北日高
3月下旬 芽室ーチロロールベシベ
L見瀬(3 AL澤田(4 寺尾 辻 吉田 (1
<時間とルート>
1日目 林道終点(3.5h)頭(1.5h)小屋=C1
林道終点より小屋まで.7km.
2日目 小屋(6h)芽室ピーク=Ω2
タンネ限界は1300、樹林限界は1700。夏道尾根は稜線近くまでスキーで行けるかも。芽室ピークか夏道尾根肩でΩ2。
3日目 Ω2(1h)池(1.5h)1633西コル(2h)雪盛山(4.5h)ルベシベ分岐=Ω3
稜上は所々雪庇が出ているが、尾根は広く対処は容易。雪盛山付近でシートラ。ルベシベ分岐付近でΩ3。
4日目 Ω3(4h)チロロピーク(3h)Ω3=Ω4
ルベシベピークから先は、岩または雪稜上。核心部はルベシベ下りの崖マークとチロロ手前。チロロピーク直下は急。帰りは来た道。
5日目 Ω4(2.5h)八ノ沢出合い(4h)ダム
ルベシベ分岐東の1644北東尾根を下る。
<天気・停滞・進め方>
3日目の行程に停滞2日。予備に1日。のっこしの視界は200〜300。アタックの日は視界500。風はふられない程度。気温は消耗しない程度。天気傾向は2日良くて2日悪い。高気圧圏内、低気圧前面で晴れ。低気圧通過と冬型で悪い。天場着15:00、最終下山16:00。
<パーティ>
Ls:天気、のっこし、雪庇、ザイル判断。
M:体力、口出し、EP。
<装備>
冬天、フライ、なべ、茶食器、ノコ×2、スノーソー×2、ストーブ、灯油110/人・日、ロウソク、無線、スキー、アイゼン修理具、ザイル、その他EP,スキー、腰シュリンゲ、おしめ含む冬山個装
<準備山行>
・樽前山のっこし(2ー0)
・美瑛岳Co1500引き返し(2ー0)
・十勝岳ーオムシャ(2ー0)
...hide more
オロフレ山(1231m)
●2005年2月
オロフレ山
【ルート】
盤渓→西尾根→オロフレ山往復
【メンバ】
米山悟、斉藤清克、梶川耕司
【日 程】
2月12日
盤渓(12:30)→西尾根750mでイグルー(15:00)イグルー完成(16:00)
2月13日
イグルー発(9:00)→山頂(11:00-20)→イグルー(12:15-40)→盤渓(13:40)→オロフレ峠の遭難現場へ
1990年に死んだ小松の追悼で遭難現場に集まる。札幌の斎藤と室蘭の梶川とでオロフレ山の西尾根を登って、山頂を踏んでから追悼会に合流することにした。
鉄道で伊達紋別へ。駅横のよろず屋でパンとピーナツを買う。梶川に拾ってもらって盤渓へ。僕は20年ぶりの再訪だ。鉄道は消え、小学校は自然体験施設に変わっていた。小学校横の林道を進む。ヒザ近くのラッセルだ。細いハンノキやカンバの急斜面を登る。タンネが全然無い。誰かが切ってしまったのだろう。
標高750mあたりでイグルーを作る。皆、慣れたものだ。三人ゆったり、壁も特厚の立派な物が1時間で出来た。一段目はマジメに踏み固めた大きく硬いブロックが必要だが、二段目以降は、表面の30センチほどのパウダー層をかき分けた下の、自然に圧雪された層を切るだけで軽くてまとまったブロックが出来ることを発見した。これは樹林帯では手抜きでいい手だ。立ち枯れの木を倒して焚き火。斎藤がアルミ製のジンギナベを持ち上げていて、塩ホルモンを堪能した。時折降雪、気温は氷点下ヒト桁くらい。
完璧なイグルーのため熟睡して7時起床、9時発。ゆるやかな樹林帯をヒザ下のラッセルで抜ける。時々ニレやイチイの大木がある。広い稜線に出ると風が強く、カンバも背が低い。下降点がわかりにくいのでデポ旗を三枚カンバに結ぶ。南へ右折し、ズボズボの強風帯を行く。視界は100m以下、結構な吹雪だ。カンバの影も見えず、ついに視界が50mを切った頃山頂。20年前はオロフレをカットしてホロホロ山にのっこしたので、初登頂だ。
帰りは強風の向かい風の中、目出帽をデストロイヤーにして磁石見てマジな下山。斎藤はほっぺたにシモヤケ。首尾良く旗を見つけ、樹林密度のやや高い尾根をシールはずして下山。育ちの同じ山岳部員同士のパーティーは、何かと手はずが良い。言葉に出さなくとも仕事運びが良く、心地よい。
下山後、札幌から来ていた澤柿、ディック、中村、野村、銭谷とオロフレ峠近くの遭難現場で合流、小松の里の秋田のうまい酒を捧げて、カメラーデンリートを歌う。
小松は雪庇踏み抜き、雪崩埋没で突然死んだ。前の瞬間までそんな予想もできないだろう一年生だった。僕も一年目の時、全く同じ失敗をしたのでわかる。山の怖さなんか全く知らない、登るのが楽しいだけの時期だ。生きていればまたいろいろ危ないこともあったろうが、まだ登っていただろうか。15年経って集まった面々を見て変わらないなと思ったろうか。皆まったく変わっていなかった。
風呂を浴びて、蕎麦食べて解散。僕は東室蘭駅から函館行き列車に乗る。
...hide more
2004冬メイン二年班 オムシャ〜トヨニ〜ピリカ
04 12/27〜12/29(3-0)
L:見瀬(3 AL:市川(3 M:勝亦、中島(2
<時間とルート>
27日 曇り 国道(8:30)Co1150(11:00〜30)頭(11:35)オムシャヌプリ(12:45〜50)頭(13:40)Co1150=C1(13:45)
天気を読んで入山を一日遅らせた。ニオベツ川左岸尾根を行く。とりつきまでに渡渉数回。下部は急でブッシュが不快だが、水産ワンゲルのものと思われるトレースを辿っていく。下から見た限り、頭は岩が出ており、穴は掘れなさそうだったので、Co1150のカンバ帯にテントを設営する。風は時折気になる程度、視界は頭からオムシャが見えたので1kmちょっと。天気に悪化の兆しが出たらすぐに引き返すという方針で、オムシャにアタック。頭〜オムシャは所々岩が出ているが対処は容易。おおむね日高側を巻く。この日が予報通り、3日の中では一番悪かったが大きく崩れることは無かった。
28日 曇りのち晴れ C1(6:50)野塚岳(7:45)ESC頭(9:50〜10:00)トヨニ岳=C2(12:45)
朝出てみると、トヨニ岳の上にだけ雲がかかっている。風は前日と同じ程度。冬型が徐々に決まり、天気は安定するだろうと見て乗っ越しをかける。野塚岳が朝やけに染まり美しい。野塚岳の登りは雪少なく、所々岩が出ているが問題ない。野塚岳東峰〜西峰は雪稜状。・1268より下ったところに3つの岩峰、いずれも上を行く。ESC尾根の頭あたりから天気が良くなる。・1251を越えたところに岩稜。十勝側を巻いたあと上を行く。Co1350付近にナイフリッジ。ノーザイルで抜ける。トヨニ岳では360度視界∞。十勝平野がどこまでも広がっている。ピーク直下にイグルーを作ろうとするが、すぐに地面が出てきてしまったので、もう少し北よりの雪庇の際に雪洞を掘る。
29日 快晴 C2(6:15)ピリカヌプリ(9:30〜40)C2(12:45〜13:40)国道(16:10)
雪洞から十勝の町の光が見える。出てみると、雲ひとつ無い夜空に大きく満ちた月が輝いていた。青白い月明かりに照らされたピリカは両翼を大きく広げ神々しい。天気概況でも天気の悪化はなさそうだ。行くしかない。
月明かりの中を行く。所々小さな雪庇が十勝側に出ているが問題ない。・1338〜ピリカは細いところや急な登りがいくつか出てくる。ピリカ直下は急だが、雪崩の心配は無かった。市川がピークを二年生に譲り、二人は肩を組んで登頂した。はるかに続く日高の山並みが見える。来れて良かった。握手と記念撮影を済ませて早々に頂上を後にする。雪洞で茶を飲んで休んだ後、天場を下ろせるだけ下ろすセンスで南東尾根を下る。南東尾根は急でブッシュが多く不快調。どこかでもう一泊して焚き火でも、という声もあったが下山することに。渡渉を数回したのち、野塚トンネルの北口に出て下山。最後はかなり疲れた。
パトカーに車まで送ってもらい天馬でたらふく飯を食って帰札。短かったが良いメインだった。
<パーティー>
L-s:天気判断、乗越し判断できた
M:前歩いた、頑張った
<備考>
ニオベツ左岸尾根の頭はこの時期でも穴を掘って泊まっている記録があったが、今年はトヨニ以南では掘れそうもなかった。しかし、トヨニ以南は標高が低いため、尾根などを使って標高を下げられればテントで泊まれそうな場所は何箇所かあった。トヨニ以北は十分な雪があり掘れそうな場所はたくさんあった。今年は広尾町などでは雪が多く降っていたようだが、トヨニ以南は特に雪の少ない年だったようだ。天気は3日とも総じて良かった。やはり、南日高は冬型が決まると晴れるらしい。風も弱く、去年のような爆風は吹かなかったが、これは千島近海の低気圧の勢力が弱かったためだと考えられる。
<感想>
見瀬:準山で事故を起こしてしまい、一時はパーティー解散も覚悟したが、こうしてメインを無事終えることが出来て良かった。天気と足の揃ったメンバーに感謝。
市川:快晴の中、望むピリカは「両翼を広げた」という形容は誤りで女神がお股をおっぴろげた聖地であると思った。
勝亦:日高はとても良かった
中島;天気に恵まれてピリカまで順調にこなせて良かった。
...hide more
2004冬メイン 大雪湖〜白金温泉
04 12/26〜05 1/3(9−0)
L馬詰(5 AL瀧花(6 澤田(4
M澤田卓 寺尾 辻 吉田 平塚(1
12月26日 曇 林道すぐの石狩川の[石]11:10−Co1100「狩」の字15:35
しゅうさんに送ってもらい林道につくとゲートに鍵が・・・。10分ほどかかって番号を解読!****。しかし、入って1km位のところで除雪が不十分となり歩き出す。重荷に苦しみながらひたすら歩き大石狩沢手前のCo1100でC1。
27日 雪後曇 C1 5:40−Co1700ポコ8:20−石狩岳10:15−C1=C2 13:00〜13:20
C1から適当に尾根上を上がっていく。1540ポコから所々雪庇が出ている。1700ポコの下りは雪庇が発達していた。その先のコルで防寒をして1780でシーデポ。そこから上は所々尾根の分岐にストックをさして行く。デポ旗が3本ほどあった方が良い。ピーク直下は少し細い。そしてピーク。停滞もせずいきなり登れてしまった。帰りは1700のポコは南面を捲いていく。あとは途中から快調なスキーを楽しんでテン場まで。
28日 雪 C2 6:05−沼の原コル10:55−地獄谷14:00
テン場のすぐ脇を渡渉。埋まっている。1252の尾根は快調。沼の原は広く、時々風で白くなる天気だあったがカンバがあるので心強い。コルにはタンネがある。長沼を経由して地獄谷まで行く。地獄谷は木が少なくてテン場には適さない。天気が悪くしんどい一日であった。
29日 晴れ 地獄谷7:15−パンケトムラウシ左岸尾根Co1100 10:55
トムラウシ川は1050付近を橋をかけて渡渉。やはり沢が合流する上で渡渉するべきであった。トムラウシ川の支沢は埋まっていて、右岸の急斜面も1100付近を登れた。後はテン場まで美しいタンネ帯を歩く。テン場に着いてからL-sでコンタ尾根を1300まで偵察。帰りは素晴らしい斜面をスキーで楽しむ。
30日 晴れ後雪 C4 6:25−トムラウシ山10:15−C4=C5 12:45
コンタ尾根を登る。タンネ限界は1400。カンバ限界は1550。1740ポコでシーデポ。天気は朝より悪くなっているがドーム基部が見えていたのでアタック。デポ旗を打ちながら登り、頂上東端の2100ポコにあがる。途中は岩稜を捲いたり急な雪壁があったりとルートファインディングが必要。視界が50、風は気にならない程度。三角点の少し北で風が強くなってきたのでそこを頂上とする。帰りは磁石とデポ旗での行動。1740のシーデポ地点からコンタ尾根に入るのに視界がなくて苦労する。後はトレースをテン場まで。大福のあんこが凍り相当な寒さだったようだ。テン場に戻りMの指に凍傷が見つかる。
31日 曇 C5 6:55−緑雲橋12:20 C6
テン場から西沢の林道のほうに降りていく。橋を渡り990位で林道を外れ、尾根をのっこしカムイサンケナイ950へ。スノーブリッジで渡渉できた。トムラウシ温泉まではトレースがあり快調に下る。温泉手前の尾根でLのスキーが真っ二つに折れ、ツボで緑雲橋まで行く。ALと話し合い、ミニスキーを作り翌日の行動でLとして動けなければ下山する事とした。
1月1日 快晴 緑雲橋6:50−トノカリウシュベツ川の「カ」の字10:15−オプタテ南東コンタ尾根1100 12:45
テン場から台地に上がりCo800あたりをトラバースしていく。後は林道を行きオプタテ南東コンタ尾根1100のタンネ帯へ。この日は強い冬型のはずだったが快晴で十勝連峰やトムラ、石狩が全て見えた。ご来光も拝め良い新年であった。Lのミニスキーは意外に問題ないのでメイン続行とする。到着後、コルのほうへ偵察に行く。夜、同じMの指に凍傷が見つかる。程度は大したことないがオプタテのアタックは無理なのでアタックカットとする。
2日 雪 C7 10:05−1400引き返し−C7=C8 12:30
天気は上り坂との予報なので九時天をとって出発。コルへトラバースしていく。雪崩は問題ない。コル直前の沢の源頭が真っ白で視界なく、風も強いので引き返す。くやしい。
3日 曇のち雪 C8 5:50−コル7:00−林道9:30−白金温泉12:00〜13:15
低気圧の前面を使いのっこす。コルまでは一応カンバがあり白いのは昨日引き返したところだけであった。表十勝側はすぐにタンネ帯に入る。しかし、雪が多くラッセル。トラバースしつつ標高を下げポン水無川の一つ東の沢型を間違って林道へ出る。油断してしまった。後はトレースをたどり白金温泉へ。ゴール手前50mでMがコケ、顎が割れ結構な出血をしてしまった。
Party
トムラのアタック判断について:誤りであった。下り坂の天気と低温を甘く見ていて、温度計も持っていなく気温の客観的判断ができなかった。一年班のL-sとしてもっと天気判断をしっかりやるべきであり、結果としてMに凍傷を作らせてしまった。
Lのミニスキーについて:Lとして行動できるかについてかなり議論した。一旦メインを中断する案も出ていたが、できるだけ自助努力をしてメインを続行するという事で翌日の行動で続行か否かを判断する事とした。結果として、ミニスキーでもかなりの行動力があり、スノーシューよりは全然動ける。
最後の地図読みのミス:あと少しで林道であるという油断から生じた。
Mの凍傷:Mの一人に結局指に5本の軽い凍傷を作らせてしまった。沼の原ののっこしで1本、トムラのアタックで2本作った時点で気付いた。沼の原のほうは手袋に穴が開いていたためであるが、その時点で気付けばその後を防げたかもしれない。トムラは一年生には厳しい行動をさせてしまったためである。そして1本は元旦の快晴の樹林帯。毎日の行動の疲れがたまっていたためか。最後の一本はいつのものか不明。途中から常時ハンガロンにしたり厚着させて注意していたが防げなかった。
L-s:色々あったが最善の判断になるよう努めた。
M:澤田卓・良く頑張った。地図読みも良くやりL-sの判断も理由を尋ね積極的。
寺尾・良く頑張った。ラッセルはとにかく速い。
辻・良く頑張った。着実に実力をつけている。
吉田・良く頑張った。が、スキーをもっと頑張って欲しい。
平塚・頑張っていたが、生活技術や行動後術はまだまだ頑張れる。一つ一つの行動をあせらずに落ち着いてやって欲しい。
感想
馬詰:トムラの森は本当に美しかった。
瀧花:さらば大雪。さらば北の大地。
澤田:天気が良くてよかった。
平塚:いろいろ経験できた。無事でよかった。
寺尾:元旦が最高だった。
吉田:きつい時もあったけれど充実した山行だった。
澤田卓:今回のメインで今まで以上に山登りに対するやる気が起こされた。
...hide more
関西支部新年宴会
北大山の会関西支部・岸本
1月21日(金)夜、底冷えのする京都祇園で北大山の会関西支部新年宴会が開かれた。
何はともあれ関西支部の発展を祈り乾杯の音頭を長老の駒田さんに取っていただく。今回は昭和34年入部世代の出席が多い。あとで会員名簿を調べてみると、34年入部の部員数は今の現役全員をはるかに超える人数だったようだ。
乗馬マラソンをしている話。地方公務員の仕事量についてチクリ。現役を引退し、バリバリの現役NEET生活をおくっている話。この夏に同期で白金温泉に行くという話。長幼の序と老齢登山についての警鐘。循環器も呼吸器も不調だった宮地さんはカイラスに行って体が高度馴化されたため、帰国後はひどく楽になったという話。写真集を見せて頂く。カイラスはいつ見ても端正な形で思わず登り出したくなるほどなのに、それを我慢しながら周囲を巡るというのは、五体投地並みの精神力が要りそうだ。
会は相田支部長による札幌での総会の報告、今後の取組み表明があり、支部の宴会の態をなしたところで、アルコールによるエントロピー増大効果もあり、後は箸を伸ばし杯を傾け談笑が続いた。
最後に内藤さんから隣のお座敷に断りを入れてもらい、肩を組んで心置きなく「山の四季」を合唱。当夜の祇園はそこだけ狸小路の「つる」。
出席者都合12名(敬称略ーカッコ内は入部の西暦、昭和年):
駒田(1939、14年)、宮地(1954、29年)、相田(1958、33年)、高橋昭(1959、34年)、内藤(1959)、田中(1959)、神戸(1959)、渡辺尚(1959)、益田(1961、36年)、須田(1962、37年)、名越(1963、38年)、岸本(1965、40年)
以上報告します、岸本。
...hide more
石狩手前のコルに作ったソロイグルーです。
冬の醍醐味ですね♪
By Naokiss(99)
ただいま,Blogバージョンのページを作成中.
会員や現役から直接投稿できるようにしました.
写真付きの山行や記事投稿にふるってご活用ください.
南日高
12/26〜1/1(4-3) オムシャ〜トヨニ〜ピリカ
L見瀬(3 AL市川(3 M勝亦 中島 (2
<時間とルート>
1日目 国道(3.5h)頭(1.5h)オムシャヌプリ(1h)頭=C1
二オベツ川左岸尾根は快調。尾根とりつきまでに渡渉。頭かCo1150までおろしてC1。頭からオムシャは所々岩が出てくるが問題ない。頭にデポ旗1
2日目 C1(1h)野塚(3h)ESC頭(3h)トヨニ南峰=C2
野塚〜・1268は雪稜状。・1268付近に岩峰。乗ったり巻いたり。ESC頭にデポ旗。・1251を越えると、岩稜。十勝側を捲く。・1350付近はナイフリッヂ、十勝側切れてる。ザイル出すかも。トヨニ南峰でC2。
3日目 C2(4.5h)ピリカヌプリ(4.5h)C2=C3
・1338〜ピリカは細い。Peak直下は急。デポ旗三本打って行く。時間があればテン場下ろすかも。
4日目 C3(4h)国道
トヨニ南東尾根を下って下山。
<天気・停滞・進め方>
天気読んで入る。風気温は行動に支障のない程度。C1まで全天。視界トヨニまで2〜300。ピリカアタック∞。停滞は3日。C1で停滞4日した場合ものっこしあり。最終日下山あり。冬型だと風は強いが晴れる。前面でガス。南岸Lでは大荒れ。冬型、ゆるみ、移動高で行動可能。エスケープは野塚トンネル北口西尾根:稜上(2h)国道。野塚東1100、ESC尾根Co1000、トヨニ南東尾根Co1250、でテント泊できる。デポ旗は左岸尾根頭1、ESC頭1、ピリカ直下3。ピリカ引き返し10:30。テン場15:00。下山16:00。(入山日は天気を見て決めるため26日以降になることもある)
<パーティ>
Ls:のっこし、天気判断、ザイル判断、Rf。
M:口出し、前を歩く。
<装備>
冬テン フライ のこ2 スノーソー2 鍋 茶食器 ストーブ 灯油120 ローソク 無線 ザイル9mm50m デポ旗7 薬品 他腰シュリンゲ おしめ スノーシュー、ストック1本、EP含む冬山個人装備
<参考記録>
'81 12/23〜1/2 '81 3/14〜22 '83 3/16〜28 '84 3/16〜27 '94 12/29〜1/7 '99 3/25〜28 '002/17〜28 '00 2/10〜14 '01 2/16〜17 '02 1/3〜6 '03 3/17〜25 '02 3/1〜3/7 ワンゲル
<準備山行>
10/30〜31(2-0) OP尾根〜旧DZ
11/26〜29(3-1) 西尾根〜オプタテ肩引き返し
12/10〜12(2-1) 旧DZ〜D尾根12/17〜18(2-0) 楽古〜十勝
...hide more
大雪
12月26日〜1月7日(9ー4)
大雪湖〜石狩岳〜トムラウシ〜オプタテ〜白金温泉
L馬詰5 AL瀧花6 澤田浩4
M澤田卓 寺尾 辻 吉田 平塚1
Time& Route
1日目 沼ノ原橋(3h)大石狩沢出合C1
大雪湖からの林道は沼ノ原橋まで除雪。林道を行き、大石狩沢出合でC1。
2日目 出合(1.5h)Co1540ポコ(3.5h)石狩岳(2.5h)出合C1=C2
出合から尾根上を行く。Co1540ポコまでは普通に行ける。そこからやや細い。Co1700くらいでシーデポ。肩からやや細い。ピークからは来た道を戻る。
3日目 出合(5h)沼ノ原のコル(3h)地獄谷C3
出合から・1252の尾根に乗り、沼の原に出る。沼ノ原北西のコルへ行き長沼を経由して地獄谷でC3。
4日目 地獄谷(2.5h)パンケトムラウシ左岸Co1100C4
トムラウシ川はCo1060付近、支沢はCo1100付近で渡渉する。パンケトムラウシ左岸Co1100でC4。
5日目 Co1100(4h)トムラウシ山(3.5h)Co1100C4=C3
パンケトムラウシ左岸のコンタ尾根を上る。Co1800くらいでシーデポ。Co1740のポコから?20を打っていく。ピークへは東から回り込んでいく。帰りは来た道。
6日目 Co1100(3h)カムイサンケナイCo950(4h)緑雲橋C6
西沢には林道の橋がある。カムイサンケナイ川への尾根をのっこし、Co950で渡渉。夏道沿いにトムラウシ温泉へ。緑雲橋付近でC6。
7日目 緑雲橋(4h)トノカリウシュベツ川の「カ」の字(5h)オプタテ南東コンタ尾根Co1000C7
三股山の南斜面Co800付近をトラバースしつつトノカリウシュベツ川の方の林道へ出る。オプタテ南東のコンタ尾根Co1000付近でC7。
8日目 C7(3h)・1404(2h)オプタテ西尾根末端Co1150C8
オプタテ北東コルの・1404を越えて、東尾根を捲きつつ、西尾根末端まで。
9日目 Co1150(3h)オプタテ(1.5h)Co1150(4h)白金温泉
西尾根はCo1400付近でシーデポ。そのままピークまで。あとは林道を白金温泉まで。
全体としてこの山域ではタンネ限界Co1200、カンバ限界Co1500である。
Tactics
停滞は4日。石狩岳、トムラウシに1日ずつ。
石狩岳Atは視界100〜200。風は行動に支障のない程度。トムラAtは1740ポコからドームが見えるくらいの視界。オプタテAtは視界200〜300。風は行動に支障ない程度。オプタテとのコル1404ののっこしは視界100、風は行動に支障ない程度。エスケープはトムラウシ温泉か、C7から曙橋(1day)。天場着15:00、最終下山16:00。
Party
山旅を味わう
Ls:天気判断、Route Finding M:しっかり歩く
Equipment
夏天、ツェルト2、ドラゴンフライ2、灯油120ml/人・日、鍋2、茶食器2、のこ4、ローソク、無線、スキー&アイゼン修理具、?の旗、他スキーストックEP含む冬山個装
Preparation
- 11月27〜28日(2−0)三段山付近
- 12月4〜6日(3−0)天塩岳東尾根
- 12月11〜13日(3−0)大麓・トウヤ・富良野
...hide more