記事・消息・ 2012年5月24日 (木)
白神山地県境縦走(尾太岳〜二ツ森) 米山悟(1984)
尾太岳から白神岳まで、いや摩須賀も行きたいと計画を練ったが、三日かけて二ツ森までが、今回の雪のコンディションだった。全白神を一度に行こうとは欲張りだった。延々ブナ林の四日間。白神の価値はこの広さ、時間の長さにある。見栄えの良い山頂やわかり易い景観は無い、耽美読解力の要る山彙だ。のたうちまわって初めてわかるすてきな山脈。
【年月日】2012年03月16日(金)-19日(月)
【メンバ】米山悟(1984入部) ,浦西茉耶(北大水ワンOG), 菅野貴文(弘大山岳部0B)
【時間と天候】
16日快晴 無風 湯ノ沢川Co370左岸鉱山跡(7:50)〜コンタ尾根経由〜尾太岳(12:30)〜県境1059(15:00)イグルーC1
17日小雪〜小雨 気温-2度〜0度 C1発(6:00)〜冷水岳(12:00)〜小岳〜青鹿岳分岐〜・977イグルーC2(15:45)
18日濃霧〜晴れ〜濃霧 C2発(5:30)〜雁森岳(7:30-50)〜二ッ森(11:50-12:00)〜・945三町界峰の東イグルーC3(13:00)
19日吹雪のち曇り 気温-9度 強風 C3発(6:30)〜林道視認(7:00)〜一ノ又橋(中ノ又沢と一ノ又沢分岐)(11:10)〜ぶなっこランド(12:20-50)→タクシーで五能線あきた白神駅のハタハタ館
16日 快晴 気温高め
北海道から来た二人と青森発弘前行きの始発に乗り、弘前駅で、クロキさんに載せてもらって西目屋の湯沢川林道を奥まで。尾太岳下の鉱山跡まで除雪されていて、ここまで行けた。すぐ近くに砕石場があり、砂利を積んだトラック10台くらいとすれ違う。すれ違いスペースは限られ、後退したりしながら行く。ちょうどそういう時間帯だったかもしれない。
この2月に単独でこの稜線を座頭石から白神岳まで行っているクロキさんの、連日12時間以上行動の猛烈記録を読んで、話したい事がたくさんあった。しかし、車はあっという間に終点到着。酔っぱらいセットのサシイレをごっつぁんになって、鉱山タンクの裏あたりから急斜面に取り付く。始めが一番急だ。ハシゴを架けたいくらいの傾斜をスキーでジグザグ進む。とても深くて重い雪。でもシールは利き、どんどん登ると岩木山が見えて来た。尾太岳北西の995(薬師森)まで登ると樹林が絶え、コメツガが疎林である。展望良く、八甲田連山も見える。白神山地全域が見えた。一番西列の白神岳レインジが一番高くて白い。追良瀬の谷、赤石の谷、大川の谷で尾根を分け、青鹿岳、二ツ森くらいは視認できる。
尾太岳の下りは良い斜面だが、雪が悪く全然滑らない。ラッセルしながら下る。国境の1059に着いたのが15時。林道歩きの2時間は儲けたが、雪が重くて結局予定通りの天場になった。イグルーゆっくり作る。カンノ君に始め任せたりして、背いたかイグルーになった。イグルー温かく安眠。
17日 気温0度前後 小雪のち小雨
今日どこまで行けるかで山行の貫徹如何は決まるが、朝になっても雪はまったく硬くなっておらず、朝一でも膝まで潜る始末。イグルーを出たときは見えていた藤里駒ヶ岳もすぐに見えなくなり、稜線の視界は終日500m以下になる。ラッセルを交代しながら冷水岳、小岳と進む。ブナのしっぽりとした霧の森を行くのはオツなものだが、ラッセルがきつい。そのうち小雪も小雨に変わり、ブナの枝から幹へとぬらぬらと雨水が流れたりしている。稜線が西に突き上げる角度の地形では雪の壁になり、上がセッピで塞がれる、というパターンが多く、このセッピの弱点を探して歩く事になる。冷水も小岳も、ここ、山頂?というくらい地味な場所である。でも一応貴重なピークはピークだ。小岳からの下りは視界が無い事もあり、一発では尾根を探せない。急斜面に当ててトラバースしたりする「暗中手探り磁石読み」で下降尾根を探し当てる。濃霧の中で不明瞭な尾根を探す不安は深山ならでは。
青鹿岳分岐手前で一瞬ガス晴れ、2キロほど視界が利いた。この一瞬がありがたい。分岐ピークは南斜面をトラバースできると踏んで、南西コルに直接行く。コルの手前で例によって巨大セッピを越えるところがあるが、弱点を探して這い上がる。この先・977あたりで時間切れ。まだまだ先に行けない時間でもないがみんなの靴擦れがけっこうひどいようだ。全身ずぶぬれだ。きょうは早く休みたいので手早くイグルーを作ってしまう。少し狭いけど40分。
18日 気温0度前後 濃霧のち晴れのち濃霧
午前0時頃、天井からの雫がぽたぽた言うので灯りを付けると、作ったときは中でも立ち上がれたはずの天井が、テントくらいにかなり下がっている。イグルーのドーム自体は直径1.3mくらいの円形で、その下に、直径2mくらいのスペースをとくに山側に広く掘って作ってあるため、山側の天井はドームを乗っけている部分が構造的に弱い。やはりその部分が激しく落ち込んで来ていて、奥に寝ていたウランに、壁際に置いた荷物をまとめて中央に寄せておく様に言う。とりあえず又眠ったが、午前二時ころ、ついにそこが崩落した。ウランの上にブロックが落ち埋まる。真ん中に寝ていた米山が靴を履いてブロックを取り除き睡眠は強制終了。靴を履きブロックをよけ荷物を取り出し、その場にツエルトを張ってお茶を沸かし、朝ご飯にする。気温が高く、雨雪も降っていなくて助かった。イグルー崩落はこの20年で初めての経験。イグルー自体は頑丈にできていたが、その土台部分が地下の掘り下げで弱っていた。気温の高い日はこの作り方は避けなければならない。イグルーの壁そのものは大した重量が無いのでそれで埋まるような事にはならない。
行動してすぐ、地図読み注意箇所で尾根を曲がり、雁森岳(トッチャカ)を目指す。行程中、一番尾根が細いと言われるところ。きょうもラッセルが重い。雁森岳最後の急斜面で、尾根が西に突き上げるところ、傾斜が壁になってセッピに通せんぼされている箇所がある。右の急斜面をトラバースして北尾根に乗ってさらに急な雪面を登っていく箇所あり。気温が高く、雪も潜るが、急に高くなったわけでもなく雪面は雪崩れるという予感も特にない。雪崩の予知とは、感覚的なものというか、入山数日目にもなれば騙されることは多分無い。ここは逆ルートで来てしかも視界が無いと、厳しいところと思う。
トッチャカ山頂はセッピが大きく、秋田側は覗けないが、ブナがはえている中だ。山頂にいるうち、ガスが晴れて来た。行く手の二ツ森、それに摩須賀岳も見えた。遠い。遠いよ。赤石川の谷に、浮世絵みたいな雲が伸び込んでいる。風流だ。
トッチャカ周辺は全体が細いのかと思っていたが、核心らしきはあのセッピ越えだけだった。あとは時折日差しもある中延々ポコを登ったり下ったりネグったりで二ツ森の東の最低コルまで。今回はこのラッセルのせいで、摩須賀岳は届かなかった。きょうは二ツ森の向こうあたりでゆっくりしたいなあという事になる。二ツ森の登りは意外に急で複雑な尾根。とはいえ登りだから、間違える事も無い。雪壁、セッピを越えながら行くうちまた濃霧に巻かれる。山頂付近は樹林が無く、真っ白だ。一番高そうなところに、ボックイがあって山頂確認した。ウランが昨年正月の利尻山頂の祠の話をしたので、利尻山頂の気分になる。しばらく待ったがガスは晴れず、下降する。ここもだだっ広くて尾根不明瞭なので、西よりに降りて急斜面に当て、北へ向かって尾根を探る。ブナ林に入ると、雪さえ良ければ最高のスキー斜面と思われるところを、ゲタばきになりながらラッセルして降りる。
三町界945峰手前の北側にイグルー。きょうは崩落をしないよう、イグルー下部横穴式ではなく、屋根の厚い半雪洞にイグルー壁を作る方式で作る。雪洞掘るより早く、イグルーより時間が要る。1時間くらい。
全身びしょぬれなので焚き火したいのだが、ここはブナの純林なので全く燃える木が無い。枯れ木もほとんど無く、枯れ枝を集めてちょと付けてみたけど体を乾かすまでにはできなかった。イグルーに入った方が温かい。ブラックニッカ、アンチョビ缶、メンマ先っちょラー油漬けなどでゴキゲンになり、シチューご飯。
寝袋もびっしょりだ。隣りのカンノくんは夜中じゅう体が震えていた。温かい乾いた布団は本当にありがたものだよなあ。夜半、今度は北風に変わって気温が下がり、イグルー壁のスキマから猛烈に粉雪が吹き込んだ。今夜はローテーションで壁際で寝ていたウランの上に雪山ができ、夜中に一人スキマ塞ぎ工事をする羽目に。かわいそうだけど奥の人は寝ている。結局スキマを塞いだ上にツエルトを風除けに吊るして解決。いろいろあるぜ。
19日 吹雪のち高曇り
三町界峰945はすぐに着いた。二ツ森林道終点へは当てず、南西の緩いブナ尾根をシールはずして滑り降りる。雪が多く、始め林道がわからないが、カーブミラーの先っちょがようやく見え始め、林道がわかる。ここから先はもうブナの白神ではなく、杉の植林された別の山になった。20年前世界遺産に指定される更に少し前、林野行政はこの林道を青森側の赤石川に伸ばして青秋林道を作ろうとしていた。反対運動で中止になり、その後は何故か世界遺産になった。ここがその行き止まり林道のフロントラインだ。
ここから5時間、植林された秋田杉の山の林道を下る。スキーは滑るときもあるが潜るところも多い。ウラン、カンノの靴擦れは結構きているようだが、遅れる事も無い。休むと歩き出しが痛いので歩き続けるとのこと。きれいに枝打ちされ整えられた杉の林はこれはこれで美しい。一回だけ、杉林の上に、真瀬岳の三角が見えた。よたよた歩く子供のカモシカと抜きつ抜かれつになった。お母さんとはぐれたのかな。まだ春は先で、食べるものなど何もなさそうだ。一ノ又橋まで除雪の跡があった。車が入れる程ではないが少し前まで除雪していたという雰囲気。脇にとても小さなフキノトウがあった。ここからシーズリにしてぶなっこランドと最終人家のところでようやくアスファルト。ここは世界遺産見学館のような屋外娯楽施設のようなハコもの。駐車場があって車の人が来て帰るところ。通年でいるという番人の人にコーヒーをごちそうになる。ここから八森まで歩いて30分だが、八森駅前には風呂もメシも何も無いそうなので、八森駅からタクシーを呼んで、二つ先のあきた白神駅にあるハタハタ館というメシ風呂施設に直行する事にした。ハタハタ館から「リゾート白神号」で帰ろうかと思ったが一昨日のダイヤ改正で平日は運行無し。結局東能代周りで帰る算段が立って、風呂、メシで弛緩する。ちょっと平成っぽい施設だけどまあいいや。満足。この駅もこの施設も、世界遺産になったからできたんだそうな。風呂から見る輝く冷たい海は凄い迫力だった。ラーメンもおいしかった。
14時35分の汽車ぎりぎりになって歩道橋向こうの駅に駆けようとしたら、ハタハタ館受付のおじさんが、ギリギリだから二ツ三ツ先の駅まで送るので乗りなさいとバンを出してくれた。済みません、ゆっくりラーメン食べ過ぎました。東八森駅で降ろしてもらって、ありがとう。さて、吹雪も始まった無人駅ホーム、全然汽車が来ない。待合室のスピーカーから、汽車は強風のため、減速運転で向かっているとの事。一時間後に来ました来ました。乗ってみると、ロバの馬車みたいな速度で東能代へ。客は皆、この汽車が何時になれば到着するのかを誰も知らない。五能線は強風でよく送れるので、ニュースにもならないくらいなのだ。東能代の接続は当然行ってしまい、小一時間またここで青森行きの汽車を待つ。能代の街から離れた、奥羽本線と接続するためだけの駅なので、駅前には何も無く、キオスクが充実している。わらづとの「檜山納豆」を売っていて、何故か三人ともこれを土産に買い求める。待合室の腰掛けには卓まであり、ビール飲んで待つ。遅延のため通学高校生ぎっしりの待合室。外は吹雪になった。
10分遅れの青森行きホームも寒かった。この汽車に途中から乗って来た懐かしい格好のでかいザックの山ヤさんがいて、どの山登ったのかなとあいさつしに行ったらなんと。山岳部センパイのノムラさんだった。八幡平方面だった。25年前の秀岳荘ヤッケ着て相変わらずだよ。宮井さんのお葬式以来だ。いまどきスキーと大ザック持って汽車乗っている人なんて本当に見かけないものな。もしいたらそりゃ25年前の知り合いだって不思議じゃないな。そんで、会ったのが、何年経っても変わらないノムラさんだったので、本当に時間がわからなくなっちゃった。
摩須賀から谷を二つ越えて向白神まで行く、始めの計画を貫徹するには雪が締まっていたとしてもやはり5日は必要だろう。なかなか日程、メンバー、天気は重ならないものだけど今回は体力盛んな20代二人が連休でもないのにつきあってくれて全くラッキーだった。
【メンバ】米山悟(1984入部) ,浦西茉耶(北大水ワンOG), 菅野貴文(弘大山岳部0B)
【時間と天候】
16日快晴 無風 湯ノ沢川Co370左岸鉱山跡(7:50)〜コンタ尾根経由〜尾太岳(12:30)〜県境1059(15:00)イグルーC1
17日小雪〜小雨 気温-2度〜0度 C1発(6:00)〜冷水岳(12:00)〜小岳〜青鹿岳分岐〜・977イグルーC2(15:45)
18日濃霧〜晴れ〜濃霧 C2発(5:30)〜雁森岳(7:30-50)〜二ッ森(11:50-12:00)〜・945三町界峰の東イグルーC3(13:00)
19日吹雪のち曇り 気温-9度 強風 C3発(6:30)〜林道視認(7:00)〜一ノ又橋(中ノ又沢と一ノ又沢分岐)(11:10)〜ぶなっこランド(12:20-50)→タクシーで五能線あきた白神駅のハタハタ館
16日 快晴 気温高め
北海道から来た二人と青森発弘前行きの始発に乗り、弘前駅で、クロキさんに載せてもらって西目屋の湯沢川林道を奥まで。尾太岳下の鉱山跡まで除雪されていて、ここまで行けた。すぐ近くに砕石場があり、砂利を積んだトラック10台くらいとすれ違う。すれ違いスペースは限られ、後退したりしながら行く。ちょうどそういう時間帯だったかもしれない。
この2月に単独でこの稜線を座頭石から白神岳まで行っているクロキさんの、連日12時間以上行動の猛烈記録を読んで、話したい事がたくさんあった。しかし、車はあっという間に終点到着。酔っぱらいセットのサシイレをごっつぁんになって、鉱山タンクの裏あたりから急斜面に取り付く。始めが一番急だ。ハシゴを架けたいくらいの傾斜をスキーでジグザグ進む。とても深くて重い雪。でもシールは利き、どんどん登ると岩木山が見えて来た。尾太岳北西の995(薬師森)まで登ると樹林が絶え、コメツガが疎林である。展望良く、八甲田連山も見える。白神山地全域が見えた。一番西列の白神岳レインジが一番高くて白い。追良瀬の谷、赤石の谷、大川の谷で尾根を分け、青鹿岳、二ツ森くらいは視認できる。
尾太岳の下りは良い斜面だが、雪が悪く全然滑らない。ラッセルしながら下る。国境の1059に着いたのが15時。林道歩きの2時間は儲けたが、雪が重くて結局予定通りの天場になった。イグルーゆっくり作る。カンノ君に始め任せたりして、背いたかイグルーになった。イグルー温かく安眠。
17日 気温0度前後 小雪のち小雨
今日どこまで行けるかで山行の貫徹如何は決まるが、朝になっても雪はまったく硬くなっておらず、朝一でも膝まで潜る始末。イグルーを出たときは見えていた藤里駒ヶ岳もすぐに見えなくなり、稜線の視界は終日500m以下になる。ラッセルを交代しながら冷水岳、小岳と進む。ブナのしっぽりとした霧の森を行くのはオツなものだが、ラッセルがきつい。そのうち小雪も小雨に変わり、ブナの枝から幹へとぬらぬらと雨水が流れたりしている。稜線が西に突き上げる角度の地形では雪の壁になり、上がセッピで塞がれる、というパターンが多く、このセッピの弱点を探して歩く事になる。冷水も小岳も、ここ、山頂?というくらい地味な場所である。でも一応貴重なピークはピークだ。小岳からの下りは視界が無い事もあり、一発では尾根を探せない。急斜面に当ててトラバースしたりする「暗中手探り磁石読み」で下降尾根を探し当てる。濃霧の中で不明瞭な尾根を探す不安は深山ならでは。
青鹿岳分岐手前で一瞬ガス晴れ、2キロほど視界が利いた。この一瞬がありがたい。分岐ピークは南斜面をトラバースできると踏んで、南西コルに直接行く。コルの手前で例によって巨大セッピを越えるところがあるが、弱点を探して這い上がる。この先・977あたりで時間切れ。まだまだ先に行けない時間でもないがみんなの靴擦れがけっこうひどいようだ。全身ずぶぬれだ。きょうは早く休みたいので手早くイグルーを作ってしまう。少し狭いけど40分。
18日 気温0度前後 濃霧のち晴れのち濃霧
午前0時頃、天井からの雫がぽたぽた言うので灯りを付けると、作ったときは中でも立ち上がれたはずの天井が、テントくらいにかなり下がっている。イグルーのドーム自体は直径1.3mくらいの円形で、その下に、直径2mくらいのスペースをとくに山側に広く掘って作ってあるため、山側の天井はドームを乗っけている部分が構造的に弱い。やはりその部分が激しく落ち込んで来ていて、奥に寝ていたウランに、壁際に置いた荷物をまとめて中央に寄せておく様に言う。とりあえず又眠ったが、午前二時ころ、ついにそこが崩落した。ウランの上にブロックが落ち埋まる。真ん中に寝ていた米山が靴を履いてブロックを取り除き睡眠は強制終了。靴を履きブロックをよけ荷物を取り出し、その場にツエルトを張ってお茶を沸かし、朝ご飯にする。気温が高く、雨雪も降っていなくて助かった。イグルー崩落はこの20年で初めての経験。イグルー自体は頑丈にできていたが、その土台部分が地下の掘り下げで弱っていた。気温の高い日はこの作り方は避けなければならない。イグルーの壁そのものは大した重量が無いのでそれで埋まるような事にはならない。
行動してすぐ、地図読み注意箇所で尾根を曲がり、雁森岳(トッチャカ)を目指す。行程中、一番尾根が細いと言われるところ。きょうもラッセルが重い。雁森岳最後の急斜面で、尾根が西に突き上げるところ、傾斜が壁になってセッピに通せんぼされている箇所がある。右の急斜面をトラバースして北尾根に乗ってさらに急な雪面を登っていく箇所あり。気温が高く、雪も潜るが、急に高くなったわけでもなく雪面は雪崩れるという予感も特にない。雪崩の予知とは、感覚的なものというか、入山数日目にもなれば騙されることは多分無い。ここは逆ルートで来てしかも視界が無いと、厳しいところと思う。
トッチャカ山頂はセッピが大きく、秋田側は覗けないが、ブナがはえている中だ。山頂にいるうち、ガスが晴れて来た。行く手の二ツ森、それに摩須賀岳も見えた。遠い。遠いよ。赤石川の谷に、浮世絵みたいな雲が伸び込んでいる。風流だ。
トッチャカ周辺は全体が細いのかと思っていたが、核心らしきはあのセッピ越えだけだった。あとは時折日差しもある中延々ポコを登ったり下ったりネグったりで二ツ森の東の最低コルまで。今回はこのラッセルのせいで、摩須賀岳は届かなかった。きょうは二ツ森の向こうあたりでゆっくりしたいなあという事になる。二ツ森の登りは意外に急で複雑な尾根。とはいえ登りだから、間違える事も無い。雪壁、セッピを越えながら行くうちまた濃霧に巻かれる。山頂付近は樹林が無く、真っ白だ。一番高そうなところに、ボックイがあって山頂確認した。ウランが昨年正月の利尻山頂の祠の話をしたので、利尻山頂の気分になる。しばらく待ったがガスは晴れず、下降する。ここもだだっ広くて尾根不明瞭なので、西よりに降りて急斜面に当て、北へ向かって尾根を探る。ブナ林に入ると、雪さえ良ければ最高のスキー斜面と思われるところを、ゲタばきになりながらラッセルして降りる。
三町界945峰手前の北側にイグルー。きょうは崩落をしないよう、イグルー下部横穴式ではなく、屋根の厚い半雪洞にイグルー壁を作る方式で作る。雪洞掘るより早く、イグルーより時間が要る。1時間くらい。
全身びしょぬれなので焚き火したいのだが、ここはブナの純林なので全く燃える木が無い。枯れ木もほとんど無く、枯れ枝を集めてちょと付けてみたけど体を乾かすまでにはできなかった。イグルーに入った方が温かい。ブラックニッカ、アンチョビ缶、メンマ先っちょラー油漬けなどでゴキゲンになり、シチューご飯。
寝袋もびっしょりだ。隣りのカンノくんは夜中じゅう体が震えていた。温かい乾いた布団は本当にありがたものだよなあ。夜半、今度は北風に変わって気温が下がり、イグルー壁のスキマから猛烈に粉雪が吹き込んだ。今夜はローテーションで壁際で寝ていたウランの上に雪山ができ、夜中に一人スキマ塞ぎ工事をする羽目に。かわいそうだけど奥の人は寝ている。結局スキマを塞いだ上にツエルトを風除けに吊るして解決。いろいろあるぜ。
19日 吹雪のち高曇り
三町界峰945はすぐに着いた。二ツ森林道終点へは当てず、南西の緩いブナ尾根をシールはずして滑り降りる。雪が多く、始め林道がわからないが、カーブミラーの先っちょがようやく見え始め、林道がわかる。ここから先はもうブナの白神ではなく、杉の植林された別の山になった。20年前世界遺産に指定される更に少し前、林野行政はこの林道を青森側の赤石川に伸ばして青秋林道を作ろうとしていた。反対運動で中止になり、その後は何故か世界遺産になった。ここがその行き止まり林道のフロントラインだ。
ここから5時間、植林された秋田杉の山の林道を下る。スキーは滑るときもあるが潜るところも多い。ウラン、カンノの靴擦れは結構きているようだが、遅れる事も無い。休むと歩き出しが痛いので歩き続けるとのこと。きれいに枝打ちされ整えられた杉の林はこれはこれで美しい。一回だけ、杉林の上に、真瀬岳の三角が見えた。よたよた歩く子供のカモシカと抜きつ抜かれつになった。お母さんとはぐれたのかな。まだ春は先で、食べるものなど何もなさそうだ。一ノ又橋まで除雪の跡があった。車が入れる程ではないが少し前まで除雪していたという雰囲気。脇にとても小さなフキノトウがあった。ここからシーズリにしてぶなっこランドと最終人家のところでようやくアスファルト。ここは世界遺産見学館のような屋外娯楽施設のようなハコもの。駐車場があって車の人が来て帰るところ。通年でいるという番人の人にコーヒーをごちそうになる。ここから八森まで歩いて30分だが、八森駅前には風呂もメシも何も無いそうなので、八森駅からタクシーを呼んで、二つ先のあきた白神駅にあるハタハタ館というメシ風呂施設に直行する事にした。ハタハタ館から「リゾート白神号」で帰ろうかと思ったが一昨日のダイヤ改正で平日は運行無し。結局東能代周りで帰る算段が立って、風呂、メシで弛緩する。ちょっと平成っぽい施設だけどまあいいや。満足。この駅もこの施設も、世界遺産になったからできたんだそうな。風呂から見る輝く冷たい海は凄い迫力だった。ラーメンもおいしかった。
14時35分の汽車ぎりぎりになって歩道橋向こうの駅に駆けようとしたら、ハタハタ館受付のおじさんが、ギリギリだから二ツ三ツ先の駅まで送るので乗りなさいとバンを出してくれた。済みません、ゆっくりラーメン食べ過ぎました。東八森駅で降ろしてもらって、ありがとう。さて、吹雪も始まった無人駅ホーム、全然汽車が来ない。待合室のスピーカーから、汽車は強風のため、減速運転で向かっているとの事。一時間後に来ました来ました。乗ってみると、ロバの馬車みたいな速度で東能代へ。客は皆、この汽車が何時になれば到着するのかを誰も知らない。五能線は強風でよく送れるので、ニュースにもならないくらいなのだ。東能代の接続は当然行ってしまい、小一時間またここで青森行きの汽車を待つ。能代の街から離れた、奥羽本線と接続するためだけの駅なので、駅前には何も無く、キオスクが充実している。わらづとの「檜山納豆」を売っていて、何故か三人ともこれを土産に買い求める。待合室の腰掛けには卓まであり、ビール飲んで待つ。遅延のため通学高校生ぎっしりの待合室。外は吹雪になった。
10分遅れの青森行きホームも寒かった。この汽車に途中から乗って来た懐かしい格好のでかいザックの山ヤさんがいて、どの山登ったのかなとあいさつしに行ったらなんと。山岳部センパイのノムラさんだった。八幡平方面だった。25年前の秀岳荘ヤッケ着て相変わらずだよ。宮井さんのお葬式以来だ。いまどきスキーと大ザック持って汽車乗っている人なんて本当に見かけないものな。もしいたらそりゃ25年前の知り合いだって不思議じゃないな。そんで、会ったのが、何年経っても変わらないノムラさんだったので、本当に時間がわからなくなっちゃった。
摩須賀から谷を二つ越えて向白神まで行く、始めの計画を貫徹するには雪が締まっていたとしてもやはり5日は必要だろう。なかなか日程、メンバー、天気は重ならないものだけど今回は体力盛んな20代二人が連休でもないのにつきあってくれて全くラッキーだった。
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