山わたる風
伊藤健次
2006.7.21
A5版1800円
山スキー部OB、同世代の写真家伊藤健次の写真文集。2002〜2004年、朝日新聞(北海道版)で連載していたものの再編集とのこと。本人からの年賀状で推薦してあったので買った。
写真の動物たちがどれも表情を持っている。木の穴の中であくびするテン、降る雪を見上げるエゾシカ、草の茎を振り回すリス、広い風景の中のエゾシカの群れにさえ表情がある。こういう絵はなかなか撮れる物ではない。山を登る技術あっての過ごす時間であり、過ごした時間あっての写真だと思う。
デルスゥ、劉連仁・・・。北海道の天然に身を置けば連想する人への感傷も共感できる。
画と写真の違いはあるが、串田孫一、上田哲農を思い起こす間があると思う。同世代の写真家が北海道の天然をテーマに良い画文集を出したのがうれしい。この10数年、僕が寄り道ばかりしている間に伊藤健次は確かな経験を積んで確かな言葉を手に入れたと思った。
同世代といえば、恵迪寮で同じ部屋だった佐川光晴が今回も芥川賞を逃した。賞は逃しても小説がおもしろければそれで良いけれど。
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『北海道中央分水嶺踏査記録〜宗谷岬から白神岬まで〜』
発行:日本山岳会北海道支部
2006.10.14
A5版188ページ/1000円
昨年貫徹した、日本山岳会の日本列島中央分水嶺踏破計画というのがあった。その一環、北海道支部の2004年から2006年にかけて2年半の記録集。宗谷岬から白神岬まで約1130km。201回の山行、延べ968人を掛けて繋いだ。編集代表の高澤光雄氏に部報14号の返礼に頂いた。
道のない部分がほとんどなので、冬季と残雪季が稼ぎどころだ。この割合も、踏破距離も北海道が全国でダントツらしい。当然ながらマイナーな稜線の貴重な記録が山盛りである。一回あたりの山行人数は一人の区間もあり20人近くの区間もある。メンバーをみると中心実働メンバーは10人前後。山行日数は長くて4日、殆どは日帰りか一泊でコツコツ繋げた。なるべく沢山の人が参加する趣旨なので、長期の計画で一気に稼げなかったという。
日本山岳会といえば近年は実際に山に登らぬサロン的印象が強かった。それは若手がいないからである。にもかかわらずこれだけの快挙を挙げているのは、長く山行経験を積んだメンバーが豊富な為であろう。このテーマは一見地味だが玄人向きでやりがいあるおもしろいテーマだということが、文章を読めばわかる。当人達の達成感はさぞや大きい物だろうと思う。経験豊かな熟年メンバーだからこそ価値を知り、貫徹できる良い課題を見つけた物だと思う。
これだけの大作戦なのだから、もっと若い世代も巻き込んでできれば良かったと思う。しかしそもそも今や広い世代を抱える山登り集団自体が存在しないのではあるが。日本山岳会がこれからどうなっていくべきなのか少し考えた。「最も伝統あるただの一山岳会」で居続けられるのは、今回の主力メンバーの世代で最後ではなかろうか。今後はフランス山岳会やドイツ山岳会のように、より公共性の強い、すべての登山者の為になる、日本を代表する山岳組織の役割を担う事を期待している。その意味で他団体の投稿など緩やかな参加を認めた「きりぎりす」を発行している日本山岳会青年部の活動に注目している。
以前から宗谷岬〜襟裳岬の踏破をライフワークにしていた日本山岳会北海道支部長にしてルームOBの新妻徹氏(1950年入部)自身が今回、率先して結構な区間を繋いでいる。日本山岳会北海道支部が北大山の会のように名実ともに「実際に山に登らぬサロン」となっていないのは、新妻氏のようにマジな山をやめない熟年登山者実働部隊がいるからこそであろう。
初踏査や顕著な記録などの歴史も盛り込んで全域を解説した高澤光雄氏によるパート、今は現役を退いた先達の、回想を含む寄稿文なども随所に添えて(野田四郎OB〈1947年入部〉の十勝大雪冬季初縦走回想もある)、単なる報告書以上のおもしろい本になっている。今後はオホーツク/太平洋の分水嶺、樺太の分水嶺も視野に入れているとか。期待している。
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書評・(新版)ガイドブックにない北海道の山々
〜私の全山登頂情報〜
著者:八谷和彦
印刷製本:アイワード(自費出版)
発行日:2006/12/12
定価:1470円
著者は、道内の標高1000m以上の全山登頂者。積雪期と沢遡行で、求める山頂の最もふさわしい季節とルートを選んで登る。紹介されている山が、絶妙のマイナー度だ。西クマネシリには登ったが、南クマネシリはちょっと・・・。とか、ポントナシベツは登ったけど、シューパロ岳はさすがに、とか、普通に登っていたら行かない、ちょっとはずした山ばかり。日高のリビラ山、ピラトコミ山、夕張の小天狗岳、道南はオコツナイ岳に利別岳、ああ、ここ数年内に静かに行こうと思っていた山ばかり。僕だって道内の山は山頂で数えたらこれまで132座登っているのだが、この本に紹介されている山頂で踏み憶えのあるのは紹介されている80座のうち、たったの3座だ。
山登りの一番おいしい所は、何が起こるかわからない所だと思う。新人は何から何までわからないのでこれはおもしろい。経験者は、予想が付くようになったようでやっぱり付かないところがおもしろい。この本の魅力は、この未知を味わう課程が100パーセントであることだ。
各山の構成は、「どんな山か」「登頂ルートの考察と研究」「記録」からなっていて、この登頂ルートを考察し、作戦立案のプロセスを読めるのがおもしろい。
10年前には、北海道の地味な山に登る人などあまり居なかった事だろう。著者はもちろん、長い間続けてきたのだが、こんな本が世に出て、価値を味わう人が増えた事を思い、今や北海道の登山者の志向の層は厚いと思った。
他のガイドブックにある山はわざわざ省いているという入れ込みぶり。前回出版(5年前)は1500部が完売したとのこと。部報14号の倍刷っていて。しかも出版社も同じです。
北海道にもまだまだ知らないピークがあるって事がわかる一冊。隠居するのはまだ早い。僕も同じ季節、同じルートでの計画をやっぱり考えていた利別岳に、今シーズンは行ってみよう。
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みなさま
お待たせしました。ようやく部報14号の発行日のメドが立ちましたのでお知らせします。これから印刷を始めまして、12月8日に出来上がります。その後連番のハンコをついて、10日あたりから発送を始めます。
早々にご予約を頂いた方、楽しみにお待ちしていただいた皆様に感謝いたします。これまでの編集に大きな励みとすることができました。
是非次号の部報15号に続けて行きたいと思います。今後とも北大山岳部の活動にご期待ください。
尚、11月30日までに部報販売サイトで予約注文していただければ、送料が無料です。12月以降は冊数と送付宛に応じて送料ががかかります。
部報14号編集長・大野百恵(1997入部)
『ganさんが遡行(ゆく) 北海道の沢登り』
岩村和彦著 /共同文化社
全26ルート 初級中級
週末の沢登りにいれあげている、サラリーマンのおっさんの道内沢登り記録集。
写真豊富な本だ。このスジの本は関西の「わっさかわっさか沢登り」などあったが、道内では初めて。というか道内のヤマ本は「登山大系」と「山と谷」しか無かったけれど。
沢を楽しむおっさんの情熱があふれかえっている一冊である。
北海道の山メーリングリスト(HYML)にはとてもたくさんの人が書き込みをしていて、一日に10や20のやりとりがある。Ganさんはその中でも沢派で知られ、山頂からは毎度一言メッセージが届くほどだ。入り込みやすく情報量の多い独自の文体である。細かな描写が豊富なのにさらりと書いてある。
ザイルを使わない難易度の沢が対象で、基本的に金曜夜発日曜深夜帰宅という制限内の週末休みを使うサラリーマン登山なので学生バリバリ沢族にとっては易しい沢が多いが、上述の既存の沢案内本からはこぼれた銘渓がまだまだあちこちにあることを知る。
著者ganさんとは、昨年夏、大千軒岳の山頂で初めてあった。知内川奥二股沢を登って山稜のお花畑で熊のうんこを踏んで登頂したら、いた。先行パーティーだった。登った滝の話などして別れた。その日、帰りの食堂で新聞を見たらganさんが山小屋のウンコ掃除している写真が載っていた。山のオーバーユース問題の解決に活動していた記事だった。人の多い山には行かないようにすればいいやと僕なんかは思ってかたづけていたが、社会との接点を尊重し、奉仕活動をする姿はやはり尊い。
https://aach.ees.hokudai.ac.jp/MT/archives/2005/07/000092.phpそれはともかく、沢をやめちゃったOB諸氏のみなさん、これを読んで復活の機会にしてみてはどうでしょう。日本の夏を楽しむには最高の遊びではなかろうか。
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サバイバル登山家
服部文祥著
みすず書房(2006.6)
服部文祥はいま岳人の編集部にいて、僕にイグルーで登る山(テントを持たずに雪山へ行こう)という文章を書くよう勧めてくれた。道具を持たずに山に行くと、体は自由になり、身に付いた体術と知識で山の中を渡り歩いていける。そういう喜びを実践した記録だ。夏はストーブ無しの焚き火で長期山行をし、冬はテントを持たずイグルーで登る北大山岳部の御同輩だ。共感する。
氏はこの思想をフリークライミングから得たという。たしかに言われてみれば納得だ。Freeという言葉が、「道具無し」という言葉と「自由」という言葉の2つの意味を持つことに納得がいく。「タダ」という意味もあるのがなかなか深い。
表紙はシャケを喰うクマみたいに氏がでかいイワナをつかみ食いしている衝撃的な写真だ。読んでみると蛙を喰う話が平気で書いてあり、オレにはちょっとそこまではなあ、などとも思うのだが、実はこれ、捌いたイワナの皮を、前歯でひっぱってむいているところなのである。つまり、お刺身にして文化的に食べようとしているところ。映像ってのは本当に刺激が強い。「前歯でひっぱると皮が簡単に剥ける」とあるので、僕もシメサバを仕込むときやってみた。これは便利、以後真似しよう。指でいじいじ剥くより早い。
いままで僕などは踏んづけて歩いていた草だが、食べられる草を紹介してあり、興味が湧いた。山が豊かであるほど、人は手ぶらで入山出来る。電源開発で固められると、サカナが減り、手ぶらでは飢える。クマの身になって考える事ができる。道具持ち込みで山に行ってはそういうことに気がつくまい。
「舌はうまいかまずいかを感じる器官ではなく、食えるか食えないかを感じる器官だ」に同意。
読書中、ちょうど3ヶ月ザックに入っていたチーズを発見(3月知床のあまり)。銀紙の下はカビだらけだったが、これを丁寧にオピネルで削いで、中の部分を食べ、舌で転がしてみた。凄く臭い家畜小屋のような臭いがするのにうまい。いつかヨーロッパで食べたクサクサチーズのうまみになっていた。こういうことを話すと人はイヤーな顔をするが、食えるものか食えないものかを自分の舌で判断できず賞味期限見ただけでポイするような者が、あの店はうまいだのまずいだの言うのは、おかしくて聞いていられないと僕は常々思う。
フンザで肉屋が牛の頭を石で叩いて殺し、肉を切り分ける様を書いた一文がある。最近「いのちの食べ方」(森達也著)という子供向けの本を読んだ。日本でもどこかの誰かが牛を屠り、うまく肉に切り分けてくれるから毎日肉を食べている。なのにその様子は世の中に知らされない。自分で殺生してこそ、食べ物をありがたく食べられる。
冒頭、3月下旬の知床単独行の最中、南岸低気圧の直撃を受け、テントをつぶされ雪に埋まって4日間過ごす一文から始まる。「いちばんやばい状況で、いちばん居てはいけない場所に、自分がいる。」あの稜線で低気圧を迎え撃った経験を共有する、仲間意識が湧いた。ただし僕は完全なイグルーで武装し、三日間の爆風に耐えた。外に顔を出せば、まるで滝壺に落ちたときのようにもみくちゃの暴風雪の三日間だった。テントなら死んでいる。
氏にイグルーの作り方を教えて欲しいと言われ、是非にと返事をしたけれど、まだ約束を果たせていない。
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梅里雪山・十七人の友を探して
小林尚礼著
山と渓谷社2006.1
1990年の京大、梅里雪山の事故は大変だった。C3の17人が雪崩と思われる遭難で突然音信不通になり、その場を誰も確認できなかった。戦前のナンガパルバットでもこういうことがあった。著者はその年少隊員の同期で、その後今日まで梅里雪山に関わって生きてきてしまった。僕とほぼ同世代の山好きだ。
80年代を山岳部で過ごした者にとってヒマラヤは憧れだったが、90年代の現実は変わり目だった。大学山岳部が目指す未知の山域は数少なくなり、高い山にはツアー登山隊が押しかけた。梅里雪山はそんな中で残った最後の秘境の山域だった。
著者はその数年後、再挑戦の隊員として山頂近くまで迫っている。ここまでは普通の展開だ。だがその数年後、雲南のヒマラヤの速い氷河が思わぬ速度で流れ、氷河末端で仲間たちが発見され始めた。遺体と遺品の収容のため、麓の村で長い滞在をするうち、チベット人たちの暮らしの中でいかにその山が大切に思われているかを知り、変わっていく。この本は、ただの山好きが成長していく過程を書いている。梅里雪山という中国語が「カワカブ」というチベット語に変わっていく。
巡礼旅行の途上、カワカブが見えたとき、吸い込まれるようにお祈りを始めたチベット人の仲間を見て著者は、「世界で始めてカワカブの南面の撮影をした」と喜んでいた自分を恥じた。「カワカブに登るのは、親の頭を踏むようなものだ」という麓の人の気持ちに少しずつ近づいていく過程が読める。
チベット南部や東部の山あいで、僕も長居をしたことがある。今の日本にいると人が祈る姿をほとんど見かけないが、ここでは「祈る」、「信じる」にはじまり「食べる」も「歩く」もみな日本と違う。登山隊として素通りするだけではもちろん、山頂を目指してやってくる北京や日本の人がそれを知るには時間が要る。著者が時間をかけてそれを理解していく様がうらやましい。
山好き、麓の人、それから遭難者の遺族それぞれにとっての大切なカワカブが描かれる。著者はカワカブのために写真家になり、霊峰カワカブと世界最深の峡谷地帯、それに雲南チベット族の貴重な暮らしぶりの写真が豊富に添えられている。
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東韃紀行(現代語訳)
教育社新書 原本現代語訳104(1981.1)
間宮林蔵著 大谷恒彦訳
200年前のサハリン島とアムール川下流域の探検記。東韃地方紀行、北蝦夷図説など、間宮林蔵の三部作の現代語訳がたったの1000円。残念ながら絶版。しかし古本400円で手に入りました。平凡社東洋文庫にもあり。間宮に関する解説パート、後世の科学で見るといかに間宮海峡の天候、海流、地形が近づき難いかを検証した章もあり、とても理解しやすい良書。
19世紀初め、間宮林蔵が、サハリンと大陸の間が海峡であることを確かめ、現地の民族、ギリヤーク人の案内で海峡を越え、黒竜江を遡り、清朝政府の出先交易所デレンまで行って帰ってくる話だ。北蝦夷図説という図解版には当時の図版が豊富に描かれている。わずか200年前なのに今はほとんどいなくなってしまったツングース語系の諸部族たちの、日常の姿が詳しい。子供を板に挟んで天井から垂らしたヒモで吊っておく習慣などおもしろい。皆、どこへ行ってしまったのだろう。
サハリン島が1905年に日露のあいだで分割されたとき、南北を分ける人工的な線が引かれたのは何故なのかこれまでわからなかったが、この本を読んで大体わかった。この線を境に南は樺太アイヌ、北はギリヤーク(ニブフ)やウイルタ(オロッコ)が住んでいて、両者は全然違う顔と言葉の民族なのだ。
北方民族たちの呼び名は、自称、隣の民族による呼び名、隣の隣の民族による呼び名・・・と、たくさんあり紛らわしい。が、彼らの愉快な風俗がおもしろく、ついつい全部詳しく憶えたくなってくる。
ニブフ(自称)=スメレンクル(アイヌによる)=ギリヤーク(ロシア人による)
ウイルタ(自称)=オロッコ(アイヌによる)
マングン(自称)=サンタン(アイヌ、和人による)、
ナナイ(自称)=コルデッケ(他称)=ゴリド(他称)=赫哲族ホーチォ(中国人による)、
オロチョン(ロシア人による)
ウデヘ
更に北へは、サハ=ヤクート、イテリメン=コリャーク、ユカギール、エベンキ=ツングース、エベン、ネギダール・・・言葉も文化もさまざまなこれらの人たちへの興味をひく。同じ民族が別のところで別の名を持つこともあり、ただ他者による呼び名が幾つかあることもあり。
アジア極東の彼ら消えゆく民族への最初の興味のきっかけは、黒沢明の映画「デルスウザーラ」と、その原作の「デルスウ・ウザーラ」(平凡社東洋文庫・アルセーニエフ著)だった。デルスウはナナイ人。デレンより、もっと上流のウスリー川右岸、シホテアリン山脈でのロシア軍探検家アルセーニエフの20世紀初頭の探検記だ。たき火も川もアムール虎もすべて「人」あつかいで生きるデルスウの「土人」ぶりには、坂本直行の描いたアイヌ老人「広尾又吉」の話に通じるものを感じた。間宮がデレンで会う清朝仮府の役人がこのナナイ人だ。
100年前のアルセーニエフの記録でも興奮したが、200年前の間宮の記録は更に興奮する。アルセーニエフとデルスウの、「探検家と案内人」の関係に対して、間宮の時代の場合は侵略者としての強い立場が無く、ありのまま、未だ無傷の異文化社会にたった一人で入り込んでいる点が貴重なのだ。立場としては非常に弱く、死と隣り合わせの自覚だったろう。
間宮の大冒険の神髄は、大部隊を率いて成し遂げたのではなく、またたった一人で成し遂げたのでもない。現地のこれら異民族と、出会い、慣れ、信頼を受け、協力を得るという行いによって成された。同時期にロシアやフランスの軍艦がサハリン西岸まで来ていながら、嵐の海で海峡を見つけられなかったのとは対照的だ。間宮は現地のギリヤークの協力で、小さなサンタン船一艘で目的を果たした。
関連の実物展示で、
先日函館市立図書館が建て直しになった。ここには収蔵品が多くあり、蠣崎波響の蝦夷夷酋列像など、頼めば見られるかと聞いてみたら、本物が見られるのは展覧会の時だけだそうで、複製が見られるだけとのこと。それでも大きいので見る価値はある。
函館市北方民族資料館では、サンタン貿易のサンタン服(清朝中国産)の展示を見た。ちなみに函館市立博物館にはウラジオストクのアルセーニエフ記念博物館と姉妹提携しているという旨の展示があった。ここは極東一の収蔵品だという。しかしパネル展示のみでいまのところ凄いものを見られるわけではない。今後に期待。
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コン・ティキ号探検記
T.ヘイエルダール著
水口志計夫訳
ちくま文庫
本屋の寂しい町に引っ越してしまったので、これまで家に買い込んだ本と、図書館通いが読書の糧だ。こういうときには古典に限る。というわけで、漂流記の古典中の古典を読みました。古典の良いところは必ずハズレが無いことです。久々に本屋で買える本の書評です。ここ数年の本で一番おもしろかった。
札幌から函館に向かう函館本線の列車で読んだ。
1947年。ノルウエイのトール・ヘイエルダールが、ペルーからバルサ材の筏でインディオ達が流れ着いたという学説を裏付けるため、自ら筏で南米沖からポリネシアに漂流した、その漂流記。
何より文章がおもしろい。村上春樹くらいはおもしろいんじゃないかな。いろんな人々やいきさつが、とてもコミカルに書かれている。こっけいに書かれてはいるが、一介の研究者がペンタゴンの兵站担当者やエクアドルの軍司令官やペルーの大統領に会見を求めて協力してもらう話をまとめていく様は凄い。企画力と、行動力も並はずれていたのだろう。この時代、世界はもっと探検に理解があったのかもしれない。
20mもある巨大ジンベイザメの顔がマヌケだからといって、6人みんなが指を指して狂ったように笑い転げるくだりなんかは最高だ。さまざまな生き物が筏を見物に来て、また別れていく。波濤を立てて進む船でしか海を渡ったことの無い人には気づかない、海水面近くの様々な生き物との出会いがおもしろい。クジラから、プランクトンまで。ヘイエルダールによれば、がさがさと森の中を行く者には何も見えないが、腰を降ろし、静かにしていれば様々な生き物の気配をすぐに感じることが出来る。それと同じだ。
出発前、船乗りは揃って危険だからやめろと言ったが、漂流の経験者はいなかった。筏が荒波に対しては水を逃がしてしまい優れていること、丸太を結ぶ縄が柔らかいバルサ材に食い込んで、まったくすり切れないことなど、誰もやったことがないからわからなかったけれど、多分インカの時代はこうだったという確信で実行し、どれも成功を実績で確認していくのが凄い。筏と船と、漂流と航海とは全く違う行いなのだ。
椰子の実、サツマイモの伝搬に関しても納得いく記述がある。水も何とかなるし、魚なんか放っておいてもトビウオが毎日筏に飛び上がってくる。そのトビウオをエサにマグロを釣る。シルクの網を引っ張って走ればプランクトンやちりめんじゃこをスプーンでもりもり食べられる。「餓死するなんて不可能」らしい。
昼も夜も、ただの漂流物になって海流に乗っていくと、大自然の猛威とはぶつからずに、筏の上の波のように、さっとくぐり抜けて、「それ」と一体になってしまうのだ。手ぶらの美学がここにもあった。
ヘイエルダールの学説は航海前は学会からまったく無視されたが、ポリネシア各島の「先祖は海の彼方から来た」の口承がこの漂流によって証明された。
函館本線は噴火湾沿いを長く走る。海の上を走っているようだ。夕方、海と空の色がどんどん変わっていくのを眺めながら読んだ。
コン・ティキ号探検記
T.ヘイエルダール著
水口志計夫訳
ちくま文庫
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高い山はるかな海―探検家ティルマンの生涯
J.R.L.アンダーソン (著), 水野 勉 単行本 (1982/11) 山と渓谷社
ヒマラヤ探検時代から黄金時代に活躍したイギリスの探検家、W.H.ティルマンの生涯をうまくまとめた伝記です。ティルマンの人生全体を俯瞰できて良い本です。
残念ながら絶版で、今度はさすがの北大山岳館蔵書にも見あたりませんでした。(追記:その後入りました)文庫本にでもならないものか。毎度絶版本の書評ばかりで恐縮です。「読めない本の書評シリーズ」これは新分野かもしれません・・・。
冬の黒部剣岳の登攀者、大阪の和田城志氏を訪ね、24時間近く酒を飲んだり風呂を浴びたりして(和田氏は住宅街の庭に手製の露天風呂がある)山の話をしたその中で、H.W.ティルマンの生涯をまとめたこの本を読めと勧められました。既に絶版、古本屋で買い求めました(インタネットは古書を探すのに革命的に便利になった)。
探検家シプトンと共に有名なティルマンは、戦前のイギリス統治下のヒマラヤ探検時代にガルワールの名峰ナンダデヴィに初登し、1938年にはエベレスト北面のアタックをわずかに残して帰還、戦後は中央アジア、ネパール、ビルマと空白部を歩き、50代半ばで高峰登山を諦めてからはヨットを使った遠洋航海+山登りを始め、パタゴニア、南極海、グリンランド、バフィン、シュピッツベルゲン・・・と80歳で行方不明になるまで探検を続けた。彼の最後の航海の船の名はアナヴァン(前へ)でした。
イギリス人だ!と痛切に思うのは彼の戦争体験だ。1898年生まれの彼は第一次大戦の西部戦線で奇跡的に生き残り、第二次大戦では探検家の名声を一切利用せず、40歳過ぎの「老兵」として過酷な空挺部隊に志願、アルバニアや北イタリアに降下してパルチザンと共にドイツ軍と実戦を戦った。戦争と聞けばどう逃げるかを考えるのが現代日本人の発想だろうが、ティルマンは戦争が始まると探検を切り上げて急いで帰国します。
時代の常識、イギリスという特殊国の事情、ご本人の資質などあまりにも日本のこの時代と違います。しかし、彼のやり方に深く共感しました。自分の体で背負える規模の遠征を良しとし、ノート用紙一枚で説明できないような計画を立てない。物資を持ち込まず現地の小麦を使って自分でパンを焼く。自転車でアフリカを横断し、小さなヨットで地球を縦断する。科学技術や組織ではなく、人の身体に付けられる能力だけを使って企画し実行し通しました。旅行、山旅は、装備を省き、主体的に、自分の知力、技能を最大限生かし切ってこそ価値あるものになるし、力も高まる。
僕もいつかヨットを始めるかも知れないと予感しました。ティルマンの人生を読んだだけで、自分の人生の先までが楽しみになり勇気が湧くという本です。現在日本では、ティルマンの著作は「ナンダデヴィ登頂」始めすべて絶版、この伝記さえも絶版とあっては全くがっかりだ。図書館で探せば、あるいは見つかるかも知れません。
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