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OBの山行記録・ 2014年5月11日 (日)

夕張山地 シューパロ岳(1436m)南稜 初登攀 米山悟(1984年入部)
シューパロ岳は、芦別、夕張山脈の西列にある鋭峰群のひとつ。南北の衝立みたいな細いリッジに10以上のピナクルが尖って最高点シューパロに続く。山頂手前には100mほどの岩壁バットレスもある。山深いので積雪期に目指す人はいないし、無雪期は尚更。登攀記録は見た事が無い。シューパロ岳に登るなら、このリッジが正面玄関だろうと、8年前から計画をしていた。
(4月20日撮影 1415より斉藤)
2014年5月4日(日)〜6日(火)
米山(1984), 斎藤(1987), 新宮(1984ワンゲル入部)
北大山岳館で海外登山史編纂の座談会を終えて、つるで飲んだあとサイトー宅で前夜泊して、夕張川に向かう。シューパロダムはサイトーが90年代に地質調査で何度も通ったところだそうだ。今は大きなダムになって、上流の村落は水没していた。シングーは30年になる旧友だ。最後に一緒に登ったのは98年の針ノ木岳西稜だった。あれも、誰も行かない鈍い光を放つ美しいルートだった。その後ソロモン群島の地質調査などしていて、もう何年も日本にいなかった。


雪と土砂崩れでシューパロ川林道はすぐに車で行けなくなる。林道20キロ。むかし長い林道入山は嫌なものだったが、広い夏道だと思えば楽なものだし悪くない。車が通らなくなって久しい林道は、足元にも優しいし、きれいなものだ。まして春、芽吹きや雪解けの水や、遠く残雪の山を垣間見ながらゆく林道は楽しい。鳥の声も、露頭の中生代の層理面も。スキーは要らなかったが、誰もデポしようと言い出さず、とうとう20キロ運んでしまった。始めは雪があればはいたりしたが、無くても潜らないので面倒くさくなり、シートラのままになった。

林道終点は法面崩壊で笹薮急斜面になっていたが、雪解けの水流で岸辺が無いからまだ沢底には降りられない。薮を漕ぐと、先に林道が地図通りまだ続いていた。その行き止まりCo600mでC1とする。イグルー作るには雪の密度が重く気温が高過ぎなので、壁3段積んで、下2段掘って、屋根は開きにできるツエルトをタープ状にして小屋掛けする。この時期無理にイグルー作っても屋根はすぐ落ちるし、雨で雫が垂れるので残雪期イグルーはこれで良い。張り綱止めるのにスキーが唯一役立った。アクスも二本ずつあって止めるに困らない。焚き火ゴンゴンで肉を焼いてバーボン。北斗七星が真上だ。シングーが紙巻きタバコを巻いて配る。焚き火の脇では、昔のように喫煙者になる。先月別れた彼女の置き土産らしい。明日の稜線は未知だ。歯が立たずスゴスゴ帰るかもしれない。行ってみなくては分からない。(写真シューパロBC)


4時には明るい。右岸雪の上を行く。水流は減っている。ほどなく標高700m二股、ここから東の沢に入る。べったり雪でスタスタ高度を稼ぎ、稜線へ。南方、夕張岳や西岳が見えて来た。稜線間際の笹薮下にアイヌネギ群落発見。匂い立つが、これから未踏ルートに向かうとき、山菜採りの気分にはならない。稜線は基本、雪が無い。いくつもの小ピークを上り下りしながら、掴み易い薮を掴んで進む。ハイマツの弾性も協力的だ。一カ所だけもろい岩、高度感ありブッシュ切れの数mをザイル出すが他は全部ノーザイルで延々行く。(写真・急斜面のトラバース)


1009分岐のピークを超えると、西側の急斜面に雪が残って繋がっている。ピナクル上り下りを避けて、この雪で巻いて行く。バットレスの手前のピナクルの手前で稜線に戻ると、バットレスのルートが見えた。サイトーが振り向いて、「もらった!」とひとこと。右側、東側の雪を巻いて行ける。初めて貫徹のメドが立った。記録無く、地図だけ見て来た計画だ。先がどうなるか分からない楽しみだ。バットレスの基部から見上げる。もし直登するなら、1、2p分の壁だ。西側のリッジが弱点に見える。東側急雪面のトラバースは、個々に孤独に登る。偽ピークを越えて最高点へ。8年越しの計画貫徹だ、うれしいなあ。北に中岳が初めて見えた。芦別夕張の主脈が並列している。懐かしく、美しい山脈だ。1989年の4月、端から端までスキーで歩いた稜線を目で辿る。1415峰の北西面の断崖が凄い。(写真・バットレスと東面の雪面トラバース)


下りは高度感ある急斜面の下り延々。バックステップで下る事多し。1009分岐から南西の沢へ、アイゼンもハーネスもとっ外してシリセードで高差300mを一気に絶叫ダイビングする。途中で急停車してアイヌネギ収穫も忘れず。谷の雪は標高700m二股で登路と合流するまで繋がっていた。西日の差し込む谷。逆行の若葉の中をベースキャンプへ。北上5キロ、南下3キロの未知のナイフリッジを、手際よくしとめたのではないだろうか。天気は後半悪い予報だったが、一日持った。風は強かったが直射日光が無く助かった。夜、焚き火のとき雨が降り始める。イグルーの壁は一日でずいぶんガタガタしていたので直す。酒飲んでネギ汁飲んで疲れて眠る。(写真・山頂三人 後ろは中岳)


下山の日、林道の雪は更に少なくなっていた。サイトーとシングーは頻繁にスキーに換えて歩くが、僕は面倒でシートラで通す。若葉の芽吹き、雪解け、蛇行の浸食、アンモナイトの中生層を見ながら下る。腰を下ろして30年ぶりに地質学教室の先生方の名前と顔を話題にしたり。延々20キロを黙々23キロ担いで歩くと、自動で動く自分の二本の足が、驢馬の馬車で、その荷台で揺られて運ばれている心持ちになる。考察や思索も進む。一日林道歩きとはいえ、林道が無ければこの増水河川のアプローチ、一日では不可能だし、足という名の乗り物に載ってしまえば楽なものだ。(写真・BC焚き火)


湯の元温泉に浸かり、三笠のみよし食堂でジンギスカン定食をガツガツ食べる。タカシノさんちに寄ったら丁度誕生日とのことで、ホタテやウニやおいしいものをたくさん食べさせてもらった。誕生日僕と一日違いなのね。札幌のサイトー宅でC3すると、ユキちゃんがモツアルトのトルコ行進曲ソナタを弾いて、計画貫徹と50の誕生日を祝福してくれた。
  • コメント (2)

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米山   投稿日時 2014-5-11 15:42
前田さん、登ったあと、タカシノさんちで聞きましたよ!
誰か登っているかもしれないとは思うのですが、あの奥深い林道を延々行くようなセンスの人は、ウチワの人ぐらいしか実行しないのではないかという気がします。
登攀自体は、大した道具は不要でした。もう少し雪多かったら、また違った風情かも知れません。でもそれだとアプローチの雪崩がやっかいですね。
シューパロは北尾根もなかなか良さそうでしたよ。
Jin. Maeda   投稿日時 2014-5-11 11:26
初登, おめでとう. 僕もあの稜線に魅せられ, 40 年ほど前 <多分, 1974年> の連休に芦別岳越えでタカシノくんとトライしたのですが, 大した登攀具も持参せずで, 敗退しました. シューパロ尾根と呼んでいたのですが.
 
 
 
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