタベツ川の遡行は川が完全に氷結していたのでラッセルは深かったが、ハコ捲き
以外は九の沢から上の雪崩に気を付けるだけで問題はなかった。Bカールのボーデ
ンにテントを張ってアタックキャンプにした。設営の翌日は晴れたので先ずは幌尻に登
り、翌日本命のピパイロへ向かう予定だった。
ところが、夜半からの風雪が物凄く、カールボーデンで二日間の停滞になった。テントは
十勝・大雪縦走の折に改良した白軽二重と呼ばれた尾根用の二重テントだったがキャン
バス地なので極めて重い。幌尻、ピパイロ両方を狙ったので荷はかなりの重量。沢では
水と焚き火は十分なので停滞食には軽い干うどんを用意したが、尾根での停滞日は絶
食の予定だった。
予測は当たったと言おうか運が悪かったといおうか停滞一日目は沢用のうどん一握りを
ゆでて四人で食べた一食だけ、二日目はパン一切れだけの殆ど絶食。幸い三日目に夜
半か星がきらめき始めたので三時半に起き、コッヘンを始めた。
暫くするとY.K.君が変調をうったえた。内張りの氷結による換気不良。酸欠だったようだ。
致し方なく彼をシュラフに入れてダイヤジンとチョコレート一枚を渡してテントを残して三人
でアタックに向かった。十時過ぎには再び風雪になったがビバークは凍死と背中合わせの
装備である。どんどん飛ばして踏破は完全に成功した。風雪の中、キャンプに戻るとY.K.君
はテントの前で除雪をしていた。
今日の話はこれからである。報告会も無事終わったがその後の噂では「チョコレート一枚で
留守番させるなんて、シゴキだ」というのである。
しかし、当時の食料事情を知る人の中には貴重なチョコレート一枚まるまる渡すなんて大盤
振舞いだったと思う人も一人ぐらいはいるのではなかろうか。また、チョコレートなど、よく持っ
て行けたものだと思う人さえいるかもしれない。
  • コメント (1)

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米山   投稿日時 2007-5-3 22:23
稜線での停滞は絶食!ですか!

チョコレートはもはや進駐軍製ではないでしょうが明治森永でしょうか。
 
 
 
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