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山岳部の出来た1926年暮れからから1年5ヶ月後に発行された。山岳部前史としての10数年のスキー部時代も俯瞰できる。編集長は伊藤秀五郎氏。
スキーによる積雪期初登山を大雪、夕張、札幌近郊で行い、いよいよ奥深い石狩岳の冬期初登が大きな目標とされた。夏期は稜線のヤブこぎ山行などが十勝や大雪などで計画されていて驚く。
しかし興味深いのは阿寒湖、洞爺湖、狩場山周辺のアプローチの悪さ、原始林の深さである。今ならば自動車道路で全く味気ない。
千島のアライト登頂記録と当時の記述も、今となっては貴重なものである。
以下、各章のタイトルとその概略。
●冬の十勝岳 和辻廣樹
●冬の石狩岳 伊藤秀五郎、和辻廣樹
●美生岳登山記録 須藤宣之助
●三月の武利岳 板橋卓
●斜里岳 原忠平
●五月の石狩岳 野中保次郎
●三月のトムラウシ山 坂本直行
●春の阿寒行 島村光太郎
●北海道スキー登山の発達 伊藤秀五郎
●狩場山 伊藤秀五郎
●冬のニセイカウシュッペ山 原忠平
●太陽・雪・スキー 伊藤秀五郎
●北千島の印象 伊藤秀五郎
●三国山より石狩岳へ 山口健児
●十勝岳より大雪山へ 徳永芳雄
●漁岳とオコタンペ湖 河合克己
●小さな岩登り 井田清
●若き登山家の一小言 伊藤秀五郎
●旅・歩み・いこい 井田清
●山岳部の誕生 伊藤秀五郎
年報(1926.11-1928.3)
写真11点、スケッチ4点(坂本直行)、地図3点
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1928.4-1929.8の1年5ヶ月分の山行記録と16の紀行、研究小文。編集長は須藤宣之助。価格は2円、334ページ。戦前の部報では最も厚い一冊である。1号発行からわずか1年半でこれだけの記録集。当時の山岳部創生期の熱気がムンムンしている。
【時代】
1928年山東で日中軍衝突。張作霖を関東軍が暗殺
1929年P.バウアー(独)第一次カンチェンジュンガ遠征
北海道駒ヶ岳大噴火
●知床半島の山 原忠平
● 幌尻岳スキー登山 須藤宣之助
● 美生岳・戸蔦別岳及幌尻嶽 星光一
● 日高山脈より新冠川を下る 坂本正幸
● トッタベツ川を入りカムイエクウチカウシ山を登る 山縣浩
● 静内川よりカムイエクウチカウシ山 福西幸次郎
● 日高山脈中ノ川地形について 大立目謙一郎
● 日高山脈単独行 伊藤秀五郎
● 石狩川を遡りて音更川を下る 河合克己
● 十勝岳―十勝川―ニペソツ山 山縣浩
● 石狩岳とニペソツ山を中心に 伊藤秀五郎
● ニペソツ山 徳永芳雄
● 五月の芦別夕張連峰 山口健児
● 三月の利尻岳 井田清
● 国後島遊記 島村光太郎
● アレウシアンの旅 高橋喜久司
● 日高山脈アイヌ語考 山口健児
● 山に就いて(詩) 伊藤秀五郎
年報 1928/4−1929/8
写真12点、スケッチ5点、地図3点
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部報前半の目玉企画は夏の神威岳登頂記。険悪な中ノ川からの登路をあきらめ、ヌピナイからのアタック。カッコいい神威は南日高の憧れの目標だったようです。山案内人のアイヌ老人、水本文太郎氏との最後の山行でもあります。
●第零義的登山 部長 栃内吉彦
●神威嶽 相川修
●五月の武華・武利・支湧別岳 大和正次
●ニペソツ山よりウペペサンケ山 福島健夫
●ニペソツ山―トムラウシ川―トムラウシ山 徳永正雄
●五月のニペソツ山から松山温泉まで 佐藤友吉
●三月のカムイエクウチカウシ山とその附近 徳永正雄
●ニセイカウシュペ山(茅刈別川から)と屏風岳 江(巾者)三郎
●屏風岳−武利岳―石狩岳 徳永正雄
●沼ノ原山・石狩岳・音更山・ユニ石狩岳・三國山 中野征紀
●山の拡りと人間化(特に北海道の山岳に就いて) 伊藤秀五郎
●山岳部冬季スキー合宿おぼえ書き 江(巾者)三郎
● 記念
・野中保次郎君 須藤宣之助
・中村邦之助君 井田清
・水本文太郎爺さんの追憶 高橋喜久司
・同 井田清
年報 1929/10−1931/9
写真10点、スケッチ3点、地図1点
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大雪も日高も、これまでに足跡のない山域を求め、新しい発見が意気盛んに記録されています。
1931/10−1933/10の2年分の山行記録と13の紀行など。坂本直行氏の天然色油彩スケッチ画を含む。編集長は徳永正雄。価格は1円50銭、284ページ。積雪期大雪山のガイド的小文から始まる。登山史的側面としては、いよいよ夏の中部日高の険悪な沢の探査が進む。中ノ川周辺、ペテガリのアプローチなどが最先端の報告である。日高の登山史を年譜としてまとめている。アイゼン、ピッケル研究、高所生理などの技術研究も部報では初。前半部の山場は中野征紀氏のシュンベツ川カムエク直登沢探査だろうか。
【時代】
1931年は満洲事変が始まり、翌32年3月に満洲国建国。5.15犬飼首相暗殺、ナチスが政権政党に。33年3月、日本は国連を脱退。
● 積雪期の大雪山彙ー特に直井温泉(愛山渓温泉)を中心としてー
●冬の熊根尻山塊とウペペサンケ山 豊田春満
●一月のニペソツ山ー十勝川よりー 徳永正雄
●支湧別川よりの武利岳ー五月及び二月の登山紀行 伊藤紀克、本野正一
●幌尻嶽・イドンナップ岳・カムイエクウチカウシ山 中野征紀、相川修
● 札内嶽よりカムイエクウチカウシ山に到る山稜縦走及び十勝ポロシリ岳 石橋正夫
● 元浦川ー中ノ岳ー中ノ川 本野正一
● 神威嶽と中ノ川(ルートルオマップ川) 中野征紀
● 日高山脈登山年譜 徳永正雄
● アイスピッケルとシュタイクアイゼンの材質に就て 和久田弘一
● 高山に於ける風土馴化作用と酸素吸入に就て 金光正次
● 雪の日高山脈雑抄
・一月の戸蔦別川 金光正次
・一八三九米峰 石橋正夫
年報(1931/10−1933/10)
写真九点、スケッチ五点、地図6点
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積雪期の札内川からのアタック山行、夏のペテガリ周辺渓谷探査の当時最先端の記録。ヒマラヤを見据えた極地法研究が、他大学山岳部では始まっている頃。石狩岳でやってみようかなどとも書いてあるが、全体には北大は今と変わらぬ、少人数軽量長旅アタック山行が主流である。
1933/10-1935/10の2年分の山行記録と13の紀行など。北千島幌筵(パラムシル)島の後鏃(しりやじり)岳からの千倉岳連峰パノラマ写真などを含む。編集長は照井孝太郎。価格は1円80銭、316ページ。石狩岳への新ルート(現、石北峠)から初の極地法登山、一月、三月の札内川からヤオロ、39、カムエクなどのアタックを狙う野心的山行、ペテガリ、ナメワッカなど日高深部への夏の挑戦、北千島や樺太の山域記事も久しぶりである。
【時代】
1934年東北地方大凶作、函館大火。毛沢東軍「長征」開始。ドイツ、メルクル隊の第二次ナンガパルバット遠征10人遭難で失敗。12月今西錦司ら京大AACK朝鮮白頭山冬季初登遠征。1935年、イギリス、シプトン隊の第五次エベレスト遠征。
●一月の石狩連峰 徳永正雄
● 吹上温泉よりトムラウシ山 石橋正夫
● 一月の札内川上流 照井孝太郎
● 三月の一八三九米峰とカムイエクウチカウシ山 伊藤紀克
● ペテガリ岳 石橋恭一郎
● 三月の千呂露岳 奥田五郎
● ペンケヌシ岳 西村 正
●シユンベツ川より滑若岳へ 水上定一
● 北千島 初見一雄
● 北樺太の山々
名好山 本野正一
樺太に関する文献表 水上定一
●知床半島の春 豊田春満
●三月の石狩川 石橋恭一郎
●創立前後の思出 渡邉千尚
年報(1933/10−1935/10)
写八点、スケッチ三点、地図五点
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1937年1月末の(第一次)ペテガリ冬季初登頂作戦の遠征報告がメイン記事。残念ながら途中引き返しだが、これまでにない大企画だった。このあと1943年の成功(部報8号に報告)の前には1940年の雪崩遭難という苦難があるがそれは7号での報告。時代はペテガリまっしぐらだが、冬期のトヨニ、ピリカ、神威岳、1823峰の初登頂記もある。
また海外記録が豪華だ。北千島、中部千島(新知島の新知岳、松輪島の芙蓉岳など初登)、択捉の散布岳初登、樺太の日ソ国境周辺の山散策、ほか朝鮮の冠帽峰、台湾の新高山や合歓山はもちろん、タロコ峡より中央尖山、南湖大山を「蕃人」たちの案内で登り、山稜でゾンメルスキーをやっている。東亜の山へ存分に足を延ばす1930年代。京大が白頭山、大興安嶺、京城帝大や早稲田が冠帽峰を登っている。数年後に迫る世界戦争が無情だ。これらは次回後篇で紹介する。
1935/10月から1938/4月の記録。記事140p、年報119pの合計259p。編集委員は10名の連名。編集後記は葛西晴雄。これまでの部報の挿入写真は、風景が多かったが、今号ではペテガリ隊のキャンプ地での何気ない焚き火の写真など、気取らぬものが増えている。
【時代】
1935年:積雪期、北アルプスでは鹿島槍北壁右ルンゼ(浪速高)、剣岳小窓尾根(立教・早稲田)、東大谷中俣、本谷、池ノ谷右俣(以上立教)、穂高ジャンダルム飛騨尾根(東京農大)などが学生山岳部によって次々初登攀された。北岳バットレス第4尾根初登(東京商科大)もこの夏。1月に加藤文太郎が、立山から針ノ木岳へ黒部横断の厳冬期単独縦走。極地法を身につけたAACKは朝鮮白頭山遠征をする。第5次エベレスト遠征(英)・シプトン隊
1936年:積雪期剱尾根初登(早稲田)、立教大が日本初のヒマラヤ登山ナンダ・コット(6861m)初登頂。京大AACK中部大興安嶺踏査。加藤文太郎北鎌尾根で遭難死。エベレスト第6次隊。ティルマン(英)、ナンダデヴィー初登。バウアー(独)、シニオルチュー初登。世間は2.26事件。日独防共協定。西安事件で国共合作。スペイン戦争。ベルリンオリンピック。
1937年:北岳バットレス第4尾根積雪期初登(東京商科大)、鹿島槍荒沢奥壁積雪期初登(東京商科大)など。第3次ナンガパルバット(独)で16人雪崩死。
世間は遂に蘆溝橋事件、日中戦争始まる、12月の南京陥落後も重慶政府と戦争は続く。スペインではナチスがゲルニカ空爆。
1938年:西穂〜奥穂1月初縦走(慶応大)、前穂北尾根松高ルート初登。北穂滝谷第4尾根単独初登(松濤明)など。第7次エベレスト(英)・ティルマン隊。バウアー(独)、第4次ナンガパルバット。ハウストン(米)、K2。いずれも届かず。ハラーら(独)アイガー北壁初登。世間では国民総動員法施行で戦争体制に。日本軍が重慶空爆、広東占領、武漢占領。ドイツがオーストリアを併合。
● ペテガリ岳ー嚴冬期におけるー
・ まへがき 葛西晴雄
・ 準備 有馬洋
・ 經過 有馬洋
・ 冬期登攀用品に就いて 林和夫
・ 食料ノートより 岡彦一、中野龍雄
・ 氣象について 星野昌平
● 冬の南日高連峰
・ 豐似川よりピリカヌプリ山へ 湊正雄
・ 一月の神威岳 葛西晴雄
●忠別川遡行 石橋恭一郎
● ヤオロマップ川遡行 豐田春滿
● 新しき山旅より
・ 音更川遡行 中村粂夫
・ 蘆別岳北尾根の池 鈴木限三
・ 散布岳 岡彦一
・ ペテガリ・ソナタ 有馬洋
・ 樺太の山雜感 岡彦一
・ 北部日高山脈の旅 山崎春雄
・ 一八二三米峰 中野龍雄
・ 蕃人 岡彦一
● 最近の十勝合宿について
ー冬期合宿覺え書きの一つとしてー 朝比奈英三
● 追悼
・懷舊 伊藤秀五郎
・ 伊藤周一君 福地文平
年報(1935/10−1938/4)
写真13点、スケッチ4点、地図3点
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戦前発行では、最後の部報。ペテガリの冬期初登を目指して1940年1月、4回目の挑戦中、史上空前の雪崩事故に遭った。その報告書として少数出版された。時代は世界大戦に進む頃。山に行けない絶望的な世相の中、1943年1月、ペテガリの初登に成功するが、その報告は18年後に発行される部報8号に。
また、1938年12月、上ホロカメットク山直下で、山岳部で初めての雪崩死亡遭難があり、7号は事故報告と追悼一色である。これまでの日高へ、未知へという生き生きとした雰囲気が意気消沈してしまっている。
1938.5-1940.10の二年半の記録。遭難報告が二件合わせて49p。記事、寄稿は遺稿を含めわずか3つで17p、追悼が48p、年報100pの合計214p。これまで最も薄い部報だ。版数も少なかったという。編集委員は6名の連名。編集後記は橋本誠二。価格は2円50銭。
【時代】
1938:F.ガスパレク、H.ハラー(墺)(『チベットの七年』の著者)とA.ヘックマイヤー、L.フェルク(独)が共同でアイガー北壁初登。
カシン、エスポジト、チゾニ(伊)が、グランドジョラス北壁直登ルートを初登。第7次エベレストH.W.ティルマン隊(英)、P.バウアー隊ナンガパルパット遠征(独)。C.ハウストン隊K2遠征(米)。いずれも未遂。1月、慶応大・井形健一らが、西穂から奥穂高岳を極地法で攻略。
日本軍重慶空爆、武漢占領。国家総動員法。ドイツがオーストリアを併合
1939: K2遠征。頂上直下230mまで。下山時に隊員ヴォルフとシェルパ3名が死亡(米)。P・アウフシュナイターら(独)がナンガ・パルバットに偵察遠征。2カ所で6000m地点に到達。大戦の勃発で、下山後に隊員4名がイギリス軍の捕虜として拘束されのち脱走してチベットへ。3月、旧制大阪商大パーティが、積雪期の黒部・下ノ廊下横断に成功12月、登歩渓流会の松涛明(17才)が、穂高滝谷第一尾根積雪期初登攀
9月ドイツ軍ポーランドに侵攻。第二次欧州大戦始まる。8月ノモンハンで日ソ戦闘して完敗。
1940:1月、北大・有馬洋ら8人パーティーが、日高山脈のペテガリ岳・札内川で雪崩により遭難
京都大学士山岳会(AACK)が、軍部から解散命令を受ける。
日独伊三国同盟結ぶ。欧州大戦はフランス降伏。ロンドン空爆。
●山登りの危険に就いて 伊藤秀五郎
●十勝上ホロカメツトク山遭難報告 湊正雄
一・緒言
二・遭難経過
三・救援経過
四・遺骸発掘
五・雪崩に関する考察
六・結言
● ペテガリ隊遭難報告
一・緒言
二・ペテガリ隊の準備 橋本誠二
三・ペテガリ隊の行動 内田武彦、橋本誠二
四・一月の捜索 中野征紀
五・アバの建設 中野征紀
六・七月の捜索 原一郎
七・雪崩に就いて 石橋正夫
八・結言
●紀行
三月の忠別越え石狩岳 橋本誠二
遙かなるペテガリへ(遺稿) 清水誠吉
カムイエクウチカウシ山、コイボク札内岳等の山名に就いて 橋本誠二
●追悼
故島村光太郎君の追憶 櫻井勝壽
徳さんを憶ふ 相川修
憶ひ出 本野正一
追憶 朝比奈英三
徳さんの憶ひ出 橋本巌
有馬洋 福地宏平
追憶 湊正雄
戸倉君を憶ふ 林和夫
清水誠吉君を憶ふ 有馬純
近藤達君 橋本誠二
追悼 倉林正尚
羽田君 新美長夫
渡邉盛達君を憶ふ 塩月陽一
年報
1938.5-1940.10
写真二点、スケッチ一点、地図五点
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コイカク沢遭難でまとめた7号以来、戦争を挟んで18年ぶりに出たこれまでで最長期間の部報。山岳部の最高目標だった厳冬期ペテガリ初登(1943・昭和18年)を戦争悪化ぎりぎりまで粘って勝ち取り、戦後早くも再開した日高未踏地帯の最後の踏査記録が満載。またマナスル初登の機運で空前の登山ブームを迎えた1950年代、部員も多く活動も盛んで、日高と大雪の全山冬季縦走という大作戦を貫徹している。中身たっぷりの時代ゆえ、この部報にこぼれた多くの珠玉の記録もあったろう。
1941-1958年度の18年分の記録。「冬の日高全山縦走」「冬の十勝大雪縦走」の二大イベントの報告が併せて70p、ペテガリ冬季初登記録を含む日高最後の初登記録五連発記録集「積雪期の日高山脈」が39p。中部日高で最後に残った秘境、ナナシ沢初遡行記含む無雪期記録集、「夏の紀行」が30p。十勝川源流の温泉小屋建設の記録と、犬ソリ研究の二つの報告が32p。追悼が7人で20p。戦死など「物故者略歴」が7p。18年分の「年報」が大量に178pで、合計377p。編集委員は5名の連名。編集後記は杉野目浩。価格は500円。最後のA5判。(敬称略)
看板記録の1956日高厳冬期全山縦走、1951大雪厳冬期全山縦走の二連発と、それに先立つ、ペテガリ厳冬期初登、イドンナップ厳冬期初登、カムエク北面、カムエク南面、中ノ岳厳冬期初登の五大記録を紹介。これでもか!の黄金時代です。
ナナシ沢探査完結編と、幻の大雪温泉小屋建設始末、南極観測隊に貢献した犬ソリ研究の記録、それに数多の遭難者のためにかかれた追悼文の数々。戦前の香りを残し、戦後日本登山界の質量ともに最盛期の時代をすべて網羅した密度の濃すぎる年代をまとめた部報。
【目次】
部報八号の発刊にあたって・・・・・・・・・・・・・・・原田準平
厳冬期の日高山脈全山縦走・・・・・・・・・・・・・・・西信博
冬の十勝、大雪山縦走・・・・・・・・・・・・・・・・・
積雪期の日高山脈
ペテガリ岳〜一九四三年一月〜・・・・・・・渡辺良一、今村昌耕
イドンナップ岳〜一九四八年一月〜・・・・・・・・・・木崎甲子郎
札内岳よりカムイエクウチカウシ山へ〜一九四九年一月〜・・・・・・・・橋本誠二
コイカクシュ札内岳よりカムイエクウチカウシ山へ〜一九五〇年一月〜・・・・・・・・・・山崎英雄
中ノ岳と神威、ペテガリ岳〜一九五三年一月〜・・・・・・杉野目浩
無言の対話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤秀五郎
夏の紀行
余市川のほとり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・奥村敬次郎
二つの無名沢遡行記
無名沢よりカムイエクウチカウシ山・・・・・・・・・・・滝沢政治
無名沢よりペテガリ岳・・・・・・・・・・・・・・・・・酒井和彦
夏の知床岳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鮫島淳一郎
森、温泉、夢〜十勝川源流温泉小舎建設始末記〜・・西村豪、神前博
犬ソリの研究・・・・・・・・・・・・北海道大学極地研究グループ
追悼
奥村先生のことなど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木崎甲子郎
山岳部長奥村敬次郎氏遭難記録
花岡八郎兄を想う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・向川信一
井上君の死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐伯富男
康平君・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・加納正敏
前田一夫君の憶い出・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木良博
小竹幸昭の追憶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐々木幸雄
加藤君のこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村恒美
物故者略歴(一九四〇〜一九五九)
年報 一九四一〜一九五八
写真6点、附図4点
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北大山岳部は、1926年に結成されて以来続く、日本でもっとも伝統ある大学山岳部のひとつです。 戦前は1,2年に一度、戦後は6年〜10年に一度ほどの割合で部報を発行してきました。
今回発行する14号は、1989年から2005年までの17年間の記録を納めたものです。この時代の山登りの世界に起こった数々の変化や時代の影響を含め、山岳部の歩みを俯瞰できるような一冊にまとめました。 四季を通じた北海道のバリエーション山行記録、カムチャッカ、台湾に通った海外山行記録に加え、先端技術や情報技術が及ぼした山登りの変化、道内の山での遭難一歩手前の事故報告を含め、北大山岳部が得意とするイグルーの最新事情などの報告を載せています。
全国的に大学山岳部の活動が振るわず部員さえも集まらない中、北大山岳部は今も伝統を継承し、四季の北海道を満喫する山行を続けています。 部報14号は、北大山岳部に興味を持つ人はもちろん、北海道の山登りに興味ある人、大学山岳部の今に興味ある人、大学の山岳部を目指す高校生、そして世界の未知の領域に夢を描くすべての人に読んでもらいたいと考えています。
以上のねらいから、多くの人に読んでもらおうと、これまでの部報に比べて販売価格を抑え、3500円にしました。