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山の会昔語り・ 2009年1月24日 (土)

山の会裏ばなしー(23)ー塞翁が馬となった笠ケ岳
山の会裏ばなしー(23)

    塞翁が馬となった笠ケ岳

北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)

昭和二十九年三月に小生は山岳部を卒業、工学部もめでたく卒業と也、日本橋に本社の ある本州の会社に就職した。赴任した事業所は岐阜県神岡町。神岡は来たアルプス飛騨 側の登山口となる蒲田に入るに絶好の町である。したがって山岳部の後輩には好適な足 掛かりになったわけでだが小生赴任早々の夏にはもう後輩の一人Y君が訪ねて来た。 彼は工学部だったので夏休みに事業所の見学を兼ねてきたそうだが、なんと 「山へ連れて行ってくれ」と言う。

地元には町の山岳会なるものもあり穂高小屋を創設した今田重太郎さんが居住していて、 写真館、薬局、時計屋の主人の他、会社員も少しいて夏にはノルマルルートで山にも行 っていた。一泊のキャンプで手頃な山はないかと尋ねてみると、「笠ケ岳がよかろう」 ということでテントを持って出掛けることにした。

しかし当時は、まだ週休は日曜日だけ。入社一年目は七日の休暇がとれたのだが、当 時は重病や法事でもない限り休暇など取るのは持って外という空気だった。風邪や捻挫 ぐらいでは休まず、二日酔いなどは這ってでも出勤、遅刻や休むなどはあり得ないこと。 しかし、折角、山に行くこうことに断るわけにもいかず、休暇を申し出ると意外と簡単 にOKとなった。その頃この山間の町でも寿司屋やラーメン屋等にテレビが付き始め、 新宿や銀座のキラビヤカな様子に浮かれ始めていた頃なので人事課では山に入ったりす るようなヤボな古典派を剛健と見たようで、甘かったようだ。

笠ケ岳へはクリヤ谷の木馬道から入り錫杖岳への尾根の分岐辺りに水場を見つけてキ ャンプしてノルマルルートで往復したわけだが、槍、穂高の眺望に恵まれた以上の収穫 は「山に行く」といえば休暇は鷹揚だということを知ったことだった。その後はそれほ ど恐縮せずに少々長い休暇を取って山に入れるようになったわけである。

現場が忙しい最中に山に誘われて恐る恐る休暇を申し出た後輩も、やってみれば「人 間万事塞翁が馬」である。

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