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山の会昔語り・ 2007年5月1日 (火)

山の会裏ばなしー(22) 白樺の皮に十字の詩

山の会裏ばなしー(22)
白樺の皮に十字の詩

北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
昭和二十八年度の冬山は本州に出てみることで春山が終わった頃から模索をはじめて
いた。
全年の冬は北日高に残った懸案の北トッタベツからピパイロまでを踏破し、中ノ岳ももう
登られ、前々年には南日高の端、野塚岳も登頂、厳冬期の日高山脈国境上のピークは
すべて踏破された。したがって本州に目を向けたのも当然だったろう。目標は魚津から毛
勝三山を尾根沿いに剣岳に登る未踏のルートだった。
そこでこの夏に剣岳の北面を偵察すべく富山に向かったのがアタックのメンバーと目され
ていた小林年、長友久雄の二人だった。しかし、富山駅で彼らを待っていたのは鈴木康平
君遭難の知らせであった。二人は登山を中止し、地元から急遽駆けつけた佐伯富男先輩
と共に捜索にあたった。鈴木君はブナクラ谷のキャンプで鉄砲水にやられたのだったが先
輩の機敏な手配等もあって、札幌から小生が富山駅に着いた時には遺体は郷里の千葉
県君津に向かっていた。
葬儀はとどこうりなく済んだ。しかし、この年の春には卒業直後の井上正雄先輩を中央アル
プスの空木岳で失っていた。学内は山岳部の存続に係わる非難を浴び、本州在住の先輩
からの苦情も厳しかった。検討の結果この年は基礎技術を見直し、強化合宿を行い冬山は
中止することで廃部を免れたが、あの剣岳への計画は無念にも夢と散った。
十二月下旬には、決定に従って十勝で合宿が行われた。ところがである、小林ネン君と彼と
ちょっと上の先輩O君、M君、同輩のN君後輩のN君の五名は合宿を終えたその足でトヨニ岳
へ向い登頂を果たした。早くから秘かに計画されたものだったに違いないのだが、冬山自重
の禁を犯した。その主犯は飛び抜けて元気な猛者だった小林ネンに違いない。
しかし、この猛者も平成十八年に病没した。偲ぶ会での奥様のご挨拶の中で
「彼からのプロポーズは白樺の皮に記して渡されたレターだった」と明かされて一同愕然。白
樺の皮に認めたレターは范蠡(ハンレイ)が現れるのを待つまでもなく彼女のハートを射たのであ
る。
小林ネンに抜け駆けされたこの冬山の後、小生は本州の会社に就職して山岳部の現役を終
えたのだった。
ビール瓶のような顔をして岩をのぼりまくっていた彼の心底に宿るこの繊細なセンスを見抜い
たのは奥様以外、誰もいなかったわけである。
  • コメント (1)

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米山   投稿日時 2007-5-3 22:11
昔は大らかなように何となく思っていましたが、やはり遭難などあると何時の時代も世間からさまざまな圧力は一応あったわけですね。

廃部にせよとか自重せよとか、ろくに山にも登らぬ連中に説教されては悔しいけれど、そこは黙って辛抱して、抜け駆けしたネンさんの勝ちですね今となっては。青春期の貴重なひとシーズンに自粛なんかしているヒマは無いとおもいます。山に行くほど経験を積める。経験積むほど事故は減る、と僕は思います。

白樺の皮は焚き付けのため今週も拾って来ました。今度マネしてみるとします。
 
 
 
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