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書評・出版・ 2016年3月18日 (金)


少し前、山岳部OBのMLで紹介されていた佐川さんの小説に、北大山岳部員のその後を書いた話があると聞いて、このたび読みました。2013年出版の小説で、読むの遅かったです。先月文庫化されたそうです。
北大山岳部で山を登ってヒマラヤにも登った主人公がバブル末期に都市銀行に就職して山をやめ、バブルの不良債権をひたすら片づける仕事を務めたあと、40代半ばで仕事を辞め・・・という話で、全く登山小説ではないのだけれど、同時代の作家が、同時代を生きたおそらくたくさんの惠迪寮生たちの人生で構成したフィクション・・かもしれません。銀行に行った連中は、多分、こんな風に90年代以降を送ったのだろうか。


佐川さんは、惠迪寮で私と同じ部屋で一緒に住んでいました。一年先輩で、大変濃厚な寮生活を共にしました。文章の端々に、寮生活の際に交わした部屋ノート(交換日記)や、とりとめのない部屋での対話を思い起こしました。更には寮生集会(寮生による討論会)、大学当局との交渉の場などで、中心となって寮生の意見を述べ挙げる頼もしい佐川さんの姿を思い出しました。

記事・消息・ 2016年2月16日 (火)


支部新年宴会はJR京都駅前のホテル開催が定番となっていたが、ここ数年は関西人の一番気にする値段の割りに料理がイマイチ。そんな折、相田さんから株主優待を使うと割安で泊まれる京嵐山の温泉旅館がある、関西人がニ番目に気にする飲み放題食べ放題、とのこと。1泊2日の新機軸、やってみましょう。



現役2名が自分達で作ったカムチャツカ北部山脈縦走の計画について、広くOBに知ってもらいたいとのことで札幌から参加。更に昨秋の月見の会で我々と一緒に比良登山をした女性。女性一人じゃ寂しかろうと相田夫人も参加していただき、近年珍しい文字通り老若男女の宴会となった。

まずはゆっくり風呂に入り作務衣に着替え、お酒と和食をいただく。川道さんはこの日が誕生日。誰も何も言わないので、接客係に自己申告して宴会中にハッピバースデーを歌ってもらっていた。

記事・消息・ 2016年1月28日 (木)

八ヶ岳山麓に住んでいるガイド登山家の花谷泰広さんが、昨年から、ヒマラヤキャンプという企画を始めました。若手の登山家を公募してヒマラヤ登山隊を組み、ネパールヒマラヤの6000m台の新解禁峰を中心に未知の山を登る企画です。20歳で山岳部のセンパイに連れて行かれたネパールヒマラヤが、自分のチャンスだった、その恩返しをしたいと。
昨夜、甲府市内の登山用品店エルクで、報告会がありました。
「ヒマラヤキャンプ」は、1990年代までは日本中の山岳部で行われていたヒマラヤ登山隊そのものだ。気が付いて周りを見れば、今はそんな山岳部はほとんど見当たらない。花谷さんや竹内洋岳さんが最後の世代くらいではなかろうか。僕らの世代が怠ったのか?若者にサッカーがはやっちゃったせいなのか?2000年前後からは、登山もガイドが一般化して、ビジネスライクに技術習得する人が増えたのもあるのかな。
しかし、今になると、手探りで未知のヒマラヤに出かけ、通関も交渉も荷揚げも全部やらなきゃいけないような、一年丸つぶれになるようなヒマラヤ登山隊だから身になることは多いと気が付きます。僕自身も20代の時にセンパイにネパールヒマラヤに連れて行ってもらった衝撃は、今も人生に色濃く影響しています。20代前後は、人格形成飛躍の最大の時期です。その年ごろの連中になんとか種まきをしたいものです。説教じゃなくて、機会を。
今年秋目指す2016年度の第二回ヒマラヤキャンプのロルワーリン・カン6664m(未踏)は、写真で見ました。凄く格好いい山です。ヒマラヤキャンプの記事は来月号の山と渓谷に、BC同行したライター柏澄子さんが書かれるそうです。
北大山岳部も今年は、久しぶりの現役パーティー、カムチャツカ、未知の山脈大縦断長期山行が出ます。日本からの距離は近いけど、極東ロシアはネパールよりも遠い件、多数。そのすべてを乗り越えてやりとげる。貴重な20代になること間違いなし。

書評・出版・ 2016年1月9日 (土)

インドヒマラヤの登攀史をまとめ、2015年現在までの画期的な登攀記録などを集めた、記録集大成です。1936立教大ナンダコートから、1974JACナンダデヴィ縦走、ピオレドール賞を受賞した2008カランカ北壁登攀(一村文隆、佐藤祐介、天野和明)、カメット南東壁登攀(平出和也、谷口けい(遺稿))始め日本人記録を中心に。2014年学習院大山岳部のギャルモ・カンリ初登記は翌年八ヶ岳で遭難死した吉田修平氏の遺稿となりました。

インドヒマラヤの有名ピークといえば、ナンダデヴィ、古いところではシニオルチューでしょうか。8000m峰の並ぶネパールヒマラヤと、パキスタン領になるカラコルムに挟まれてしまって、ティルマンが1930年代に初登したナンダデヴィ以外は、すこぶる地味な印象でした。深田久弥が紹介するヒマラヤ探検記録などの古典は戦前期のものが中心でしたが、当時ネパールが鎖国で入れず、西欧の探検家が調べたのがガルワール、アッサム、シッキムだったからでしょうか。1980年代までは、8000なのか、7000なのかと、何より標高重視で山を見ていた覚えがあります。それだけにインドヒマラヤは地味でした。
しかし、90年代以降は登攀技術の革新があり、難しい6000m峰の未踏峰がたっぷりあるインドヒマラヤに、また難しくない未踏峰も多く残されていて、若い遠征隊にも狙える山域として流行ってきた、という記憶があります。

書評・出版・ 2015年12月28日 (月)

弘前の、山岳同人「流転」の遠征隊の報告書を送ってもらいました。スパンティークは、カラコルムの7000m峰です。こてこての手作り遠征です。旅は、山は、こうあれというもの。普段の地元の山のスタイルで、山スキー、テント無し(半イグル―)、うんこペーパーレス(もちろんゴミも無し)の三本の矢が光っています。
大物の予感漂う23歳女性メンバーの存在も輝いている。若手が続くチームってのが90年代っぽい。
90年代までは、ヒマラヤと言えばガイドと行くものではありませんでした。山岳部なり山岳会のもんが、休みを最低一カ月や二カ月は工面して、自分で梱包、発送して、現地ではポーターに札束配って交渉してキャラバンしてベースで粘って・・・というのがヒマラヤ登山だったのですが、最近、そんな遠征隊の話をさっぱり聞きません。山野井さんや佐藤さんや花谷さんや横山さんや谷口さんたちのような凄腕壁クライマーはもちろん今もやっていますが、僕らのようなセミプロのアマチュアが出かけていくような話をとんと聞かなくなりました。以前に比べ匿名化、非組織化が進んでいるので、日本ヒマラヤ協会も2000年ごろから日本のヒマラヤ登山隊を把握しきれなくなり、もう年報でも網羅できなくなりました。
初登頂じゃなくたって、ピオレドールじゃなくたって、テレビ局が取材してくれなくたって、県民栄誉賞もらえなくたって、全然構わないじゃないですか。もっと手作りで、いつものやり方で、若者がヒマラヤ行けばいいのにな。
久しぶりに送ってもらった手作り報告書。これでいいのだ。

記事・消息・ 2015年12月22日 (火)

けいさんと、初めて会ったのは、2002年の今頃でした。奥穂の冬季小屋で、厳冬期穂高に来るようなクライマーにインタビューしようと何日か待っていました。三日目に初めてやってきた人が谷口けいと大木ボンドの二人、前穂の北尾根からはるばる縦走してきたところでした。その時のインタで、こんな季節にこんなところに来て、とその感想を問えば「地球を感じるんです」と、けいさんはイキイキした目で真顔で答えてくれました。若若しくて、本当に素敵でした。僕の聞いたこれまでで屈指のインタビューの一つです。
その後けいさんはカメット南東壁を登るような大物になりました。
2011年の春、マッキンリー付近で死んでしまった後輩の白石淳也が、最後にベースキャンプで会ったのがけいさんだったという縁で連絡を取りあいました。
昨年、僕は今甲府に住んでいるのですが、けいさんから、八ヶ岳山麓の古民家に住みたいけどいいところないかな、という相談を受けて、いくらかつてをあたりました。八ヶ岳山麓の暮らしを愛したけいさんでした。
今年はる、ネパール大地震の際に現地にいて、山麓からカトマンズまで10日かけて徒歩で歩いて帰った話も、甲府での講演会で聞きました。冬になったらイグルー山行したいねと話して、それが最後になりました。
若くて残念だけど、手ぬかりなくやりたいことをやり続けて、悔いのない人生だったのだと、僕は思っています。人の命はいつか限りが来るのだから、けいさんみたいに生きられれば僕ならば満足です。人の付き合いは死をもって終わることはありません。死者は死んでなお、残った人々の縁結びをしてくれると、死んだ仲間を思い出す時僕はいつも思います。

書評・出版・ 2015年12月22日 (火)

日本の山々を名前に注目して読ませる本です。著者は全国ひろく歩いているようで、以前、ヤマケイで山名考という連載を担当したことのあるライターさんのようです。
やはり珍名といえば北海道です。僕もカニカン岳のイグル―でカニ缶食べました。
カムイエクウチカウシ山の山名由来についてまえに著者から山の会に問い合わせがありました。山岳部の部報2号の当該個所、アイヌの古老、水本文太郎氏から、その名を聞きだす下りが詳しく書かれています。また、山の会きっての文豪・井田清氏による部報3号の水本氏追悼の印象的なところも引用されていました。ここは私も好きなところです。
日高の国土地理院の地形図の間違い訂正の一件(2013年)も厚く書かれています。小野有五先生の北海道地名に関する寄稿もありました。
聞いたところは面白いし意味も深いアイヌ語地名ですが、内地の山も修験道、タタラ文化、ご当地富士に富士塚、歴史のいきさつが盛り込まれた地名解が満載です。ガツガツ登る年ごろを過ぎると、こういう、山の歴史を知って、また楽しむというたしなみが、山登りにはあります。
思わず噴き出す珍名山リストに難読山名リストなどもたくさんあります。
やはり、山行計画では、無名峰よりは名のある山。同じ名前でもヘンな山名の山は、遠回りでもアタックしとこう、って事になります。モッチョム岳、タップコップ山、ペトウクル山、シートートゥムシメヌ山は、まだ未踏だなあ!


ブルーガイド 山旅ブックス
大武美緒子/著 中村みつを/絵
実業之日本社
1,728円
ISBN 978-4-408-11165-0
2015年12月

記事・消息・ 2015年12月19日 (土)

石本惠生会員(1961年入部)が先月末、大変な賞を受賞しました。大日本水産会の平
成27年度水産功績者表彰です。OAFIC社を日本一の水産コンサルタント会社に育て
上げ、現在、水産庁の外郭団体の代表理事副会長の職を務めるなど我が国の水産振興
に尽くしたことが認められたとのことです。

鶴巻大陸会員(1959年入部)が知らせてくれました。鶴巻さん曰く。「石本兄は、ご
承知のように慎み深いラガーマンであり、自分個人のプレーを誇るようなことはしま
せんので、こういうニュースは誰か知りえた人間がアップするまで一般には知られる
すべはないわけです。(実はいずれ誰かがこのニュースを流すものと待ってたのです
が、水産関係会員は東京には少ないせいか、小生の知る限り、今日にいたるまでまだ
流されていないようです)。」ということで、今日ようやくみなさんにお伝えしま
す。

年末年始の酒の肴として祝い合っていただけたらと思います。
以下に石本さんの声をご紹介します。

記事・消息・ 2015年12月18日 (金)

北大山の会年末懇親会は 12/5 に札幌三越 4 階「ライラックルーム」にて開催され, 会員ならびにご家族, ご友人 52 名と現役部員 5 名の参加で, 大変な盛会でございました.
小泉会長の挨拶, 参加最長老 (昭22 入部) の野田 S 会員の乾杯に続き, 安間 S, 中村 H, 松田 K, 西 Y, 下沢 E, 高篠 K, 鐙 K 各会員のプレゼンテーション, 現役の活動報告と さながらディナーショーの如くに会は進行しました. 現役カムチャッカ遠征隊の今年の偵察報告と来年の遠征計画の紹介もあり, 相当額の募金も集まったもようです. 道外から最近旭川に移られた 中村 S 会員, 現役部員の自己紹介も和やかに行われ, 最後は, 夏の総会で総務理事を退任された高橋 K 会員が締めの乾杯を行い, 例年同様, 山の四季を歌い, 集合写真をとっての散会となりました. 参加者の大部分はツルにおいて引き続き懇親を深めたことは云うまでもありません. 福井 F 会員を初め, ご協力いただいた会員各位に感謝いたします. なお 来年の年末懇親会は 12/3 に開催されます.

書評・出版・ 2015年12月17日 (木)

古い写真の数々に、釘付けになりました。奥山章、吉尾弘、吉野満彦、八木原圀明・・、登場する若々しい面々の豪華なことももちろんですが、クライミング黎明期からの装備の変遷を知る上でも。
今、最先端のものには、過去の積み重ね経緯を知らないと、値打ちが分からないことが多々あります。最先端ばかり注目される傾向が特に強いのが、クライミング技術の分野で、古いものを振り返る機会は多くないだけに、この写真群には唸りました。しかも最先端を日々研究し続ける堤さんが出す本ですからね。技術面は細かいところにまで考えが込められていてさすがです。数多くの事故を自分の目で見てきた工夫が書かれています。ありきたりの入門書ではなく、基本的ガイドではないので、クライミングに打ち込む人の研究参考書です。
堤さんは年間通じてあちこちのクライミング講習会に講師として出かける忙しい人ですが、厳しい厳しい指導でも知られています。読めば分かりますが1970年代から常にクライミングの最先端で登攀史を歩み、生き残った旧日本兵のような大物です。

 
 
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