現役の報告・ 2008年2月15日 (金)
OBの山行記録・ 2008年2月12日 (火)
【ルート】ノルマル
【年月日】2008.02.09-11(3-0)
【メンバー】田戸岡尚樹(’99年入部)
毎年恒例(?)の「サラリーマンの山ごもり」ですが,今年は日高に行ってきました。
予定していたエサオマンはカットしましたが,もうお腹一杯に満足して帰って来ました。
これであと一年間はまじめなサラリーマンを続けられます。。。
写真はこれから現像に出しに行きますがポジなので週末くらいになります。
以下,簡易版にまとめた記録です。
OBの山行記録・ 2008年2月12日 (火)
【ルート】乙部岳東尾根往復
【年月日】2008.2.10-11
【メンバ】米山悟(84年入部)、斉藤清克(87年入部)
【時間】
2月10日:清水沢林道始まり(11:40)→岳の沢二股(14:00)→東尾根末端附近C1(15:00)
2月11日:C1(7:10)→山頂(11:30-40)→C1(13:10-40)→林道入り口(15:45)
乙部岳は道南で指折りの千m峰で、風格もあるよい山だが山頂に雨量計レーダーが立っていて、夏はそこまで車道まである野暮な山だ。夏道のある西面とは反対の東面(厚沢部側)は急傾斜で切れ落ち、乙部岳の最も美しい肖像だと思う。この東面を山頂に直接突き上げる東尾根を、末端からアタックした。おそらく初登。
OBの山行記録・ 2008年2月6日 (水)
大渚山(1566.3m)
●2008年1月27日(日) (1ー0)
【ルート】
小谷温泉山田旅館=鎌池=湯峠=大渚山
【メンバ】
L:石橋兄(AACH1982)、M:清原ババア(AACH1986)、山森(AACH1986)
●2008年1月27日(日) (1ー0)
【ルート】
小谷温泉山田旅館=鎌池=湯峠=大渚山
【メンバ】
L:石橋兄(AACH1982)、M:清原ババア(AACH1986)、山森(AACH1986)
OBの山行記録・ 2008年2月6日 (水)
鵯峰のコル(1870m)
●2008年1月26日(土) (1ー0)
【ルート】
栂池高原スキー場→早大小屋→鵯峰のコル→(北面大滑降)→1598mポコ→(東面大滑降)→白馬乗鞍スキー場
【メンバ】
L:石橋兄(AACH1982)、M:清原ババア(AACH1986)、山森(AACH1986)
●2008年1月26日(土) (1ー0)
【ルート】
栂池高原スキー場→早大小屋→鵯峰のコル→(北面大滑降)→1598mポコ→(東面大滑降)→白馬乗鞍スキー場
【メンバ】
L:石橋兄(AACH1982)、M:清原ババア(AACH1986)、山森(AACH1986)
記事・消息・ 2008年2月1日 (金)
1月27日(日)JR京都駅前ホテルセントノーム京都にて
参加者(敬称略)
駒田、原、(吉田勝)、神戸、高橋(昭)、田中(英)、内藤、渡辺(尚)、伏見、益田、川道、須田、名越、石松、岡島、岸本 計16名
参加者(敬称略)
駒田、原、(吉田勝)、神戸、高橋(昭)、田中(英)、内藤、渡辺(尚)、伏見、益田、川道、須田、名越、石松、岡島、岸本 計16名
部報解説・ 2008年1月25日 (金)
部報7号の後半は、総て追悼文集である。卒業後の故人二名、1938(昭和13)年12月上ホロ雪崩遭難の二名、1940(昭和15)年1月ペテガリを目指したコイカク沢の雪崩遭難の8名で、あわせて計12名の追悼13題。二年にわたって雪崩遭難を起こし、冬季の沢ルートの行動が見直されていく転換点になった。ルームの中核、有馬(兄)と葛西をはじめ、上級部員を多く失ったが当時は部員がたくさん居た。生還した橋本、兄と友人を失った有馬(弟)の追悼文がある。戦前最後の部報である。(敬称略)
追悼
故島村光太郎君の追憶 櫻井勝壽
徳さんを憶ふ 相川修
憶ひ出 本野正一
追憶 朝比奈英三
徳さんの憶ひ出 橋本巌
有馬洋 福地宏平
追憶 湊正雄
戸倉君を憶ふ 林和夫
清水誠吉君を憶ふ 有馬純
近藤達君 橋本誠二
追悼 倉林正尚
羽田君 新美長夫
渡邉盛達君を憶ふ 塩月陽一
OBの山行記録・ 2008年1月20日 (日)
【年月日】2008年1月19、20日
【メンバ】清野啓介(76)、米山悟(84)、斉藤清克(87)
【ルート】雷電海岸の2ルンゼと1ルンゼ
上州沼田から出張でやって来て仕事をあっという間に終わらせたスーパーOBを迎え、雷電海岸でアイス合宿をした。卒業20年近くにしてもセンパイに先端技術を教えてもらえるなんて最高のクラブです。現場近くの雷電温泉ではごちそうもそこそこにひたすらヤスリがけの稽古。本日も吹雪で氷点下の北海道、キチガイ三勇士です。