コッヘルは丸いもの
北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
これは小生の失敗談である。入部して二年もすると山の道具は大分揃ってくる。こうなると、もっと便利なものはつくれないものか思ったり改造してみたいと思うのも当然だろう。
こんな時に思いついたのがコッヘルの改良である。コッヘルは積雪期には必需品だったが丸いのでパッキングはとても不都合だと思っていた。多人数の場合には大型のものを使うので横から見ると長方形なのでそれ程でもないが、少人数用のものは鍋底が小さくなっていて横から見ると三角の台形でバランスが悪い。小型ではあるがキスリングのザイテンには入らない程の直径なのでルックの中に入れるとゴロゴロしてバランスが悪い。夏山で炊いた飯の入った飯盒はそのまま蓋を上にしてザイテンに入れればよい。そこで、四角なコッヘルを作ってみた。工作は意外と簡単でアルマイトの弁当箱三つでできた。一番外側には、二食弁当という所謂ドカタ弁当を使い、大きさが真中の物は底を切り取って周りに孔をあけて五徳にし、それよりは少し小さいのをズッペ用の鍋にして一番大きな蓋はフライパンになった。三つ重ねると立派なコッヘル。四角なので、きっちりとパッキングできた。
単独行にはもってこいだと思い、ヘルベチアヒュッテから朝里岳を横ぎって余市岳あたりに雪洞を掘って一泊して定山渓へ抜けてみようと考えていた。しかし、この話を聞いた石谷邦次君通称バスコムが同行することになった。二人なら余市岳の肩で豪勢なイグルーが作れる、という訳で銭函でハムやソーセージを沢山買い込んでいった。天候は快晴、イグルーも立派なものができた。さてコッヘンを始めるとアルコールランプはよく燃えたが四角なコッヘルは四隅に火がよく回らないせいか隅のほうはメッコになってしまった。豪勢に買い込んだハムやソーセージがあったおかげで蓋をフライパンにして辛うじて夕食の腹は満たすことができたが、食後これを洗う段になると、雪山での少ない水では隅の方は綺麗にならない。続けて使うには不衛生と知る。翌日はメッコ飯でのお粥の様な物を作って食べ、空き腹ながら白井川から定山渓駅に着いたまではよかったのだが、ここにも誤算があった。定山渓鉄道すなわち定鉄は当時、豊平駅経由で苗穂が終点だったが、月初めに値上げがあって、ギリギリ一杯に残した電車賃では三十円程足りなくて、石切山駅まで。目一杯まで買ったソーセージなどを恨むわけにもゆかず駅前交番で百円借りて帰る羽目になった。後で知ったことだが石谷君はちょっと余分の金をもっていたらしい。すました顔をしていた彼はYashiがどうするのか見たかったのだという噂だった。やはり彼はあだ名の示すように悪漢バスコムだった。それは、さておき本題のコッヘルは丸くなくてはいけないものだと思い知らされた。
それもその筈である。人間は有史以来、丸い鍋を使っていたではないか。
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【年月日】2007.12.24
【メンバ】齋藤清克(87)、石川やんけ(87)
【時 間】:W-V岩壁基部(10:00)中央カンテ右側の凹角登攀(10:30〜12:30)尾根上(14:00)終日小雪時々晴れ、気温-5℃。

【記録】:
手稲山南斜面にはWーI〜Vと呼ばれる岩壁群が西側からほぼ同標高上に並んでいて、中で最も大きい岩壁がWーVのようだ。標高差60m〜80m、中央にあるカンテが良く目立つ。無雪期はこの中央カンテ周辺が岩も硬くて快調そう。クラックとチムニーのラインが数本縦に走っているが、あまり登られていないようだ。今回は中央カンテのさらに東側にある広い凹角の右側のラインを登った(古い「北海道の山と谷」には右下チムニーとあった)。クロモリのハーケン8枚、キャメロット#0.5、#0.75各1、肉厚アイスハーケン1枚使用。中間部は人工登攀に終始した。残置ハーケンが2,3見られたが、いずれも根元から腐りかけていた。1ピッチ25m伸ばし、岩壁中段の立ち木でビレイ。その上部は緩傾斜の雪の斜面と3級上のフェイスが20〜30mほどつづいていた。今回はセカンドの石川ヤンケが山スキー兼用靴で挑んだが、取り付きからすぐに腕力を消耗してギブアップ。再びルート上を懸垂下降して終了した。

積雪期のアプローチはテイネハイランドスキー場のパノラマ1号リフトの中間付近からトラバースして岩壁上の尾根に出るのが良いと思う。
写真1 中央カンテ上部
写真2 凹角を抜けた上部壁
写真3 凹角核心部 下降時に撮影
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天狗原(2200m)

●2007年12月22日(土)(1ー0)
【ルート】 栂池高原スキー場=(成城大学小屋)=天狗原
※白馬乗鞍岳の先の船越ノ頭まで行く計画であったが、悪天候のため天狗原で引返し。
【メンバ】 L:塚田(長野在住の山スキー愛好家)、M:山森(AACH1986入部)
12月下旬〜1月上旬(行動5日-停滞予備3日)
L勝亦(5 AL澤田(4 M田中宏(2
<時間とルート>
1日目:札内ダム(1h)ヒュッテ(3.5h)七の沢出合(4h)・1227付近=C1
札内ダムのゲートから林道を七の沢出合まで。・1227付近でC1。
2日目:C1(4h)Co1650コル付近=C2
C1からは南側に小雪庇が出ることもあるが、問題ない。・1660ポコは岩が出ているので北側を行く。Co1650コル付近でC2。カンバ剛毛。
3日目:C2(1h)・1807(3.5h)1823m峰(3h)C2=C3
・1807までの登りは急だがカンバ密。そこから23峰アタック。・1807からの下りは岩稜が4,5箇所ある。西側を捲く。Co1560最低コルはリンゴ畑。・1737への登りは急。23峰からは来た道。
4日目:C3(1h)・1807(1h)ピラミッド峰(2.5h)カムエク(1h)左岸尾根頭(1.5h)左岸尾根Co1600付近=C4
・1807からはナイフリッジ。ピラミッド峰からの下りは2,3箇所岩の出たバックステップの急な下りがある。Co1880〜1919付近の岩稜は西側を捲く。カムエクを越え、Co1900〜1880は南側に小雪庇出るかも。左岸尾根頭から・1903間にある岩稜は捲ける。K.L.1700。Co1600付近でC4。
5日目:C4(2.5h)左岸尾根末端(2h)七の沢出合(4.5h)札内ダム
尾根末端から七の沢出合までは何度も渡渉。そこからは林道を札内ダムまで。
<天気・停滞・進め方>
冬型でもわりと条件が良い。高気圧のヘリではガスる事もあり。圏内では晴れ。南岸が本州沖にあれば晴れるが、北海道に近づくにつれて、荒れる。停滞は3日。風はふられない程度で、視界は2〜300で行動する。天場着15:00、最終下山18:00。
<パーティ>
Ls:ルート、天気、M判断。
M:アイゼンワーク、口出し、緊張感。
<装備>
冬テン 無線 ツェルト ノコ2 スノーソー ろうそく 無線 鍋 茶食器 DF ロープ9mm40m 他スノーシューストック含む冬山個人装備
<準備山行>
1. NPRから十勝往復
2. 旭岳東尾根→熊ヶ岳→黒岳→層雲峡
3. 川上岳南東稜Co1520引き返し
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2007/12/24〜2008/1/3(行動6日-停滞予備5日)
L:平塚(4 AL:澤田→寺尾(4(途中で交代) M:小池 田中 野沢(1
<時間とルート>
1日目 北見峠(1.5h)電波塔(1h)Co.1030=C1
北見峠から林道を使い電波塔までいく。その後、三点鎖線上をCo.1030付近まで。タンネ限界Co1100。夏テンで泊まれそうなら少し上まで上げるかも。
2日目 C1(1.5h)チトカニ(5h)・1091(1h)・972先コル=C2
C1から三点鎖線上をチトカニまで。カンバ限界Co.1330。ピークまでスキーでいけるが、カンバ限界付近から一部シーズリするかも。チトカニはピーク周辺のみ白い。その後は北側にブッシュでている。東側は切れているので注意していく。雪庇出るかも。Co1150付近から樺帯。・972手前は北に小セッピ、樹林帯内なので問題ない。・972先コルでC2。・1091付近冬テンで泊まっている記録ある。低気圧の通過でなければ泊まれる。次の日の天気次第ではそのあたり泊まる方針で進める可能性あり。
3日目 C2(1h)林道(1h)浮島=C3
C2から磁石きって、林道を経て浮島まで。林道上の小屋でAL入れ替え。浮島でC3。南へ旧道を行き国道へ。
4日目 C3(3h)笠山分岐(4h)・1186尾根頭(0.5h)Co.1060=C4
・1103から先北に雪庇。Co.1100から木がなくなり台地上は白いがパヤパヤしている。・1179までは台地脇の斜面には雪庇が入っている所も。天幕山への尾根上樹林内泊まれる。・1186頭はカンバしっかり。タンネ限界Co.1000〜1100。頭から少しおろし、Co.1060でC4。もっと上で泊まれそうならそこで泊まる。
5日目 C4(0.5h)・1186尾根頭(2.5h)天塩(1h)前天塩(1h)天塩(2h)C4=C5
C4から尾根頭まで上がり、天塩岳へ。天塩まで条件が良ければスキーでいける事もある。カンバ限界Co1400。適当な所でEP。シーデポかシートラかは現地判断。天塩、前天塩間の稜線は東側に雪庇でる。来た道を戻ってC5。
6日目 C5(3h)尾根末端(4h)国道
下る尾根はスキー快調らしい。渡渉はスノーブリッジで。林道を歩いて下山、林道雪崩はあまり心配ない。
<天気停滞進め方>
停滞日5日。チトカニのっこしに2日、台地に2日、天塩アタックに1日。残り日数2日でのっこす、のっこせない場合のエスケープは国道へ下山。AL交代、エスケープ:国道(3h)浮島(1.5h)国道。チトカニで3停滞した場合は下山してAL交代後再入山。その場合(4-2)か食料補充して(4-3)で入る。どっちかは連絡する。AL交代の最終下山は入山6日目の16時。林道上の小屋で携帯が通じる場合はALがその日に下山する旨を下山連絡者に伝える。
天気周期は2日良くて2日悪い。H圏内、Lの前面、ゆるい冬型で動ける。
のっこしの風気温は気にならない程度。
視界はチトカニ、台地、天塩に2〜300以上持って行く。樹林内は全天。
天場着15:00、最終下山15:30。
・AL交代に関して C1から寺尾にメールで連絡する。寺尾が連絡を受け取れない場合は、メールが通じないと判断し、天気を見つつ浮島までアプローチする。あえない場合は、アプローチを繰り返す。
<パーティー>
Ls: 天気判断、M判断
M: しっかり歩く
<装備>
夏天 のこ3 鍋 茶食器 DF 灯油120ml/人・日 ろうそく 無線 スキー修理具 アイゼン修理具 他スキー・ストック・EP含む冬山個装
<これまでの準山>
1回目 11/3.4 旭岳Co1700引き返し…冬山生活技術習得
2回目 11/17 十勝岳At スキー登降・EP・長時間行動経験(M1野沢不在)
3回目 12/8 D尾根〜H引き返し EP・シートラ経験
4回目 12/15.16 無意根手前Co1220引き返し Lとの合わせ
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2007年12月8日(1ー0)
L澤田(4 AL寺尾(4 M1小池 田中省 野沢(1
冬1年班準備山行3回目
<時間とルート>
十勝岳温泉(6:45)新D(9:00)H(11:40)十勝岳温泉(15:40)
温泉から渡渉し、尾根末端からD尾根に上がる。M苦戦。化物岩をまいて右側の尾根から行く。H手前はLsが下についていった。三峰を目指すも100m程行ったところで視界悪く引き返し。Hからの下りで1年目にBSを教える。ここもLs下につく。帰りは化物岩の上を通る尾根から帰った。
<パーティー>
1年班準山2〜3回目 シートラ出来た
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先週の80周年記念会で配られた力作です。山岳部以前のスキー部時代、1919年(大正8年)からの貴重な写真が338点。2005年から始められた山岳部画像アーカイブス事業では、埋もれたOBの写真を収集してきました。将来は8000点強が会員に閲覧出来るようになるとのこと。ひとまずインクジェットの手作りプリントではありますが、なかなかの出来です。画像収集整理、人物、場所を同定してのキャプション入力と、中村晴彦OB始め関係者の苦労の賜物であります。二年前にでた「目で見る日本登山史(山と渓谷社)」北大山岳部版という感じです。

大正9年十勝岳冬季初登の現場写真です。一番左は加納一郎氏。松川五郎氏など、山岳部草創期の面々です。山岳帽にゲートル。上着のスタイルは様々ですが古い背広を直して使っている人もいます。ピッケルもストックも長いです。

こちらは昭和12年ベチア祭り、神威岳冬季初登などの写真です。ペテガリの冬季初登を目指し、何度かアタックをかけている時代です。有馬洋氏、中野征紀氏、葛西晴雄氏、今村昌耕氏らの、格好をつけていない写真があります。このころからは写真機を使う部員が、くだけた写真もよく撮るようになったようです。

昭和14年暮れ、ペテガリ入山の日。馬そりに乗っての入山です。この面々のうち8名が雪崩で帰りませんでした。足の裏のペタペタは、鋲のカバーでしょうか。

昭和35年冬季カムエク集中。ペテガリからとポロシリからの隊がカムエクを目指す。サポート隊入れて8隊、45人。部員が最も多い時代の大作戦です。編み上げのオーバーシューズにチェックのウールシャツ。山岳帽は毛糸の帽子に変わってきています。ザックはみんな、重そうで凍りそうなキスリングです。尚、この時代の夏の写真はほとんどみんなハンチング(鳥撃ち帽)です。

昭和55年中ノ川→神威岳の山行。白黒写真最後の世代。写真がキマッています。きっと末武カメラマンでしょう。メットにジャージで直登沢。今に通じるスタイルですが、背中のピッケルは相当長いですね。
装備や装束の変遷がとても興味深かったのですが、山並みの姿は今も昔も変わらず、登場する青年達の愉快そうな表情も80年前と変わりません。今はオッサンや老人になっている皆さんの青春写真が満載です。
余談・戦前から昭和30年頃までみんながかぶっていた山岳帽に興味を持ち、先日知り合いの帽子屋さんに頼んで作ってもらいました。耳当て頬当てが、上から下ろせて、いよいよとなったらあごの下でとめられるものです。帽子屋さんも懐かしがっていました(函館・赤帽子屋
http://www.hakodate-town.com/mypage/ha017377)。
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2007年12月1-2日(2ー0) L勝亦(5 AL澤田(4 M田中宏(2
冬二年班準備山行3回目
<時間とルート>
1日:二十一の沢出合(7:30)ー岩間温泉(8:05)ーCo1520=C1(12:00)
曇りのち雪。風。車で送ってもらい二十一の沢出合でC0。岩間温泉手前の渡渉はスノーシューで転石か一本橋。温泉から適当に上がっていく。Co1250くらいから岩が数ヶ所。ブッシュをつかんでこえたり、捲いたり。少し上まで行ったが戻ってCo1520付近でC1。夜、谷が通過。
2日:C1(8:30)ー岩間温泉(10:00ー25)ー十勝三股(12:55)
冬型。山はガス、下は晴れ。風。来た道を戻る。
<パーティー>
二年班準山3回目。スノーシューの登下降できた。
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若手OB隊がネパールのトレッキングピーク(お金のかからない山)で、そこそこ難しいルートに挑んでいます。標高6000m台は「弱い体質でなければ大丈夫」な高さ。登攀に専念です。(米山)
【ルート】
ロブジェ東峰東面:Lobuje East(6119m)/East Face Couloir,East Ridge
クスムカングル北面:Kusum Kangru(6367m)/North Face,North Ridge
【メンバ】
山下晋(97)、三木栄治(2000)、白石淳也(2001)、平塚雄太(2004)
【日 程】
今、登山中。
↓山下君のブログで時々報告があります。↓
http://backcountry.kitaguni.tv/
冬2年班準備山行3回目天気を見てどちらかの計画で行く。
2007年12月1-4日(3-0-1)
原始ヶ原→境山南西稜→D尾根→十勝岳温泉
L勝亦(5 AL澤田(4 M田中宏(2
<時間>
べべルイ(6h)・1083(1.5h)シーソラプチ川Co1060付近=C1
(3h)K1(3h)境山(1.5h)上ホロ(0.5h)八手のコル=C2
(1.5h)十勝岳温泉
<ルート>
1日目。べべルイから林道、夏道上を行き、三の沢はCo1050付近で渡渉。湿原をつないで・1083経由でシーソラプチ川Co1060付近まで行きC1。Hスロープ滑るかも。
2日目。K1(Co1620)から南西に伸びる尾根を登るか、一本東の尾根(Hスロープ)から登る。K.L.=Co1500付近。K1はただのポコ。K2はリッジ状。上を行くか捲く。K3はただのポコ。K4は頭付近に岩があるがたいしたことはなさそう。境山から、上ホロ、H経由で八手のコルへ行きイグルーC2。
3日目。D尾根を末端まで下り、十勝岳温泉まで。
<進め方>
2日目の天気読んで入る。C2をK.L.からK1付近に設け、三日目にのっこす場合もある。最終日のっこしなし。引き返し用に予備日1日持つ。のっこしの風は振られない程度。視界は2〜300。天場着15:00。下山14:30。
<パーティー>
2年班準山3回目 目的は総合力
L-s:判断全般
M:緊張感 口出し
<装備>
冬テン 無線 ツェルト ノコ2 スノーソー ろうそく 無線 鍋茶食器 DF スキー修理具 ロープ9mm40m 他スキーストック含む冬山個人装備
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2007年12月1-3日(3-0)
十勝三股→川上岳南東稜→石狩岳→第三尾根→十勝三股
L勝亦(5 AL澤田(4 M田中宏(2
<時間>
十勝三股(4h)岩間温泉(4h)Co1550付近=C1
(3h)川上岳(1.5h)石狩岳(1h)第三尾根頭(1h)音更山(0.5h)第三尾根頭(1h)Co1600=C2
(3.5h)二十一の沢(3h)十勝三股
<ルート>
十勝三股から林道を行く。岩間温泉手前で渡渉し適当な所から川上岳(・1894)から南東に伸びる尾根を登る。たぶん未踏。Co1650〜1750付近は岩稜。川上岳から石狩岳南峰までは夏道がわかることが多い。南峰からすぐに急な段差がある。北峰からの下りは少し急。第三尾根頭は上部急だがカンバがある。下り口雪庇、雪崩注意。Co1600付近でC2。尾根を下り、シュナイダーコースの夏道付近で二十一の沢右股沢を渡渉。後は夏道、林道を十勝三股まで。
<進め方>
川上岳南東稜が明らかに無理そうならJ.P.南東稜を登る。岩間温泉(5h)J.P.南東尾根頭=Ω1(1.5h)川上岳
のっこしの視界は2〜300。風は振られないくらい。天場着15:00。下山16:00。
<パーティー>
2年班準山3回目 目的は総合力
L-s:判断全般
M:緊張感 口出し
<装備>
冬テン 無線 ツェルト ノコ2 スノーソー ろうそく 無線 鍋茶食器 DF ロープ9mm40m 他スノーシューストック含む冬山個人装備
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