ログイン   :: お問い合せ :: サイトマップ :: 新着情報 :: おしらせ :: 
 
 
メニュー
最新のエントリ
最近のコメント
  • 17年01月29日
    Re: これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部)...佐々木惠彦
  • 16年12月17日
    Re: ペテガリ冬季初登・72年前の今村さんのゲートル  米山悟(1984年入部)...やまね
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...米山
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...さわがき
  • 16年07月04日
    Re: 医学部戦没同窓生追悼式のご案内...AACH
  • 16年06月17日
    Re: 道新に今村昌耕会員の記事...AACH
  • 15年12月22日
    Re: おくやみ・谷口けい 米山悟(1984年入部)やま...すぎやま もちやす
  • 14年12月09日
    Re: 【書評】アルピニズムと死 山野井泰史 2014.11(米山悟1984年入部)...まっちゃん
  • 14年10月25日
    Re: 【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)...米山
  • 14年10月23日
    Re: 【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)...GG

書評・出版・ 2013年10月31日 (木)


2012年春、8000m峰14座を登った日本で初めての登山家竹内さんの、半生の自伝。以前書籍紹介した「初代・竹内洋岳に聞く」はまだ2009年5月にチョーオユーとダウラギリを残した時点での本だったけれど、ほぼ竹内洋岳を描ききっていた。厚い本だけどおもしろく、すぐ読めました。
https://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/AACHBlog/details.php?bid=629

今回はその14峰完登をうけての執筆で、前回聞き語りだった本ののエッセンスが自筆としてまとめられ、チョーオユーとダウラギリ以降の稿が書かれている。


8000m登山というジャンルはエネルギーを使う無駄な筋肉をつけないために
、特にトレーニングをしないという話、日常意識するのは歩き方だという点は興味深い。二本の足を交互に動かして前進する歩行術こそ、普段おろそかにしていて、奥が深いのではないかと常々思う。これは8000mに限らない。山登りは皆そうだと思う。

「登山は想像のスポーツです。頂上まで行って、自分の足で下りてくる。ただそのために、登山家はひたすら想像をめぐらします。無事に登頂する想像も大事ですが、うまく行かないことの想像も同じように大事です。死んでしまうという想像ができなければ、それを回避する手段も想像できません。私たち登山家は、どれだけ多くを想像できるかを競っているのです。」はとても大切なことばだと思った。

「街の中に潜む見えない危険」で、登下校中の小学生の列に車が突っ込むという事故がなぜ続くのかという話に、それは一列になって歩くから、前の子について歩くことばかり考えて、車を見なくなるからというある保育園のプロの仮説を紹介。「他者から管理されることによって、察知したり、回避したりする力が使われなくなってしまうことがあるのではないか・・・」というくだりに強く共感した。山登りで最も危機感覚を磨けるのは、頼れる人がいない、そして登山道や山小屋の無い、全く管理されていない山中ではなかろうか。

表題の哲学という言葉は大袈裟だと本人も書いているし、僕も始めそう思ったけど、「危険」と「想像」と「歩行術」に関する思索は哲学といえると思いました。

前回も書いたが、山に登りたいという気持ちから手を挙げ先輩について行き、経験を積んで誘われる友人との出会いも生かして歩いてきた気負わないけどぶれていない姿勢を読み取った。このペースの竹内さんだからできたことではないかと云う気がする。

14座とか100名山とか90歳とか、メディアに出やすい数字に、山登りに熱心な人ほどそれほど感じないと思う。そうは言ってもね、8000mの山を死なずに14も登って帰ってくるなんて、やはりこれはなかなかできません。歴史を知っていれば、それに一度でも8000mに行ってみれば。それは本当にそう思う。

書評・出版・ 2013年4月10日 (水)


図書館には絶版になっていた本がたくさんあります。
冠松次郎と云えば今世紀初頭に黒部川を歩きまわり、名著もたくさん。黒部好きなら大好きな登山家ですが、なんと富士山の本も書いていました。山麓の甲府に来ると、こういう本が見つかります。昭和23年の版。厳冬期含め四季を通じ登っていて、どのルートも書いていて、山麓の風物も紹介している。全くよく歩いています。


「富士山は眺むべき山で登る山ではないと云ふてこれに登らず、その遠景を見て満足してゐる者は眞の自然愛好者と云ふ譯には行かない。」
「富士山を眺めてその實體に觸れず、而して富士山の景觀を語らんとすることは難い。あの豪壯荒涼たる風象に接して、さて飜ってこれを顧みその縹渺とした姿を描くところに、兩端を盡したる喜びがある。その山の實體に觸れず、委曲に接せずして山に親しむと云ふことはありえないのである。」
山登りが好きで好きで、どうしても書いてしまいたくて書いたような、こういう本が大好きだ。山の古い本は、輝きがあせない。
子供二人との8月末の山行記録で
「八合目の小舍についたのは午近い頃で、持參した飯盒の飯を茶碗に分けて澁茶をかけ、ツクダニと福神漬とで腹いっぱい押し込んだら、子供たちは忽ち元氣を盛り返した。」富士登山、お茶碗持っていったんかー。
1943(昭和18)年の元旦に、もう少し大きくなった息子と御殿場ルートから砂礫を飛ばすつむじ風を突いて山頂アタックしています。1883年生まれだから60歳。戦争中だけど、このころまではまだ国民は戦争に負けると思ってなくて、本土が焦土になるなんて予想していなかった。原発事故から2年たったちょうど今頃は似ているかもしれません。山岳部のペテガリ初登もちょうどこの月のこと。
「それにしても、何と云ふすばらしい氣持なのだ。あの廣大な裾野を上り、氷壁のやうな山體を、ひと足ひと足に刻みながら、今この頂に上りついて、我を繞る浩蕩たる山川風物の大觀に接した氣持ちは。私たちにでも、この高嶺は、この嚴冬の眞中に、雪の衾を延べ、氷の扉を開いて、水晶宮のやうな燦蓮としたうてなに迎へてくれるのだ。」

なくなった登山道、村山道と須山道についても歩いたうえで書いています。
お中道も、山麓も、それに周縁の山の山行も。良い本を見つけました。

水晶宮のやうな燦蓮とした『うてな』・・・。

こんな古書の書評を書いても誰も読めませんが図書館などにはあるかもしれません。

書評・出版・ 2011年9月15日 (木)

今号、寄稿しました。またルームや北海道などゆかりの人の記事が多かったので紹介します。

書評・出版・ 2011年7月11日 (月)


坂本直行 はるかなるヒマラヤ 自伝と紀行
編集 高澤光雄
2011年7月
北海道出版企画センター
http://www.h-ppc.com/single.php?code=366



坂本直行氏の1967年のヒマラヤ山麓スケッチ旅行の紀行「はるかなるヒマラヤ」、それに自伝「山と絵と百姓と」を中心にまとめた。どれも限られた読者媒体で以前連載されたもの。生前本人が本としての出版を楽しみにしていたとのことで、氏と交流の深い北海道登山史研究家・高澤氏による編集。
「原野から見た山」、「雪原のあしあと」など代表的な画文集で触れられていない直行さんの生い立ちから山岳部時代のことなどが詳しい。長男、登氏による直行さん通史「日高のいごっそう坂本直行伝」も収録。

書評・出版・ 2011年6月7日 (火)

高澤光雄さんは北海道登山史家。その黎明期を知る人物たちとの直接の交流、そこから受けた啓発により、埋もれた山登りの記録の丁寧な発掘、読み込みで、独自のテーマで道内の山の歴史をまとめてきました。これまで「山書研究」 やあちこちに興味深いテーマで小文を発表してきた。あまり出回る本としてはこれまでにまだまとまっていなかったので、今回が初めての待望の一冊です。先ごろ「北海道の登山史」という本の紹介もしましたが、こちらはそれに「探究」がつく深煎り本です。高澤さんの探究ワークをご覧ください。

書評・出版・ 2011年5月20日 (金)


裸の山 ナンガ・パルバット
山と渓谷社2010年

書評・出版・ 2011年4月1日 (金)


ニセコの新谷さんの4冊目の本。新谷さんはニセコでエリア外滑降の安全と自由のため20年間働いてきた知床シーカヤッカー。という説明では、知らないと意味不明かもしれないけどまあ皆さん知っているでしょう。タイトルの「骨鬼(くい)」は13世紀、元代のアムール川畔で、モンゴル族と戦ったアイヌと思われる北海道人のこと。アリューシャン、知床と関わってきたから思い至った、北海道先住天然人たちへのあこがれの本、と読みました。

書評・出版・ 2011年3月26日 (土)

岳人4月号p94
岳人に連載中の、ニセコの新谷さんの記事。カンダハーとバンドシール、イグルーで登る北海道の山登りに触れている。
「カンダハーの時代、私たちはスキーを履いたままでシールを脱着した。重荷を担いでいると容易ではないが、その技術の習得に努力した。」
「貼り付けシールは脱着に時間がかかり、そのたびいちいちスキーを外さなければならない。私にはそれが時間の無駄に思えた」
「シンプルな道具は行動半径を広げる。またトラブルへの対処も容易だ。それは登山の安全性を高めることにもつながる。」
「テレマークにしても山スキーにしても、今日の道具は過剰に立派すぎる。カービングスキーはかたい斜面でのトラバースがしづらく、スキー登山には適していない。」
「(80年代後半)友人たちに、山スキーは古いからテレマークにしろ、と強く勧められた。しかしテレマークでは登山靴を履けない。私はカンダハーと登山靴にこだわり続けた。」
「装備は素晴らしく進化した。しかし、現代の登山家やスキー登山家の行動は画一的に思える。そして昔に比べ、行動範囲はむしろ狭まっているような気がする。」
「雪洞は大雪山のような平坦な地形が続く山には適さない。雪洞に適した雪庇地形は大抵、崖の上にある。吹雪の中でそんな場所を探すのは危険だ。だからイグルーを作った。」

現役および山の会のみなさん。90年代以降、新品の装備を手にして画一的なルートしか行かないようになっていませんか?「滑りを楽しむ」とかなんとか言ってないで、「誰も行かないようなルートを延々スキーで踏破して楽しむ」とか、ガソリン使わずに「駅から駅まで山超えで、アプローチ含めてスキーで貫徹を楽しむ」とかいう山行計画は、シンプルな装備でないと発想できないものかもしれません。日本も変わり目です。高級な道具に縛られた、不自由な山登りのくびきを解き放ちましょう。

同じ岳人4月号のp182には同じく探検部出身の沢ッチョの連載で山岳スキー競技の勧めの記事があり、こちらにはワンタッチで着脱可能なシール(粘着式)の紹介もあります。こっちの記事の趣旨は、道具は手製で工夫して改良しよう、というものです。

北海道系記事ではありませんが、成瀬さんの大滝巡礼(立山のハンノキ滝)と、和田さんの剱沢幻視考は必読。池田氏の「現代アルピニズムのクロニクル」のミニャコンカ山群のグローヴナー北西壁とエドガー東壁は美しさにしびれた。ルート名は「無人地帯に咲いた薔薇」

書評・出版・ 2011年3月5日 (土)


竹内洋岳氏は、14ある8000m峰を完登しそうな初の日本人登山家。2007年G2で、雪崩で死にかけて、書き残しておきたいと思い、この本を出したという。 90年代に大学山岳部でヒマラヤを始め、誘いの声には即答で「行きます」と答え、やるべき事を積み重ね、歩んだ二十年間。極地法登山の一員から個人速攻登山へと脱皮し、経験と実力を積み重ねて続けて来た様が、語り口調でよくわかる。周囲の人たちとの関係や、どう身を置いて来たかなどがよく語られる。自伝ではなく、聞き書きインタビューという手法で、人柄が余すことなくわかる本。

書評・出版・ 2010年12月6日 (月)


北海道の登山史
安田治
北海道新聞社
2010.12
本の装丁は20年前の大学の火山岩石学か何かの教科書風。中身もずばり、ありそうでなかった北海道登山史の教科書。あとがきを読むと、労山の登山史学習会の資料が元になっているとのことで納得。北海道外、中部山岳での山岳史もその都度同時代を触れていて北海道の立ち位置がわかり、ここが肝腎なところだ。教科書好き、検定受験本好きの方むきの面あります。道民登山家は買い置くべし。
 
 
Copyright © 1996-2020 Academic Alpine Club of Hokkaido