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    Re: これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部)...佐々木惠彦
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    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...米山
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    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...さわがき
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  • 14年10月23日
    Re: 【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)...GG

記事・消息・ 2016年8月31日 (水)

世界で最も難しいルートの一つ、インドヒマラヤ、ガンゴトリ山群の、メルー中央峰、シャークスフィンに登るドキュメントです。クライミング、撮影、ともに第一級品と思います。
きのう松本で試写会があって、ここを何度も登った馬目、黒田、花谷さんの三人のお話をたくさん聞くことができました。「どこを登るかではなく、誰と登るかが大切」と馬目さんが言っていました。
クライマーが見れば、我が登攀を思い出して泣けてきたり、震えることばかりです。あのたえこさんも泣いたと聞きました。山でシビアな目に会った人なら思い当たったり、苦しくなったりもするかもしれません。
登らない人が見てもすぐれた映像、構成、ストーリー、主題ではないかなと思います。
公開は大みそかの12月31日、新宿ピカデリー発で地方へ順次とのことです。お勧めですよ。

MERU
コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズタークが2度にわたりメルー中央峰のシャークス・フィンにのぞむ映画です。

http://www.merufilm.com/


書評・出版・ 2016年8月12日 (金)

2006年、東海大山岳部隊の一員として23歳でK2に登頂した小松由佳さんは、その後写真家になっていました。それも戦乱のシリアを撮る写真家に。シリアは知っての通り2011年以来内戦、治安機関の暴力、イスラム国の占拠、他国の空襲と、地獄の極みです。小松さんが内戦前2008年からシリアを訪れて知り合った若者たちの、その後を何人も紹介しています。2012年に撃たれて死んだ山本美香さんと同じです、写真はどれも和やかなシリア人たちの暮らしを描いていました。どれも相手との関係を作り上げなければ撮れない表情の写真ばかりです。
生き生きと、表情豊かに暮らし、家族の日常の暮らしの大切さをしみじみと知っているシリア人たちが何故こんな目に遭わなければならないのか?一方では、他者との関係に行き詰まり個の枠を築き、豊かで平和なはずの社会で孤独を深め、中には極端な差別思想や排外思想に心を犯される人が徐々に増える日本の国。どうしてこうもうまくいかないのでしょう。
山登りから、山麓の人々の暮らしに目を向け、シリアとの縁が生まれ、旅行者となった小松さん、生き延びることができれば、またいつか何かの形で山登りに帰ってくると思います。その時の山を楽しみにしています。
河出書房新社2016.3.20


http://yukakomatsu.jp/news/news.html

書評・出版・ 2016年7月28日 (木)

朝のドラマ、とと姉ちゃんの元の話、暮しの手帖を紹介した特集番組をこの前見ていたら、テルマエロマエのヤマザキマリさんが、「この雑誌はどうかしている!」と、賞賛していました。彼女のお母様が全部持っている愛読者で、昔から読んでいたそうです。徹底的な商品テストや、読者目線の編集方針を一貫して貫いた編集部のことを紹介していました。
その番組の中で紹介された異色の96号、「特集・戦争中の暮しの記録」は、戦争が終わって23年経った1968年、公式の記録に残らない庶民から寄せられた話を延々書いた雑誌でした。今日は何を食った、何時から何時まで働いた。あそこは焼けてどうなった。という生の声でいっぱい。今日ではありがちだけど、この目線での手記の募集は当時初めての試みで、絶対売れないと言われたのに、ものすごく早く売りきれたそうです。戦争が終わってから23年間も、誰もこういうことができなかったのでした。以下に編集者、花森安治の序文です。

記事・消息・ 2016年7月17日 (日)

6/27だったかカムチャッカ遠征隊長の羽月君が道新に紹介。


7/5にも大きく写真と全隊員の紹介や報告会が掲載されてました。

書評・出版・ 2016年6月28日 (火)

黒部の山賊という本が少し前に復刊して、伊藤さんは近頃また話題になっていました。戦争直後からずっと雲ノ平、三俣、水晶の三軒の山小屋をやってきた、もと山賊の友達です。
伊藤さんと初めて会ったのは、1992年、伊藤新道でした。伊藤新道は高瀬川の湯股から三俣山荘へ通じる登山道で、1953年から伊藤さんが3年がかりで作りました。その後できた高瀬ダムの工事で70年代に登山者が減ってしまって、その頃は廃道間際でした。伊藤新道は下半分が沢沿い、上半分は尾根を通ります。人が歩かない道、補修をしない道は、沢では水が壊し、尾根では植物が埋めて廃れてしまうのだと、このとき初めて知りました。伊藤さんは小屋から降りてきて、藪を払っていました。この時も70歳ころと結構なお歳でしたが元気に仕事をしておられました。このときお会いして、さまざまなお話を聞きました。山小屋建設の苦労話は本人よりも、黒部の山賊で読みました。本人からは、山とはあまり関係のない、左右対称の不思議に関する話や、バイオリンの音に関する話など、面白い話をたくさん聞きました。
伊藤さんは、松本では有名な料亭のあと継ぎだったのですが、若いころから何事にも野心的で、家を継ぎませんでした。同じ高校の先輩後輩のよしみで(とはいえ伊藤さんは戦前卒業なので旧制中学校です)、一度その料亭に招いて下さり、ごちそうをしてもらいました。老舗の、とても素敵な建物でしたが、何年か前に規模を小さくして移転したそうで、いまはもうありません。

記事・消息・ 2016年6月27日 (月)

2016.6.18-19

午後2時、琵琶湖畔の相田さん別邸マンションに集合し、スライドショウを観賞。その後、時間のある人々はマンションで食事、1泊して余韻の語らい、という趣向。昨年に続き2回目の開催。

書評・出版・ 2016年6月24日 (金)

セクシー登山部のなめたろうさん。那智の滝からの4年の軌跡です。沢登りする人の紀行文、記録文は、名文家が多いけど、宮城さんのようなのは初めて読みました。痛快娯楽書というか、チャーカンシーを攻める大西、佐藤たちがルパン三世の次元や五右衛門に見えてくるほど生き生きと描かれています。

大西が滝つぼから生還する下りなどはおみごとなもの。戦艦大和や孫悟空の比喩は興奮気味だけど、それだけすごい激流で絶望的状況であるのはよくわかる。ルートはもちろん世界最先端の未踏域ばかりです。岩峰を、「力道山の朝勃ち」に形容するあたり、語彙が諧謔的に豊かです。数十日の山行を黙々とやっていると、言葉が頭の中で沸いては消え沸いては消えるもの。大切なのはそれを消えないように捕まえておくことだとおもう。

記事・消息・ 2016年6月17日 (金)

北大山の会会員各位
関係各位
昭和37年卒 西 安信

 今村昌耕さんより「医学部戦没同窓生追悼式のご案内」を頂きましたのでAACH-ml ならびにAACH ホームページを用いて会員諸兄にお伝えする次第であります。
 皆様ご存じの通り今村さんは御年98歳でお元気にお過ごしでいらっしゃいます。
 今村さんがかねてより北大関係者に対して訴え続けられていた、「医学部戦没同窓生追悼式」開催が実現しそうだとの記事が昨年10月9日に北海道新聞にて紹介されましたが、北大医学部同窓会前会長齋藤和雄先生、現会長浅香正博先生らの医学部関係者のご尽力により来る7月2日北大医学部学友会館「フラテ」にて開催されることが北大医学部同窓会新聞にて紹介されましたので、昨年の北海道新聞の記事と併せてご紹介いたします。
 今村さんは奥様、石垣島ご在住のご子息(医師)、お二人のお嬢様とご家族で来札され追悼式に参列されるとのことです。追悼式は山の会総会と同一日・同時刻に行われますが、何とか調整をして山岳館へもお出でいただきたいと考えます。
 また、11月6日に学士会館で行われるAACH90周年記念行事も楽しみにされております。私も出席を考えており、会員多数の参加の下、皆さんで今村さんの長寿を併せてお祝いしたいと考えております。 取り急ぎお知らせいたします。

記事・消息・ 2016年6月10日 (金)


ネパールヒマラヤランタン谷トレッキングと高山病−2008年10月の記録(PDF)

8年前の記録を今頃なぜと思われる人は多いであろう。このツアーに参加された山の会の石村実先輩からずっと、「吉田君、いつかちゃんと書けよ!」と言われていたのが、気になりつつもなかなか手をつけれなかったのである。この6月に白馬村に1週間滞在した折、ふっと心と時間の余裕ができて原稿の下書きを一気に書き上げることができた。高山病が心配な人、ランタン谷トレッキングや登山を目指す人には幾分とも役に立つ事実を記録したつもりである。

なお、添付地図のピークの名前と高度は基本的にNepal Survey Departmentの5万分の一地形図を使用したが、この地形図には山名がついていないピークが多い。そのため山名についてはNEPAMAPSの1:120000トレッキングマップ(2012)とMandara Productionの1:120000マンダラトレッキングマップス(1985/1986)を参考にした。

吉田勝
2016年6月10日

現役の報告・ 2016年6月8日 (水)

2012年入部の羽月稜です。
カムチャツカ遠征隊帰国 3月24日に日本を出発したカムチャツカ遠征隊ですが、二週間ほど前に全員無事帰札しました。 松本部長より、とりあえずの連絡していただいていましたが、改めてのご挨拶と簡単なご報告をさせていただきます。

今回の遠征では、当然ながら、すべてが予定通りに行ったわけではありませんでいたが、フフホイトゥン、オストラーヤへのアタック成功や、外国人の立ち入ったことのないカムチャツカ北部での300キロ以上の縦走など、大きな目標を達成することができました。

現在は報告書の作成のために、記録や写真を整理など行っています。

山の会の皆様には、遠征の計画段階からずっと、多くの有意義なアドバイスやご支援をいただき、本当にありがとうございました。札幌だけでなく、東京や大阪の集まりに顔を出させていただいた際も、お時間をとって相談にのっていただきました。誰一人海外遠征経験のなかった今回の遠征隊にとって、山の会の皆様のサポートは本当に心強く感じていました。

7月の総会や、11月の90周年式典では、写真や動画のスライドショーなども交えて報告させていただければと考えております。7月11日には札幌で一般向けの報告会も行いたいと思っています。
7月4日の北海道新聞の朝刊で、私たちの帰国の記事を載せていただきました。

 
 
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