書評・出版・ 2023年12月19日 (火)
【読書備忘】ロバのスーコと旅をする 高田晃太郎 米山悟(1984年入部)
筆者は旅に魅入られた人。ヒッチハイク好きの北大生だったのも実にわかる。そして徒歩旅行、自転車旅行の延長に、ロバとの旅を思いつき実践する。イラン800km、トルコ1200km、モロッコ1500km。探検的使命や記録狙いでもない、目的地さえ無い。ただロバとの長期徒歩旅行を実践したかった。
私は以前満洲北部で初めてロバを見た。大きな耳、いつも何か食べている。目の周りの白い縁取りデザインがパンダみたいにどこかとぼけている。何故か日本には全く居ないし寓話の中でしか出てこないけれど、ロバは前々から非常に気になる存在で、徒歩旅行をするのに良い相手だと思っていた。以前、日本縦断徒歩旅行の友人が、うちに寄って数日食客をして旅立っていった際も、手記にロバのスピードについて書いていたのも印象的だった。本当にそんな寓話のような人が現在いて驚いた。
筆者のロバ愛文がよくて、そこがこの本最大の見せ場かも知れない。無心に草を食む表情、耳や目や、動き一つも描写し、ロバを見ているのが本当に好きなのが分かる。交尾未遂に終わったロバが未練がましく泣き叫ぶ姿の清々しさに感銘を受けるところも好きだ。しまいには糞の形状の芸術性まで書き込む。
イランやトルコの警察は鬱陶しい。アル中やヘンタイや憲兵もいる。やはり自由な人間はどこでも公権力に妬まれてしまうのだ。トルコも20年前くらいからロバはいなくなったと。やはり内燃機関が安上がりで、インフラができれば世は車に替わる。モロッコで今もロバが居るのはインフラが無いからだ。アルタイ山脈の高地遊牧民老人アハマドを訪ねる下りも良い。
著者の「歩いていけばどこにでも行けるという実感」、登山愛好家の私は共感する。なぜ山登りや旅が好きかと言えば、百年前の車の無い時代のように体を使い、生きていることを実感するのが好きだからなのだ。
生きていることを実感する旅に、人間以外の相棒としてロバはぴったりだ。人の最高の教養の一つは、人以外の生きものとの意思疎通ではないだろうか。近代が捨てた大きな教養の一つだと思う。バックパックではなくロバと。ただの荷物持ちではなく盟友として。とても新鮮で清々しい。
以前北海道にいたとき、乗馬で弓を射る流鏑馬を少しかじったことがある。南米パタゴニアでは、馬の背に乗ってまる二日間、荒野を旅したことがある。馬に認められるまで付き合うしか無い。認めてくれれば、勝手に働いてくれる。
この百年、あれだけ地上に栄えた馬は一気に数を減らした。長くかけて築いた人馬共同の文化も技術も風前の灯火だ。数年前、信州で馬に犂を引かせて稲作する馬耕や木材を運ぶ馬搬を実践する数少ない継承者にあった。青森にいたときは背丈よりも積もる雪を除雪車で大がかりにどけるクルマ社会ではなく、馬橇と山スキーで暮らすような「馬文化実践特区」を作って、世界中の馬好きを集める地域の可能性を夢見た。馬よりも扱いやすいというロバなら、可能性が広がる気がする。ロバを沢山の人が連れて歩く日本。そんなすてきな未来を夢想している。
国境を越えるとき、いつもロバと別れる、別れのシーンも好きだ。ヒッチハイクと同じく、お礼を言ってさっと別れる。別れることに不器用になった時代だという気づきも印象的だった。私もこんな旅をする山登りをしたい。
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