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    Re: 【中部日高】ナナシ沢1823m峰南面直登沢→コイボクシュシビチャリ川...北陵高校山岳部OB
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    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...米山
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  • 14年10月25日
    Re: 【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)...米山

現役の報告・ 2011年7月29日 (金)

【年月日】2011年7月23-24日(2-0)
【メンバー】L鹿島 AL井村(4 M窪田(2 古谷 吉澤(1

現役の報告・ 2011年7月13日 (水)

【年月日】2011年7月9-10日(2-0)
【メンバー】L鹿島(4 AL田中省(5 M窪田(2 佐藤 古谷 吉澤(1

<時間とルート>
7/9 林道入り口(6:40)Co530入渓点(7:20)Co1020二股上(14:00)=C1

書評・出版・ 2011年7月11日 (月)


坂本直行 はるかなるヒマラヤ 自伝と紀行
編集 高澤光雄
2011年7月
北海道出版企画センター
http://www.h-ppc.com/single.php?code=366



坂本直行氏の1967年のヒマラヤ山麓スケッチ旅行の紀行「はるかなるヒマラヤ」、それに自伝「山と絵と百姓と」を中心にまとめた。どれも限られた読者媒体で以前連載されたもの。生前本人が本としての出版を楽しみにしていたとのことで、氏と交流の深い北海道登山史研究家・高澤氏による編集。
「原野から見た山」、「雪原のあしあと」など代表的な画文集で触れられていない直行さんの生い立ちから山岳部時代のことなどが詳しい。長男、登氏による直行さん通史「日高のいごっそう坂本直行伝」も収録。

現役の報告・ 2011年7月10日 (日)

【年月日】2011年7月2-3日(2-0)
【メンバー】L鹿島(4 AL井村(4 M窪田(2 佐藤 古谷 吉澤(1

<時間とルート>
7/2 ドラゴンウォーターの沢(7:30)Co680河原=C1(13:00)

現役の報告・ 2011年7月7日 (木)

【年月日】2011年6月18-19日(2-0)
【メンバー】L井村(4 AL井ノ上(3 M高橋 田中(2

<時間とルート>
一日目:入渓点=Co280(7:00)Co550二股(10:50)Co880(15:30)CO960コル=C1(17:30)
二日目:C1(5:50)岩内岳(7:00−7:10)新見峠(10:15)

現役の報告・ 2011年6月16日 (木)

【年月日】2011年6月4-5日(1-0×2)
【メンバー】L鹿島(4 AL木城(部外 M佐藤 古谷 吉澤(1

<時間とルート>
6/4 猿倉温泉(5:15)乗鞍岳(8:30-8:35)櫛ヶ峯(11:45-12:00)駒ヶ峯(13:30-13:35)猿倉岳(14:15)猿倉温泉(16:15)

記事・消息・ 2011年6月12日 (日)

五月末、アラスカのデナリ登頂後、そのとなりの山、Mt.フランシス西面の未踏ルートで雪崩事故だった。

現役の報告・ 2011年6月10日 (金)

【年月日】2011年6月3-4日(2-0)
【メンバー】L井村(4AL井ノ上(3M田中 高橋 岩田(2

3日小雨後曇り
【時間とルート】
登山口(9:50)C1(11:15−45)東稜登攀開始(14:45)BC(16:50)

書評・出版・ 2011年6月7日 (火)

高澤光雄さんは北海道登山史家。その黎明期を知る人物たちとの直接の交流、そこから受けた啓発により、埋もれた山登りの記録の丁寧な発掘、読み込みで、独自のテーマで道内の山の歴史をまとめてきました。これまで「山書研究」 やあちこちに興味深いテーマで小文を発表してきた。あまり出回る本としてはこれまでにまだまとまっていなかったので、今回が初めての待望の一冊です。先ごろ「北海道の登山史」という本の紹介もしましたが、こちらはそれに「探究」がつく深煎り本です。高澤さんの探究ワークをご覧ください。

書評・出版・ 2011年5月20日 (金)


裸の山 ナンガ・パルバット
山と渓谷社2010年

1970年ラインホルト・メスナーの26歳、最初の8000m峰登山。弟ギュンター・メスナーと難関の南面ルパール壁を登るが、山頂からの帰りに高所障害で弱ったギュンターと、北西面ディアミール壁を下山、末端まで降りたところで雪崩によりギュンター死亡、ラインホルトはボロボロになって一人下山する。その後14座8000mを完登したメスナーの8000m峰初陣だったが、この隊の隊長カール・マリア・ヘルリヒコファーと、山行報告の真偽と死者の名誉を争ってものすごく話がこじれ、メスナーの言い分は敗訴して絶版命令となっていた大変有名な山行。あとがきを読むと1991年にヘルリヒコファーは亡くなりその遺族とも話をつけたようで、その後メスナーはこの話を何度か書いている。13年程前に読んだ「ラインホルト・メスナー自伝(TBSブリタニカ)」を久しぶりに読めば、このとき既に詳しく書かれている。今比べると今回も核心部の記述はほとんど同じだ。メスナーはもう50冊も本を書いていて、この話はなんども触れられている。が、一応、1970年ナンガパルバット登山隊のメスナーによる山行記録としては一冊にまとまった本。あとがきによれば2001年頃、ドイツでまたこの「メスナーナンガパルバット論争」が蒸し返しで盛り上がったとのことで、それで出た本かも。それに映画化もされたので。日本では今年終盤に見られるらしい。

ヘルリヒコファーは、ナンガパルバットで伝説になったメルクルの義弟で、一貫してナンガパルバットを攻めた遠征プロモーターだが、本人はクライマーではない。1953年のヘルマン・ブールの初登頂の時にも遠征隊を率いたが、自主判断の単独アタックで英雄的に帰還したブールとやっぱりもめた。1980年代までのヒマラヤ遠征隊には、どこの国にもこういう人がいた。この時代までの傑出したクライマーたちはヘルリコファー的なものとのケンカ別れが一つのテーマだった。

ヘルリコファーとの確執はあまりに有名で、象徴的で、構図的な話題ではあるけれどもこの山行記録の真髄は弟の死を伴う彷徨体験ではなかろうか。


ラインホルト・メスナーがその後14座の快挙を成した超人になったのも、ギュンターを失い、飲まず食わずで一週間のこの体験が大きかったのではないか?この山行記録が他と違うのは、こどもの頃からザイルパートナーでつきあってきたギュンターと、ことばが無くても分かり合えるようなやりとりで高所にでかけ、下山してくる辺りのところ。高所と疲労による朦朧意識での記憶が、生きて帰れる自信に満ちているのが分かる。ただ、本当にいろんな事が悪く重なり、何かの成り行きで弟だけは死んでしまった。明らかに、メスナーにとっての苦悩は、いなくなってしまった弟との関わり方であって、ヘルリコファーや世間の醜聞ではない。

死者は、存在するのとは違った形で生きている者に強く働きかける。死者との付き合いの重要性は、その後の人生そのものであることもある。原真さんが弟を鹿島槍北壁で失ってから「山は私の人生の一部では無くなり人生のすべての問題を山を通して考える様になった」と述べていた。

Der nackte Berg.Nanga Parbat-Bruder,Tod und Einsamkeit
Rheinhold Messner 2002
 
 
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