【年月日】2009年2月25−26日(2−0)
【メンバー】L田中宏(3 AL田中省 野沢 小池(2 M鹿島 井村(1
[時間とルート]
1日目:清川(9:30)夏道尾根Co1360付近(13:00)Ω1(16:30)スキーで双雲別川沿いの林道をつめて・1061へ。夏道尾根に乗り、CO1360 付近の吹き溜まりにてΩ1.楕円型の5段イグルーを作ったが製作に時間がかかる。天気は雪、ラッセルは脛から膝。
←イグルー上部二重構造。

←イグルー全体
2日目:Ω1(6:30)大槍(10:15)Ω1(11:00~11:15)清川(13:00)イグルーからは北側に1〜2mのセッピ。Co1400がKLで視界2,300だが、この先もぱやぱや生えているので行けるところまで行くことにする。・1533から視界100前後。2〜3mのセッピが南に出てる。Co1560付近でシートラEP。大槍手前ポコをねぐり、その先の斜面をTrvしている時に視界がなくRfが困難であり、風も出てきたため引き返す。あとは来た道をイグルーまで。
[パーティ]
1年半春メイン準山3回目。総合確認できた。
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【日程】2009年02月28日 〜 03月01日
【メンバー】
米山悟(1984)+山岳同人たがじょの4人
【天候】
一日目曇りのち晴れ
二日目晴れのち曇り
【タイム】
2/28 酸ヶ湯(8:00)〜傘松峠(9:50)〜パラダイスコース265番でお昼40分間〜ニセ駒(12:30-14:00)C1イグルー作る〜駒ヶ峯(14:40-15:10)〜ニセ駒のC1(15:30)
3/1 C1(7:00)〜乗鞍岳(8:00-9:00)〜C1(9:50-11:00)〜傘松峠(12:00-12:40)〜酸ヶ湯(14:00)
【記録】たがじょ一行の八甲田山行。この週末は決定的高気圧が来るので期待満々。冬の真白い八甲田は初めて。さすが八甲田はスキーの楽しい山と言われるだけある。ほどよいトドマツと緩い斜面が延々続き、心配無用で滑降できる。
酸ヶ湯温泉の離れの駐車場から先、地獄沼の北側を捲いて車道の除雪終点に降りる。笠松峠まではラッセル無しでのんびり行く。峠から南は八甲田らしいトドマツ点在林。青森、十和田市境の緩い尾根状ではなく、その東の緩い沢の中を行く。下りのスキーが快調だから。このルートはパラダイスコースというそうだ。八甲田ではたくさんのコースがあり、三浦敬三さん達が青森営林署時代に取り付けた標識版がたくさん残っている。これらコースの看板番号をそらで覚え、全てのコースをご存じなのがこの度の成田師範である。何十年も通い詰め、朽ちた看板を拾い上げ、整備点検もされているのである。勿論勤労奉仕で。歴史的なコース体系だが、利用者ははっきり申し上げてこの一行含め少数派かも。今時、滑り重視のスキーヤーはたくさんいても、登って登って登って滑るというリズムのスキーヤーは少数派だから。
ニセ駒ヶ峯は駒ヶ峯と猿倉岳間の最高点。この下にテント、今回はイグルーは便所用となる。僕はテント泊は相当久しぶりだ。慣れないテント泊でガソリンバーナーで火を噴かせ、テントの壁に穴を開ける失敗をした。二台使う時はホースを外すときもう一台の火がついているので、かなり危険だ。初体験で思い至らなかった。

駒ヶ峯を空身で往復。駒の先数百m進んでみたところで、合計3人立て続けにヒドゥンクレバスに落ちる。雪庇が山肌からゆっくりはがれ、亀裂が生じて、そこにフタがされているやつだ。初めて落ちるとなんだか解らずとても怖い。深さ3m、幅1.5mほど。僕は結構何度も落ちたことがあるので何とも思わないが、皆は初めてだと言った。

朝はぴかぴかに晴れた。ダイヤモンドダストのような結晶が青い空いっぱいに降り、朝日の下にはその結晶の柱が出来た。初めて見る美しい現象。乗鞍岳への地獄峠へは朝っぱらから楽しい滑降。乗鞍岳の斜面も無理無い傾斜でホイホイ行ける。登るにつれ北八甲田が美しく聳えるのが見える。乗鞍岳は西端から櫛ヶ峰や黄瀬川源流を眺め、最高点に行ってお昼。ここは無風快晴。

下りも最高のスキー場だ。高田大岳に向かって滑降。雪の具合も丁度いい。天場にもどってまたゆっくりして、ニセ駒ヶ峯からの下りも良いコース。笠松峠からの道路もスコスコ進んで帰着。新雪パウダーばっかり人気だが、僕はこんな雪も大好きだ。山滑りにはいろんな雪がある。誰もいなくて気持ちいい。存分叫び声を上げる。

無限大の視界なので楽しいばかりだったが、もしも視界が無ければマジ読みの地図読みになるだろう。成田師範は旗竿を立てながら行った。何百回も登っていて、どの木に何番の標識があるか熟知している師範でさえ、竿を刺していくのである。
五人のうち二人はスノーシューだが、シールをつけているうちに追いついたりスキーは疲れるから結構やすんだりで、スピードはそれほど変わらないものなのである。小山内さんは八甲田のクラシックルートを伝承しようと月二回以上の師範の山行にお供している。八甲田の往年のルートこそ無形文化遺産だと思うなあ。
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【年月日】2008年12月28−30日
【メンバー】L田中宏(3 AL平塚(5 M小池 田中 野沢(2
[時間とルート]
1日目:雪 国道(9:30)→・762コル(11:00〜12:30)=C1稜線上は風が強そうなので、予定天場まで行くのは無理と判断し遅めに出発する。渡渉は切れかけのSBを利用する。ラッセルは踝から脛・762コルでALを待つが、なかなか来ないのでMの1人が様子を見に行き、他の人でテントを建てブロックを積みC1とする。ALは具合が良くなくペースが上がらないようだった。
2日目:曇り C1(7:00)→稜上(8:00)→C1(8:20)=C2ALの体調が回復せず、LとMで稜上まで偵察に行く。稜上は時折気になる風が吹く。稜上で電波が入ったのでメーリスを流す。天場に戻り風邪気味のL,ALは休養する。Mはブロックを増築し、その後たき火をする。豪勢なたき火の周りでほげほげとする。
3日目:雪 C2(9:30)→国道(11:30)ALとMの1人が体調不良のため下山を決行する。
その夜、あるMも発病し寝正月を過ごすはめとなり、2,3日後ALからインフルエンザだったとメーリスが流れる。
[パーティ]
L−s:体調管理 M:一部体調管理
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【年月日】2009年2月22日(1−0)
【メンバー】L:田中宏(3 AL小池 田中省(2
八剣山1p目
[時間] 駐車場(9:40)取り付き(11:00)3p目終了コル(15:30)駐車場(16:20)
[ルート]雪 駐車場から取り付きまで
1p目 三級の岩を登り、雪稜を行く。上部支点バイル。
2p目 雪稜をコルまで行く。支点は木。
3p目 雪稜を行き、最後は急なクライムダウン。
時間的、天気的に厳しかったので3p目終了後、コルから北へ下る。後は回り込んで駐車場。
[パーティ]春メイン2年班準山1回目。ザイルワーク、雪稜できた。
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【年月日】2009年2月7−8日(2−0)
【メンバー】L田中宏(3 AL小池 田中省 野沢(2 M井村 鹿島(1
十勝岳西尾根上部
[時間とルート]
1日目:二オベツ上二股(7:10)オムシャ西峰(10:20〜10:30)東峰(10:50)十勝(13:20)Co1170(14:30)=Ω1 晴れ 二オベツ上二股からスノーシューで取り付く。雪がしまって取りつき易い。ラッセルは踝から膝程度。オムシャ肩は吹きだまっておらず、肩下に一か所イグルーが作れそうなところがあった。肩上からスノーシュー、ピッケル。オムシャピークでアイゼンに履き替えた。ピークに予定より早く着き、かつ明日の天気が悪いことが予想された為、野塚をカットし十勝をのっこすことにする。

オムシャ〜十勝間稜線
東峰〜十勝は所々50〜100mのセッピが出てた。イグルー作れる。
十勝ピークから西尾根を使っておりる。Co1170までもどこでもイグルーが掘れそうであった。稜上は局地的に気になる風。Co1170でΩ1。雪が固く作成に3,5hかかる。
2日目:Ω1(10:20)国道(12:20) 雪。 イグルーからは・1148までに北にセッピ50m程。その後も、下まで樹林内セッピ50〜150mが発達していた。Co1000〜800まで細いところが所々あった。ラッセルは脛から膝。あとは翠明橋2つ南の尾根を使って国道まで。橋1つ南よりも国道に乗りやすい。
[パーティ]
1年班春メイン準山2回目。ある程度風がある中のっこしできた。イグルー作れた。
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【日程】 2009年2月22日
【ルート】 米子不動 “カチカチ山”
【メンバー】清野(76)S君(某大学山岳部OB)
某大学山岳OBのS君、沼田山岳会の“虎の穴”での特訓を経て、はれて本州最難氷瀑エリア米子不動に挑戦と相成った。

米子不動氷瀑群の初登ルート“カチカチ山”
昨夜の酒が抜けないS君とここを目指す!

今山行の最終兵器と酔いどれのS君

米子の開拓者溝渕さんが最も美しいと言う“どぜうの詩”
100mを超える氷瀑がゴロゴロしてる!

米子では容易?と言われる黒滝………
これを登ろうと思っていたのだが、今回はパス!

1P目

2p目をフォローするS君

3P目、ようやく酒の抜けたS君がリード
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山の会裏ばなしー(36)
三度の一度の佐渡島
北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
昭和四十六年秋、小生は日本山岳会の会報で五百沢智也氏のヒマラヤトレッキング計画を知り、正月休暇を利用して、小型機をチャーターした数時間のフライトでヒマラヤ山脈のほぼ全域のフライトに同行する機会を得た。団体割引の航空券は半額という利点で利用したトレッキングの皮切りだったと思う。コンディー峰の肩まで登り、ナムチェバザールからの帰途ヒラリー卿と遭遇出来たのは偶然だった。
二月上旬には志賀高原でのスキーの会が恒例化していたが小生は少々クタビてスッポカしてしまったが翌年の志賀高原には既に述べた先輩の他、大和正次、中川一郎、福島健矢、江幡三郎、小平俊平など山口健児先輩に続く錚々たる古老連が集まった。昭和六年入学の中川一郎先輩にいたっては現役時代に大枚五円で買ったというスキー靴で現れ、フットフェルトのビンディングでテレマークを披露。テレマークといっても、膝をバッケンの前について屈み両手をヤッコ凧のように広げて曲がる大袈裟なものだった。この頃のスキー場では女性も混じったスキー教室も華やかになっていてゲレンデにはインストラクターを囲んで練習する一団がいた。中川先輩は大胆にも彼らの目を滑り降りた。ど肝をぬかれたインストラクターは、その華麗で珍妙な「曲げ」を指して生徒達に
「あれがテレマークです」
と叫ぶ一幕などがあった。
二日目は快晴に恵まれて横手山まで出掛けた。頂上に着くと桜井先輩が彼方を指して
「今日は佐渡島が見える」
と言われた。
これを聞いた「山ケン」先輩がすかさず
「おーい、佐渡島だ。三度に一度しか見れないそーだぞ。よく見とけよ」と・・・・、
当の桜井さんは、むきになって
「いや、三度に一度だと。十回やそこらじゃー見られやしないよ」と、
こんな冗談は、周りの人にすぐ分かるもので「山ケン」さんにいつもやられている連中が
「三度の一度のサンドガ島か」と・・・・。
クスクス、ニヤニヤと笑い出し、ご本人も気が付いて大笑いになった次第。
なお、このスキーの会の幹事役、言うなれば「山の会の小使いさん」で、明治生まれの長老達が行きたいという山を調べて通知状を作って配っていた役目は昭和五十七年に小生が海外勤務の内示を受けたので小枝一夫君が様式を変えて引き継ぎ、さらに四十二年入部のH君に移り会場を各地に広げ、様相も一新して現在に至っている。
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第75回OneDay里山Hike 官ノ倉山の報告
平成20年12月27日
参加者:大井、松下、渡辺、石本、石村夫人、佐藤、木村

頂上も快晴
コース
東武東上線竹沢駅を出て左手の地下道をくぐって線路の向う側に出れば矢印がある。舗装道路を行き三光神社の前を左に進めば、あとは一本道。手頃な登りで頑張れば休まずに頂上に着くが少し手前に手頃な休憩用の腰掛がある。展望はよく飯能の平野の向うに筑波が広がっている。
下りは、頂上から東に向かい北向き不動へ降りるとよい。鎖場があり少々急だが、面白い下りである。諏訪神社の300m程手前で竹沢駅方面とJR八高線小川町方面とに別れる。竹沢駅へ行くほうが小一時間近いが、列車の本数が少ないので中央線で帰るなら時刻によっては小川町へ行ったほうがよいだろう。
その日のこと
平成二十年十二月二十七日、年末年始の関東の典型な気象で、当地は快晴、日本海側は雪で、翌日には雪崩や滑落の遭難が発生した。官ノ倉山への歩道脇で目敏く、膨らんだ蝋梅の蕾を見つけた人も。しかし尾根に出ると強い寒風。降りは例によって昔話や忘年会での話の続きに湧く。それも、ゆったりとした山で、快晴にめぐまれたせいだろう。今回は珍しく二、三のパーティーの人に出会った。一行は大井、松下、渡辺、石本、石村夫人、佐藤、小生の七名。恒例の「裏ばなし」は(36)。
所要時間:三時間半 (駅から駅まで)
正味歩行 二時間四十分

まさに東京の裏山という感じの官ノ倉山方面

飯能の平野の向う側は筑波の山並み
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山の会裏ばなしー(37)
ドイツ語と英語の応酬
北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
昭和四十七年頃にはヒマラヤの未踏の高峰はもう殆ど登り尽くされていた。山岳部はマッキンレイなどで新しい登り方をしていた他、数年後に迫った山岳部創立五十周年記念行事の議論に湧いていた。東京ではそんも活気の影響か恒例のスキーの会や夏山に集まる人数も増えていた。東京の会での集まりを振り返ってみると、この会では北大出身ではなくても山に登る気がある人の参加を拒まなかった。その最たる者は藤井運平さんで彼は明大山岳部のOBだったが自分のOB会には殆ど出席せず当方の会合には皆勤の常連だった。
またある時は山岳部に在籍したことはなかったが北大林学卒の藍野祐久さんが顔を出したことがあった。山岳部創立に貢献した古老に声をかけたことが元で参加するようになったのだが長老とは同年代の年齢だったが活発な方で、志賀高原でのスキーではパラレルで滑り、体は柔軟。新雪の山スキーには手こずっていたがゲレンデでのしなやかな膝の使い方は若者顔負け。
ところでこの頃小生は八丈島で小さなバンガローを手に入れていた。東京に近くて有史以来氷が張った記録がない所。洋らnの無加温栽培に挑戦しょうと思ってのことだった。
前述の藍野先輩とは何処かの山で洋らnの話しから八丈島の話になり、友人と行ってみたと言われ、宿泊などの手配をしてあげた。
暫くして電話で
「お礼までに大原の家でご馳走する」
とのこと。隣は「子供の科学」の編集などで有名な科学者、原田三男さんだから声をかければ顔を出すだろうと言われた。藍野さんは都内のアパート住まいだったが実家だった千葉県の大原にも家があり、奥さんはここで英語塾を開いたりもしておられた。
さてJR外房線の大原駅で落ち合って、魚などを吟味して買い込んで玄関を開けたまではよかったが、出てきた奥さんは大変なオカンムリ。やにわに小生に向かって英語でまくしたてた。藍野さんは務めが製薬会社のバイエルだった関係もあってドイツ語会話は堪能だったが、英語はダメ。ご主人に分からないように小生には英語で話す。その内容は、一緒に行った友人というのは女性で、知り合いの会社のOLだったようで、胸の大きく開いた、所謂ビキニのような水着を買って出掛けたらしいという。小生は無難なところだけ日本語で藍野さんに告げる。藍野さんは都合の悪いところはドイツ語で小生に話すので奥さんは理解出来ない。都合よく通訳して奥さんに話せと言われる。悪戦苦闘して収めようとしたのだが、本が少し読める程度の小生の独語会話力でイロ事の話など、チンプンカンプンの事態。買い込んだ魚に未練は残ったが早々に退散となった。
事の次第は後で分かったのだが、OL嬢に渡した水着は三越で「付け」で買って、請求書の宛て先を大原の家にした。我々が家に着く前に奥さんの手に渡り、事の次第を知ったところに手引きをしたと思わしき小生ともども、魚をぶら下げて悠々と現れたのだった。
この会での間の抜けた話はしばしばだが、同行する女性へのプレゼントを「付け」で買って、しかも請求書を無断で奥さんの所にしたとは、悪げはないとは言え何とも間の抜けた話である。
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第76回OneDay里山Hike 金比羅山の報告
平成21年1月10日
参加者:石村夫妻、大井、渡辺、石本、佐々木(正)、山森、佐藤、尾白、木村

金比羅山へ。緩いのぼりだが、尾根では季節特有の強風に
煽られて、どんどん歩く。
コース
東飯能駅前バス停から名郷又は湯ノ沢行きにて、やすらぎの湯で下車。向かい側の墓地の脇が登山口になる。標識は小さく不明瞭だがここからは一本道。林間の緩い登りが続く。頂上は扁平で標識なるものもない。平らな頂上を過ぎ七百十七メートルの隆起を過ぎた辺りから南に下る踏み跡を行けば名栗湖の頭に下り着く。しかし、傾斜はかなり急で岩も混じり、トラ縄の手すりなどの設置もある。
その日のこと
一月十日、今年最初のハイクは年末に引き続き、特有の冬型の気象。よく晴れたが尾根では相当の強風に煽られた。雪も薄く積もり、少々寒かったけれど快適な歩きができた。但し金比羅山の頂上は余りにも平だったせいもあって。気ずかずに通り過ぎてしまった次第。失敗だったとは誰一人口にも出さず強風と急峻な下りを堪能して名栗湖の湖面レベルまで一気に下りついた。一行は石村夫妻、大井、渡辺、石本、佐々木(正)、山森、会友の佐藤、尾白に小生を合わせて十名。今年は春から賑やかで縁起がいいぜ!といったところ。「裏ばなし」は(37)。
所要時間:五時間四十分 (駅から駅まで)
正味歩行 三時間五十分

頂上が余りにも扁平で見逃して、沢の隆起から降る。
岩混じりで急峻。結構な山歩きの一日となった。
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