現役の報告・ 2007年10月20日 (土)
9月13〜14(2ー0) メナシュンベツ〜十勝岳〜楽古岳
L澤田(4 AL馬詰(7 M田中省 小池(1
<時間とルート>
1日目 曇り・ガス。楽古山荘(6:40)〜Co530二股(7:40〜8:00)〜十勝岳(11:00)〜Co530二股=C1(14:00)
山荘から左岸の林道跡を辿り、適当な所から入渓しCo530 二股まで。十勝岳へ上がる沢は、Co900に2段のF。中行ける。その後、十勝岳直登を狙うが、ブッシュがうざそうなのでやめて、南西の肩に上がる沢を詰める。少々藪を漕いでピークへ。ピークからは東の肩へ降りて沢に戻る。こちら側は藪漕ぎなし。2段のFは右岸を降りる。Co530二股のすぐ下流でC1。
2日目 晴ときどき曇り。C1(6:45)〜楽古岳(10:00〜10:40)〜楽古山荘(12:40)
Co780までは河原と小F。Co600、10mのFは右岸まく。それ以外は中。Co780からCo1100までナメ滝や小滝が続く。中行ける。快調。その後ガレを歩いて藪漕ぎ無しでピークへ。ピークからは夏道で楽古山荘へ下山。快適な沢を楽しめた。
L澤田(4 AL馬詰(7 M田中省 小池(1
<時間とルート>
1日目 曇り・ガス。楽古山荘(6:40)〜Co530二股(7:40〜8:00)〜十勝岳(11:00)〜Co530二股=C1(14:00)
山荘から左岸の林道跡を辿り、適当な所から入渓しCo530 二股まで。十勝岳へ上がる沢は、Co900に2段のF。中行ける。その後、十勝岳直登を狙うが、ブッシュがうざそうなのでやめて、南西の肩に上がる沢を詰める。少々藪を漕いでピークへ。ピークからは東の肩へ降りて沢に戻る。こちら側は藪漕ぎなし。2段のFは右岸を降りる。Co530二股のすぐ下流でC1。
2日目 晴ときどき曇り。C1(6:45)〜楽古岳(10:00〜10:40)〜楽古山荘(12:40)
Co780までは河原と小F。Co600、10mのFは右岸まく。それ以外は中。Co780からCo1100までナメ滝や小滝が続く。中行ける。快調。その後ガレを歩いて藪漕ぎ無しでピークへ。ピークからは夏道で楽古山荘へ下山。快適な沢を楽しめた。
現役の報告・ 2007年10月18日 (木)
書評・出版・ 2007年10月10日 (水)
20年前、優れた処女作「大いなる山大いなる谷」で、あしたのジョーみたいに「山で真っ白になりたいんだ!」と、山への白熱の情熱を記録した志水哲也氏。今は独自の登山ガイド、そして5年前からは写真家として、とことん黒部川に向き合っている。日本各地の凄い滝の写真集。こんな滝を見たことある人には、ゴクリ生唾、何処のラインを行けるのかと。見たことのない人は・・・、どんな感想持つのだろうか?
山と渓谷社/3600円/2007.9.5/A4変形(今なら3000円だそうです)
書評・出版・ 2007年10月2日 (火)
海外溯行研究
台湾の谷(1963〜1993)
2007海外溯行同人No.1
溯行流程40キロ、溯行日数一週間、高度差3500m、両岸高さ数百mの函、大理石の豪快な滝、釜、滝、釜。こんな沢登りが日本でできるだろうか。未知の沢、凄い沢を追い求めて、ついに台湾にはまった、全国の沢キチたちの会、海外溯行同人の記念すべき報告書第一号である。沢が好きなら、読むべし。
部報解説・ 2007年9月28日 (金)
戦前発行では、最後の部報。ペテガリの冬期初登を目指して1940年1月、4回目の挑戦中、史上空前の雪崩事故に遭った。その報告書として少数出版された。時代は世界大戦に進む頃。山に行けない絶望的な世相の中、1943年1月、ペテガリの初登に成功するが、その報告は18年後に発行される部報8号に。
また、1938年12月、上ホロカメットク山直下で、山岳部で初めての雪崩死亡遭難があり、7号は事故報告と追悼一色である。これまでの日高へ、未知へという生き生きとした雰囲気が意気消沈してしまっている。
目次
●山登りの危険に就いて 伊藤秀五郎
●十勝上ホロカメツトク山遭難報告 湊正雄
一・緒言
二・遭難経過
三・救援経過
四・遺骸発掘
五・雪崩に関する考察
六・結言
● ペテガリ隊遭難報告
一・緒言
二・ペテガリ隊の準備 橋本誠二
三・ペテガリ隊の行動 内田武彦、橋本誠二
四・一月の捜索 中野征紀
五・アバの建設 中野征紀
六・七月の捜索 原一郎
七・雪崩に就いて 石橋正夫
八・結言
OBの山行記録・ 2007年9月18日 (火)
【ルート】音更川21の沢直登谷→石狩岳→シュナイダーコース
【年月日】2007.9.16-17
【メンバ】米山悟(1984)、斎藤清克(1987)、勝亦浩希(2003)
【行 程】9/16:シュナイダー尾根登山口(14:20)→音更川21の沢左股Co1150C1(15:30)
9/17:C1(6:10)→石狩岳(11:30-12:00)→シュナイダー尾根登山口(14:00)
【天 候】両日曇り
全体に、短いながらも手応えある滝の連続で、フェイス、クラック、チムニーなんでもあり。上に行くほど両岸が迫り、細い岩の隙間に入っていく感じ。風格満点の石狩岳の直登沢にこんなルートがあるとは現役の頃は知らなかった。そう思って旧版の「山と谷」を見たら、「極めて険悪となり高度な技術が要求されてくる。最後まで詰めた記録を見ない。」とあった。この二十年で、道内のバリエーションはずいぶん進んだなあと思う。
記事・消息・ 2007年9月14日 (金)
没原稿復活編.
北大広報誌リテラポプリに「知床学のすすめ」という連載がある.世界遺産に登録されるかどうかが話題になっていた2004年から始まり,2007年冬号の時点で10回を数えている.
地球生態学講座時代に,その初回から数回分の記事を依頼されたことがあって,教授らとともに取材旅行にでかけたりした.第一回は平川教授の記事で,これにのっている地図を描いて提供もした(この号には「神谷正男の仕事」ってのもあるヨ).
私自身にも原稿依頼があって,なんとかひねくりだして書いてみた.しかし,その後,編集部の都合かなんかで連絡が途絶えてしまい,また時期を逸したという面もあって,この原稿は結局没になってしまった.なんだか,私の原稿はこんなのばっかり...
このエントリーの前の二つの投稿にある,現役が知床や大雪山でコンフリクトに遭遇した記録を読んで,ボツになった原稿のことを思い出した.内容的には古くなってしまったところもあるし,結局未完成のままなのだけれど,コンフリクトを体験した現役たちへのエールを込めて,一応ここに未完成のまま復活させておくことにする.
OBの山行記録・ 2007年9月13日 (木)
現役の報告・ 2007年9月7日 (金)
【年月日)】8月27日〜30日(4ー0)
【メンバ】L平塚(4 AL寺尾(4 M 米田(2 小池 田中(1
【ルート】五湖→羅臼平→羅臼岳アタック→硫黄山→ショウジ川→ポンルシャ川右沢→カムイワッカ
【予定の計画】五湖→イダシュベツ川→硫黄山→ショウジ川→ポンルシャ川左沢へのっこし下降→コタキ川→知床岳→オキッチウシ川→岬→相泊
林道徒歩通行禁止とのことで、急遽硫黄山までの稜線登山道をとることに変更。その後はショウジ川からポンルシャ川へののっこしに失敗したので後半の知床岳のっこしをあきらめて下山。
OBの山行記録・ 2007年9月3日 (月)
【ルート】須築川→茂津多ルート下山
【年月日】2007.9.1-2
【メンバ】L:澤田卓郎(2004)、AL:勝亦浩希(2003)、G:米山悟(1984)
【行 程】9/1:須築橋(5:10)→Co300(8:00)→Co420(9:15-35) →Co570(11:50-12:10)→Co860C1(13:30)
9/2:C1(5:40)→ヤブ漕ぎ開始(7:10)→山頂(8:25-9:10)→須築橋(12:50)
道内屈指のゴルジュ沢、須築川。現役パーティーに入れてもらった。壮絶なゴルジュを期待して踏み込んだのだがむしろ印象は、愉快な「おフロの遊園地」だった。広く大きな狩場山を一本槍でひと突きの快適ライン。滝4つ以外は全部水流か水際を直登。