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書評・出版・ 2016年6月28日 (火)

伊藤正一さんのおくやみ   米山悟(1984年入部)
黒部の山賊という本が少し前に復刊して、伊藤さんは近頃また話題になっていました。戦争直後からずっと雲ノ平、三俣、水晶の三軒の山小屋をやってきた、もと山賊の友達です。
伊藤さんと初めて会ったのは、1992年、伊藤新道でした。伊藤新道は高瀬川の湯股から三俣山荘へ通じる登山道で、1953年から伊藤さんが3年がかりで作りました。その後できた高瀬ダムの工事で70年代に登山者が減ってしまって、その頃は廃道間際でした。伊藤新道は下半分が沢沿い、上半分は尾根を通ります。人が歩かない道、補修をしない道は、沢では水が壊し、尾根では植物が埋めて廃れてしまうのだと、このとき初めて知りました。伊藤さんは小屋から降りてきて、藪を払っていました。この時も70歳ころと結構なお歳でしたが元気に仕事をしておられました。このときお会いして、さまざまなお話を聞きました。山小屋建設の苦労話は本人よりも、黒部の山賊で読みました。本人からは、山とはあまり関係のない、左右対称の不思議に関する話や、バイオリンの音に関する話など、面白い話をたくさん聞きました。
伊藤さんは、松本では有名な料亭のあと継ぎだったのですが、若いころから何事にも野心的で、家を継ぎませんでした。同じ高校の先輩後輩のよしみで(とはいえ伊藤さんは戦前卒業なので旧制中学校です)、一度その料亭に招いて下さり、ごちそうをしてもらいました。老舗の、とても素敵な建物でしたが、何年か前に規模を小さくして移転したそうで、いまはもうありません。
野心的な熱意は、戦前の学生時代にはロケット工学の研究に向けられ、敗戦後には山小屋の建設と運営に向けられたといいます。写真の腕前も、その熱意で磨きこまれ、山ばかりではなく、晩年の季刊誌「ななかまど」の表紙を飾った、自然界のさりげない草木の写真を左右対称の不思議な幾何学模様に仕立てる技法も伊藤さんの発案です。
バイオリンの表の板と裏の板に挟まれた魂柱(こんちゅう)という一本の柱があります。この柱の役割を、裏の板は土台で、表の板は音を震わせるため自ら震える音響板であるから、柱の表板側を平らではなく震えやすいように半球形に削った魂柱を発明し、伊藤式バイオリンを作りました。より響きが強くなる、と演奏者やバイオリン職人たちは語っていました。僕にはよくわからなかったのですが。
こうした研究熱心な独創性を発揮して、史上初の航空機による物資荷揚げに挑戦するなどしたのと並び、旧家を飛び出した伊藤さんは反骨の人でした。営林署による理不尽な地代値上げに、筋が通らないことには同意ができないと、全南北アルプスの山小屋主人でただ一人、長いものに巻かれない姿勢で訴訟を続けました。
94年の冬に私がノルウエイを訪れたとき、伊藤さんが快くリレハマーの北の町に住む何人かの親しい友人を紹介してくださいました。彼らを訪ねてごちそうになったり、ヘルベチアヒュッテみたいな小さな別荘に連れて行ってもらったりして、一般的なノルウエイ人の暮らしぶりを知りました。あくせく働かず、物にも囲まれず、のんびりと簡単な日常を楽しむ人たちでした。伊藤さんはフィヨルドの写真を熱心に撮った時期があり、その時の写真集も見せていただきました。伊藤さんには、いただいたものばかりでした。
敗戦という価値観の大転換を多感な青年期に迫られた、大正生まれの世代でした。その世代の苦悩を時々空想します。世代を超えたお付き合いを、惜しみなくしてくださる方でした。
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