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  • 21年03月22日
    Re: 【中部日高】ナナシ沢1823m峰南面直登沢→コイボクシュシビチャリ川...北陵高校山岳部OB
  • 17年01月29日
    Re: これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部)...佐々木惠彦
  • 16年12月17日
    Re: ペテガリ冬季初登・72年前の今村さんのゲートル  米山悟(1984年入部)...やまね
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...米山
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...さわがき
  • 16年07月04日
    Re: 医学部戦没同窓生追悼式のご案内...AACH
  • 16年06月17日
    Re: 道新に今村昌耕会員の記事...AACH
  • 15年12月22日
    Re: おくやみ・谷口けい 米山悟(1984年入部)やま...すぎやま もちやす
  • 14年12月09日
    Re: 【書評】アルピニズムと死 山野井泰史 2014.11(米山悟1984年入部)...まっちゃん
  • 14年10月25日
    Re: 【読書感想】七帝柔道記 米山悟(1984年入部)...米山

書評・出版・ 2014年7月24日 (木)

ナンガパルバットに三度、全部別の難ルートから挑んで全部山頂目前敗退、冬剱、冬黒部横断の山行40回。こんな無茶で一辺倒な志向で押し通してきて生き残っている。みな、唯一無二の登山家として認識してる。とうとう和田さんの山人生自伝が出版されてしまった。そして恐る恐る読んでしまった。

和田さんは学生の頃からあこがれの登山家だ。当時の「岩と雪」に、冬黒部横断の山行を「学生山岳部員こそ挑め」と書いていた記事を覚えている。冬の黒部川をパンツ一枚で渡渉するその記事を、じじい(同期高橋君)がやや興奮して話題にしていたのが僕にとって一番古い記憶。そのころ、1987年は、和田さんにとって転機になった年だったのだと、この本を読んで知った。

記事・消息・ 2014年5月12日 (月)

北大山岳部と親交があり、マライーニ氏とイグルー山行もした元北大学生、宮澤弘幸氏のスパイ冤罪逮捕事件、名誉回復の件で、新しい動きがありました。
五月の連休中に、宮澤弘幸実妹、高齢の秋間美江子さんと支援者が北大との名誉回復についての話し合いを持ちました。北大は当初関わりを避けていましたが、事件を冤罪と認識し、「北大宮沢記念賞(仮称)」を創設、一年次に英語を除く語学に秀で、かつグローバルな学生が二年次にこの章を授与する事を決めました。
退学処分にした件についての謝罪や卒業認定に関しての特別事項は特にありませんでしたが、秋間さんは冤罪を認めてもらえた事で心が少し晴れたようだとのことです。
北米在住の秋間さんは、30年前、登山家の山野井泰史氏が北米の山で遭難した際救助に関わった縁で、山野井氏の父上の携わる反戦労組関連の市民団体とつながり、支援をうけることになったということです。今回の名誉回復に、山野井父が精力的に働いてくださいました。
宮澤氏は山岳部員ではなかったのですが、外国に興味を持ち、外国人留学生や宣教師と積極的に交わり、ソ連との国境地帯などをよく旅行していたため、特高警察に冤罪をしかけられ、真珠湾攻撃の日に見せしめで逮捕されたようです。
山が好きだったイグルー友達として、宮沢氏の名誉回復を私は喜んでいます。

5月8日朝日新聞北海道版
5月11日北海道新聞社説
NHK北海道放送

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%AE%AE%E6%BE%A4%E5%BC%98%E5%B9%B8%E3%80%80%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%96%B0%E8%81%9E&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hl=ja&client=firefox-a

OBの山行記録・ 2014年5月11日 (日)

シューパロ岳は、芦別、夕張山脈の西列にある鋭峰群のひとつ。南北の衝立みたいな細いリッジに10以上のピナクルが尖って最高点シューパロに続く。山頂手前には100mほどの岩壁バットレスもある。山深いので積雪期に目指す人はいないし、無雪期は尚更。登攀記録は見た事が無い。シューパロ岳に登るなら、このリッジが正面玄関だろうと、8年前から計画をしていた。
(4月20日撮影 1415より斉藤)

書評・出版・ 2014年2月1日 (土)


去年北海道版ネーチャー雑誌に大野(1997入)さんのインタビュー記事が載っていた

記事・消息・ 2014年1月31日 (金)

1月25日(土)大寒が過ぎたばかりだというのに朝から陽光は春めき、3月下旬並の暖かさとのことで京の街も道行く人も何となくはんなりと落ち着いていた。ここ数年誰か彼か開催日時を間違うという、70代を母集団とする世界では許容範囲のハプニングがあったので、連絡係りとして今回は4度もメ−ルで日時を周知したのだが、午後3時開催を13時と思われて早めに会場入りした方もありました。老人性相対性理論。

記事・消息・ 2013年11月20日 (水)

10月26日(土)夕方、接近を心配していた台風27号は伊豆大島の東に遠のくも、湖畔では風向きやその強弱が定まらず、バーベキュー用の炭火着火はともかくも、恒例の焚き火は枯松もずぶ濡れだし諦めようと思っていたが、血が騒ぐ連中がいて、いつの間にかコップ片手に打ち寄せる波の音を聞きながら、じっと焚き火の炎に見入る。

書評・出版・ 2013年11月18日 (月)


岳人12月号に載せてもらった書評です。字数制限校正前のもと原稿です。
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著者は北海道の山と海で長く知られた冒険家だ。ニセコの新雪滑降スキーヤーの雪崩事故を現場で20年以上かけて押しとどめて来た。それから知床でシーカヤックによる岬越えを100回以上ガイドした。どちらも一級の天然世界を滑る自由、漕ぐ自由、本当の冒険に対する敬意のために、行政、観光、漁業、学者、環境派、さまざまな「冒険者以外」の人たちに頭を下げ、その矢面に立ち、過去と未来のすべての冒険者の代弁をする役割を引き受けて、ある程度の成果をおさめて来た。とても尊いことだと思う。


「人々はいきなり自然に目覚め、アウトドアマンになった。そして修練を積まずに冒険に踏み出し始めた。アウトドア文化とは都会人の自然願望をコマーシャリズムが煽ることによって生まれた文化であり、その意味で都市文化のひとつといえるのではないだろうか」

青春時代に手作りの冒険をして育ったあとニセコと知床でやってきた「アウトドア文化」時代。強い違和感を感じながらその前線に立ち続けた。カンダハー、バンド締めのシール、漁師用雨合羽など、古くからの道具に言及する。秘境探検の黎明期から使われてきた原始的な山道具は、今では時代遅れなのだろうか。

私は著者新谷さんに一度お会いしたことがある。ニセコのエリア外新雪滑降をする人が増えて雪崩による死亡事故が急増し、それをなんとかしなければと苦闘していた1992年だった。新谷さんはカンダハーの締め具に革登山靴だった。良質な雪のあるニセコへアメリカから滑りに来ていたイヴォン・シュイナード氏の案内をしていた。氏は最先端の登山用品を作るパタゴニア社の代表にして登山家。登山道具開発の専門家だ。その彼が新谷さんの足下に敬意を払っていたのをよく憶えている。

単純な締め具カンダハーを私も学生のとき使ったが、その頃は新谷さん以外使っている人を見なかった。昔からの道具は、初心者には簡単に使えない。修練を積むうち身体の延長となり、山での自由な行動の手足と化して働く。最近の道具はそれがなく、いつまでも「借り物」だ。偽りの全能感で山に向かい、最も忘れてはいけない「山への畏怖」を培うことができない。それはビーコンやGPSも同じだ。長く登っている者はその安っぽさがわかる。便利なモノについて行けないのではない。それを持つと山で最も大切なことが損なわれるということを知っている。

「90年代後半から2000年の始めは今日へとつながる混乱の時代の始まりだったように思う。人々は多様な価値観という言葉に惑わされ、苦労せず手にした知識を勘違いし、努力することを忘れた。しかし借り物は所詮、借り物でしかない。そして事故が続いた。」

もう一点道具に頼らない著者に共感する点が、イグルーで雪山を登る話だ。雪の質を見て、知恵を使って作るイグルーは、習得すれば無敵の天場だが、いまはそれを修練する人はいない。私は、自分と仲間のほかには著者しか知らない。

著者の山から海への転身を意外に思う向きもあるかもしれない。しかし、北海道では両者は冒険の場として自然に連続している。知床では海抜0mの無人地帯でスキーを担いで泳いで徒渉して取り付くこともあるし、増毛や積丹では沢を下れば人家抜きで海へ直行の所もある。だから高所登山に区切りをつけたあと、北海道育ちの著者がカヌーに転じたことに納得する。それは、ハロルド・ウィリアム・ティルマンがエベレスト探検から手を引いた後、ヨットで南氷洋にでかけ、氷雪の未踏峰を登る探検を綴った評伝「高い山・はるかな海」に対する敬意からも。北海道は千島を通してアリューシャンと繋がり、サハリンを通してシホテアリンと繋がっている。その脈絡を読んで欲しい。

ナンセン、デルスー・ウザーラ、ティルマンはじめ、アリューシャン、パタゴニア、ネパールの住民など、天然世界の波形に合わせて前進する人々の尊いことばの数々が語られる。そしてティルマンについて書かれた「高い山 はるかな海」という本について、私が著者に共感する逸話があった。貸した本はたいてい返って来ないがこの本は何人に貸しても必ず帰ってくる、とある。今は絶版で手に入らないこの本を私も、後輩、同志に私も何度も貸した。今は来年カラコルムに行く友人が読んでいるところだ。帰ってくれば誰かに読ませたくなる本なのだ。

「雪崩の危険は吹雪の間かその直後」

「制度で知識と技術を学ばせることはできる。しかし経験は教えられない。これだけは自分で積まねばならない」

「経験を積めば用心深くなり慎重になる。そして、ときに経験が役に立たないことも知る。」

「準備を怠ってはならない。何ひとつ忘れてはならず、余計なものを持ってはならない」

全編、経験から得た価値ある短いことばに満ちている。

長く冒険とそれをとりまく社会に現場で関わって来た男の、つぶやくような、告白するような文章が、ひとつひとつ心に降り積もるような本。

書評・出版・ 2013年11月15日 (金)

久しぶりに岳人の感想です。

●ニセコの新谷さんの新刊、「北の山河抄」の書評を米山が書きました。p126です。

●なんといっても山スキー部の近郊スキー大縦走の記事があり〼。(p94)
冷水小屋から入って札幌岳〜空沼岳〜漁岳〜中山峠(〜無意根/悪天で一度下に降りる)〜余市〜春香〜手稲と逆Cの字に山小屋つないで巡る豊平川集水域を回る夢の計画。札幌に住んでいればいつかはやってみたいもの。在田さんが山登っている姿初めて拝見しました。急げばもっと短時間になりそうだけど、これはこのスピードで楽しそう。いつかやってみたい。美しい計画です。山スキー部はスキー部からの独立50年だったんだ。

●松原君(1990)の7年ぶりという沢記録載ってました。(p103)
男体山北面の金剛峡〜御真仏薙遡行記録です。誰も行かない堰堤27連発をぐっとこらえて「意外にもスケールある岩溝状」など堪能の模様。米山も夏に奥秩父の主峰国師岳に良い登路はないかと金山沢を登って、堰堤14連発の憂き目にあいました。もとはよさそうな谷なのですが。男体山も行くならこれで行くしかないですね。冬は登山禁止だそうなので。

●けっこうおもしろい連載だったニッポン百名山(樋口一郎氏)が遂に最終回でした。(p187)
筑波山と富士山。富士山は素人が登りたがり、ちょっと山になれた頃は馬鹿にして登らない「富士山軽視」という「通過儀礼」を通り、登り込んだ人にはその深い意味と奥行きを知って真価を知るようになるという、富士山は岳人の成熟度を測るバロメーター説には納得しました。まったくその通り!私は30年かかりました。

●利尻仙法師稜の紹介記事で、ことし春BSの番組で東稜(東北稜だったかな?)脇の谷を滑り降りた佐々木大輔氏が利尻の思い出を書いている。15歳で北尾根を山スキーアタックしていたんだ!(p65)

●少し前連載していた剱岳幻視行(和田城志氏)間もなく単行本化されるそうです。木本さんの連載だったクライマー魂今読んでいます。お二人とも敬愛する先輩です。おいおい読書感想文を載せたいと思います。

記事・消息・ 2013年11月12日 (火)

カッツン(2003入)の結婚パーティ、新婦アスキはHUSVで2人はザイルパートナー。3月に入籍していて新婚旅行はモンブラン山群の氷壁登りと山スキー。カッツンは私の会社でチェンソーマンの修行中。木に登って危険枝の処置にも活躍。アスキは森林科学科卒で山スキー部OG。一緒にスキーもしたことがある。父も林学砂防卒で私の後輩かつカヌー仲間でもあり(JIKA職員で水害対策や防災指導で世界を飛び回っている)そんな関係で祝辞を頼まれた。

AACHからは私以外の若者は8名が参加。97入部のY下君(家族全員で)とシュウ、00入はU詰、01入はA桐、03入の同期はS藤、N島、04入はタクロー、T尾君ら。


場所は中島公園に近い場所で人前結婚式後、懇親パーティ。手づくりのパーティで料理も美味しかった。山スキー部、ワンゲルも来ていて山仲間中心の楽しい結婚式だった。


シュウはネパール服で。ニセコ町の職員だそうで羊蹄山の近くにドームハウスを買い、春には結婚するそうだ。

記事・消息・ 2013年11月9日 (土)

10/26〜27に86周年になるヴェチア祭りが今年も催された。

峠越え:7名 車利用:10名、現役:13名(4年目1名、1,2年目6名ずつ) 以上宿泊30名、
日帰り:5名 合計35名が参加 


現役はチャリや車で買出し後14時過ぎに到着。峠越え組も雨にやられずに快調に歩き15時頃到着。17時過ぎには皆揃って、主任幹事のT君の乾杯で前夜祭が始まる。倒壊トイレの解体材や買った丸太で豪勢な焚き火を囲む。途中から霧雨模様になり、タープもあったが気にせず火の回りで酒を酌み交わす。


メニューは前菜のラーメンサラダからメインはポトフに、キムチ鍋、今回もダッジオーブンが活躍し、パエリアや手羽元と野菜丸ごとロースト、丸ごとかぼちゃの焼きスイーツなど舌の肥えたOB達を満足させた。



現役1、2年目が計12名と増えてリーダースタッフが少ないのが悩みだが、皆頼もしく今後が楽しみ。各自自己アピール。A間氏からは空沼小屋改修について熱い思いが語られた。
海外遠征や現役の参加の可能性など中身が濃い話が続いたが、全員が自己紹介する前に酔いが回る。ハーモニカ、笛が登場したり、歌を歌った。翌日が現役2年目のG島君の20歳の誕生日で手作りの抹茶シフォンで祝い、ハッピーバースデーを歌った。


朝起きると雨や霙でタープがひっくり返っていたりした。うどんの朝飯後I村夫婦が手作りのりんごパンを差入れ。ついでN元会長夫婦がサラダロールパンとコーヒーを振舞ってくれる。丁度紅茶などの用意を忘れたので早めの美味しいランチとなった。

小屋前での記念写真後、現役は薪割り、床のワックス掛け後10時過ぎに解散。

 
 
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