3月5〜7日(2ー1)
春メイン 芦別岳直下雪崩引き返し
L中島(3 AL寺尾 平塚(2 M1海太(1

尾根がスカイライン手前で斜面になっているところで雪崩発生。
<時間とルート>1日日 曇り後雪 林道(6:15)半面山=C1(12:05)
紅葉川沿いの林道に車をとめて出発する。・626付近までブル道が伸びていたためにそれを利用していく。Co1000〜1200の間は北側にセッピが出ている。半面山直下は白くてちょっと怖い。熊の沢の源頭にてイグルーを作り、C1。所要時間は3h。
2日目 低気圧通過のため停滞。
3日目 ガス後快晴 C1(6:15)芦別岳直下引き返し(8:40)車(14:20)
雲峰への登りは木を伝って屏風岩とのコルを経由して上がる。雲峰を過ぎたコルからシートラ。雲峰〜芦別間は北側にセッピ。Co1680付近で雪崩発生(詳細は別紙参照)、3人流される。ルート上はどこも危険と判断し引き返し。後は登ってきた尾根の不快な雪の上をスキーで滑って下山。
<パーティ>春メイン
Ls:雪崩判断ミス
M1:ラッセルがんばった、地図読みもがんばった。諸動作はまだ遅い
場所)芦別岳北東尾根Co1680(トラバース開始箇所のすぐ手前)
状況)ラッセルが大変で、すぐ左手側に小尾根が見えて、そこに上がろうという意見が出たが、弱層テスト(ハンドテスト)の結果が、15、30、50にひじの強さで崩れる層があるというものであったために、トラバースは危険であり、すぐそこに行けば岩やブッシュも出ているということで北東尾根を行けるところ(岩やブッシュが確認できた場所)まで直登して行く方針をとる。右手側はユーフレ沢源頭が近い。斜面の傾斜は30から40度になっていく感じ。順番は平塚、中島、佐藤、寺尾、全員固まっていく。ラッセルはふかふかではないがズボズボする感じでふとももくらい。直登していたが、ところどころ難しくなった箇所は小さくジグ(3,4歩分)を切って登る。あと数メートルで岩の出ている少しだけ平になっている箇所に平塚が到達するというところで平塚後方の雪面(横幅10メートル、縦幅20メートル)がドンと音をたてて、上部から中島、佐藤、寺尾を乗せたまま動き出し、下へ30メートル流れ出す。ふかふかの雪ではなく締まったブロック状の雪として一緒に流れていた。中島、佐藤は10メートル、寺尾は20メートル下まで落ちる。中島、佐藤は足元の雪面ごと下に滑っていくように感じて回転後すべり面の上で滑落停止の要領で止まり、寺尾は雪崩れた層に巻き込まれて雪とともに流され傾斜が緩くなったところで立つ。発生後は皆の無事を確認した後、写真を撮って、まっすぐ緩やかなところまで戻る。デブリは傾斜が30度のところくらいで止まっていた。今回の雪崩は、面発生表層雪崩であり、入山前の連日の暖かい日に弱層が形成され、その上に吹き溜まった雪が雪崩れたものと思われる。
反省点)・パーティーが離れずに固まっており、斜面に大きな負荷をかけてしまっていた点。安全に待てる場所が近くに無かったため離れずに行ってしまったが、もっと雪崩を警戒して離れるべきだった。また、固まっていくということにより、パーティーが全滅する恐れがあったということについて考えが足りていなかった。
・硬い斜面なのにスコップを使わずにハンドテストで対応してしまった。そのために正確に掘り出すことができずに適当になってしまった。
・傾斜とラッセルがきつかったために小さくジグを切ってしまった。斜面への影響を考えると、時間がかかってでも直登を順守すべきだったかもしれない。また、先頭のメンバーが疲れているのなら交代すべきだった。
・天気周期によりその日しかのっこしの機会がなかったことから、少なからず焦りが生まれていた。
今後)今までの雪崩に対する基準が甘かったことをしっかりと認識し、慎重に行動するように注意する。また、検討段階においても弱層テストの判断や過去の事故例等の具体的な指摘を怠らないようにする。冬の講座の際は芦別パーティーで雪崩に関してより詳しく調べ、講座を開こうと思う。
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会津駒ヶ岳(2132.4m)
●2006年4月15日(土) (1ー0)
【ルート】
桧枝岐(滝沢橋)Co950m=(夏道尾根)=会津駒ヶ岳(2132.4m)
【メンバ】
L:山森聡(86入部)、M:石橋岳志(82入部)、清原実(86入部)、銭谷竜一(90入部)
※石川守(87入部)も登山口まで同行したが、体調不良のため山行を断念し、登山口の車中で待機。
【行程】
4月15日(土)(晴れ) 桧枝岐滝沢橋(7:30)→Co1370m電波塔(9:00-20)→Co1700m付近(10:10-40)→会津駒ヶ岳山頂(12:00-12:30)→Co1900m付近(12:50-13:10)→Co1370m電波塔(13:40-50)→桧枝岐滝沢橋(14:10)
【記録】
先週末は、北アルプス等で山スキー雪崩遭難が相次ぎ、また、会津駒ヶ岳でも1名下山せずというニュースがあった。今回の山行では、積雪期のスキー登山の危険性を再確認し、下記(1)〜(5)などを事前にパーティで申し合わせた。
(1) 家族に登山計画書と緊急連絡網を渡し、万一の際の対応方法を確認しておく。
(2) 悪天候や視界がないときは、無理をしないで引き返す。
(3) 雪崩事故の場合、パートナーによる迅速な行動(セルフレスキュー)しか助かる道はない。ビーコン、ゾンデ棒、スコップの三種の神器は個人装備とし、やばいところは、お互いに見ているようにする。
(4) 軽量化もいいが、現役時代の考え方を良く思い出して、事故時でも2〜3日はビバークして生き残れるだけの非常用装備をパーティとして持つ。(ツエルト、ノコ、ストーブはパーティ装備とし、非常食や防寒具等は各自真剣に準備。)
(5) パーティの先頭と最後で、声が届く範囲で離れないように行動する。

東京組の4人は、金曜日の夜22:00に、目黒区の石橋兄邸前を石橋兄号で出発。道の駅たじま着2:00。テントを張りC0。銭谷は仙台を23:00に出発し、道の駅たじま着3:00、車中で仮眠。6:00に出発し、7:00に桧枝岐の滝沢橋(登山口)着。ここで、石川ヤンケが体調不良で山行を断念。小3の長男が風邪で高熱を出していたそうで、それがうつったらしい。残念だが、車の中で寝ていてもらう。

このコースは、山スキーの人気コースのようで、準備をしていると、次々と他のパーティも車で到着する。最終的には、この日は、約10パーティ20数名が同じコースで登頂したと思われる。登山口には、「登山者の皆様へお願い」と題し、「先週(4/8土)に入山した方(59歳男性)が現在も行方不明で、心当たりがあれば、南会津警察署か桧枝岐村役場に連絡して欲しい」という趣旨の看板が立っている。

林道はショートカットして沢沿いを進む(写真)。Co1100m付近で再度林道に合流するが、取付点にハシゴがあるという夏道尾根にはとりつかず、Co1300付近まで夏道尾根の南側の沢を詰めた。沢には表層雪崩と思われるデブリが残っているが、この日の雪の状態は安定していた。Co1370m付近の夏道尾根と合流するところで休憩。電波塔(共同アンテナ)がある。ここからしばらくは美しいブナの森を登る。

駒の小屋から山頂までは、真っ白で風が強い。景色は最高。写真は、燧ヶ岳(左)、至仏山(中央)、平ヶ岳(右)の尾瀬の名峰(いずれも百名山)を眺めながら会津駒ヶ岳山頂(これも百名山)へシール登高する石橋兄。私は燧ヶ岳(1999年GW)と至仏山(2005GW)はスキーで登ったが、平ヶ岳はまだ登ったことがない。鳩待峠から平ヶ岳までは是非行きたいルートだが、やはり相当距離がありそうだ。

駒ヶ岳山頂で登頂を祝って固い握手。中門岳方面に北側へ延びる尾根をバックに記念撮影(写真)。石橋兄と2週間前にスキーで登った、越後・守門岳も遠くに見える。

山森、石橋、清原の3名は会津駒ヶ岳へは初登頂だ。銭谷は、現役1年目の春山メイン山行で、武尊山から平ヶ岳、燧ヶ岳、会津駒まで縦走して以来、17年振り2回目の登頂だそうだ。石川ヤンケも17年前の春山メイン山行のゴールに会津駒ヶ岳を銭谷と一緒に登頂しているそうだが、今回は残念ながら登山口の車の中で寝て待機している。本当に可哀想だ。

折角持って歩いているゾンデ棒で積雪量を測定。280cmの積雪。私の身長よりもさらに1mも高い木であっても、すっぽり雪の下に埋まっていると考えると、相当の積雪量だ。

山頂からのスキーは、アイスバーンではあるが、ド快調だ。燧ヶ岳を正面に見ながらの大滑降。気持ちがいい。ババアは小回りのジャンプターン(ジャンプウエーデルン)でかっこよく一気に滑り降りていった。石橋兄(写真)は、テレマークで優雅な滑り。私は、今シーズンさらに上達したスキーを皆に披露すべく、パラレルターン大回りで気持ち良く滑り降りた。

スキーが、やや苦手な銭谷君も、転びまくりではあるが、この大雪原のスキー大滑降を存分に楽しんでいた。右後ろは、会津駒ヶ岳山頂。

Co1900付近まで滑ると、樹林帯で風が当たらない。一気に下山するのは、もったいないので、折角非常用に持ってきたガスストーブで、雪からお湯を沸かして、コーンスープを作って皆で飲んだ。うまい! 春山は楽しいねぇ〜。

スキーの寵児を歌いながら、ブナの疎林をスキーで快調に滑る。先頭を滑っていると、うしろからコールがする。どうやらルートを外れたようだ。危ない危ない。トラバースして正しい尾根に乗る。下山後にPCでGPSの軌跡を確認したら、ルートを外れてから、標高差100mも下っていた。スキーの下りはルートを間違えると、一瞬で相当の標高差を下ってしまうので要注意だ。反省。

登山口では、行方不明の方の関係者だという夫婦らしき2人組に、山の中で何か手がかりがなかったかを訊ねられた。下山してくる全パーティに訊ねているようだが、有益な情報は得られていない様子で気の毒だった。石川ヤンケは、まだ相当体調が悪いようだ。桧枝岐村の2つある公衆浴場(駒の湯、燧の湯)のうち、駒ヶ岳登山口に近い「駒の湯(500円)」に入り、そばを食べて、東京と仙台へ帰った。
(文責:山森 聡)
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4月11(火)、13 (木)、18(火)山岳部説明会18:30〜
場所 11日,18日(山岳館) 13日(サークル会館内部室)
当日18:15〜教養棟ロビーにて待っていますので興味のある方はぜひご参加ください
Academic Alpine Club of Hokkaido
北海道大学山岳部
裏面
求む隊員。
至難の旅。
僅かな報酬。
暗黒の長い日々。
絶えざる危険。
生還の保障なし。
成功の暁には
名誉と賞賛を得る。
ーーアーネスト・シャクルトン 1900年、南極探検で知られるアーネスト・シャクルトン卿は、同志を募るために、こう呼びかけました。
未知の世界への果敢な挑戦ーその心意気に我々は深く共感しています。
今、北大山岳部は、さらなる展開を期して人材を募集します。これまでにない新しい山登りの創出に向けてアーネスト・シャクルトン卿の言葉を借りて、広く新入生に呼びかけます。
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3/6-11(6ー0)
旭岳温泉→忠別岳→石狩岳→岩間温泉 L勝亦(3 AL澤田(2 M竹内(1
写真は後ほど。
<時間とルート>3/6:旭岳温泉(5:55)-忠別川源流=C1(12:15)
雪。スキーコースCo1200くらいから南東に向かいCo1400湿原の西に伸びる尾根を登る。・1654西の沢沿いに下りCo1300二股とCo1280二股は右股を回りこんで徒渉してC1。
3/7:C1(6:00)-尾根上(6:40)-凡忠別岳(9:00)-忠別岳(10:40)-石室西コル(12:00)-五色ヶ原(13:00-20)-沼ノ原=C2(14:50)
ガスのち快晴。Co1550までカンバ。凡忠別岳から一気に快晴となる。凡忠別岳の南側には雪庇。忠別岳からの下りはスキーを脱いだ。五色岳は捲いた。沼の原コルへの下りは急で白かったので少し北側の比較的傾斜が緩く樹林もあるところから下ってC2。雪庇が出ているところもあった。軽く焚火。
3/8:C2(11:20)-ペテトクコル=C3(14:40)
晴れ。ペテトクコルまで樹林帯を行きC3。盛大に焚火。
3/9:C3(5:50)-Co1600(7:30)-J.P.(12:00)-J.P.南東尾根頭=C4(12:20)
晴れのちガス。北側に雪比のある尾根を行きCo1600で岩が出てきてアイゼンに変える。岩は南側を容易に捲いた。・1729から両面雪庇。その後岩の上にアイゼンを置いたり2mのハイマツつかんだバックステップしたりした。その後も雪庇は北にも南にも出ていた。J.P.南の尾根頭に雪洞を掘ってC4。
3/10:C4(9:15)-石狩岳(11:30-40)-C4(13:30-14:20)-岩間温泉=C5(18:00)
快晴。朝出ると快晴だったが風が強く少し行って引返し。弱まってから再出発。石狩岳までは夏道がわかり問題なし。時々岩に足を置く。C4へ戻り南東に伸びる尾根を下る。カンバがすぐ出る。はじめは太い尾根だがやがて北側に雪庇。Co1620からスキー。樹林が密で不快調。岩が2箇所ほど出てくるが南側を捲く。スノーブリッジで徒渉して岩間温泉でC5。
3/11:C5(11:15)-十勝三股(14:45)
曇り一時雨。林道をスノーシューのトレースで十勝三股まで。
<パーティー>Ls:天気に恵まれた。
M:がんばった。
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これでない方がいい
北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
冬休みに入ると冬山合宿へ出発である。昭和十九年にはすでに出火のため、従来使
われていた吹上温泉が使用不能になっていたので、その後ニセコで合宿したり十勝で
は勝岳荘をヒュッテとして使っていたようである。
勝岳荘は白銀荘にも近く、吹上温泉のすぐ上にあったのでヒュッテへのアプローチは
二十五年入部の我々の時とあまり違ってはいなかったと思う。
桑園駅に集合して夜行列車で富良野へ。そして真夜中に富良野線の列車に乗換る。
発車は五時半だが、直ぐに入線し、まだ乗客のいない空の客車にストーブまで焚いて
貰って朝を待って発車し、六時に上富良野着。駅の前で合宿幹事が手配してあった馬
橇に荷物だけ積み込み、人はそれに前後しながら徒歩で行く。
平地が終わるのは、以前に噴火口付近で採掘した硫黄を運搬したという架空索道の
終点跡と思しき所で、ここからはスキーを着け、荷を背負って勝岳荘迄の登りになる。
一週間の冬山合宿ともなれば一人当たりの荷は三十キロは超える。初めて合宿とあ
って見栄を張ってどんどん上って行った小生も、もうじきヒュッテという所で些かバテ気
味で腰を下ろして休んでいた。追いついてきた先輩は流石にもっと凄い荷を背負ってゆ
ったりと力強く脇をラッセルして通り抜けた。そして、一寸足を止めて意味ありげにニヤ
リとして語った。ある時の合宿で、X訓はこの辺りでヒラヒラになっちゃって腰を下ろして
動かなくなった。しょーがないので少し休ませてからテルモスのお湯をカップに注いでウ
イスキーを少々入れて渡したら。
「あーウマイ」
と言って忽ち元気になった。
「さー行くか」
と言って歩き出そうとしたら
「もう一杯下さい」
と言って空になったカップを差し出したので、お湯だけ注いで渡したら、一口飲んで
「これでない方がいい」
と言ったという。
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3月25日(土)
参加者:石村夫妻、遠藤、渡辺、松下、石本と御子息、井上、佐藤、木村

コース
先ずは、この山の山名。「御前山」は国土地理院の地形図には単に御前山と記載され
たものが多数存在し、2万5千分の一地形図「上野原」には三つある。したがって484メー
トルのこの山は山麓の集落の名を付して「鶴島御前山」と呼ばれている。

JR上野原駅南口から舗道を左手に行き県道に出たら右折して桂橋を渡るとバス停「駒
門入口」がある。桂川上流方向に横断歩道をわたると左側の擁壁の上が島田小学校で、
校門を左手にして回り込むようにして車道を行くと集落の一番上は墓地なり、墓地の中
間あたりの左手の急斜面が登山口で道標がある。

森林帯を出ると送電鉄塔。露岩が現れロープが付いていてやがて山の神の祠。雑木
の中の平らな尾根を行くと頂上である。展望が開け上野原の町並みが展開しその奥に
生藤山、権現山、遥か彼方に雲取山の頂も見える。
下りは西に向かう小さな尾根を行く。急傾斜だが、じきに小さな鞍部で高柄山から来
る道にぶつかる。この辺は、きめの細かい緑色の綺麗な凝灰岩でできている。左に曲
がり、東に向かってジグザグに下り、登ってきた山を巻くようなかたちで沢に出る。車道
を行き鶴鉱泉を過ぎた所の道路脇の大木は天然記念物のムクの木。左折して進めば
往路に出て駒門入口バス停に着く。

その日のこと
平成十八年三月二十五日。ハイキングコースが混む季節ではあるが、ここは急峻な
上り下りがあるので人けは少ないとみたのは的中。しかし、登山口で支度を整えてい
ると下から人が登ってきた。おやおや、と思っているとそれは我が方の松下君だった。
ひと足遅れて追ってきたそうである。石村夫妻、遠藤、渡辺、石本と御子息、井上、佐
藤、小生を合せて総勢十名になる。久々の顔合わせもあって話がはずむ。
天気は晴朗、急峻な登りを終えると少し淀んではいるが、以前に歩いた権現山から
陣馬山までの峰々が見渡せた。木々は未だ芽を、枯れ葉に腰を下ろしての昼食。食中
のワインは言うに及ばず石村ゾーキンの自家製。味が上がったとの評判。下り終えると
今度は石村夫人お手製の「ひま」ブランドのケーキの配給。ヤシは後述のカタリを出す。
ダン吉はダン吉で、前回愛用の杖を無理やりヤシにプレゼントしちゃったので枯れ枝を
拾って杖にしていた。東京支部の最古参とも言うべき会友の井上女史は、またトンチン
カンなことになったと思ったのかニコニコ、ニヤニヤ。
ともあれ、今回もいろいろな顔ぶれでの、歩きと駄べりを満喫。
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守門岳(すもんだけ、1537.2m)
●2006年4月1日(土) (1ー0)
【ルート】
大白川(大原スキー場)=守門岳
【メンバ】
L:石橋岳志(82入部)、M:山森聡(86入部)、杉崎浩史(石橋兄の同僚テレマーカー33歳)
【行程】
4月1日(土)(晴れ) 五味沢下黒姫沢出合(7:35)→下黒姫沢林道引返し(7:50)→五味沢下黒姫沢出合(8:00)
※ラッセルが深いため、下黒姫沢からのルートを断念し、大原スキー場からの予備計画ルートに変更。
大原スキー場リフト終点Co640m(8:45)→Co755.2m(9:15)→稜線に出るCo1190m(11:15)→守門岳(12:15-45)→稜線下降点Co1190m(13:15)→大原スキー場駐車場Co390m(14:15)
【記録】

金曜の夜に石橋号で東京を出発し、五味沢の除雪終点で車中でC0(仮眠)。当初の計画は、人が多いであろうメインルートを避けて、「五味沢→(下黒姫沢)→駒の神→袴腰→(細い雪稜)→守門岳」の往復(登り:6h、下り3h)であった。まずは、計画通り、五味沢の下黒姫沢を出発する。黒姫を目指すという女性2人の先行パーティのワカンのトレース上を、スキーで進む。写真は破間川の橋を渡る石橋兄。

下黒姫沢沿いに10分位進むが、予想以上に湿雪のラッセルが重くて、深い(40cm位)。積雪量は280cm(ゾンデ棒で測定)。この調子では、守門岳ピークまでは届かず、時間切れで敗退する可能性が濃厚である。そこで、行動時間の短い予備計画ルート(大原スキー場から登るルート)に変更し、守門岳ピークを目指すことにする。その後、稜線まで目指すという7〜8名のパーティが、スキーで下黒姫沢へと入山して行った。

大原スキー場リフト終点で、地図を確認する石橋兄と杉崎氏。こちらのルートは、既に先行パーティがいるかと思ったが、幸いトレースはない。我々が一番乗りのようだ。晴天で景色は最高である。

歩き出しは、林の中の緩い下りである。尾根に取り付き、少し登っていくと、スキー場とは違う、西側の沢の方から登ってきた単独行の人に会う。聞くと、リフトを使わずに朝7時に出発して登って来たそうだ。既にお疲れの様子で、お先に失礼させてもらう。結局この日に、このルートに入山したのは我々3名と、単独行1名の計4名のみで、静かな山行を楽しめた。(守門岳に登頂したのもこの4名のみと思われる。)

30分も歩くと、Co755.2mに着いた。少々疲れたので早速休憩。下りは、この辺りから東側の沢に降りた方が、登り返しもなく、快調そうだ。

Co950m位の急斜面は、シートラしてツボで登った。凍った雪の上に新雪が積もっており、凍った雪までしっかり蹴り込まないとずり落ちて、小雪崩を誘発しそうだ。写真は、急斜面を登り終えた石橋兄と青空と樹氷。

Co1190m付近で稜線に出る。杉崎氏(写真左)と石橋兄(写真右)。南側(写真背景)には、越後三山から谷川連峰までを望むことができる。

守門岳へ向けて、越後三山や谷川連峰を背に、シール登高する石橋兄。

守門岳(袴岳)山頂にて。杉崎氏(左)と石橋兄(右)。

守門岳(袴岳)山頂から、雪庇の発達した大岳への稜線を望む。山森(左)と石橋兄(右)。二分から大岳(1432.4m)へ登るルートもスキーが快調らしい。立ち読みした「山と渓谷4月号」では、「守門岳 雪庇の張り出しから豪快にダウンヒル」と題して、このコースが紹介されており、大岳の雪庇からスキー滑降する写真が載っていた。

守門岳頂上からのスキー滑降は快調だ。石橋兄と杉崎氏はテレマーク、私は山スキーで、ターンを刻んでいく。写真はテレマークの石橋兄で、後ろに見えるのが守門岳山頂。

Co1190mの稜線下降点からは、雪崩を誘発したり、雪庇を踏み抜いたりしないように慎重に下る。特にCo950m付近のシートラで登った付近は、白いところは雪崩そうなので、ブッシュ帯を斜滑降とキックターンで慎重に下る。Co850m付近から、支尾根を使って東側の沢に降りた。写真は、支尾根をテレマークターンで滑降する杉崎氏。

沢は直滑降で滑るか滑らないかの緩やかな斜度。私も踵を解放(ヒールフリー)して、クロスカントリー状態。途中で林道を使ってスキー場の中腹に出て、ゲレンデを滑って駐車場へ下山。

お決まりの温泉は、五味沢の浅草山荘(日帰り入浴600円)。風呂の大きなガラス窓からは、当初行く予定だった下黒姫沢方面が良く見えた。いつの日か再チャレンジをしよう。ここは浅草岳(1585.5m)への登山口にもなっている。浅草岳には、1999年のGWに、斎藤清克(87入部)と2人で、会津(只見)側からスキー登山した。石橋兄も会津側からはスキー登山したことがあるそうだ。こちら(越後)側からもいつか登ろうと思う。
(文責:山森 聡)
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徳舜瞥山(とくしゅんべつやま、1309m)
●2006年3月26日(日) (1ー0)
【ルート】
大滝村村有牧野(Co580m除雪終点)=徳舜瞥山
【メンバ】
L:斎藤清克(87入部)、M:高橋龍彦(84入部)、山森聡(86入部)、清原実(86入部)、梶川耕司(88入部)
【行程】
3月26日(日)(曇り→湿雪→吹雪→晴れ)大滝村村有牧野(Co580m除雪終点)(8:45)→Co1100mシーデポ(10:45-11:00)→徳舜瞥山(11:30)→Co1100mシーデポ(12:00)→大滝村村有牧野(Co580m除雪終点)(13:10)
【記録】

3月25日(土)Kinta(古川浩司、86入部)の結婚式に出席するために、羽田空港の搭乗ゲートでババア(清原実)と待合せをしていたら、何故か斎藤清克(札幌在住)が現れた。東京に出張で来ていたそうだ。結局3人で、羽田空港10:40発のエアドゥADO15便に乗って札幌入り。

苫小牧の教会にてKintaの結婚式。おめでとう! Kintaの名の由来は、新婦はまだ知らないそうだ。

夜には札幌「つる」にて、Room関係のKintaの結婚式参列者と、部報14号編集委員会の会合を終えたメンバが合流し、親睦を深めた。写真は左から笠井(旧姓神田)美由紀(99入部)、多田貴久(86入部、大阪在住)、山森聡(86入部、横浜在住)、大野百恵(97入部)。私が2年班ALとして応援で参加した2000年春合宿のパーティのLの笠井君とMの神田(ジンデン)さんが、1年前に結婚していたと知り驚いた。おめでとう。

2月26日(日)早朝、C0の斎藤邸を早朝出発。室蘭在住の梶川とは登山口で合流。大滝村村有牧野をスキーでシール登高する。前から斎藤、ジジイ(GG、高橋龍彦)、ババア、梶川

口うるさい若年寄コンビのジジイ(写真右)とババア(写真左)が一緒に山行するのは、1989年3月の北アルプス槍ヶ岳北鎌尾根以来17年振りとのこと。私も現役時代の冬山・春山に一緒に行くことが多かった米山さん(84入部)と、卒部後初めて一緒にスキー山行できることを楽しみにしていたのだが、米山さんは諸般の事情により、残念ながら急遽不参加。

雪が降ってきて、天気が悪くなってきた。とりあえず、白いところまで出て、最終判断することにする。写真は、左からジジイ、斎藤、梶川、ババア。

白いところに出て、少し登ったCo1100mで、ツエルトを被ってパーティ会。天気はかなり悪い(ー5℃、吹雪、視界20m)が、あと200m登れば徳舜瞥山ピークなので、ここでシーデポしてピークアタックをすることに決定。当初計画では、ホロホロ山(1322.4m)まで足を伸ばす予定であったが、これは断念。写真は、ジジイ(左)と梶川(右)。

悪天候(ー5℃、吹雪、視界20m)の中、ツボ足で徳舜瞥山ピークを目指す。春山のんびり山行のつもりだったのに、シビアな冬山ビンビラ山行となった。

徳舜瞥山ピークにて、登頂を祝って、凍ったオーバ手で、お互いに硬い握手。左から山森、ジジイ、斎藤、梶川。

神戸在住のジジイさんは、山スキーをするのは、1999年GW以来7年振りとのこと。山形育ちだけあって、ブランクを感じさせない、なかなかの滑り。

斎藤はテレマーク。

安全な樹林帯まで降りて、大休止。雪が止んで、天気が回復してきた。

ババアは相変わらず、スキーが上手だ。パウダーのバージンスノーに、美しいシュプールを刻みながら牧場に滑り込む。

お決まりの温泉。旧国鉄胆振線北湯沢駅跡地にある北湯沢温泉/名水亭(日帰り入浴700円)の露天風呂にて。左から、ジジイ、ババア、斎藤、梶川。

温泉から出ると、天気はすっかり回復して、大滝村の国道からは徳舜瞥山がかっこよく見えた。ついさっき視界20mの猛吹雪の中、ピークアタックしたのが嘘のようだ。このあと、大滝村で食事をし、斎藤に新千歳空港まで送ってもらい、神戸や東京まで飛行機で帰った。
(文責:山森 聡)
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氷柱の下、中央を右上するルンゼが正面ルンゼ。
【日程】 3月21日
【メンバー 】
清野(76年入部) 木下(日本山岳会青年部, 慶応WV OB)
坂本(チーム84 都立大)
【ルート】
錫杖岳 北沢大滝〜本峰正面ルンゼ
【行 程】
槍見温泉(3:30)〜錫杖沢出合(5:30)〜北沢下部(7:30)
〜烏帽子岩コル(10:00) 〜正面ルンゼ(11:30)〜本峰西コル(15:30)
〜錫杖沢出合(17:00)〜槍見温泉(18:30)
越後三山スキー縦走は、公募したにも拘らずメンバーは集まらず断念。
日本山岳青年部の木下君Pに混ぜてもらい、錫杖岳 北沢大滝〜本峰正面ルンゼに行って来ました。
錫杖岳山頂に突上げる貴重なダイレクトルートです。
ラビネーンツークにアイゼンを効かせアプローチ、後は氷ったルンゼをダブルアックスで駆上がる快適な登攀のハズだったのですが........
胸を越すラッセル、ベルグラ、キノコ雪にタップリしごかれました。
初顔合わせの坂本君は都立大の現役大学生、頑張ってラッセルしてくれたので、何とか貫徹が出来ました。

北沢を行く。 ラビーネンツークを駆上がるイメージだったのに、 腰を越えるラッセルの為、少しも進まない。

大滝を目指して。 雪に埋まって、氷が少ししか見えない。

正面ルンゼを目指しトラバース。 本峰岩壁の暖傾斜帯を正面ルンゼに向かってトラバース。雪崩が恐くてアンザイレンして行く。

烏帽子岩のコルを望む。

正面ルンゼ入口。 氷柱の下、中央を右上するルンゼが正面ルンゼ。 傾斜も緩いしコレは楽勝とこの時は思ったのだが、 その後、地獄を見る事になるとは.....

正面ルンゼ1P目。 この後、ベルグラ、スノーシャワー、キノコ雪と本気モードに突入した為、写真を撮っているヒマが無かった。

本峰西のコルに着いて終了。 何とか生きて帰れそう。
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