書評・出版・ 2022年7月14日 (木)
【読書備忘】ホハレ峠 大西暢夫 米山悟(1984年入部)
登山愛好家として美濃、越前国境のこの地域と伝統の暮らしに興味を持った。稜線は標高1000mほどだが日本海を背にして豪雪に見舞われ、大河揖斐川の広大な源流地帯はほとんど平地がなく、渓谷登攀者には静かで広い魅力ある山域だ。山間には、自動車道路が通る以前は数十軒ほどの規模の集落が点在していた。ここに1970年代から長時間かけて官僚たちがダムを造る計画を淡々と進めてきた。2006年日本最大の貯水量という徳山ダム完成。
ここにできれば死ぬまで暮らしたいと住んでいた、広瀬ゆきえさんの暮らしぶりを通して、揖斐川源流域の門入(かどにゅう)という集落の「現代化以前」の営み、たとえば栃の実の渋抜き法や山菜キノコマムシに、各種山仕事などを記している。
読み進むとそれにとどまらず、1918年生まれのゆきえさんの生涯を辿ることでわかる、何世代も続いてきた血族の持つ強さや、行動範囲の広さなど改めて知る。ダムが永遠に奪ったものの真価は、ここまで読まなければわからなかった。
14歳にして30キロ背負ってホハレ峠を越えて、鳥越峠も越えて長浜の高山まで繭の出荷。彦根まででかけて女工労働。門入の仲間となら、外に出るならば、北海道の真狩もパラグアイも同じなんだな。岐阜の柳ヶ瀬近くにあった徳山村連絡所の訪問もおもしろかった。
著者が30年間通い詰めた晩年、ついに追い出されるまでの門入での、誰もいなくなってしまったけどお金を使わなくて済む世界が、技ある人には自由な天国なんだな。朝から晩まで働きお金にはならないけど生きるための純粋な営みだ。若いときには遠くへ開拓に出て、農閑期の日雇いや出稼ぎもして現金を得て外食する楽しさも驚き知った、子供を遠い学校にやるための現金収入も要った。それだけ経た上で、子供の頃から身につけた、生きるための純粋な生活技術と行動技術を持つ自信と幸福。これが羨ましい。でもそんな晩年の天国も移住地に追われた。
移住者住宅に移った後、ゆきえさんがスーパーの特売ネギを買わなかった話が、凄くこたえた。
「わしは、たくさん人のためにネギも作ってきた農民や。自身を持って畑でネギを作って、みんなにくれてやったもんやが、その農民のわしが、なんで特価品の安いネギを買わなあかんのかなって考えてな。惨めなもんや。ちょっと情けなくなったんや。」
著者が長い時間をかけて関係を築き、徐々に理解しながら発見して気がついた話が盛り込まれた優れたノンフィクションです。
今はホハレ峠は足で越える人は絶えて久しいよう。渓谷登山愛好家として、ホハレ峠越えて門入を訪ねてみたい。病気の子供を背負ったり、60キロの栃の板を背負ったりして人々が越えた峠だ。
ホハレ峠ーダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡
2020年4月 彩流社
大西暢夫 写真・文
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