ヘルベチアの外壁は,まさ,とよばれる鱗状の木の板で覆われていて,これが小屋本体の丸太を風雪から守る役割をはたしています.このまさのおかげで丸太は腐食したり傷ついたりすることなく保たれ,またヘルベチア独特の美しい外観を保ってきました.
2001.5.12撮影 クレオソートで塗られてしまった外壁のまさ
現在の外壁を覆っているまさは,昭和60年に行われた大改修の際に新しく貼り替えられた物です(このときに丸太の外側に板が外壁として張られたので,まさは丸太を保護する本来の意味を失いましたが,まさが醸し出すヘルベチア独特の外観を維持するためと丸太の外側の板を保護するために改修前と同様にまさが貼りつけられました).また,真新しいまさは色合いが明るいので,古い小屋の風味を損なってしまうため,やや暗めの色合いにするために褐色半透明の塗料が塗布されました.今までまさの色が褐色だったのは,けっして防腐剤が塗られていたからではないのです.
ところが,こうした知識がちゃんと現役に伝えられていなかったためか,まさの上に防腐剤を塗布してしまう,という事態が起きてしまいました.屋外で風雪にさらされる木材を腐食から防ぐために,鉄道のまくら木や空沼小屋の木材のように防腐剤がぬられている例はありますが,ヘルベチアのまさには本来はその必要はありません(テラスや露出部の丸太は別).古い小屋の風味を出すためにわざわざ褐色に塗布されていたものを防腐剤のことと勘違いしたのでしょうか?しかも,全体に塗布するならまだしも,下半分だけ,という中途半端なままで放置されたのです.
昨年秋には,こうして醜い姿となったヘルベチアを元にもどすべく,防腐剤を塗った部分にまさを上から新しく貼り付ける作業が行われたのですが,これもまさの不足ですべてを覆うには至らず,結果として,防腐剤が塗布された部分,真新しいまさを上貼りした部分,そして本来の褐色塗料が塗られているまさの部分,という三色まだら模様になって,さらに醜さを増す結果となってしまったのです(山の会会報の写真参照).
GWには,山の会会長らの手によって,昨秋に上貼りされたまさをはがすことと,防腐剤を灯油で洗い落とす作業が行われ,7月上旬には業者によって本格的な修復作業が行われ,現在では左の写真にあるような姿まで回復いたしました.今後も小屋を現地で末長く維持していくため,みなさまのご協力とご援助をお願いいたします.
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空沼小屋 2001.5.13撮影
小屋開きに来た現役によって,防腐剤が塗られていた.まだ乾いていなかったので,外壁に触ると手が真っ黒になった.
やはりあの森の中のロケーションにあって、ヘルベチアの存在感があるのだということを再確認することができました。
すてきなピクニックでした。小屋の外装もきれいになってこれからみんなも泊まりに来てくれることでしょう。
2001.8.26. 高篠 和憲 会員
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AACH-MLで吉田さんが紹介されていた本,丁度私も読んでいたところでした.ちょっと私も一言書きたい気分になったので,がらにもなく書評というか感想を記したいと思います.(澤柿)
大学に入って本格的に山登りを始めるようになった十代後半から二十代前半にかけて,山岳書をむさぼり読んだ時期がありました.それらは,自分が育ち,歩き,そしてこれから目指そうとして夢見る山々で繰り広げられてきた登山界の栄光と悲劇の記録です.ことに,槙 有恒のアルプス登攀,板倉勝宜の遭難,AACKの創立とヒマラヤへの夢,加藤文太郎の単独行,冠 松次郎の黒部川溯行記録など,日本のアルピニズムの草創期のヒーローとも言うべき人々の著書や記録に夢中になったものです.
あれから10年以上がたちましたが,つい最近,山渓から出版された「芦峅寺ものがたり」(鷹沢のり子 著)を読み,久しぶりに良書に巡り会ったという気分になりました.実は,本書の中に記されているエピソードは,学生のころにむさぼり読んだ多くの山岳書にすでに記されてきたものであり,単純に読み流してしまえば,ああこの話なら知っている,と思ってしまうようなものも多く含まれています.たとえよく知っている話が多くても,私が生まれ育った富山の故郷の先人たちの記録がつづられていることでもあり,私にとっては思い入れのしやすい本ではあることは確かです.しかし,私が格別の感想を抱いたのはそれだけではありません.
それは,本書が,芦峅寺の立山ガイドたちの記録を掘り起こすことで,すでに多くの山岳書で語り尽くされた物語の別の側面をみごとに語り出しているからです.今この本を読んで,英雄伝とも称される数々の登山の影で,地味にも頼もしい存在として立山登山を支えてきた芦峅寺のガイドの物語に触れ,新たな感動を覚えると共に,学生時代に感化された物語をもう一度別の面から楽しむことができました.
逆に,面白く刺激的な登山をしてみたいものだと志をいだいていた血気盛んなころは,故郷の立山や北海道を舞台に繰り広げられたヒーロー達の物語に士気をかきたてられましたが,それはある種のヒーローへの憧れでもあり,ガイドの雇い主であるいわば主人公としての視点で,あるいは主人公に自分を投影して読んでいたことになるんだなあ,と思い返すことにもなりました.この,主人公への共感から脇役への共感という,私の読み手としての感想のコントラストは,田舎から北大に来て登山に意気込んでいた若気の気持ちと,職に就き妻子を持つようになって故郷を思い返す今の気持ちとのコントラストにも相応するように思えてきます.
最近の現役は,古い話にあまり興味をもたないようだという話をよく聞きますが,学生のうちにまずオーソドックスな英雄伝や定番と呼ばれる古典を読んでおくといいと思います.そのうち,もう一度別の意味で物語を楽しませてくれる機会に巡り会うかもしれませんから.本書は逆に,そういうプロセスを経てから読んだほうがずっと楽しめる本だと思います.事実の物語には,ひととおりの語り口では著せないほどの多くの側面があるということなのでしょう.
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2月1日より狩勝峠から襟裳岬まで一人で日高全山縦走をするつもりです。
コイカクに一ヶ所後半分をデポしてあり、
前半21日、後半21日、計42日間で最終下山日は3月13日の予定です。
下山連絡は一緒に住んでいるフラテOB岡田さんとワンゲルOB品川君に
頼んでありますが、もし何かあれば連絡がいくかもしれませんがよろしくお願いします。
携帯でE-mailができるので(250文字までですが)、繋がる所では現在地確認のメール
を打つつもりです。
御心配おかけしますがよろしくお願いします。
現在地
Picture Information
USGSのGTOPO30(Global 30 Arc Second Elevation Data Set)のE140N90をデータとして,POV-Rayというソフトをつかって作成しました.
携帯電話メールで報告された経過
Date | Route & Camp | Note | Weather |
2000.2.1 | 狩勝峠から佐幌岳をアタック | 入山日 | いまいち |
2000.2.2 | オダッシュ山の3つ手前のポコ(co1020)手前co920のカンバ林 | 43kgの荷物 | ? |
2000.2.3 | オダッシュ山を越えて・928先のコルまで | 一日が終わるのがあっという間という感じ | ? |
2000.2.4 | 日勝峠まで | そろそろ疲れてきました | ? |
2000.2.5 | ペケレベツ岳を越えて・1337標高点まで | 予定より1日遅れ | ? |
2000.2.6 | 芽室岳乗越。芽室岳と・1633との間の池マークの所にテント | ピパイロ・1940・エサオマンが見えた やっと日高の稜線に上がったという感じ | 絶好の天気 |
2000.2.7 | ルベシベ分岐まで (・1395へのエスケープ尾根の頭から少し下ろした所に雪洞) | やはり雪洞が一番落ち着きます これからは乾電池で携帯電話 | ? |
2000.2.8 | ・1712まで(東の尾根をco1630まで下ろしてテント) | バリズボで予想外に苦労 | 悪天 |
2000.2.9 | 連絡なし |
2000.2.10朝 | 昨日(9日)は1940をのっこし・1856の先で雪洞を掘りました | | ? |
2000.2.10夕 | 視界が悪かったので停滞 | 連日の行動の疲れもあり休養 | ? |
2000.2.11 | 何とか北トッタベツまで進め西のコルに雪洞 | ちょっと焦って無理してしまい、かなりシビアな行動 | 強風・視界悪 |
2000.2.12 | 停滞 | | ビンビラのホワイトアウト |
2000.2.13 | 停滞 | とりあえず今は縦走を続けることより幌尻アタックに全力を注ぎたい | ビンビラのホワイトアウト |
2000.2.14 | 連絡なし |
2000.2.15朝 | 昨日幌尻アタックに成功 昨夜は・1803西のコルにテントで泊 今・1803の上 今日は神威北東尾根分岐まで行く予定 | 風雪の中ようやく出発から2週間目にして日高山脈最高峰の幌尻に立つ | 14日はあまり良くなかった |
2000.2.15夕 | 神威北東尾根分岐まで進み雪洞 | 前半残り6日になり、ここで縦走を続けるか、断念して下山するか判断。 明日行動できるならそのままコイカクまで行くつもり。 もし行動できないようなら下山することも考えられます。 | 朝のうちは天気が良 |
2000.2.16朝 | 停滞 | 冬型が強まりこの風・気温で日高の核心部に突っ込んでいけない。 明日、今日より風が弱まれば行くが、冬型がさらに強まるようなので多分駄目でしょう。 今後の気象情報を聞きながら最終判断をする。 | 晴れてはいるが、風が強く時折突風が吹き雪煙 |
2000.2.16夜 | 停滞 | いろいろ考えた末、やはり明日神威北東尾根を下山することにしました。日数的にも気持ちの上でも余裕がなくなってしまったので今回はこれであきらめ、来年また万全を期して続きに挑戦しようと思います。残念で情けないですが自分の未熟さを思い知りました。来年また頑張りたいと思います。
下山したらまた連絡します。 | ? |
2000.2.17 | 下山 | いろいろどうもありがとうございました。AACHの皆さんにも大変ご心配かけましたがよろしくお伝えください。 | ? |
ポロシリートッタベツ1
ポロシリ東カール
朝焼けのエサオマン
神威への稜線の観測器
神威への稜線の観測器
エサオマン北カール
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